その一角に設けられた簡易法廷。
被告席に座るのは――キラ・ヤマト。
その顔は強張っているが、どこか決意を宿していた。
彼がラクス・クラインを、ザフトに「帰した」――その事実が、艦の中枢を揺るがしていた。
戦局の鍵となる存在。人質であり、保護対象でもあった歌姫。
それを、たった一人の判断で敵に返還したのだ。
傍らには、ナタル、マリュー、ムウ、アズラエル。そしてノーマも静かに座している。
ナタルが立ち上がり、冷ややかに声を放つ。
「被告は、自らの行動が艦の安全と任務にどれほどの支障をきたしたか、まったく理解していないようです」
その言葉に、ムウが手を挙げて遮った。
「……それはあなたの主観に過ぎません。推測に基づいた断罪は、議事録から削除すべきだ」
「……削除を許可します」マリューが静かに言う。
するとアズラエルが身を乗り出した。
「そもそもですが、民間人を軍事的理由で拘束し続けること自体、コルシカ条約第四条に抵触するのでは?」
「該当行為は、同条“特例項目C”に基づくものです。戦時下における一時的拘束として、正当性は担保されています」
ナタルは眉ひとつ動かさず、機械的に返す。
「――ええっ? そんな条項、あったのかよ……」ムウが苦笑しながらぼやいた。
「特例C、ですね。戦局に明確な影響を及ぼす非戦闘員に限り、拘束が一時的に許される。ただし“脅威が除去され次第、速やかに解放されること”が条件でが」
アズラエルの声には皮肉と理知が混ざっていた。
「現に、彼女をザフトに返還したことで、敵艦は撤退しました。戦闘は避けられ、我々は被害を最小限に抑えられた。――極めて合理的な判断だったのでは?」
ナタルは唇を噛んだ。
「それは結果論にすぎません」
マリューが正面を向き、まっすぐキラに言葉を投げる。
「キラ・ヤマト。あなたに弁明の機会を与えます。なぜ、あのような行動を?」
キラは少し俯き、それでもしっかりとした声で答えた。
「……僕は、人質にするために彼女を助けたんじゃありません」
その言葉に、ムウが苦笑交じりに呟いた。
「まあ、そりゃそうだよな。人質にするなら……ノーマ嬢とかのほうが――」
場の空気が凍った。
ナタルが険しい表情を浮かべる。
マリューが、低く一言。
「……弁護人は、軽口を慎んでください」
「……すみません」ムウは肩を竦めた。
アズラエルは咳払いを一つ。
それだけで場の緊張が、さらに一段階沈む。
「本件について。キラ・ヤマトの行動は、軍法第3条B項、第10条F項、及び第13条第3項に抵触するものと判断されます」
マリューの声が落ち着いている分、ひときわ重く響いた。
「……よって、本軍事法廷は、キラ・ヤマトを――銃殺刑に処す」
静寂。
キラが微かに目を見開く。
傍聴席のノーマが――
「バンバン♪」
と、指で銃を模していたずらに笑う。
それは茶化しとも、慰めともつかぬ行為だった。
マリューは小さく息をつき、続ける。
「……とはいえ、これはあくまで“軍事法廷”であり、民間人に対して法的効力を持つものではありません」
「従って、本判決は形式上のものであり、実際の刑罰には至りません」
「今後、慎重な行動を求めます。……以上をもって、本法廷を閉廷します」
キラは、呆けたようにその場で立ち尽くしていた。
ムウが笑いながら言った。
「要するに、もう勝手な真似すんなってことさ」
アズラエルは腕を組みながら、わずかに口角を上げた。
「……まあ、坊やにしては見事な芝居でしたよ」
ノーマは、無言でキラの背を見つめていた。
それはただの茶化しではない。
彼女の“居場所”を守るために動いた、ひとりの少年の行動に――少しだけ、心を打たれていたのかもしれない。
艦内の片隅、照明の落ちた廊下の先。
人通りのないベンチに、ノーマは座っていた。
壁にもたれかかり、じっと前を見つめる。
手にはまだ、軍法会議で渡された書類の端が残っていたが、視線は焦点を持たなかった。
「……ここにいたんだ」
その声に顔を上げると、そこにはキラがいた。
制服の袖にまだ油が残っている。整備を手伝ってきたのだろう。
ノーマは目を伏せたまま、答えなかった。
「裁判……つらかった?」
「別に」
ノーマの返事は短い。けれど、その声音には乾いた疲労と、わずかな棘が混ざっていた。
キラはベンチの反対側に腰を下ろす。少し距離を置いたまま、言葉を選ぶようにして言った。
「……僕さ、誰かを助けたいって、そう思ったんだ」
ノーマは眉を動かす。キラは続ける。
「でも、あれが正しかったのか、今でもわからない。ザフトに彼女を返して、それで全部がうまくいくなんて、思ってたわけじゃない。でも――あのまま、何もしなかったら、きっと僕……壊れてた」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、ノーマがぽつりと呟く。
「君は……自由だね」
「え?」
「迷って、選んで、それでも誰かのために立てる。……君は、自由だよ。私は、戦うって決められてた。生まれたときから。名前も、役割も、最初から全部、与えられてた」
ノーマの声は淡々としていた。それでも、内側に積もったものは隠せなかった。
「守れなきゃ責められるし、戦えなきゃ価値がない。……君みたいに、迷う権利すらなかった」
キラは言葉に詰まり、ノーマの横顔を見つめた。
少女の瞳にはもう涙はなかったが、疲れ切った光が沈んでいた。
「そんなふうに言わないでよ……君だって、誰かのために、今ここにいるんだろ?」
その言葉に、ノーマが少しだけ目を細めた。
優しい声だった。戦場にいた人間の、それでも諦めきれない声。
「……君は、変わらないね」
「ノーマ……」
二人の間に、静かに時間が流れた。
そして――
「……あの……」
空気を壊さないように、柔らかな声が届く。
振り返ると、そこにはフレイがいた。
しばらく二人を見つめていた彼女は、そっと歩み寄ると、ノーマの前で立ち止まる。
「さっきは……ごめんなさい」
驚いて顔を上げるノーマに、フレイは目を伏せて続けた。
「パパのこと、あんなふうに言って……あなたに全部ぶつけて。ひどいこと、言ったって……わかってるのに、止まらなかったの。だから……ごめんなさい」
ノーマは何も言わなかった。ただ――その手が、膝の上でそっと震えていた。
その様子を、遠く廊下の影から見つめていた男が一人。
アズラエルは壁にもたれかかり、目を伏せたまま、小さく息をついた。
「……子どもたちのほうが、ずっと大人ですね、まったく」
そう呟きながら、そっと背を向け、足音もなく立ち去っていった。
艦内に響くアナウンスが、空気を張りつめさせた。
「総員、第一戦闘配備」
アークエンジェルに緊張が走る。
キラは足を止めた。
廊下のスピーカーから繰り返される警報が、鼓動をせき立てるようだった。
「……また、か」
ノーマも同じく小さく息を呑み、無言のままうなずく。
二人はフレイと別れ、並んで駆け出した。
――そのときだった。
前方の通路を、小さな影が飛び出してくる。
少女。まだ十にも満たない、幼い少女が、両手を広げて走っていた。
「せんそーよー! また戦争よー!」
明るい声に混じるのは、無邪気さと、どこかそれをわかってしまっているような哀しさ。
ノーマが咄嗟に身をひねり、ぶつかりそうになる少女を抱き止めた。
「あっ……!」
「ごめん、大丈夫?」
しゃがみ込んで、目線を合わせる。
少女――エルは、驚いたようにノーマの顔を見上げた。
「うーん……あっ! お姉ちゃんだ!」
ぱっと笑顔を浮かべ、ノーマの手をぎゅっと握る。
「また戦争になるよ!」
その言葉に、ノーマの胸が締めつけられる。
エルの瞳には、怖さも、疑問も、もうなかった。ただ、戦いを知ってしまった子どもの声だった。
「――大丈夫」
ノーマは、やさしく言った。
自分の胸に浮かぶ痛みを、笑顔で隠すように。
「私が守るから」
エルが目を見開く。
そのとき、すぐ横から声がした。
「うん。僕とお姉ちゃんに任せてね」
キラが静かに、でも力強く言った。
ノーマは一瞬、彼の顔を見た。
その目に映るのは、迷いと、決意。――自分と同じだ。
エルはふたりを交互に見て、くすっと笑う。
「うんっ、お願いね!」
ノーマの手を放し、再び小走りで去っていく少女の背を見送りながら、ふたりは再び駆け出した。
自分たちのすべきこと――その先へ。