地下格納庫には、甲高い警報音が反響していた。
遠くで断続的に聞こえる爆発音――それは、すでに戦いが始まっていることを告げていた。
ノーマ・レギオは、無言でヘルメットの留め具に手をかける。
煙が充満した空気を吸わぬよう、無意識に呼吸を抑えながら、愛機の前へと歩を進めた。
《ホワイト・ゼロ》――連合軍が与えた名はそうだった。
だが、彼女にとっては、任務以上の意味を持つ唯一の場所。
記憶の一部が空白となって以降、ずっと共にいた存在でもある。
「今回は任務じゃありません。君が出る必要は、どこにもないんですけどね……」
背後でアズラエルの声がした。
それは呆れの混じった、けれどどこか――やさしい声だった。
けれど、ノーマは応えない。
胸元の通信端末に触れ、起動信号を送る。
《起動信号、受信。パイロットID:ノーマ・レギオ、認証完了》
無機質な音声と共に、ホワイト・ゼロが静かに目を覚ます。
格納庫の空気が、機体の放つ電流でわずかに震えた。
「……はぁ。言っても無駄でしたか」
アズラエルのため息が聞こえる。
それを背に、ノーマはリフトへと足をかけ、コックピットに滑り込む。
操縦桿を握るその手に、迷いはなかった。
「無理はしないように。あとできれば――できればで結構ですけど、コロニーの施設は“破壊しないように”。いいですね?」
やや間をおいて、ノーマはゆっくりと振り返る。
「……了解、“マスター”」
わざとそう呼んでみせると、案の定、アズラエルの声がひっくり返った。
「ですから、“マスター”はやめてくださいって!」
ノーマは何も返さず、ただ微かに笑った。
本当に、彼はいつも“らしい”。
発進灯が点灯する。
メビウス・ゼロのエンジンが唸りを上げ、格納庫の床が震える。
滑るように浮かび上がるホワイト・ゼロ。
その加速と共に、格納庫の出口へ向けて駆ける。
(……止めるなら、今だったんだよ)
コクピットの中、そう思う。
けれど、アズラエルは止めなかった。
止められなかった。
それを知っていたからこそ、ノーマは出撃する。
どこまで行っても、自分は“戦うための存在”。
それでも、今この瞬間だけは、命令ではなく――自分の意志だった。
◇
人工重力の中で、二機の影が烈風のように交錯する。
〈シグー〉と〈メビウス・ゼロ〉。
仮面の男、ラウ・ル・クルーゼ。
そして、“不可能を可能にする男”――ムウ・ラ・フラガ。
「くっそ……! ガンバレル、全部潰されたか……!」
ムウのメビウス・ゼロはすでに多方向制御を失い、機体の旋回だけで敵機を捌いていた。
対するクルーゼのシグーは、高速機動を活かし、切っ先のように死角を突く。
その瞬間――
別方向から光の尾を引き、白い機体が突入してくる。
回転するように滑空しながら割って入ったのは、〈ホワイト・ゼロ〉。
「なっ……!? 白い……あのカラーは――“天使”かよ……」
メビウス・ゼロの双子機。
かつて“白い悪魔”と呼ばれたあの機体が、再び現れた。
「……やはり来たか」
クルーゼが呟いた。
仮面の下で、その口元がわずかに吊り上がる。
「白い悪魔……メビウス・ゼロ。その“もう一つ”。さて、君は何者か……試させてもらおうか」
〈ホワイト・ゼロ〉のコックピット――
バイザーの奥、ノーマ・レギオの双眸がわずかに細められる。
「……ドーム構造不安定。攻撃範囲、最小モードに移行」
淡々と呟きながら、ノーマはコントロールスティックを握り直す。
再展開されたガンバレルが、精密に、的確に、クルーゼの機体を追う。
――だが。
「正確、過ぎるな」
シグーが急旋回し、死角から抜けるように機銃を撃つ。
“的確な誘導”が、読みやすさに繋がっていた。
「戦場では、計算通りにいく方が――狩りやすいものだ」
クルーゼのシグーは、ムウを完全に無視し、ノーマだけに照準を絞っていた。
「この感覚……否、“気配”か。君は――人間じゃないな」
だが、その一瞬の隙を突き、ムウが背後から突進する。
「今だ! 挟み撃ちに――」
「邪魔ッ!!」
ノーマの一喝が、空気を裂いた。
即座に飛んだガンバレルが、ムウの進路を叩いて逸らす。
「なにっ!? おい、味方だろ!? マジかよ、そっちに怒られるのか……!」
ムウが舌打ちする。
ノーマは――あくまで“被害を出さず”戦っていた。
それゆえ、彼女の攻撃は限界まで“抑えられていた”。
地上――工業カレッジの裏手に、白い影が姿を現す。
〈ストライクガンダム〉。
MS開発計画《G計画》、第五の機体。
「……おや」
クルーゼの仮面の奥の瞳が、わずかに光る。
「あれが……“新型”か。では、拝見しよう――」
一瞬で加速。
クルーゼのシグーがノーマの攻撃を掻い潜り、ストライクへと突進する。
「ダメッ、それは――撃っちゃいけない!!」
ノーマの叫びが、戦場に響く。
だが、その声が届くより早く――
ストライクが動いた。
駆け出した少年――キラ・ヤマトが、迷いなく引き金を引く。
〈アグニ〉発射。
灼熱の閃光が、咆哮する。
灼けつく閃光が宙を裂き、わずかに遅れて爆風がコロニー天井をえぐった。
クルーゼの〈シグー〉は寸前で身を翻す。機体の左腕が焼け焦げ、通信ノイズが走る。
「……っ、これは……!」
仮面の下で、クルーゼが目を見開いた。
(この威力――あれが、最新鋭機の火力か)
爆炎の渦に一瞬巻かれながらも、彼の機体は姿勢制御を保って旋回する。
その刹那、ホワイト・ゼロが間合いに入る。
ガンバレルがシグーの脚部に迫るが――かすめるのみ。
「……ふふ、今日のところはこれまでだな」
通信が切れる。
シグーは重力をものともせず急降下し、格納宙域を目指す。
ノーマが舌を噛むように、低く呟いた。
「……逃がした」
戦闘区域に残るのは、白い機体と、焼け焦げた構造物の断面。
ホワイト・ゼロはホバリングを止め、静かに旋回する。
崩れた通路、照明が落ちた避難区画の空気は、爆煙と焦燥に満ちていた。
◇
ストライクガンダムが格納された区画は、照明が半ば落ち、煙と緊張が渦巻いていた。
その一角――
数人の少年少女たちが、まるで時間を失ったように立ち尽くしている。
彼らの視線の先には、銃を構えたマリュー・ラミアスの姿。
「動かないで!」
銃声が、乾いた金属音となって格納庫の空気を裂いた。
少しでも間違えば――一歩でも動けば――この空間が、血に染まることもあっただろう。
「だまりなさい! 何も知らない子供が!」
声が震えていた。怒りというより、責任の重さに押し潰されそうになっているのがわかった。
(ふむ……なんと、誠実なお人だ)
アズラエルは、その場に現れながら、無言で様子を見守っていた。
マリューの台詞に、少しばかり胸を打たれながらも――彼女の“理想”が、この状況でどれほど無力かを、知っていた。
「中立だと……関係ないと言っていれば、まだ無関係でいられる。
でも……本当に、そう思っているの?」
その言葉に、少年たちは顔を伏せる。
恐怖と怒りと、混乱が入り混じって、誰もすぐには反論できない。
ただひとり――キラ・ヤマトだけが、マリューを真っ直ぐに見ていた。
(やれやれ、これはまた……)
そこまでで、アズラエルはようやく歩みを進めた。
つかつかと、足音を響かせながら、あえて視線をマリューに向けることなく。
「やれやれ……やっぱり軍人さんは、実に乱暴ですねぇ」
軽口を叩く。
だがその声音には、どこか張り詰めたものがあった。
誰もが神経をすり減らしている中で、あえて“日常”を持ち込むのが、彼のやり方だった。
マリューが振り返る。
銃口がこちらを向いた。
(さて、これは少し……スリリングだ)
「それで“撃った”からって、何かが解決するとお思いですか?
まるで教科書に出てくる、“理想の軍人”のようなセリフで」
目を逸らさずに告げる。皮肉の奥に、柔らかな警告をにじませながら。
「……あなたは?」
「これはこれは、申し遅れました。ムルタ・アズラエル。ブルーコスモス代表――ま、裏方ですよ。武器を握る立場じゃない」
淡々と名乗る。
だが、場の空気が少し変わったのを、彼は見逃さない。
「“軍に機密がある”のは、むしろ当然のこと。そこに中立の民間人が踏み込んでしまったなら――それは、誰の責任でしょうかね?」
学生たちに視線を送る。
優しげな微笑みを浮かべながら、その実、彼らの反応を一人ひとり観察していた。
(サイ・アーガイル……典型的な理屈屋。カズイは反射的に防衛的。ミリアリアは情緒不安定ぎみか……)
そして――キラ・ヤマト。
(君は……)
彼の表情だけは、読めなかった。
いや、正確に言えば、意図的に何も見せないようにしている。
それがどれだけ訓練された技術でなくとも、彼の心には明確な“覚悟の種”があることが、アズラエルにはわかった。
(なるほど、“彼”もまた選ばれたのかもしれませんね)
「まあ、安心してください。私は撃ったりはしませんから」
そのままマリューの背後に歩み寄り、肩越しにそっと囁いた。
「――ただ、彼らが“どちら側に立つか”。それはこれから、決まることですから」
そう、“子供”など関係ない。
今ここにいる者たちは、全員が“選択”を迫られている。
アズラエルは学生たちを一瞥し、心のなかで、誰にも聞こえぬ声で呟いた。
(どちらにしても――君たちは、もう戻れない)
それが、戦争という現実だった。
暗く埃っぽい施設の通路を、学生たちが必死の形相で駆けてきた。
老朽化した床がきしみ、酸素供給の不安定な空気の中で、彼らはようやく目的のトレーラーをストライクのもとへと運び込んでくる。
(――民間人の高校生に、戦争を支えさせる……か)
アズラエルはその光景を、壁際に立ったまま静かに見下ろしていた。
「どれですか? パワーパックって……」
キラ・ヤマトが焦った様子で辺りを見回す。
マリュー・ラミアスが迅速に指差した。
「武器とパワーパックは一体になってるの! そのまま、装備して!」
(軍属ではない民間人の少年に、最重要機体の整備指示……)
内心で皮肉げに笑う。だが、口には出さない。
今はすでに“非常”の領域だった。
ミリアリア・ハウが端末を見つめて呟く。
「まだ……避難命令、解除にならない……」
サイ・アーガイルが汗を拭いながら、かすれた声をもらす。
「親父やお袋……無事に避難できてるよな……?」
(……甘いな。だが、それでいい。君たちは“まだ”子供であるべきだ)
一方、カズイが明るさを取り繕うように言った。
「ったく……早く家に帰りてぇよ。飯食って、布団で寝たい……」
(それが“現実”だった時間は、もう終わった。――戻れはしない)
アズラエルはゆっくりと顔を上げる。
視線が、上空の空間に吸い寄せられていた。
「……来るぞ」
言葉と同時に、天井を切り裂く閃光。
白と黒、交錯する二つのMS。ノーマの《ホワイト・ゼロ》と、敵機《シグー》。
爆発の閃きが施設の天井に火花を這わせ、破片が降り注ぐ。
「ふせてッ!」
マリューが叫ぶ。
アズラエルも身を引き、咄嗟に後列の学生たちを手で庇うように動く。
その直後――
キラ・ヤマトが乗るストライクが立ち上がり、マリューの前に出た。
ストライクの腕が、盾のように彼女たちを守る位置に伸ばされる。
眼前、クルーゼの《シグー》が回頭し、ストライクへと突進する。
その殺気はまさにプロフェッショナルのものだった。
(これは……いけない)
アズラエルは言葉にしないが、内心で確信する。
この一撃が決まれば、キラと我々は死ぬ。ノーマも、守れない。
しかしその瞬間――
「冗談じゃないッ!!」
少年の声が、爆音を引き裂いた。
咆哮のようなアグニの発射音。
光の奔流がシグーをなぞり、右腕を吹き飛ばし――その余波は、コロニーの内壁をも突き抜けた。
アラートが鳴り響く。大気圧の異常、酸素流出。
そして、外壁の一部が爆裂する。
「……これが、ストライクの……!」
ミリアリアが呆然と呟いたその時、アズラエルは一歩引いて、己の中に浮かぶ不快な確信に目を伏せる。
(これが……“兵器”の力。そして、それを握るのが“子供”ということの意味)
だが、戦争は選ばせてはくれない。
爆煙の奥――現れたのは、白と青の艦影。
《アーク・エンジェル》。
地球連合の新型戦艦が、まるでその出現こそが必然だったかのように、戦場へと姿を現す。
「……出たか」
アズラエルが口の中で小さく呟いた。
《シグー》が反転し、その場を離脱する。
その後ろ姿を見送るマリューのつぶやきが、聞こえた。
「……逃げた、か」
沈黙。
戦場に残されたのは、まだ白煙の立ちこめる中に立つ《ストライク》――
そして、それを動かすことになった少年の、名もない背中だけだった。