アークエンジェルの艦内、非常灯が明滅する中。
警報が響き渡った。
「総員、第一戦闘配備――繰り返す、総員、第一戦闘配備」
どこか遠くで、クルーたちが叫び、駆けていく。
その波の中、キラは一人、足を止めていた。
(僕は……)
ノーマと別れ、ひとり歩く廊下。
ふと、彼の脳裏にかつての友人たちの姿が蘇る。
《トール「これも運命だ、じゃあな。おまえは無事に地球に降りろ」》
《サイ「生きてろよ」》
《カズィ「何があってもザフトには入んないでくれよな」》
自分だけが、何も選べずにいた。
流されるままに、生かされていた。
「……」
「おい! 乗るなら早くしろ!」
兵士の怒鳴り声に、キラは現実に引き戻される。
格納庫では、出撃準備に追われる整備士たちの声が飛び交っていた。
「フラガ大尉はゼロで出るんだよ!」
「大丈夫! こっちは終わってる、いつでも出せるぞ!」
キラは小さく息を吐き、制服の胸ポケットから除隊許可証を取り出した。
それは、彼に課せられた「自由」の証だった。
だが――その下に、もう一枚。
折り紙だった。
小さな手で、無心に折られた命のかたち。
(お兄ちゃんにも! いっぱい守ってくれたから!)
エルの無垢な声が、記憶の底から響く。
(こんな状況だから、地球に降りても大変……)
マリュー艦長の言葉。
(君は、できるだけの力を持っているだろ? なら、できることをやれ)
ムウ大尉の言葉。
そして――
《……ノーマの、力になってあげてください》
アズラエルの、奇しくも静かな声。
《――私が守るよ》
《キラも、キラの友達も、全部。全部、守る》
ノーマの決意に満ちた眼差しが、胸を貫くように蘇る。
「……」
(僕は、何を守りたくて、ここにいるんだ?)
キラは、除隊許可証を静かに握りしめた。
そして――
「はぁ……はぁ……!」
荒い息をつきながら、彼は走り出す。
どこへ?
何のために?
その問いのすべては、まだ答えを持たない。
だが、それでも――
彼は今、自分の足で走り出したのだった。
艦内に緊迫した声が響き渡る。
「全艦、密集陣形にて迎撃態勢!アークエンジェルは動くな、そのまま本艦につけ!」
第八艦隊旗艦《メネラオス》の司令室で、ハルバートン提督が鋭く命じる。その声に応じて、ブリッジ要員たちが一斉に動き始めた。
「ワルキューレ1、ワルキューレ2、発進!Nジャマー展開、アンチビーム爆雷、投下準備!」
「補給艦、後方に離脱!」
「ランチ、収容完了!ハッチ閉鎖!」
一方、アークエンジェル艦橋でも同様に準備が進められていた。
「イーゲルシュテルン起動、コリントス装填完了!」
「ゴッドフリート、ローエングリン、発射準備整いました!」
「くそっ……!」
副操舵士チャンドラの唇から、自然と不満と焦燥がこぼれた。
そんな艦内のざわめきの中を、キラ・ヤマトはただ一人、通路を駆けていた。
(もう迷わない……)
脇目もふらず、ただ一つの答えに突き動かされて。――その時だった。
角を曲がったその先。誰かとぶつかった。
「あっ……いててて……」
「いたた……キラ……? なんで、ここに……?」
そこにいたのは、パイロットスーツに身を包んだノーマだった。すでに出撃準備を整えた彼女の顔には驚きと戸惑いの色が浮かんでいる。
キラは一瞬だけ息を飲み、それから真っ直ぐに彼女の目を見る。
「その……僕、ストライクに乗る。ノーマと一緒に戦う。もう逃げないって……決めたんだ」
言葉を吐くように、しかししっかりと、彼は答える。
「僕が君を――守るよ」
その言葉に、ノーマは目を丸くし、そしてふっと笑みをこぼした。
「守る……? 私、守られるほど弱くないよ」
淡く、でもどこか嬉しそうに笑うノーマ。
そして――
彼女は、ためらうことなくキラの胸元に飛び込んだ。
細い腕が、しっかりと彼の背を抱く。
キラもまた、ゆっくりと彼女の背に手を添えた。
重なった鼓動の向こうに、二人の決意が静かに交錯する。
それは、少年と少女が自らの意思で「戦う」ことを選んだ瞬間だった。
◇
宇宙の闇を、閃光が裂く。
ローラシア級戦艦の主砲が、轟音とともに火を吹き、直後、連邦側のモビルアーマー(MA)が一機、爆発四散した。続けて、ジンの編隊が突撃を仕掛けるが、そのうちの一機が砲火の雨に呑まれ、機体を失っていく。
戦場は、瞬く間に地獄と化していた。
第八艦隊とザフトの艦隊は、互いに間合いを詰めつつ、砲戦の応酬を続けていた。その一方で、ストライクも、ホワイトゼロも、未だ戦線には姿を現していない。
「ハルバートンは、どうあっても――アレを地球に降ろす気だな」
艦橋の暗がりの中で、ラウ・ル・クルーゼは静かに呟いた。
その声音は感情の波を抑えているようで、底に何かしらの怒りを潜ませていた。
「大事に奥にしまい込んで、何もさせんとは……」
その隣で、アデスが肩をすくめる。
「こちらとしては楽ですがね。ストライクも、“白い悪魔”も出てきませんですし」
クルーゼは口元に笑みを浮かべながら、視線を戦場のモニターに戻した。
「戦艦と通常のMAでは、もはや我々に勝てぬと知っている……よく訓練された将だよ、ハルバートンは」
モニターには、アークエンジェルを護るように布陣する第八艦隊の密集陣形。そして、未だ沈黙を守るストライクとホワイトゼロ。
「アレを作らせたのも、彼だというのだからな……ならば、せめてこの戦闘で、その自説、証明して差し上げようじゃないか」
クルーゼの声は、静かに、だが確かに戦意に満ちていた。
アークエンジェルの存在を、ストライクの力を、そしてあの少女――“白い悪魔”ノーマの存在を、戦場で打ち砕くこと。
それが、彼の“証明”だった。
ザフト艦隊が動き始める。
そして、地球連合軍にとっての試練の時が、静かに、確かに、迫っていた
◇
爆煙が宇宙に咲き、次の瞬間にはそれすら虚無へと飲まれる。
ドレイク級の連邦艦が一隻、まるで意志を持ったかのような砲火に貫かれ、光の泡と化して消えた。
「――っ、沈んだ……!」
アークエンジェルのブリッジに緊張が走る。ノイマンが呻き、チャンドラが思わずディスプレイを凝視する。
「第八艦隊の艦艇が……!」
砲撃を受けた連邦艦が、無音の爆発を宇宙に広げながら、姿を失っていった。
そのとき、格納庫から通信が入る。
『なんで発進待機なの!?』
モニターに映ったのは、ノーマだった。パイロットスーツを身にまとい、ヘルメットを片手に苛立ちを隠さない表情で叫んでいた。
『もう、時間がないんだよ!?』
間髪入れずに、別の通信が割り込んできた。
『第八艦隊だって、あれじゃ持たねぇぞ! アレが4機揃ってんだ、洒落にならん!』
ムウ・ラ・フラガの声。整備中のメビウス・ゼロから、機体越しに焦りを滲ませていた。
「フラガ大尉……」マリューが振り返る。
『ってまあ、俺ひとり出たところで、大して変わらんだろうがさ……』
冗談のように聞こえるが、それは彼なりの覚悟だった。
そして、再びノーマの声が響く。
『私が――なんとかする! だから、出撃を!』
マリューは唇を噛み締めた。
「本艦への出撃指示はまだありません。待ってください、ノーマ」
『でも……!』
ノーマの言葉が切れる。ブリッジの空気が、一瞬、張りつめた氷のように冷たくなった。
マリューは静かに息を吐いた。
「……ミネラオスへ繋いで。ハルバートン提督に直接話すわ」
チャンドラがすぐさま指を動かし、回線を切り替える。
彼女の眼差しは――葛藤の果てに、それでも信じるべき未来を見つめていた。
艦内に緊迫した空気が漂い始めていた。
《総員、大気圏突入準備作業を開始せよ。繰り返す、総員、大気圏突入準備作業を開始せよ――》
無機質なアナウンスが、アークエンジェルの各区画に響く。
「降りる? この状況でか……」
格納庫の一角で、ムウ・ラ・フラガが苦い顔で呟いた。整備員たちが忙しく走り回る中、彼の視線は格納庫の天井に向けられている。
「まー、このままズルズル宇宙に居座るよりはマシなんじゃねーですか?」
マードックが気楽そうに肩をすくめるが、その表情にはどこか疲れがにじんでいた。
「いや、けどさ――」
ムウの言葉が途切れる。
「ザフト艦とジンは振り切れても……」
声を挟んだのはキラ・ヤマトだった。パイロットスーツに身を包み、静かに整備デッキへと歩み寄ってくる。
「なに?」
ムウが眉をひそめる。
「――あの4機が来る」
その声は、低く、確信に満ちていた。
キラのすぐ隣に立つノーマが、視線を前方に向けたまま告げる。ホワイトゼロの機体を見上げるように。
「ぼうず……!」
マードックが驚いたようにキラに目を向ける。
「ストライクで待機します。まだ第一戦闘配備ですよね?」
その言葉に、ムウも反応する。だが、その顔にはもはや戸惑いはなかった。理解と、覚悟の色があった。
「私も……出る」
ノーマの声は、静かで強い。
戦うことは恐怖だ。だが、それ以上に――守りたいものがあった。
ムウはふっと笑った。
「やれやれ……若い連中に火を点けられてるな、俺も」
天井のライトが、ホワイトゼロとストライクの機体を照らしていた。重なる影が、やがてひとつの前線へと向かっていく。
◇
宇宙を滑るように、アークエンジェルがその姿勢を変え始めた。
艦の外装が熱を帯びる。揺れる視界の中で、緩やかに下方へと傾く軌道――それは、大気圏突入態勢に入ったことを意味していた。
「こちら、旗艦メネラオス。ハルバートンだ!」
ハルバートン提督の声が、第8艦隊全艦に響き渡った。
『これより本艦隊は、大気圏突入限界点までのアークエンジェル援護、防衛戦に移行する!』
ブリッジに緊張が走る。
『厳しい戦闘ではあると思うが、あの艦は――明日の戦局のために、決して失ってはならぬ艦である!』
ハルバートンの声は、明確な意志を帯びていた。誰に媚びるでもなく、誰を見下すでもない。ただ、未来を見据えていた。
『陣形を立て直せ! 第8艦隊の意地にかけて、一機たりとも我らの後ろに敵を通すな!』
『地球軍の底力を見せてやれ!!』
その言葉と共に、メネラオスを中心とした艦隊が再配置を開始した。ビーム砲座が一斉に動き、交差する砲火が戦場に線を刻む。
一方――ザフト艦隊。
暗く静かな艦橋の中央、指を顎に添えたクルーゼの瞳が、モニターを細めて見つめていた。
「アークエンジェルが……動くか」
クルーゼの声に、オペレーターが身を硬くする。
「ちっ、ハルバートンめ。第八艦隊を盾にしてでも……足付き《アークエンジェル》を降ろす気か」
大気圏を突破させれば、戦力が一変する。モビルスーツと艦、その制空権の意味すら変わる。
「追い込め」クルーゼの声が低く響いた。
「降下する前に――なんとしてでも、仕留めろ」
「はっ!」
艦内にアラートが響く。ザフト側の攻撃隊が一斉に軌道を変え、アークエンジェルを追う。
新たな激戦が、いま始まろうとしていた。
◇
アークエンジェル、カタパルトデッキ――。
艦体を満たす重たい警報音。格納庫の空気が抜けると同時に、前方ハッチが開いた。灼けるような赤い光が差し込む。そこに広がっていたのは、大気圏突入限界域――地球の蒼が、遠く霞んでいた。
「くっ……」
ノーマが小さく呻く。コックピットを揺らす異常な引力。足元を引き裂かれるような錯覚に、思わず歯を食いしばった。
「こんな状況で出るなんてな……俺だって初めてだぜ!」
ムウ・ラ・フラガのメビウス・ゼロが最初に飛び出す。続いて、ノーマが機体を前に滑らせる。
「ホワイトゼロ、出ます!」
白の機体が軌道を描いて宇宙へ跳び出した。最後にキラのストライクが続く。
アークエンジェルから放たれた三機の光は、重力井戸の中へと吸い込まれていく。
「くっ……これが……重力……!?」
機体の挙動が変わる。ブースターの制御が一瞬遅れる。ノーマは焦りながらも、操縦桿を握りしめた。
そのとき、目の前を駆ける一筋の影。
ストライクを狙って、イザークのデュエルが斬り込んできた。
「てやぁっ!!」
サーベルを振るい、真っ向から斬撃を放つ。キラが即座に機体を傾け、回避。そして、応戦するようにビームサーベルを抜いた。
「くっ……!」
閃光が散る。戦場の温度が一気に上がる。
一方、ホワイトゼロの背部では、二基のガンバレルが独立航行を開始していた。円を描くように、バスターの死角に回り込み、斉射。
バスターは長距離砲で牽制するが、ガンバレルの軌道は読めない。ノーマは機体を急降下させながら敵弾を回避した。
「うるさいなっ……こいつ、しつこい!」
その声には、恐怖よりも昂ぶりが混じっていた。キラやムウとは異なる、研ぎ澄まされた獣のような直感。それが今、戦場に解き放たれていた。
艦橋――。
「大気圏突入限界点まで、あと4分!」
ノイマンの報告が響く。
間に合うか。落とされるか。地球の重力が、刻一刻と迫ってくる――。
宇宙に咆哮が走る。
炎をまとったメネラオスの艦橋が、閃光のなかで軋んだ。ローラシア級もまた傷つきつつ、なお火線を維持していた。
《フェイズ3。突入限界点まで――あと二分》
ノイマンの報告に、ブリッジの空気が一層引き締まる。
「流入防止ジェル、展開用意!」
「三機を呼び戻せ!」
ナタルが制御台を叩くように指示を飛ばす。
――だが、時はもう限界を迎えていた。
「くっそー、限界か!」
ムウのゼロが、重力の縁にひっかかりながら、最後の推力でアークエンジェルへ帰還していく。
それに続いて、ノーマのホワイトゼロもまた、ガンバレルの一基を失いながら、機体を火の尾のように引いて滑り込んだ。
直後、通信もないまま――メネラオスが、爆ぜた。
その光と衝撃は、宙域全体を覆った。甲板の艦橋、空気のない空間でも、何かが確かに鳴り響いた。
ノーマは、それを感じ取っていた。
(……あ……閣下……)
胸を刺すような衝撃。呼吸も忘れた。
――私たちを、守って……。
――死んだの?
戦うための理由がまたひとつ、失われていく。
だが、時間は待ってはくれなかった。
大気圏突入の臨界を迎えつつ、ストライクとデュエルの戦いがなお続いていた。
キラは高度を維持することさえ難しくなった機体を懸命に操りながら、なおイザークの猛攻をかわしていた。
「キラ! キラは!?」
ノーマの叫びがモニター越しに届いた――だがキラの耳には届いていない。ただ、目の前の敵だけを見据えていた。
そのときだった。
メネラオスの艦影より、白い閃光を引いて小型のシャトルが発進した。
2機のMSの間をかすめるように、地球へ向かって落ちていく。
「……!」
キラが気づいた瞬間、ストライクの機体が無意識に動いていた。
シャトルに向かって、まるで庇うように進路を変える――。
「どけええええええええええっ!!」
イザークの怒声が宇宙に響いた。
その指先が、引き金を弾いた。
ビームが疾走し、シャトルの機体を穿つ。
爆炎。散る光。
キラの目に、それははっきりと焼きついた。
何かが砕ける音が、機体の内部で響いた気がした。
キラは、声にならない声を喉の奥に呑み込んだまま、ただ光の中で立ち尽くした。
彼の瞳に映るのは、燃えながら落ちていく残骸と、自分の手の中に残された“無力”だけだった。
――ノーマは、帰還直後のコクピットにいた。
ホワイトゼロの機体はすでに格納庫に収容され、外部装甲の接合音が耳の奥に響く。だが、ヘルメットを外すことも忘れたまま、彼女の視線はモニターに釘付けになっていた。
「……キラ?」
画面の向こう、降下中の戦場。
視界の中で、メネラオスから発進したシャトルが、あの――死にかけた艦から、最後の希望のように飛び立った。
そのすぐ背後に、ストライクの機影。
そして。
「……っ!」
デュエルのビームが放たれた。
ノーマは、目を見開いたまま、息を呑むことも忘れていた。
光の奔流が、まっすぐにシャトルへ突き刺さる――
爆発。
火球と化したシャトルの残骸が、キラのストライクを覆い尽くす。
「……キラ――!」
ノーマの声が震える。目の奥に、なにかが砕ける音がした。
爆炎の中、制御を失ったストライクが、重力に引かれながら――落ちていく。
あれは、彼だった。確かにそこにいた。叫び声が届くはずもない空の中で、彼は――。
「うわぁぁぁぁぁああああッ!!」
感情が、理性を破り、魂の底から噴き上がる。
モニターを両手で叩き、爪を立てても、何もできなかった。
彼は、あれほど守ると誓ったのに。
――守られてしまった。自分は、何もできなかった。
そのとき、脳裏に、あの少女の声が、鮮明に蘇った。
『……ノーマお姉ちゃん、ありがと!』
『これ、ずっと作ってたの! ありがとうの気持ち!』
エル。あの子の笑顔。差し出された折り紙。
(――ありがとうって、言われたのに。守るといったのに)
こんなにも多くの命が、自分たちを守って――散っていく。
キラも、ハルバートンも。エルも。
守れなかった。誰も。
「……っ、う……ぁ……ぁあ……」
視界が滲んでいく。頭がうまく働かない。重力に引かれるように、意識が、沈んでいく。
心が、悲鳴を上げる暇もなかった。
ノーマの身体が、操縦席に崩れ落ちた。
意識が――闇に沈んでいった。