左隣の左さん 作:シソーツョ・ジョシスキー
左隣の席に美少女がいたら、やはり一度は声をかけたくなるのが、男の子の性というものだ。
不肖、この中谷正道は、16年間生きてきた中で、一度も彼女ができた事がない。
小学生の頃の僕は、鼻水を垂らしながら運動会を走っていた。
中学では、友だちに冷やかされるのが怖くて、なんとなく『イイな』って思っていた女の子に『好きです』なんてセリフを、一言だって告白できなかった。
それでも高校生になれば自然と彼女ができるかも、と期待に胸を膨らませていたが、期待とは裏腹に、一年生の頃の僕の高校生活は、無難というか普通というか……それなりに友だちも出来たし、学業に躓く事もなかったが、順風満帆な薔薇色の青春とは言い難かった。
しかし、二年生となり、唐突に降って湧いたこの機会。まさかの席ガチャSSR、この機を逃せば、僕は一生彼女とは無縁の青春を過ごすハメになるかもしれない。
僕は勇気を出して、左隣の席の女の子……
『左紅音』さんに声をかけることを決意した。
まずは観察から……
髪型は黒髪のボブカットで、癖のない髪は真っ直ぐに伸びていて、艶のある光沢を帯びている。
顔立ちはどちらかと言うと可愛い系よりかは綺麗系で、お化粧の薄さも相まってか、どこか中性的な……美少年のような精悍さも感じる。
顔立ちが整っている人は異性装が似合う、という説を小耳に挟んだことがあるが、それはきっとマジなのだろう。
制服はスカートを折ったりとかせず膝下まであり、皺のないネクタイもしっかり首元まで締めて、まるで案内パンフレットのお手本みたいにキチッと着こなしている。
ここまでの特徴から推察するに、恐らくこの子は真面目系女子。
手には何やら分厚い本。真剣に読んでいる。
きっと文学少女。このご時世には中々の絶滅危惧種なのではないか。
これは中々難易度が高そうだが……ファーストコンタクトをミスらなければ、なんとかなる……筈。
「あっ、えっと、僕、中谷、これからよろしくね」
うっ、ちょっと詰まっちゃったけど、なんとか愛想よく挨拶できた気がする!
「……あぁ、私は左、左紅音、よろしく」
ハスキーな声質、凛とした声色、表情は少し硬いし、目線は本から外さないけど、逆にこれらの要素が良い仕事をしていて、まさにクールビューティといった感じで……正直たまらんですな。
やはりこの幸運を逃したくない。
なんとか話を続けようと僕は第二の矢を放つ。
「それ、何の本読んでるの?」
そう言うと、左さんは少しだけ、僕の目をチラリと見た後、また本に目線を戻してこう言った。
「資本論」
「資本論?」
資本論。
資本論っすか。
………ワンアウト、いやワンストライクって所か?
「き、聞いた事はあるよ、うん、テレビかなんかで見た」
「あら、そうなの?日本のオールドメディアも捨てたものじゃないわね」
そう言って、ほんの少しだけ表情が柔らかくなった左さんの顔は、やっぱりモデルとかアイドルみたいに整っていて、つまり、シンプルに可愛くて、なんか頭の中で薄らと鳴っている警報を無視したくなってきた。
「所で中谷くん、資本主義についてどう思う?」
いきなり警報の音が最大音量になった。
左さんの目は据わっている。
もの凄い圧を感じる。
選択肢を間違えるとバッドエンド行きかもしれない。
そう思わせる『スゴ味』を感じた。
資本主義?そんな小難しい事考えたこともない。
こちとら、まだコロコロコミックで爆笑できるレベルの感受性なんだぞ。
「あ〜、そうだね、クソだね」
テンパった結果、僕はめちゃめちゃラディカルな回答をしてしまった。
「貴方もそう思う?」
そして、それはまさかの正解だった。
「ほら、やっぱりさ、資本主義って『格差』が生まれるじゃん?社会ってやっぱり平等であるべきだよね〜」
もはや自分でも何を言ってるかわからなくなってきたが、なんとか話を合わせようと、気合いで言葉を脳内の引き出しから漁る。
だけど、出てくるのは小学6年の時に見たニュースのうろ覚えと、深夜に観た経済系YouTuber(マジで誰?って人)の「資本主義は限界」って言葉だけ。
マジでそんだけ。
「お金持ちだけが得する制度なんてクソだね、国民をなんだと思ってんだって感じだよ、うん」
だが、ここまで来るとちょっと楽しくなってきた。
まるで自分が頭イイ奴みたいな気がしてくる。
それに、資本論なんて読んでる女の子なら、こんくらいラディカルに行くのも悪くないかもしれない。
どうして僕が、こんなに必死こいてるのか?
それは勿論美少女に気に入られたいという一心だからである。
今の僕なら経済アナリストのコメンテーターにだってなれるだろう。
チラリと反応を伺ってみると、左さんは少しだけキョトンとした顔をしていた。
……もしかしてスベッたか?
「……貴方とは仲良くなれそう、これからよろしくね、中谷くん」
た、耐えた〜。
どうやらセーフだったらしい。
それにしても、左さんの、その…微笑みながら少しだけ頭を傾けて会釈する姿は、やっぱり、とても可愛かった。
シンプル眼福だ。
まさか二年生になっていきなり女の子、それも美少女とお近づきになれるとは思わなかった。
未だ頭の中には、まだ薄っすらと『警告』がエロ漫画サイトのポップアップ広告のようにへばりついているが、まぁ些細な問題だろう。
……脳内に浮かぶ警告文から目を逸らしつつ、僕はこのちょっとした幸運を喜んだ。
「これ、興味あるなら貸してあげなくもない、全巻あるから」
「大丈夫です」
「そう?ならいいけれど」
中谷正道、16歳。
今年の目標は『彼女を作ること』
しかし、どうやらそう簡単には達成出来なさそうだ。
何故なら、僕の左隣には………
『思想激強系女子』がいるのだから。
◇
黙っていれば他人は勝手な解釈で決めつけてくる。
でも『私はこうだ』と宣言すれば、無理やりプロパガンダを聞かされたような顔をして、被害者ヅラをしてくる。
だから、私は室内灯もつけずに、玄米を食べる修道女でいい。
1人の男が死んだ。
それがキッカケだった。
私の中に、大きな渦巻きのような『怒り』が湧き上がってきて、それが日に日に頭の中に侵入してきて、それがやがて形となってきた。
濁った赤色の『怒り』は、やがて鈍色に冷めていく。
それがこの世の何よりも怖かった。
私は勉強をするようになった。そうする必要があった。
本を読み、『制度』を調べた。
この世の中の『構造』が知りたくなった。
何故なら、この世の中の『構造』は歪で、大きな風穴がぽっかりと空いていて、誰かが足を滑らせ、奈落に落ちていくから。
そういう風にできているから。
それが許せなかった。ただ、許せなかった。
1人の男が死んだ。
その死がただ無駄に、無意味に、統計の一部となって、役所の紙のインクとなる事が許せなかった。
だから、学ぶことにした。
かつて、私は理解者を欲した。
この痛みを分かち合える誰かを。
でも、誰も、何処にもいなかった。
ただ辟易とした顔、或いは引き攣った愛想笑いしか、この目には映らなかった。
だから、1人で学ぶことにした。
14歳のある日、初めて本を買った。
それは『資本論』といって、世界で2番目に読まれている本だった。
かつて、この地球に世界で一番国土が大きい国を築いたキッカケとなる本だ。
内容を読んでも、さっぱりだった。
まるで意味がわからない。
漢字が読めないだとか、文量が多いだとか、そんな問題じゃない。
あまりにも内容が難解だった。
どうしてまぁまぁ高い金額を払ってまで買ってしまったのかと、本気で後悔もした。
では何故『資本論』を買ったのか?
誰か(もう覚えていない)が、この『資本論』についてこう言っていたからだ。
「この本は『格差』をなくす為の本だ」
私はきっと、そう言った誰かではなく、その言葉を覚えていた『自分の記憶』を信じた。
高校二年生になった春。
私の右隣に座っている平凡な少年が、少しだけ顔を赤らめながら、話しかけてきた。
人生で何度かあった場面。
その度に、私は誰かを辟易とさせ、ひょっとすると小さな恐怖さえも植えつけてしまっていたのかもしれない。
それでも、『私はこうだ』という宣言をしてみた。
少年は面食らっていたが、それでも、まだこんな私と話したいのか、なんとか食い下がってきた。
その、一見軽薄そうな態度の中に、私は彼の中にある『透明さ』を見出した。
だから、私は少しだけ意地悪をしてしまった。
まるで悪戯のように、驚かせるように、試してしまった。
その、必死に話を合わせようとする彼に、私は彼の中にある『善良さ』を見出した。
だから、私はほんの少しだけ、笑えたのだろう。
きっと、そうだろうと思いたい。
右隣に座る少年は、きっと私の理解者にはなり得ないだろう。
そう確信がある。
それでも、まだほんの少しだけ、まだほんのちょっとだけ、『誰かとの繋がり』を、僅かでも感じていたかった。
いつか、きっと独りになる。
その時、私はまだ、『怒れる人』でいれるのか?
燃えている鉄心が『諦め』で錆び、朽ちていくのか?
まだ分からない。
そして、分かりたくもない。