ブリーフィングルームの扉が閉じる。
マリュー・ラミアスが少年たちの元へ向かおうとしたとき、ムルタ・アズラエルは一歩進み出て、彼女の肩に軽く視線を投げた。
「ほらほら、ここは任せて。艦長さんは、あなたのお仕事をしてくださいな」
声には皮肉を交えず、あくまで静かな促しだけを乗せた。
任せろ、とは言わない。ただ、背を押す。それが彼流だった。
マリューはほんの一瞬、アズラエルの目を見た。
そして、迷いの残る表情で、それでも静かに頷いた。
「えぇ……わかりました」
彼女が背を向け、足早にブリッジへ去っていくのを見送ってから、アズラエルは振り返る。
そこに立っているのは、戦争に巻き込まれた子供たち。
無力で、未成熟で、それでも――たった今、最も危険な立場にある者たち。
「……聞いての通りです。戦闘は、再び始まります」
言葉は淡々としていた。感情を混ぜる意味はなかった。
目を伏せる少女、ミリアリアが身を縮めるようにして、隣の少年――トールの腕を強く掴んだのが見えた。
「シェルターはレベル9で完全封鎖中。今さら皆さんを降ろして、下に逃がすことはできない。物理的に、ね」
そして、最後に決定的な事実を告げる。
「どうにか敵を振り切って、ヘリオポリスから脱出できれば話は変わりますけど……さて、それまで持ちこたえられるかどうか」
――要するに「選択肢はない」ということだ。
逃げ場のない戦場に、彼らは押し込められた。
自分が押し込んだわけではない。それでも、後戻りはできない。
(……キラ・ヤマト)
アズラエルは、ひとりの少年に視線を向けた。
彼の顔には、怒りとも絶望ともつかぬ感情が渦巻いていた。
(気に食わないだろうな、今の言い方は)
だが、譲る気はない。ノーマを守るためなら、誰だって“盾”にする。
この状況で、感情に配慮する余裕など、彼にはなかった。
最前線に立つ兵士に、理想を語る暇はないのだ。
キラが、拳を握りしめる。
その声音は震えていた。けれど、明確な意志があった。
「卑怯だ……貴方たちは……!」
アズラエルは一拍の静寂を置いて、口の端を僅かに吊り上げる。
それは笑みというより、感情の“封印”に近かった。
「卑怯で結構。勝てなきゃ死ぬ――そういうゲームなんですよ、これは」
冷たい言葉だった。だが、その奥にある何かが、キラの反応を鈍らせた。
「キラ……」
トールが囁く。だが、キラの瞳はもう、誰も見ていなかった。
彼は、自分の胸の奥で何かが音を立てて崩れていくのを感じていた。
守りたかったものが壊れかけている。自分の“選んだ道”が、ここでねじ曲がっていく。
そして――
「……そしてこの艦には、MSが“あれ”だけしかない」
キラの視線が、格納庫の片隅にあるストライクへと向けられる。
「今、あれを扱えるのは――僕だけ、なんですよね?」
静かで、けれど絶対に引き返せない声だった。
その言葉を聞いて、アズラエルはゆっくりと視線を落とした。
(……その通り。だが、それを言わせたくなかった)
本音だった。
彼は、キラを戦わせたくなかった。
ましてやノーマの隣に立たせるなど――本来なら、考えたくもないことだ。
だが、誰もがそれぞれの役を押しつけられる。
ノーマも。キラも。自分も。
望むと望まざるとに関わらず、だ。
その中で、誰かの意志を“守る”という言葉がどれほど残酷か――
アズラエルは、痛いほど知っていた。
それでも。
だからこそ、彼はこの戦場に立っている。
静かに目を伏せながら、アズラエルは何も答えなかった。
ただ一瞬、その瞳に――憂いにも似た色を宿らせた。
彼はもう、自分の手を汚す覚悟を決めていた。
ノーマを戦わせたくないと願いながら――
キラを、ストライクに乗せる“手助け”をしている自分を、冷静に見つめながら。
◇
アークエンジェル、モビルスーツデッキ。
格納庫には緊張した空気が漂っていた。床の振動がエンジンの立ち上がりを伝え、機械音と警告灯の明滅が忙しなく戦闘準備を告げている。
その一角――
《ホワイト・ゼロ》のコックピットに、ノーマ・レギオは静かに座っていた。
赤いバイザーの奥の瞳は、前方の格納ハッチではなく、隣に佇む機体――《ストライクガンダム》へと向けられている。
そこでは、追加装備《ソードストライカー》がゆっくりと装着されていた。
刃のような輪郭を描く大型実体剣。機体に接続されるたび、格納庫内に金属音が響く。
「……キラ・ヤマト」
小さく呟かれたその名に、確信が滲んでいた。
パイロットの名は知らされていない。だが、ノーマにはわかっていた。
あの機体の中にいるのが、あの少年――キラであることを。
(……戦うと、決めたんだね)
口には出さなかったが、胸の奥にわずかな感情が揺れた。
それは、哀しみだったのか、羨望だったのか。
自分には決して言えなかった「戦いたくない」の一言を、彼は言った。そしてそれでも、ここに立っている。
「――出力安定。各装備、正常に作動」
コックピット内に響く機械音が、彼女を“兵器”へと戻していく。
「ホワイト・ゼロ、出撃準備完了」
ノーマは短く息を吸い、目を閉じ、そして――
「ホワイト・ゼロ、ノーマ・レギオ。出ます」
淡々と、それでもどこか痛みを含んだ声で、彼女はそう告げた。
次の瞬間、格納庫のハッチが開かれる。
彼女の機体は静かにリフトアップされ、戦場という名の真空へと滑り出していく。
ヘリオポリスの内部――
その静穏を装った都市構造は、すでに戦場へと変貌していた。
ノーマ・レギオの視界に映るのは、爆炎と瓦礫、そして敵影。
(コロニーの構造、もう限界……)
操縦桿を握る掌に、じんわりと汗が滲む。人工大気の震動が、機体越しに皮膚へと伝わってくる。
《ホワイト・ゼロ》のセンサーが、二機のジンを捉えた。
トロール、マッシュ――重爆撃装備の機体だ。アークエンジェルへと向けてミサイルを展開し始める。
(……間に合わせる)
瞬時にガンバレルを展開。遠隔操作ユニットが回転しながら前方へと滑り出る。
敵ミサイルの弾道を読み、軌道先で迎撃。
爆炎。衝撃。ノーマの頬に小さく汗が流れる。
「……ナイスカバーだ、ノーマ」
ムウの声が通信越しに届くが、応じる余裕はなかった。
続く一機のジンに、照準を合わせる。
(急がないと――)
トリガーを引く。重粒子砲の閃光が機体を貫き、敵MSは火花を散らして崩れ落ちた。
その直後、右上方のセンサーが別の反応を示す。
――ストライクガンダム。
(あれは……)
ソードストライカーを装備した白い機体が、地上を滑るように進行していく。
キラ・ヤマト。彼が乗っていることを、ノーマは直感していた。
「来たね……」
呟いたと同時に、新たな敵影。
ジンバルルス改装備――ミゲル・アイマンの機体がストライクに急接近していた。
(正面から当てないで。彼の得意な間合い――)
ストライクがビームブーメランを放つ。ミゲルはすんでのところでかわした。
だが、その瞬間――
(今)
ノーマはガンバレルを旋回。背後から回り込み、死角を撃ち抜く。
「なにィ!? ……ぐああああっ!!」
爆炎の中でミゲルの叫びが消えていく。
「ミゲル~~~~ッ!!!」
怒声。ノーマのバイザーが、赤く軌跡を残して敵機――イージスを補足する。
アスラン・ザラ。彼がストライクに向けて突進する姿が映る。
(……止められない)
アークエンジェルの方から、砲撃の光条。
ジンを狙ったそれは命中せず、逃れた機体が反撃に転じた。
そして――警報音。
ジンの一機がシャフトへとミサイルを放つ。
「シャフトに被弾! 構造部、崩壊開始!」
ノーマの指が震えた。
(間に合わなかった……)
眼下の大地が崩れ、支柱が悲鳴を上げて裂けていく。
《ホワイト・ゼロ》は、最後のジンを撃ち落とす。
だが、既に遅かった。亀裂が走り、空気が巻き上がり、ドーム全体が傾き始める。
救命ポッドが射出されていく――