アークエンジェルの格納庫に、ストライクがゆっくりと滑り込んでくる。
その光景を、ホワイト・ゼロのコックピットからノーマは静かに見つめていた。
傷だらけの機体を、まるで引きずるようにして――それでも、たしかに帰還してきた。
(……戻ってきた)
自分もまた、メビウス・ゼロと共に格納リフトへ滑り込む。
機体が停止するや否や、ハッチが開き、冷たい艦内の空気が顔を撫でた。
降り立つ足元はまだふらつく。けれど、姿勢は崩さない。
ホワイト・ゼロは無傷ではなかった。だが、自分は生きている。
そして、ムウ・ラ・フラガもまた、同じように降りてきた。
その顔を見た瞬間、ノーマの眉がわずかに動く。
「……ムウ。邪魔だった」
言葉は淡々としていた。だが、感情は乗っていた。
バイザーの奥、睨むような視線を隠そうともせず。
ムウは目を丸くしてから、肩をすくめた。
「へいへい、悪かったな。助けたつもりだったんだがね」
即座に、ノーマは返す。
「……助けたのは、私」
それは、ただの事実だった。
誇張も謙遜もいらない。戦場での記憶が、冷たくそれを証明している。
ムウは一瞬だけ返す言葉を失い、それから苦笑した。
「……そりゃ一本取られたな。うん、たしかに。君が来なきゃ、俺はやられてたかもな」
「事実だから」
ノーマはそれだけを言い、視線を逸らした。
そのとき、遠くで駆け寄る足音。聞き慣れた声。
「ラミアス大尉!!」
振り返れば、ナタル・バジルール少尉の姿。
その姿に、マリューが顔を綻ばせる。
ノーマはそのやり取りを黙って見つめていた。
戦場で誰かと再会し、互いを思いやる――その絆が、どこか遠くに思えた。
ストライクのハッチが開いた音に、思わず目を向ける。
そして見えたのは、煤けた制服、傷だらけの顔――
(あ……)
少年。名を――キラ・ヤマト。
(やっぱり……あの人が)
赤いバイザー越しに見るその姿は、どこかあまりにも無防備で、脆そうだった。
だがその内に、確かな“強さ”があったことを、ノーマの体は覚えている。
(あのとき……撃たなかった)
(撃てなかった、じゃない。――撃たなかった)
その事実を、今さらながらに実感する。
「……この人……どこかで……」
呟いた自分の言葉に、誰も気づかない。
ムウが軽く肩をすくめ、場を和ませるように名乗る。
「地球連合軍第七機動艦隊所属、ムウ・ラ・フラガ大尉。……よろしく頼むよ」
「ノーマ・レギオ。連合軍特務准尉」
ノーマも淡々と名乗るが、敬礼はしなかった。
それが自分の立場を守るためか、彼に対するささやかな対抗心かは――分からなかった。
その後も、マリュー、ナタル、ムウが次々と名乗り合い、艦の現状を口にする。
この艦は、ほとんどの士官を失っていた。そして、マリューが“艦長”になった。
(……この艦も、私も、もう戻れない)
そして、アズラエル。
ノーマは、その背を一瞬だけ振り返る。
彼は――あの人は、黙っていた。
だが、その沈黙のなかに、何かを託しているような気がしてならなかった。
(私を止めなかった)
(でも、それでいい。だって、私は……)
それ以上は、言葉にならなかった。
「……ええ。許可します。ようこそ、アークエンジェルへ」
マリューのその一言が、すべてを結んだ。
艦の震動も、警報も、今は遠く感じた。
ノーマは、そっと目を閉じた。
自分の場所は、ここにある。
たとえ“選ばされた”としても――ここが、自分の戦場だと。
そして、ふたたび目を開いたその視線は、ただ前を見据えていた。
格納庫の一角。
天井の焦げ跡と、未だ漂う金属とオゾンのにおい。
この艦は、戦場の只中にある。そう、ノーマの感覚が告げていた。
非常灯の赤い光が、立ちこめる煙を淡く照らし出すなか――彼女は黙って立っていた。
ホワイト・ゼロの機体が背後にあり、メビウスの傷は整備員が静かに確認していた。
「……で、あれは?」
ムウ・ラ・フラガ大尉の声が、沈黙を破った。
ノーマの視線も、彼の示す先へと動く。
整備員に囲まれるようにして立つ少年。
その制服は煤けて破れており、靴の泥までが彼の異質さを物語っていた。
「ご覧の通り、民間人の少年です」
マリュー・ラミアス大尉の声は冷静だった。
だがその隣の少年――キラ・ヤマトと名乗った彼は、明らかに戸惑っていた。
目を伏せ、ただそこに立っている。
(……キラ・ヤマト)
ノーマはその名を、口の内でそっと転がす。
赤いバイザーの奥から、彼女はじっとその顔を見据えた。
あの少年が、Gに乗っていた――
そんな言葉が信じがたいようで、しかし、妙に納得もできた。
彼の背に、薄く“それ”が滲んでいたから。
「ふぅん……」
ムウの短い吐息が聞こえた。
嘲笑ではない。ノーマには分かる。
むしろ、それは――興味の兆し。
「彼のおかげで、先にジン一機を撃退し、それだけは守れました」
マリューの報告に、ナタル・バジルールが目を見開く。
「ジンを……?」と誰かが呟くのを、ノーマは傍らで聞いていた。
(“できた”のか、彼に)
それは疑問ではなく、実感だった。
ムウが少年に歩み寄っていく。
その背をノーマは見送る。思考の深層で、何かがざわめいた。
「君、コーディネーターだろ?」
その瞬間、空気が止まった。
「……はい」
少年の返答。それが引き金となり、兵の一人が銃を構える。
視線が、恐怖と敵意に変わるのが分かった。
(また、これ)
ノーマは、視線の波の変化にため息すらつけずにいた。
「な、なんなんだよそれは!」
トールと呼ばれた少年が庇うように立ちはだかる。
その一歩、その姿――ノーマの目に残る。
と――
「やれやれ。いつ顔を出そうか迷ってましたが……」
その声音に、ノーマの胸が微かに波打つ。
(来た)
ムルタ・アズラエル。
彼女を“戦わせる”存在。
彼女を“守ろうとする”存在でもある。
「コーディネーターだから、なんですか? 彼は子供でしょう。しかもザフト所属でもない」
アズラエルの声は、柔らかく、そして残酷に合理的だった。
それはナタルの警戒心も、兵の銃も、言葉だけで静かに崩していく。
「……彼は“戦争を望んだ子供”ではない。そう言いたいのですね」
ノーマは小さく息をつく。
(けれど、戦わされた。――私と、同じ)
キラが「第一世代」だと口にするのを聞きながら、彼女の眉がわずかに動いた。
(なら、ナチュラルと同じ。けど、違う。なら――)
どこにも居場所などない。その感覚に、心の端が冷えていく。
「……悪かったな。とんだ騒ぎにしちまって」
ムウの言葉が空気を戻し、キラの警戒心もわずかに緩んだようだった。
その時だった。ムウが言った。
「外にはまだ、クルーゼ隊がいる」
ノーマの呼吸がひとつ鋭くなった。
(来る)
そして、口にした。
「……それは、そう。絶対に、来る」
彼女の声に、誰も返さなかった。
ただ、艦の内部が少しずつ、次の戦場に向けて“呼吸”を始めた。
――整備員の足音。
――照明の明滅。
――遠くで鳴る、空調の異音。
彼女はただ、静かに立っていた。
キラを見つめ、アズラエルの沈黙を背で感じながら。
その沈黙が、かつてないほど重く、そしてあたたかくも感じた。
(……私は、どちらにもなれない)
だが、彼女は既に**“戦場に立つ者”**として、ここにいる。
そしてそれだけは、誰よりも――自分自身が、知っていた。
◇
ふむ……だいたいの様子は見えてきましたかねぇ。
僕はブリッジの隅、モニター端末の前で立ったまま、彼らの会話を聞いていた。
ナチュラルで構成されたこの戦術艦の中で、わざわざ他人の議論に口を挟むのもどうかと思っていたが――それでも、限度というものがある。
「コロニー内の避難は、ほぼ完了してるそうよ。けど、さっきの戦闘で警報レベルは9に上がったって……」
ラミアス大尉。現場叩き上げというより、少し生真面目すぎるお嬢さん。
苦労してるのが声にも出ている。
「シェルターがロックされたってことか……んで、あのガキどもはどうする?」
フラガ大尉が天井を仰ぐように呟いた。彼は本当に――良くも悪くも「軍人」でないところがいい。皮肉屋だが、視野が広い。
「彼らは軍の機密を見たのです。拘束は妥当な処置でした。このまま開放するわけには……」
そう言ったのはバジルール少尉。
お硬い、実直、融通の利かない典型的な軍人――だが、嫌いじゃない。
おやおや、これは、割れてきましたね。
「じゃあ脱出にも付き合わせるってのか? 外じゃド派手な戦闘が始まるぞ?」
……まったく。何を迷ってるんですか、あなた方は。
この程度の状況判断、0.3秒もあれば済む話でしょう。
僕は溜息をつくと、ようやく足を進めることにした。ノーマも後ろに控えている。彼女は喋らないが、こういう場面では居てくれるだけで心強い。
「……随分と深刻な話ですねぇ」
わざとらしく朗らかな声を出す。
ブリッジの空気がピリッと変わる。僕の登場が気に食わないのか、あるいは気を遣っているのか。どちらでもいい。
「軍艦に民間人が立ち入るのは――」
バジルール少尉が眉をひそめた。
「まあまあ、そこはお目こぼしを。ちゃんと許可はいただいてますから。ね、ラミアス大尉?」
マリューが無言で頷く。……少々、顔が強張っている。自分でも困っているのだろう。
「子供に武器を持たせるか否か……これはなかなか、倫理的には重たい問題ですよ」
「あなたはどう考えているんです?」とマリューが問う。
「ええ、決まってるじゃありませんか」
僕は笑って見せる。だが、声には冷たさを含ませる。
「“生き延びる”ために必要なら、使うべきです。誰が手にするか、ではない。引き金を引けるか否か――それだけでしょう?」
バジルール少尉の眉間にシワが寄る。だが反論はない。
ムウが口を開いた。
「その前にさ、ナタル。俺があれを動かせるとでも?」
「え?」
「坊主が自分で書き換えたっていうOS、まだ見てないのか?
普通の人間じゃ扱えねぇよ。あれは、あいつだから乗れてる」
あはは、やっぱりこの人、好きですねぇ。物分かりが早い。
「なら元に戻させて!」
ナタル少尉が食い下がるが、今度はノーマが口を開く。
「……“彼”にしか、動かせない。それが、今の現実」
シンプルな言葉。だが、事実だけが静かに突き刺さる。
僕は彼女を横目で見た。相変わらず、ぶれない。
「さてさて。ナチュラルの艦に、コーディネーターの少年、OSを書き換えた天才児、それを支援する民間の大人たち……ふふ、なかなかにカオスな絵面ですね」
沈黙が落ちる。
ああ、本当に、面倒な時代になったものです。
けれど僕は、知っている。
ここから先は、「正しさ」ではなく、「生存」が全てを決めるということを。
「――さて、大尉。命令は?」
僕は問いかけるようにマリューを見る。
彼女は僅かに戸惑ったが、やがて覚悟を決めた表情で頷いた。
◇
アークエンジェル、艦内ブリーフィングルーム。
薄暗い照明の下、マリュー・ラミアス大尉がゆっくりと口を開いた。
「……キラ君、お願いがあります。もう一度、ストライクに乗ってもらえないかしら」
その瞬間、室内の空気がわずかに揺れた。
キラ・ヤマト――
彼の瞳がわずかに陰る。そして、迷いなく首を振った。
「お断りします」
きっぱりとした拒絶。
その声音には、はっきりとした意志が込められていた。
「僕たちを……もうこれ以上、戦争なんかに巻き込まないでください」
ノーマは、静かにその言葉を聞いていた。
赤いバイザーの奥。ふだんは揺らがないはずの視線が、かすかに滲む。
(……そんなふうに)
「あなたの言ったことは、正しいのかもしれない。“僕たちの外の世界”は戦争をしてるってことも。でも……」
キラは拳を握りしめ、続けた。
「僕らは、それが嫌で……戦いたくなくて、中立のこの場所を選んだんです。それを……!」
ノーマは、思う。
その言葉が、どれほど重く、どれほどまぶしいか。
(――いいな)
口にはしない。ただ、胸の内にそっと沈めた。
(私も……そんなふうに言えたら)
だが、できない。
選べなかった。
戦うことを――強いられて、生き延びることしか、与えられていなかった。
壁際に立つアズラエルの視線を、ノーマは感じていた。
彼は黙って、腕を組み、ただこちらを見ている。
(……見ないで)
そう言いたくなるような、やわらかな視線だった。
(私が、揺れてるって、気づいたの?)
――違う。
きっと、最初から全部、見透かされている。
「ラミアス大尉、ラミアス大尉。至急ブリッジへ」
艦内放送が沈黙を破る。
マリューが顔を上げ、ムウが即座に言う。
「MSが来るぞ! 早く上がって指揮を取れ!君が艦長だ!」
「私が……?」
マリューは驚きながらも、すぐに顔を引き締めた。
「わかりました……アークエンジェル、発進準備! 総員、第一戦闘配備!」
「大尉のMAは?」
ナタルの問いに、ムウが肩をすくめる。
「だめだ、被弾して出られん」
ノーマは、一歩前に出た。
「……私は、出られる」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
彼女の中で、何かがすでに決まっていた。
アズラエルの視線を、背中に感じる。
それは命令でも、願いでもない。
ただ――沈黙の中の、祈りのようだった。
「では、フラガ大尉にはCICをお願いします。ノーマ准尉、メビウス・ゼロで出撃を」
頷く。感情は、顔に出さない。
でも、心の奥でひとつ、そっと思った。
(……見ていて。私は、ちゃんと戻ってくるから)
ブリーフィングルームを出る直前、振り返らずに――
ノーマは、わずかに唇を動かした。
「……キラ・ヤマト」
名を、噛みしめるように。
まるで、自分に言い聞かせるように。
――まだ私は、終わっていない。
まだ、きっと。
選べなくても、生きていくことはできる。