アークエンジェル格納庫。
ホワイトゼロのハッチが開いたまま、整備兵が慌ただしく動いている。
その傍ら、ノーマがコックピットによじ登ろうとしていた。
「うあああ!! 私が……!! 私が……!!」
血の滲んだ制服のまま、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げる。
ノーマの手が操縦桿を求めようとした、その時。
「もういいんです……! 大丈夫です、もう終わったんです!」
アズラエルが彼女を抱きしめた。
その腕には、いつもの皮肉も計算もなかった。
ただ、震える少女を止めたい――その一心だった。
その時だった。
「うそつき!!!」
怒声が格納庫に響いた。
振り返ると、フレイ・アルスターが涙を流しながら立っていた。
キラとミリアリアが慌てて駆け寄る。
「フレイ!」キラが制止しようとする。
だが、フレイは止まらない。
ノーマを見て、唇を震わせ、怒りに任せて叫んだ。
「大丈夫だって言ったじゃない! 守るって言ったのに!!」
ノーマの瞳が見開かれる。
肩が、震える。
「なんで……なんでパパの船を守ってくれなかったのよ……!」
「くぅ……っ」
「なんで、あいつらをやっつけてくれなかったのよ!!!」
「フレイ!」ミリアリアが制止に入る。
「“白い悪魔”とか呼ばれてるくせに……本気で戦ってないんでしょ!? 本気でなんかっ!!」
「――っ!」
ノーマが、崩れるように膝をついた。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
何度も、何度も。うわごとのように。
そのとき。
――パァンッ!
鋭い音が空気を裂いた。
フレイの頬が、真っ赤に染まる。
一瞬、全員が動けなくなる。
アズラエルが――手を振り下ろしていた。
「……本気で言ってるんですか?」
その声は、静かだった。けれど、怒りがこもっていた。
「これを見て、まだ“本気で戦ってない”なんて言えるんですか? あなたの前で、彼女が……どんなに戦ってたか、見てなかったんですか?」
「悲しいのは……苦しいのは、あなただけじゃない……!」
アズラエルはフレイの襟元を掴み、今にももう一発――
「やめてください!!」
キラが、咄嗟にアズラエルの腕を掴んだ。
その隙に――ノーマは走り出していた。
整備兵の間をすり抜け、足音だけを残して、艦内の通路へと消えていく。
キラが後を追おうと一歩を踏み出す。
「行ってあげてください……」
アズラエルがその背に言葉を投げた。
「今の私では、彼女に……何ひとつ言葉をかけてあげられない……」
キラは振り返らなかった。
ただ、走り出した。
――誰よりも、彼女の叫びに応えるために。
◇
人気のない、静かな廊下。
ノーマは壁にもたれ、膝を抱えて座り込んでいた。
――私は、なんのために生まれたんだろう。
誰にも問えず、ただ頭の中で同じ言葉が何度も反響する。
戦うため?
守るため?
じゃあ、何を?
ぐるぐると、出口のない問いが心の奥を掻きむしる。
そのとき――
「……隣、いいかな?」
控えめな声がした。
顔を上げると、そこにいたのは――キラ・ヤマトだった。
ノーマは何も言わず、ただうなずく。
キラは彼女の隣に静かに腰を下ろし、二人の間にわずかな沈黙が流れた。
「……私、守れなかった」
ノーマがぽつりと呟いた。
「戦ったのに……届かなかった。間に合わなかった。なにもかも、無駄だった……」
膝に額を押しつけるようにして、肩がかすかに揺れる。
キラはしばらく黙って、ただ彼女の横に座った。
「僕……こういう時、何を言えばいいのか分からない。でも――これだけは言える」
その声はかすかに震えていた。
「君がいなかったら、アークエンジェルの皆も……僕も、きっと死んでた」
ノーマが顔を上げる。キラはまっすぐ、彼女を見ていた。
「ノーマ。君の戦いは……無駄なんかじゃないよ」
そう言って、彼はそっと彼女を抱きしめた。
その腕は、温かくて、優しくて――でも確かに、強かった。
「……う……ううっ……」
ノーマの堰が、切れた。
泣きたくなかった。泣く資格なんてないと思っていた。
でも、もう止められなかった。
涙が止まらない。声が漏れる。
それでも、キラは何も言わず、ただ黙って抱きしめ続けてくれた。
(……それだけで、十分だった)
ノーマはそう思った。
自分がまだここにいていいのだと――初めて、そう思えた気がした。
◇
その光景を、アズラエルは少し離れた通路の曲がり角から見ていた。
照明の落ちた廊下の陰。声は届かずとも、表情は見える距離。
少女が泣き、少年がそれを支えていた。
(……君が、泣くのか)
アズラエルはほんの少しだけ目を細めた。
ノーマは、誰よりも強かった。感情に振り回されず、理不尽にも黙って耐え続けてきた。
だが――その芯が折れる音を、今、自分は見た。
(違うな……)
彼女が壊れたわけではない。
壊れてしまう寸前に、あの少年――キラ・ヤマトが、支えたのだ。
アズラエルは、ため息のような息を吐いた。
本来なら、ああいう時に隣にいるべきなのは自分だった。
自分が、あの手を取ってやるべきだった。
だが――
「……できなかったんですよ」
静かに呟いた言葉は、自分自身に向けたものだった。
ノーマを“兵器”として扱いながら、“娘”のように想い、
“守りたい”と願いながら、“戦わせる”ことしかできなかった。
(君が泣くということは――君が人間であるという証だ)
彼女を、心まで兵器にしたくなかった。
でも。
「……それでも僕は、君を戦わせてしまう」
そのことに、自分自身が誰よりも怒りを覚えていた。
アズラエルは、そっと通路を背に歩き出す。
誰にも気づかれないように。
誰にも、見せないように。
その手は、深くポケットに沈めたまま――
彼の中で、何かが静かに軋んでいた。
◇
ノーマは、キラの胸の中で静かに泣いていた。
「……ありがとう、キラ」
その声は震えていたが、どこか――少しだけ、救われたような響きを帯びていた。
そのときだった。
廊下の向こう、そっと足音が近づいてくる。
「……すみません、お邪魔でしたか?」
ふわりと柔らかな声が響く。顔を上げたノーマの視線の先には、ラクス・クラインがいた。
長い髪をまとめ、端整な顔にどこか寂しげな笑みを浮かべて。
「……ラクスさん……」
「あなたの泣き声、少しだけ聞こえてしまって……ごめんなさい、覗くつもりではなかったのです」
そう言って、ラクスはノーマの隣に静かに腰を下ろした。
キラも、そっと手を離し、気遣うように少し距離を取る。
「わたくしも……失ったことがあります。
大切な人、家族、そして……たくさんの夢も」
ノーマは黙って耳を傾けていた。
その言葉に嘘がないことは、声の温度でわかった。
「でも、あなたは戦いました。
誰かのために、悲しみがこれ以上広がらないようにと、必死に」
ラクスは、微笑みながら続けた。
「それは、とても……尊いことだと思うのです」
そして――歌い始めた。
静かに、優しく、まるで空気を包みこむように。
アークエンジェルの中の喧騒も、悲しみも、ほんの一瞬だけ遠のくような声だった。
ノーマは目を閉じた。
胸の奥のざわめきが、少しだけ静まっていく。
自分はまだ、ここにいてもいいのかもしれない――そんな想いが、ほんのかすかに芽生えた。
キラも黙って、その歌を聴いていた。
闘いの中で傷ついた心に、少しだけ休息をくれる歌だった。
◇
アークエンジェルの一室。
仄かに甘い香りが漂うその部屋には、静かな気配と折り紙が溶け込んでいた。
コツ、コツ、と軽やかな足音が近づき、
――ノックもなく、ゆっくりとドアが開く。
「どうも、一度あなたとお話がしたかったんですよ」
入ってきたのは、ムルタ・アズラエルだった。
その口調は柔らかく、笑みさえ浮かべている。だが、どこか警戒も抜けていない。
「まあ……」
ラクス・クラインは、驚きつつもにこやかに立ち上がった。
「こうして訪ねてくださるとは光栄ですわ。まさか、ブルーコスモスの方が……」
「ええ、ああ見えて私、ファンなんです。あなたの……歌も、佇まいも」
言いながらアズラエルは、目の奥にわずかな光を宿しつつ、少女の一挙手一投足を見逃さない。
「それは……嬉しいですわ」
ラクスはやんわりと微笑んだが、その笑みには静かな牽制も滲んでいる。
「けれどブルーコスモスの方々は、コーディネーターに対してとても過激だと、そう聞いております」
アズラエルは、少しだけ視線を泳がせ、苦笑した。
「……ええ、そうでした。いや、私も。つい少し前までは、あなた方を“脅威”としか見ていなかった」
「ノーマさん……ですか?」
その名が出たとき、ラクスはそっと目を伏せた。
「ええ。困ったことに、どうやら私は彼女に“影響”されてしまったようです」
アズラエルは、ひとつ息をつきながら、天井を仰ぐ。
「以前は――あなた方のような存在が、どこか“人ならざるもの”のように見えていたんです。
力、知性、優美さ、そのすべてが、我々を脅かす“異質”に思えて」
そして、ラクスを見る。その瞳はもう、かつての憎悪の色ではなかった。
「ですが……いま、こうして見ると――」
「あなたは、ただの“可愛らしい少女”ですね。驚くほどに」
ラクスは一瞬だけ目を細めた。その奥で、言葉を慎重に選んでいる。
だがその前に、アズラエルは自嘲気味に笑った。
「いったい私は、何をそこまで恐れていたのか……。滑稽な話でしょう?」
部屋には、しばしの沈黙が降りた。
だがその静けさは、互いの警戒が解けたものではない。
――むしろ、互いの“本心”を見極めるような、静かな対話の幕開けだった。
ひ
淡い香りが漂い、整えられた室内の静けさに、電子音がふわりと浮かんだ。
「ハロ、マイド? マイド〜」
軽やかに飛び跳ねるピンクの球体が、キラに向かってぴょこぴょこと跳ね寄る。
「しっ……! ハロ、ちょっと黙ってて……」
キラがそっと口に指を当てる。だが、すぐに――
「えっ……!? アズラエルさん!?」
扉の先にいたのは、予想外の人物だった。
キラが声を抑えきれずに呟く。
「まあ、キラ様」
ラクスがふわりと立ち上がる。その声に、まるで水面に広がる波紋のような柔らかさがあった。
「どうなさったのです?」
アズラエルは立ち上がりながら、キラの驚きをどこか面白がるような微笑を浮かべた。
「私のことはお気になさらず。覗き見に来たわけではありませんよ。ほんの、挨拶に立ち寄っただけです」
その声には、いつもの皮肉めいた響きはなく――むしろ静かな余韻があった。
「……平和になったら」
アズラエルはふとラクスの方へ視線をやる。
「あなたの歌を、改めてゆっくりと聴かせてもらいたいものです」
ラクスは微笑んで、小さくお辞儀を返した。
「ええ、ぜひ。その時には、喜んで」
アズラエルは軽く頷き、ドアの前で振り返ることなくそのまま出ていった。
足音だけが静かに遠ざかっていく。
部屋の中に再び静寂が戻ると、キラは息を整えてから、ラクスに向き直った。
「えっと……ちょっと黙って、一緒に来てください。静かに……」
その目には、かすかに焦りと、決意が浮かんでいた。
ラクスは首を傾げながらも、そっと頷いた。
「ええ。わたくしでよければ」
小さなハロがついてくる。
「ハロハロ〜 オケー、オケー」
キラとラクス、そしてその歌声の余韻を乗せて――
静かに、次の幕が開いていく。