アズラエルは、ノックもせずに部屋へ入ってきた。
「地球軍第8艦隊と合流できるようです。ハルバートン准将の部隊で――」
その声が、途中で止まる。
ノーマは、バスタオル一枚で髪を拭いていた。シャワーを浴びたばかりで、まだ肌には水滴が残っていた。
「……なんで、裸なんですか」
扉の前で立ち止まったまま、アズラエルが呆れたように言った。
ノーマは小さく首をかしげる。からかうような笑みが口元に浮かんでいた。
「シャワー、浴びてた。ノックしなかったから」
「……まったく、負けましたよ」
彼は視線を逸らしながら、手にした端末を掲げる。表情は崩さず、けれど口調にほんのわずかな苦味が混じっていた。
「もうひとつ、朗報……というか、厄介な話が。合流する艦隊には、地球連合・大西洋連邦事務次官――ジョージ・アルスター氏も同行するようです」
その名前に、ノーマはタオルを肩に掛け直して、彼の顔をじっと見つめた。
「アルスター……フレイの……?」
「ええ。フレイ・アルスター嬢のお父上。……立派な方ですね」
言葉の最後に込められた微かな皮肉。それが、ただの冷笑ではないことを、ノーマは知っていた。
彼のそういう言い回しは、いつも、怒りを押し殺したときに出てくる。
「……」
ノーマは、ふと目を伏せる。
「こちらの“政治的立場”とはまた別問題ですね。面倒な時期に、また面倒がひとつ増えた」
アズラエルがため息をついた。その背中はどこか遠く、けれど決して冷たくはなかった。
ときに優しく、ときに冷たく、ときに見えないほど遠く感じる。
でも、それでも――この人は、わたしを戦場に連れてきた代わりに、「居場所」をくれた。
(……だから、私は)
ノーマは静かに、唇を引き結んだ。
もう「守られるだけ」の自分ではいたくない。
戦うと決めたからには、守られるだけじゃだめだと思った。
「私、着替えるから。次は――ちゃんとノックして」
冗談めかして言った声に、アズラエルはわずかに苦笑を浮かべ、踵を返した。
扉が閉まる音がした。
ノーマは静かに息をつく。湯気の名残る室内で、彼女の眼差しは、もう戦いのほうを向いていた。
◇
アークエンジェル・ブリッジ。
「前方に戦闘とおぼしき熱分布を検出。先遣隊と思われます」
チャンドラの声が落ち着いていた分、かえって不穏だった。
「えっ?」
マリューがモニターを見つめる。
「戦闘って……」
サイの声が震える。
「モントゴメリーより入電。ランデブーは中止、アークエンジェルは直ちに反転、離脱せよとのことです」
パルの報告が重く響いた。
「艦長!」
ナタルがマリューを見やる。
「敵の戦力は?」
ナタルが重ねて問う。
「イエロー257、マーク402、ナスカ級……熱紋照合、ジン8。それと……待ってください、これは……イージス。X303、イージスです!」
トノムラの声が高まる。
ブリッジが一瞬、静まり返った。
「では、あのナスカ級……」
マリューの表情が硬くなる。
「艦長!」
ナタルの声に、アズラエルは肩をすくめながら口を開いた。
「艦長さん、モントゴメリーがそう言ってるんですよ? 安全離脱しましょう。こっちも落とされちゃ意味がない」
穏やかに――けれど、意図的に重く言う。
彼女がこのまま“軍人の理想”に酔って突っ込めば、それこそ――消耗だ。
だがその横で、トールが叫ぶ。
「でも、あの艦には……!」
「ええ……ですが、今から反転しても逃げきれるという保障もないわ」
マリューが冷静に言い切った。
「――総員、第一戦闘配備! アークエンジェルは、先遣隊援護に向かいます!」
ブリッジ内に緊張が走る。
アズラエルは目を細めた。
(それは、立派と言うべきか……それとも、愚かと呼ぶべきか)
優しさで人が救えるのなら、誰も死にはしない。
だが――戦場に立つ者の選択肢は、いつだって「理想」ではなく、「現実」によって削り取られていくのだ。
それでも、この艦は行くという。
ならば彼もまた、それに乗るしかなかった。
艦内放送が響く。
『総員、第一戦闘配備! 繰り返す、第一戦闘配備!』
廊下を駆け抜けるキラの前方に、見慣れた二人の姿があった。
ノーマと――ラクス・クライン。
「モシモシ、モシモシー?」
ハロが無邪気に鳴く中、ラクスは不思議そうに周囲を見回していた。
「何ですの? 急に賑やかになって……」
「戦闘になる。中に入って!」
ノーマは即座に判断し、扉のロックパネルに手を伸ばす。
だが、解除がうまくいかない。指が震えているわけではない。それでも、焦りが操作の精度を狂わせる。
「……ここの鍵、どうなってるの……っ」
すぐ横に駆け寄ったキラが、無言で代わって解除パネルを操作する。
カチャリと音を立てて扉が開く。ノーマは迷わずラクスの肩を押して中へ入れた。
「ハロハロ、ハロハロ、ミトメタクナイ、ミトメタクナイー」
中で騒ぐハロを気にしながら、ラクスが不安そうに振り返る。
「戦闘配備って……まあ、本当に戦いになるんですの?」
「……そうですよ。っていうか、もうなってます」
キラの声はどこか遠い。怒っても、嘆いても、もう止められない現実を知っている声だった。
「キラ様も、戦われるんですか……?」
キラは黙って、視線を逸らした。
「とにかく、出ないで。私が戻ってくるまで、絶対に」
ノーマの言葉には、鋭い意思がこもっていた。ラクスが何者であろうと、この船の中にいる限り、彼女を守る責任がある。
「オマエモナー!」
ハロがおどけた声で返す。
ラクスは扉の中で、名残惜しげに二人を見つめていたが、何も言わなかった。
扉が閉まる音を背に、キラとノーマは走り出す。
ノーマの耳に、かすかに歌声が届いた。
(……歌?)
かすかな調べ。人を励ますでもなく、泣かせるでもない。
ただ、静かに寄り添うような、やさしい旋律。
ほんの一瞬だけ、足が止まりそうになる。
だがノーマはすぐに顔を上げ、キラとともに再び駆け出した。
格納庫へ向かう途中、駆け足のキラを、誰かの手がぐっと引き止めた。
「キラッ!」
フレイだった。
「戦闘配備ってどういうこと? 先遣隊はどうなったの?!」
顔には不安と焦燥がにじんでいる。
「僕には……まだ何も知らされてない。わからないんだ……」
苦しげにキラが答える。
けれどフレイは、納得できない様子でさらに詰め寄った。
「大丈夫よね? パパの船……モントゴメリーよ? まさか、やられたりなんて、しないわよね……ね?」
不安にすがるような視線。答えを欲しがる声。
キラは言葉を失い――
「あ……」
そのときだった。
「大丈夫」
ノーマの静かな声が、フレイの背後から届いた。
「私が、守るから」
不安に押し潰されそうなフレイの言葉を、断ち切るように。
でもそれは、責めるためでもなく、励ますためでもなく――ただ、まっすぐに言葉としてそこにあった。
フレイは振り返り、驚いたようにノーマを見た。
ノーマは表情を変えず、すぐにキラの隣へ立つと、再び格納庫へと歩き出した。
その背中は小さく、でも確かに、まっすぐ前だけを見据えていた。
「急いで!!」
ノーマの叫びに応じて、ミリィの声が格納庫に響いた。
「リニアカタパルト接続完了! メビウス・ゼロ式ノーマ機、システムオールグリーン! 進路クリア、どうぞ!!」
――パシュン!
ガンバレル・ポッドのケーブルを引きちぎり、ホワイト・ゼロが閃光とともに宇宙へ躍り出た。
背に携えたガンバレルは、わずか四基。
満足な補給も受けられず、機体はまだ完全な状態ではない。
けれど――止まっている暇はなかった。
「……急がないと……間に合って……!」
ノーマは喉を詰まらせながら、機体を加速させた。
戦場はすでに、炎と死の匂いに包まれていた。
ストライクとイージスが交錯する――灼熱の一騎打ち。
その周囲で、無数のジンが弾幕を張り、アークエンジェルはバリアントを撃ち放っていた。
「ちぃぃっ!」
ムウのメビウス・ゼロがジンを一機撃墜するが――すぐさま別の機体の攻撃に被弾する。
「くそっ! これじゃあ、立つ瀬ないでしょう……俺は……!」
損傷した機体をかばうように、ムウは戦闘空域から離脱する。
ノーマの目に、彼の光跡が小さく遠ざかっていった。
「ムウ……っ!」
ノーマは叫び、操縦桿を握り締める。
――展開。
四基のガンバレルが放たれ、二機のジンを瞬く間に撃墜する。
その間にも、アークエンジェルのゴッドフリートがジン一機を蒸発させる。
ノーマを支えるように――彼女の戦線を守るように。
「キラは……イージスに……!」
ストライクはイージスとの死闘の最中。
ならば、自分がここを凌がなければ。
――ズキン。
突き上げるような頭痛。
視界が歪む。
「っく……」
それでも、止まらない。
痛みに歪んだ顔のまま、ノーマはさらに一機、ジンを撃ち落とす。
――鼻血がこぼれる。
けれど、手は止めない。
止めてはいけない。
ここで止まれば、誰かが死ぬ。
「うあああああ!! 私がっ、私が……!!」
三機目のジンが爆散した直後だった。
目の前で――ナスカ級の主砲が閃光を放つ。
その砲撃が、モントゴメリーを貫いた。
「あっ……」
時間が止まったようだった。
艦が裂ける。爆炎が舞う。
クルーたちの叫びが、ノーマの鼓膜を貫くように響いた。
(……だめだった……間に合わなかった)
何もできなかった。
ただ、遅かった。
そのとき――
全周波通信が入る。
『こちらアークエンジェル。繰り返す――当艦は現在、プラント最高評議会議長、シーゲル・クラインの令嬢、ラクス・クラインを保護している』
ナタルの声が響く。
でも、ノーマにはどうでもよかった。
誰の娘だろうが、どんな地位があろうが――今、目の前で人が死んだのだ。
(何も守れなかった……)
彼女の手は震えていた。
戦っているのに。
命を懸けているのに。
――それでも、間に合わないことがある。
その現実だけが、ノーマの胸を冷たく支配していた。