記憶なき少女は戦場にて   作:ヨリヨリ

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宇宙に降る星:上

 

 

 

 

戦火を抜けたアークエンジェルは、第8艦隊との合流を果たしていた。

宙域には、整然と隊列を組んだ地球連合艦隊が展開している。

その中心――巨大な影のようにそびえるのは、旗艦〈メネラオス〉だった。

 

「艦首、180度回頭。減速さらに20%、相対速度を合わせて」

 

マリュー・ラミアス艦長の声がブリッジに響く。

その声音には、ようやく安全圏へ辿り着いた安堵が滲んでいた。

舵を操作するノイマンが軽く眉をひそめる。

 

「……しかし、いいんですかねぇ。こんな風に、メネラオスの横っ面に付けるなんて」

 

視線の先――アークエンジェルは、まるで随伴艦のように旗艦の至近に寄せられていた。

 

「それは……」

マリューは言葉を選びかけ、口を閉ざす。

代わりに、後方から響いたのは、皮肉気な低音だった。

 

「ハルバートン提督が、直にこの艦をご覧になりたいとのことでして」

 

ムルタ・アズラエルが、椅子の背に手をかけたまま淡々と告げる。

笑ってはいたが、その眼差しは底知れず冷たい。

 

「後ほど、ご自分でお越しになるそうです。何せ、この艦とG計画……

 その両方の立ち上げにおいて、閣下は最大の功労者ですからねぇ」

 

マリューは小さく頷く。

 

「……ええ」

 

重い意味を含んだその返答に、ブリッジの空気がわずかに緊張を帯びた。

一方、大部屋のモニターには、徐々に迫るメネラオスの威容が映し出されていた。

 

「うわあ……!」

 

「おっきい……!」

 

避難していた民間人の間に、歓声と驚きが広がる。

今や彼らの命を繋ぐ象徴とも言える巨大艦――

だがその圧倒的な存在感の裏に、どれほどの「意図」が隠されているかを、まだ知る者は少なかった。

そして、その「意図」は静かに――アークエンジェルへと迫っていた。

 

艦橋の緊張がようやく緩み始めたその時、マリュー・ラミアス艦長は静かに椅子を立った。

その背後に続くようにして、ムルタ・アズラエルも歩を進める。

 

「少し、お願いね」

 

そう言い残してブリッジを出ようとするマリューに、鋭い声が飛ぶ。

 

「艦長!」

 

ナタル・バジルールだった。

その一歩は、明確な意志を持っていた。視線がマリューを強く射抜く。

 

「ストライクのこと、どうされるおつもりですか?」

 

マリューは歩みを止め、振り返る。

 

「……どう、って?」

 

ナタルの眉間に皺が寄る。

抑えていた感情が、言葉に混じって溢れ出る。

 

「あの性能――あの力があったからこそ。

 彼が、キラ・ヤマトがストライクに乗っていたからこそ、私たちはここまで来られたんです」

 

「……」

 

「艦内の者は、皆その事実を理解しています。

 それでも……彼を、降ろされるおつもりですか?」

 

その問いは、マリューに向けられたものであると同時に、どこか自分自身への問いでもあった。

マリューは口を開こうとしたが、その前に、横にいたアズラエルが軽く手を挙げた。

 

「ちょっといいですか?」

 

皮肉めいた微笑を浮かべたまま、彼はナタルに向き直る。

 

「貴女の言いたいことは、よくわかりますよ、少尉」

 

「……!」

 

「でもね、キラ・ヤマト君は、軍人じゃない。

 我々が命じることはできません。力があろうと、志願を強制することは――条約上、認められていない」

 

アズラエルは言葉を切り、少しだけ肩をすくめる。

 

「……まあ、戦いに仕向けたのは私なんですけどね」

 

ナタルの口がわずかに開いたが、言葉は出てこなかった。

表情の奥に、怒りとも諦念ともつかない感情が浮かんでは消える。

 

「少尉、貴女が感じていることも、間違ってはいない。だが……」

 

アズラエルの声には、どこか冷めた調子があった。

感情の火種を弄ぶような、無機質な響き。

 

「現実ってやつは、理想の盾にはなってくれませんよ」

 

そう言い残して、彼はマリューとともにエレベーターへと歩みを進めた。

閉じていく扉の奥で、二人の背中が並んでいく――

静かに、そして確かに、次なる局面へと向かっていた。

 

 

 

静かな振動とともに、エレベーターの扉が閉じた。

狭い空間には、マリュー・ラミアスとムルタ・アズラエル――二人だけ。

無言の時間が、数秒ほど流れる。

マリューは、言葉を選ぶように小さく口を開いた。

 

「……あの、ノーマさんとは、どういったご関係で? そ、その……彼女、かなり幼く見えますから」

 

アズラエルはわずかに目を細め、口元に皮肉めいた笑みを浮かべる。

 

「ええ。年齢で言うなら――十二歳から十三歳程度でしょうね」

 

「じゅ、十二……!?」

 

マリューが反射的に息を呑む。

 

「……幻滅しましたか? それとも、血も涙もない私を殴ってみますか?」

 

「い、いえ、そんなつもりでは……っ」

 

マリューは言葉を失ったように視線を伏せる。

だが、アズラエルの口調は意外にも淡々としていた。

 

「構いませんよ、どう思っていただいても。

 ですが、“どのように”という質問には……少々、答えづらい」

 

「機密事項、ということですか」

 

「そうなります」

 

アズラエルは視線を正面に向けたまま、少しだけ首を傾けた。

 

「――簡単に言えば、降ってきたんですよ。あの少女が」

 

「……“降ってきた”?」

 

「文字どおり、です。空から――ね」

 

エレベーターが静かに停止し、扉が開いた。

廊下の向こうには、まだ戦いの余熱が残るアークエンジェルの空気。

 

「私は、ノーマの様子を少し見てから合流します」

 

それだけを告げて、アズラエルは背を向ける。

その姿は、足音も軽く廊下の奥へと消えていった。

マリューは、しばらくその背中を見送っていた。

あの男の真意は――まだ、霧の中だった。

 

 

ランチの着艦に、アークエンジェルの前部格納庫がわずかに震えた。艦内放送のアナウンスが止むとともに、格納庫の扉が開き、一人の軍人が姿を現す。

濃紺の制服に、白髪混じりの短髪。穏やかな笑みを浮かべながらも、その双眸には鋭さが宿っていた。

 

「おおお……いや、ヘリオポリス崩壊の報せを聞いたときは、もう駄目かと思ったぞ」

朗らかな声が格納庫に響く。

「それがここで、君たちの顔が見られるとはな――嬉しい誤算だよ」

 

「ありがとうございます。お久しぶりです、閣下」

マリューが姿勢を正して敬礼すると、続いてナタル、ムウらも挨拶を交わす。

 

「この艦は、よくここまで持ちこたえてくれた。君たちの尽力に、心から感謝する」

ハルバートンの目が次に向かったのは、艦の後方に控えていた一群の若者たちだった。

 

「……ああ、そして彼らは?」

 

「はい。艦の運用を手伝ってくれた、ヘリオポリスの学生たちです」

 

マリューの言葉に頷きながら、ハルバートンは学生たちの方へと歩を進める。だがその途中、ナタルとすれ違いざまに肩がぶつかった。

 

「うわっ……失礼しました、閣下!」

 

よろけそうになったナタルの腕を、背後から伸びた手が支える。

 

「お怪我は……?」

静かな声。ムルタ・アズラエルだった。

ナタルが身を起こすと、ハルバートンの表情がふと変わった。その視線が、アズラエルに注がれる。

 

「……君が、あのアズラエルか」

 

「ええ、初めまして。名高い“ラボラトリー派”の生き残りにお会いできるとは、光栄の至りです」

 

「評判どおり……切れる男のようだな」

 

皮肉にも聞こえるその応答を、アズラエルは微笑みで返す。

だが、互いの視線は静かに火花を散らしていた。

ハルバートンの目がふと、傍らの小柄な少女に向いた。

白い制服に赤いバイザー。軍人とは思えぬその姿に、提督の眉がわずかに動く。

 

「……君の部下らしいな。“ホワイトゼロ”の少女。あんな年端もいかぬ子供まで戦わせて、誇りにはなるまい」

 

その言葉に、アズラエルの微笑がほんのわずかだけ揺らぐ。

 

「誇り、ですか。いえ――“責任”ですよ。育てたのは私でも軍でもない。“戦争”ですから」

 

その声音には、乾いた皮肉と共に、自嘲の色が滲んでいた。

ハルバートンは、その一言を無言で受け止めたあと、なおも言葉を紡いだ。

 

「それでも――救える命はある。私は、そう信じている」

 

その目は、まっすぐにノーマを見据えていた。

 

「……あの子は、自分の意志で戦っているのか?」

 

その問いに、アズラエルは短い間を置いた。

その間は、まるで自問のように響いた。

 

「……“意志”とは、いつ生まれるものなのでしょうね、提督。あなたは……教えてくださいますか?」

 

その言葉を受けて、ハルバートンは深く息を吐いた。

そして――その中に、まだ壊れきっていない、迷いと理性を宿す“人間”の心を見た。

 

「……私は、君の道を認めるわけにはいかん」

 

静かに、しかし確固たる声音で。

 

「それは困りました。私はあなたのような理想主義者に、昔から手を焼く質でしてね」

一歩、アズラエルが下がり、笑みを残す。

「ですが――嫌いではありませんよ。特に、今の私は」

 

その時、背後から控えていたホフマンが口を開いた。

 

「閣下、お時間があまりありません」

 

「ああ……そうだったな」

 

ハルバートンは視線をアズラエルから外し、再び民間人たちの方へ歩を進める。

だがその背を振り返りながら、一言だけ残した。

 

「アズラエル君。今度、ゆっくりと話をしたいものだな」

 

「光栄ですよ、提督。今度は――お互い、剣ではなく言葉で済むといいですね」

 

静かに歩き出す背中。その言葉の奥に、誰もが気づけるわけではない、確かな痛みが滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

ガンマ線防護フィルムに包まれたストライクの足元に、キラ・ヤマトは立っていた。

顔には疲労がにじみ、制服の襟元はまだ汗で湿っている。

そんな彼の前に、ウィリアム・ハルバートン提督が厳しい眼差しを向けていた。

 

「……だが、君が居れば勝てるものでもない。戦場はな、少年。うぬぼれるな」

 

老練な軍人の言葉に、キラの表情が一瞬たじろぐ。

 

「で、でも……! できるだけの力があるなら……僕は、できることを……!」

 

言葉は熱を持っていたが、その瞳はどこか怯えていた。

背負ってきたものの重さと、それを振り払うほどの確信を、まだ持てずにいる。

 

側近の兵士が声をかける。

 

「閣下、そろそろ――」

 

「黙っていろ!」

 

鋭く制して、ハルバートンは一歩、キラに近づいた。

 

「その意志があるなら、だ!」

「意志のない者に、何をやり抜けるというのか。力など関係ない。意志だ。

……君は、それを持っているのか?」

 

キラははっと息を呑んだ。

言葉にできない感情が、胸の奥で波打つ。

 

「……僕は……」

 

その様子を、少し離れた場所からじっと見つめていた者がいた。

ノーマ・レギオ。

白い制服に身を包んだ少女。小さな身体が壁際に寄り添って、両手を胸の前で握っている。

 

(……キラ……)

 

彼女の視線は、キラの横顔を追っていた。

自分と同じ“選べなかった”存在だと思っていた少年が、今、誰かに問われていた。

意志があるかと。

 

(私は……)

 

その瞬間、ハルバートンがゆっくりと振り返った。

ノーマの存在に気づいたのだ。

 

「……ム。まだ少し、時間はあるな?」

 

そう呟いて兵士を制すると、彼はゆっくりとノーマのそばへ歩いてきた。

 

「さっきの戦闘、君の操縦を遠目から見ていた。素晴らしい集中力だった」

 

「……ありがとうございます」

 

ノーマは軽く頭を下げながらも、どこか戸惑ったような表情を浮かべる。

その胸中に去来しているのは、自分への評価ではなく――キラへの問いの余韻だった。

 

ハルバートンは、その様子にふっと笑みを浮かべた。

 

「君も……彼のように、何かを“守りたい”と思っているのか?」

 

ノーマは静かに頷いた。

 

「……でも、私には、キラみたいに“選ぶ”自由はなかった。

ただ、気づいたら誰かを守るために戦ってた……それだけです」

 

「その“気づいたら”というのが、君の意志なのかもしれんな」

 

ハルバートンの声は優しかった。

年若い少女の肩に手を置き、言葉を続ける。

 

「意志は、何かを選ぶことで生まれるものではない。選ばされたと思っても、

 それでも前に進むなら、それはもう立派な意志だ」

 

ノーマは少しだけ目を伏せた。

けれどその唇は、ほのかに揺れている。

 

(キラも……私も……)

 

「……君たちは、未来を作る者だ。どうか、自分を壊すなよ」

 

言い終えると、ハルバートンは背を向け、再び兵士たちの方へと歩いていった。

背中越しに、その一言が響いた。

 

「私は、君たちを信じるよ」

 

その言葉に、キラもノーマも、それぞれの場所で小さく頷いた。

戦いの最中に生まれた問いかけが、静かに、心の奥へと沈んでいく。

それは、やがて彼らを動かす確かな灯となるだろう――

 

 

 

ノーマとキラは無言のまま並んで歩いていた。疲労と、戦いの余熱が残る身体を引きずるように。

――だが、ふと立ち止まったキラが、周囲を見回す。

 

その時だった。

 

「お姉ちゃーん! お兄ちゃんー!」

 

澄んだ声が響いた。

幼い足音が近づき、小さな影が二人に飛びついてくる。

 

「……あっ」

 

ノーマの口から驚きと安堵が混じった声がこぼれた。

 

エル。

あのとき、ノーマが「守る」と言った少女が、今、笑顔で目の前にいる。

 

「こらっ、エルちゃん!」

 

後方から、慌てた母親が声をかけてくる。だがエルは気にせず、両腕をノーマとキラにぎゅっと回した。

 

「にひっ……!」

 

無邪気な笑みに、思わずキラが小さく息を呑んだ。

エルの細い腕が、確かに温かさを届けてくる。

 

「……ノーマお姉ちゃん、ありがと!」

 

そう言って、エルは懐から小さな折り紙を取り出した。

 

「これ、ずっと作ってたの! ありがとうの気持ち!」

 

色とりどりの鶴や風船、紙の花。

拙い指で折られたそれは、まるで宝石のようだった。

 

「……えっ、僕にも?」

 

目を丸くするキラに、エルは得意げに頷く。

 

「お兄ちゃんにも! いっぱい守ってくれたから!」

 

戸惑いながらも、キラは受け取った。

手の中に収まる、小さな命の感謝。

 

「……ありがとう」

 

ぽつりとつぶやいたその言葉に、心の奥が温かく満たされていく。

ノーマも、そっと折り紙を受け取った。

その指先がわずかに震えていた。

 

「うん……ありがとう。……ありがとう、エルちゃん……」

 

その声は、小さな少女の肩にしがみつくように優しく――けれど、確かな涙を含んでいた。

 

(私は……)

 

守れた。

たったひとつでも、確かに。

ノーマの手のひらに乗る、ひとひらの折り紙は、静かに彼女の胸の奥に沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

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