ちょっと時間取れず、後で修正するかもです。投稿時間を守れず申し訳ない。
トレセン学園の朝は早い。
日中は通常の中学や高校と同様、学習指導要領や普通科高校に則した授業が行われるため、レースに向けたトレーニングは通常校の部活動のタイミングとほぼ重なる。
ウマ娘の不思議な生態だが、朝に高負荷の運動を行うとトレーニング効果が高いことが知られており、経験則的にも朝練が重要視される。
だから学寮では、早朝未明からトレーニングに向けた身支度が始まる。
「おはようございます!スズカさん!!」
「おはよう、スペちゃん」
カフェテリアから帰ってきたスペシャルウィークに、スズカが応える。二人はすでにトレーニングウェアに着替え、出発の支度を整えていた。
トレセン学園の寮は二人部屋が基本で、シリウスの新米ふたりは同じ部屋となった。スズカの元同室は一つ上の先輩で最近トゥインクル・シリーズを引退し、寮を引き払っていた。
全員がそうではないが、部屋の相手は生活リズムが同じ、つまり同期や同じチームの所属になることが多い。ちょうどスペシャルウィークがトレセン学園に編入することになり、同じチームだということで、後釜にすわった形となったのだ。
「スズカさんは朝食べない派ですか?」
「私はあまり食べられる方じゃないから、バナナとか消化の良いものを摂るようにしてるの」
スペシャルウィークの問いに、スズカがトレーニング用のリュックサックに私物を入れながら答える。
ふたりがシリウスに入部してから10日余り、今日がシリウスのチームトレーニングに本格的に参加する初日だった。だからトレーニング開始時間の前にシリウスのクラブハウスに集合して、先輩から手ほどきを受けることになっていた。
ふたりは取り留めもない雑談をしながら、シリウスのクラブハウスへと赴く。集合時間の10分前だったが、ちょうど廊下の反対側からやってくる人影が見えた。ふたりは挨拶する。
「「おはようございます!」」
「ふたりとも、おはよう~」
間延びした、けれど品のある鷹揚とした声が返ってきた。スペシャルウィークとスズカと待ち合わせた人物は、チーム・シリウスの先輩だった。
「ビワハイジだよお。ハイジって呼んでねぇ」
ビワハイジはシニアA組、スペシャルウィークのふたつ上の先輩だ。前走後に骨折が判明し、長期離脱を余儀なくされていた。
最近、1年間の療養から復帰したばかりであった。
「ビワ、ハイジさん……昨年のダービーに出ていらしましたよね!」
名前を聞いたスペシャルウィークが、目を輝かせる。
「わあ、知ってくれてたんだあ。嬉しいなぁ」
「スペペ~ッ!」
「スペちゃん、急に興奮しないで……」
感激したハイジがスペシャルウィークに握手してくる。包み込んできた手のひらが暖かくて柔らかくて、スペシャルウィークはドギマギする。そんなスペシャルウィークの様子を、スズカは半ばあきれたように指摘する。
三人はクラブハウスの応接間を抜け、学生証をかざして普段はチームのメンバーしか入ることのできないエリアに向かう。
応接間の横には広々としたロッカールームが完備されており、メンバーの個人スペースが用意されている。ロッカーには各自の私物やトレーニングウェア、蹄鉄などが置かれている。
横になれるカウチソファなども配置されており、部屋の隅には誰が持ってきたのかボードゲームの類もある。学園のプレスルームや、シリウスにも応接間があるため殆どないが、ここで囲み取材が行われることもある。
ロッカールームからは、グラウンドを望むメインスタンドの脇に直接出られるよう専用の通路が配置されており、トレーニング前後ですぐにアクセスできるようになっている。
雨天時にコースで練習する場合でも、極力汚れずに利用できるよう配慮されているのだ。
ハイジはロッカールームに併設されている、シリウスで使用する備品を管理している用務室へと案内する。
「あたしも故障明けでトレーニングは久しぶりなんだぁ。シリウスの紹介がてら、二人に手伝ってもらいたくてぇ」
奇麗に整理整頓された道具周りだが、ハイジが配置を考えたものだ。彼女はトレーニングができない期間、シリウスの事務作業を手伝っていた。
「これがウマウォッチとウマメーターだよ。トレーニングの時は必ずつけてね~。あっ、あと練習直前につけるバッジもあるけど、装着の方法はあとで教えるから心配しないでね~」
トレセン学園のトレーニングにもデータ分析の波が来て久しい。
GPSを利用した移動速度やランニングコースの測定、ケイデンスといったトラッキングデータから、乳酸値や心拍数、血中酸素などの組成データを併せて計測することで、トレーニングメニューのデザインやコンディション管理などにフィードバックがされるようになっている。
「これがスズカちゃんの分、あとこれがスペシャルウィークちゃんの分だよ」
スズカとスペシャルウィークに機材が手渡しされる。北吉原で使っていた機材と似ている、スペシャルウィークはなんとなくそう思った。
「ウマウォッチとウマメーターの管理は個人でしてね~。無くさないように、練習の後はロッカーにしまっておいてね」
「ウマーミン社の、ハイエンドモデル使ってるんですね」
初めて見ました。スズカが独り言のようにそうこぼした。
「
URAの主催するトゥインクル・シリーズのレースは、出走すると成績に応じた『賞金』が与えられる。
下世話な話だが、アスリートの育成にもお金がかかる。だから出走したウマ娘や所属するチームなどに結果に応じた金銭が分配される仕組みで、奨励金や諸手当などを加味すると馬鹿にならない金額のお金がもらえるのだ。
極端な例だが春の天皇賞で1着になったマヤノトップガンは、本賞金として3千万円の賞金を獲得した。
この本賞金は、通例ではマヤノ本人に8割、残りがトレーナーという形で分配される。
実際のレートや使い道はチームごとに決まりがあったり、個人的な事情などもあったりするため一概には決まらないが、大舞台ともなればたった一回のレースでプロスポーツ選手も顔負けの報酬が出る。
その他にもマヤノの前走では、特別出走手当として58万円、奨励金として160万円もの大金がチーム・シリウスに支給された。
それが軍資金となり、チーム全体のレベルの底上げにつながる。強いチームはより強く、そして所属するウマ娘もより質の高いトレーニングを積み、強くなる。
この正のフィードバックを上手に回せるチームが、強豪と称されるチームなのである。
蛇足だがスペシャルウィークはこのあたりの事情を全く意識していなかったため、後にレースの賞金額を見てひっくり返ることになる。
三人は必要なトレーニング用具をもって、集合場所のロンギ場(丸バ場)へ向かうことになった。
チーム・シリウスはトレセン学園の西側、栗東グラウンドと呼ばれるエリアを拠点に活動するチームだ。栗東グラウンドの大部分を占めるトレーニングコースは、ダートや芝などの種類別に同心円状に配置されており、その周回トラックの内側を内バ場と呼ぶ。
そこにあるウッドチップが敷かれたロンギ場を、シリウスはウォーミングアップ時によく使うのだ。向かう途中で、ハイジが気さくに声をかけてくる。
「ふたりは朝ごはんとかは大丈夫?もう済ませたのかな」
「はいっ!スタミナ人参カレーもしっかり食べましたし、準備万端です!ちょうど最後の一皿でしたし、運がよかったです!」
「「えっ」」
スペシャルウィークの威勢の良い返事に、ハイジとスズカの声がハモる。二人の脳裏に1年ほど前の記憶がよみがえる。昨年、朝練中に体調を崩したとあるウマ娘が、朝食に食べたカレーライスを坂路に盛大にまき散らした事件があったのだ。
結局、栗東坂路は封鎖され、トレーニング前の食事には気をつけるよう通達が回り、カフェテリアの朝の献立から数ヶ月間カレーが消えた。
栗東坂路カレー事件というものだ。
それ以来、トレセン学園では朝カレーが半ばタブー視されている。スペシャルウィークが最後の在庫を見つけたのも、誰も食べないからひとつしか用意されていなかっただけだった。
もちろん、当時在籍していなかったスペシャルウィークは知る由もない。
悪気はないようだけど、なんだかほっとけない娘だねぇ。
そうなんです、間が悪いというか、ウマ娘慣れしていないというか。
目を離さないようにしようかぁ。
はい。
先輩ふたりは、アイコンタクトで認識を共有した。
そんな先輩たちの不穏な空気を当人はつゆ知らず、三人はそろって地下バ道を通り、内バ場のロンギ場に到着した。他メンバーもすでに集合していた。
まずは二人一組のストレッチで体をほぐす。スズカがスペシャルウィークのパートナーになってくれた。背中の伸びを感じながらストレッチしていると、スペシャルウィークの耳にひそひそと話す声が聞こえた。
彼女が聞き耳を立てると、チーム・シリウスだと口々につぶやく声が聴こえた。怪訝な顔をして周囲を窺うと、シリウスの周辺には練習にちょうど良いスペースができていたのが確認できた。
「どうして皆さん、距離を取るんでしょう?」
そんなスペシャルウィークの素朴な問いに、スズカが答えてくれた。
「シリウスは少数精鋭のチームとして有名でね。マヤノ先輩を筆頭に実績ある娘がいっぱいいるから、慣れてないと、ちょっと怖気づいちゃうっていうのかな……」
スズカはそうフォローした。
シリウス以外にも名門とされるチームは数多い。例としては、実績も規模も最高峰のチーム、フォーマルハウト。ティアラ路線の精鋭チーム、カペラ。サクラ軍団とも称されるビクトリークラブと、深いつながりのあるレグルス。サブトレーナーの粟森が、現役時代に所属したトリマンなどが有名どころとして挙げられる。
だが実際には、先に挙げたような著名なチームに所属していないウマ娘のほうが多数派。上位とされるウマ娘は、ほんの一握りだ。
輝かしい成績を持つわけではない彼女たちからしてみれば、GⅠを複数回勝利しているようなエースやチームは天上人の様なものだ。近寄りがたい存在でしかない。
彼女たちの目線はスペシャルウィークの顔ではなく、ジャージの後ろに注がれている。
スペシャルウィークもトレセン指定の体操服の上には、チーム名とロゴマークを設えたシリウス専用のトレーニングシャツを羽織っている。ほかの上位チームも同様に、専用のロゴや生地色が指定されている。
さらに重賞レースを優勝したウマ娘は、専用色の糸で刺繍を施されたアームバンドを身に着ける。例えばマヤノトップガンの左腕に留められた紫色のバンドには、彼女の名前と4つの星マークが縫い付けられている。GⅠを4勝した証だ。
クラシックに向けたトライアルに出走するウマ娘は、特殊なゼッケンを身に着けたりもする。
こうして立場をひけらかすのには訳がある。
もちろん挑発や嫌がらせが目的ではない。
トレセン学園のトレーニングには、URAの職員や報道関係者なども視察に訪れる。彼ら部外者への配慮として、有力なウマ娘や所属は一目見て判別できるようになっているのだ。
またレース興行的な観点からも、大きな舞台を前に怪我をされてしまっては困りものだ。大切なレースに出走するウマ娘に対して、周囲は注意してトレーニングせよという注意喚起の意味も込められている。
トゥインクル・シリーズは厳しい淘汰の世界。
要はトレーニングひとつをとっても、実績あるウマ娘が優先される。そして各ウマ娘の功績は、一見してわかるように制度が整っている。
所属や身分を明示するのもまた、競争社会の一端を表すものだ。
「北吉原にいたころはまわりの娘たちに迷惑かけちゃうことの方が多くて、なんだか新鮮です」
「そういえばスペちゃんは最近まで北吉原にいたのよね。シリウスはみんな優しいから、気を使わなくっても大丈夫よ」
入ってまだ10日の私が言うのもなんだけど。そうスズカは照れ笑いする。
そういう周囲の気遣いが、スペシャルウィークにはなんだかこそばゆい。スペシャルウィークが北吉原に通い始めた頃は、シロウトだと無礼られて、よくちょっかいをかけられていた。
例のコーチにしごかれていた最後の1ヶ月程は、周りの娘たちのほうが気を使って近寄らなくなってしまっていたのだが、本人は練習メニューが辛すぎて、そんな周囲の変化に気づく余地は全くなかったのであった。
「みなさ~ん。今日はグループランだから、トレーナーさんが来るまでに縦列ハッキングをしましょう~」
あらかたストレッチが終わったタイミングを見計らって、ハイジが皆に声をかける。
「ハイジちゃん、病み上がりだけど大丈夫?」
マーベラスサンデーが、気遣って声をかける。
「大丈夫ですよぉ」
「そっか。じゃあ今日は私が先導やるね☆」
ハイジの返答を受けてマーベラスが元気よく両手を振る。
シリウスのメンバーは一度地下バ道に潜り、内バ場から数えて三つ目の一周1,800メートルのウッドチップコースに出る。
他のチームの娘の列が見えた。入学して3ヶ月ほどのジュニアA組の若駒たちが、引率の教官に引かれてコースを見学していた。メイクデビューを前に最終調整をしている娘もいた。引退を考える時期に差し掛かった娘もいた。
マーベラスは、ウッドチップコース入り口付近にメンバーを集める。
最後尾の先輩たちは意識を周囲に向けつつ、話し込んでいた。
「マヤノさんは脚が悪いんですから、邪魔にならないよう内側の最後尾にいてください」
「ジェニュひどくない?まぁ、そのつもりだけど」
縦列ハッキングは、2列の隊列を維持したままコースを周回するトレーニングだ。マヤノの脚の具合は抜きにして、先頭としんがりを年長者が務め、全体のスピードを調整する。
コースは円形なので、外側に位置するウマ娘がより長い距離を走る。都合上、実力のある娘が外側を走る。
マーベラスを先頭に内側からワールドとスズカ、グラスとブライト、スペシャルウィークとハイジ、マヤノとジェニュインの並びだ。
「掛け声はみんなの真似すればいいよぉ」
「わかりました!」
スペシャルウィークの隣についたハイジが教えてくれる。
「じゃあみんな行くよー☆!」
コースに進入したシリウスメンバーは、マーベラスの掛け声とともにコースの内側へと進路を取り始める。
トロットからすぐにキャンターに移行し、隊列の速度が徐々に上がる。ハッキングはウマ娘のおこなうジョギングの様なものだが、その速度は時速20キロメートルを超える。
「トレセ~ン♪ファイ☆!」
栗東コースに、ひときわ響く声でマーベラスがコールする。
「「オーッ!」」
続いてメンバーも唱和する。
「ファイ☆!」
「「オーッ!」」
「ファイ☆!」
「「オーッ!」」
「ファイッ☆!」
内ラチに沿って周回する。地面を蹴る音が、一定のリズムを刻む。掛け声がぴたりと重なる。
チームのメンバーがお互いの歩幅や体格を意識して、それでいて個々の個性が埋没しないよう体系だって連動する。シリウスの縦列はまるで一体の生き物のように統一されていた。
寸分の狂いもない動きに、その輪のさなかに居るスペシャルウィークはたちまち虜になった。
これが、チーム・シリウス。
各自がそれぞれのペースで走る単走とは違う、集団を形成する個人が相互に組み合って繊細なメロディを織りなす。
その一体感の醸し出す美しさとしなやかさからは、メンバーひとりひとりの技術力の高さが窺い知れた。新入りのスペシャルウィークは、自分の脚を出すタイミングや呼吸のタイミング、声出しのタイミングが周囲とずれないように意識しながら食らいついていく。
ウッドチップコースをじっくりと、2周ほど周回する。
ちょうどシリウスのトレーナー陣がスタンドを離れ、グラウンドに姿を見せる所だった。通常各チームのトレーナー陣はグラウンドに併設された『大天狗』と呼ばれるスタンドに腰を据えている。
練習全体が見渡せるからだ。ニュースなどで見かけるトレセン学園のトレーニング風景も、そこから撮影が行われている。
「停まあ~~れえええぇえっ!」
マーベラスの号令と共に隊列はラチに沿ってピタリと停止し、ラチをくぐって外に出る。
バ場の七分どころでは追い切りのウマ娘が一杯に駆け、その粗い息遣いと足音がスペシャルウィークの腹にまで響いた。
ウマ娘は時速60キロメートルを超える速さで疾走するが、URAのレースは他の陸上競技と違ってレーンが存在しない。だから周回コースでは常に周囲の安全に配慮するのがマナーだ。
「「おはようございます‼」」
「おはよう」
「おはよう、みんな」
威勢の良い挨拶に、トレーナーと粟森が返事をする。トレーナーの足音が近づくと、場の空気がわずかに引き締まるのがわかった。
鋭い目で全員を窺うトレーナー。その真剣さに、スペシャルウィークは思わず息をのんだ。
先日、河川敷で再会した時は北海道で一緒に過ごした時の、記憶の中での見知った彼だった。直接会うのは数年ぶりだったが、身寄りの少ない自分の数少ない、優しい『お兄ちゃん』だった。
真っ直ぐに立ち、落ち着いた声で返事を返すその姿は、見慣れた『お兄ちゃん』とは違っていた。声の調子も、視線も、何かを推し量るような厳しさがあった。
スペシャルウィークは初めて、シリウスの責任者としての彼と相対した。
——お兄ちゃん、こんな顔するんだ……
自分の親しい人が、他人に見せる別の顔をしているのを見て、スペシャルウィークは胸の奥がきゅっと引き締まるような、奇妙なざわめきを感じていた。
彼は表情を変えずに、チームのメンバーに対して本日の練習メニューを伝える。
「今日はチーム共通のメニューとして、グループランを行う。ブレイクラインは2ハロン手前。追い切るか否かは、各自に任せる」
「りょうかーい」
マヤノが軽い調子で返答する。ベテランウマ娘として、言われるまでもないといった調子だ。
トレーナーは続いて1年ぶりの本格復帰となったハイジに目を向ける。
「ハイジ、体力がだいぶ戻ってきたとはいえ今日のトレーニングは負荷がかなり高いぞ。無茶はするな」
「はい、大丈夫です。参加させていただきます」
他メンバーよりも弾む呼吸を何とか抑えて、ハイジが応える。
一見すると温和な印象を与え、実際の言動も悠揚としている彼女ではあるが、レースとなると頑として譲らない気質だ。彼はその様子をちらりと一瞥すると、今度はスズカとスペシャルウィークに顔を向ける。
「スズカ、スペシャル」
「はい」
「えっ、……はっ、はい!」
「……スペシャルは北吉原でも経験あると思うが、このメニューは大人数での並走だ。実戦に近いレースでの駆け引きを練習の主眼にしている。くれぐれも衝突には気をつけろよ」
「わかりました。気をつけます」
「やっ、やってみます!」
トレーナーはガチガチに緊張するスペシャルウィークに、
「無理に追い抜こうとしなくてもいいからな」
そう釘を刺した。一通り確認が終わるとマーベラスが再び点呼を取る。
「じゃあみんな!さっきと並びは同じだよ☆」
「先頭は私が。マベさん、位置を交換しましょう」
「合点合点~」
「ふぅ~。スペシャルウィークちゃん、あそこに2ハロンの表示があるけど、あそこまでは前の人についていってねぇ。あそこをこえたらゴール板まで自由走だから、無理しないで走ってね~」
ハッキングで先導したマーベラスに代わり、ジェニュインが先頭に交代する。息の上がったハイジが指をさした方角を見る。白と赤に染められたハロン棒が見える。
「わかりました!」
「それでは、行きます!」
先頭を交代したシリウスメンバーは、ジェニュインの掛け声とともに再びウッドチップコースに入場し、コースの中程へと進路を取る。
先ほどのハッキングよりも強く加速し、スペシャルウィークの体に風が強く打ち付ける。自分の額や、手足に汗がにじんでいることを感じさせた。
「……十八秒走!」
6ハロン棒を通り過ぎるタイミングで、ジェニュインが声を出す。
彼女は全体の時計が速くなりすぎないように、注意しながら隊列を導いていく。
「十八秒!」
5ハロン棒を過ぎる時も再び声を出す。スペシャルウィークはバランスを崩して転倒しないよう、蹴りのタイミングを意識する。前を走るグラスワンダーが良いお手本になった。
「十六秒!」
4ハロン棒を過ぎたタイミングで、タイムを詰める。
隊列がさらなる加速を始める。前方のメンバーが蹴り上げたウッドチップが激しく舞い、スペシャルウィークの額に打ち付ける。
メンバーの走るフォームが一段と低くなり、重心が下がる。脚運びが変わる。
速度が上がって、視野が狭くなる。コースを区切るラチの支柱が目で追えなくなる。
景色は滝のような流れとなって後方へ通り過ぎていく。スペシャルウィークは周囲のメンバーとの、距離感に注意を払う。
「十五秒!」
散開前に、さらにもう一つギアを上げる。
全身を打つ風の音がより高く変調する。風切り音の中にスペシャルウィークはふと違和感を覚え、目線をゴール前に移すとトレーナーがバツ印を挙げていた。どういう意味だろう。
その時スペシャルウィークは初めて、隣を走るハイジの様子がおかしいことに気が付いた。
スペシャルウィークとハイジとの間に、スペースができていた。隊のコーナリングについてけずに外側に膨れていたのだった。
呼吸は荒く、息も絶え絶えといった感じだった。やはり1年のブランクは相当に堪えていたらしかった。
ハイジのランニングフォームが崩れ、隊列から落伍する。スペシャルウィークはどう対処したらよいのかわからず戸惑った瞬間、後ろから先輩二人の声が聞こえた。
「スペちゃんは前向いて。マベちん、ハイジちゃんは私が見とくから、あとはよろしく」
「合点承知!」
スペシャルウィークは命じられた通り顔を前に戻す。
マヤノが減速し、空いたスペースを埋めるようマーベラスが内に切れ込んでハイジの退路を作る。見事なコース取りだった。
マヤノがハイジを介抱するように並んだのと、ゴールから2ハロン手前のブレイクラインに差し掛かったのは同時だった。
「散開!」
ジェニュインの合図とともに、隊列が一斉に解散する。
スズカが外から、ワールドが内からジェニュインを差そうとする。だがジェニュインはGⅠ2勝の実力者で、簡単に引きはがされていく。
スペシャルウィークはグラスワンダーの背中に集中し、距離を離されないよう維持する。
その瞬間、
「マーベラース!」
スペシャルウィークのすぐ脇を、疾風が轟く。
マーベラスが凄まじい末脚を見せ、あっという間にスペシャルウィークを抜き去っていく。その走り様は豪放且つしなやかで、気合いに満ち溢れていた。
スペシャルウィークは束の間目を奪われたが、その走りを目の当たりにして彼女の闘志に火が灯った。マーベラスを差し返すイメージで、スペシャルウィークは前傾姿勢を取る。
「根ッ性オおおおお!」
「っ!…‥負けません!」
予想外のスペシャルウィークの急加速に、前にいたグラスワンダーが素早く反応する。スペシャルウィークは必死に追いすがるが、グラスワンダーが半歩先を行く。
結局、グラスワンダーとの距離差は縮まらず、エンジンのかかりが遅かったブライトと並びかけたところがゴール板だった。
* 永正9年6月11日 中央トレセン学園
この娘は強いウマ娘になる。彼はそう感嘆の念を抱いた。
先日メジロマックイーンからもデータを共有してもらってはいたが、外聞や数値からイメージするものは曖昧だ。実際にその走りを間近で見ることで初めて分かることも多い。
そういった意味で、スペシャルウィークはこちらの想定をはるかに超える走りをトレーナーに見せつけた。
——しかもあの走りは、まるで……。
もしかしたらスペシャルウィークは想定以上の傑物なのかもしれない。そう予感させた。
だがチームの指導者として、それ以外にも目を配らせなければいけない。気がかりなのはハイジとマヤノだった。
追い切りとして負荷をかけたのは、6ハロンほど。だが病み上がりのハイジには、相当に堪えたらしい。
ハイジは懸命に脚を動かそうとしたが、身体は思うように反応してくれなかったのだろう。カーブを曲がり切れずに外側に膨らみ始めたタイミングで、最後尾のふたりが対処してくれた。
先輩陣のフォローは完璧だった。
マヤノにしても、15秒を切る時計はまだ出せないことを確信した。比較的足元に優しいとされるウッドチップコースとはいえ、走れば負担がかかる。天皇賞が終わってから1ヶ月半、想定以上に回復が遅れている。
ハイジはマヤノに肩を貸され、息絶え絶えになってトレーナー陣のところまでやってくる。
「はふっ、ほひひっ…」
ハイジは酸欠でいまにも倒れそうだった。
「無茶しやがって…」
トレーナーは追い切りを終えた他メンバーに対してクールダウンを指示する。
粟森がすぐさまハイジの容態を確認する。
「ハイジさん、これ酸素。深呼吸、深呼吸……。マヤノさん、左肩を下にして足を高く」
「アイコピー!」
マヤノに付き添われながら、ハイジは横たわって回復姿勢を取る。
「——だっ、大丈夫ですか!ハイジさん!」
「おい、スペシャル!コースを逆走するな‼」
トレーナーが一喝する。他ウマ娘たちの仰天する視線と共に、スペシャルウィークがバックストレッチ側からすっ飛んできたのだった。ハイジが心配で、居ても立っても居られなかったらしい。
そんなスペシャルウィークに驚愕した粟森はとっさに確認をとる。
「スペシャルウィークさん、危ないから次からは気をつけて。それで、あなたのほうは平気?」
「ご、ごめんなさい!それでっ?だっ、大丈夫です、けど……?」
顔にこびり付いたウッドチップの破片を拭いながら、スペシャルウィークは謝罪する。彼女は肩で息をしていたが発汗は適度で、歩様も乱れていない。
ゴール板まで追い切ってから、踵を返して余分に走ってきたというのに、こうしている間にも息が整いつつあった。
「普通にすごっ……」
マヤノが素で驚く。
スペシャルウィークをコースから追い出したトレーナーが、ハイジのもとへと近寄ってきた。
「ハイジ、無茶はするなと言ったはずだが。いや、今回は俺も悪かった。早く気付けなくて済まない」
首筋を手で押さえながら謝罪するトレーナーに、肩で息をしながら横たわっていたハイジは、頭を振って答える。
「いえ……十八は、いけたので、大丈夫だと、意地に、なっちゃって……」
言葉の末尾は震えていた。
「ハイジちゃん、コソ練してたの?」
後輩を非難するように、マヤノが覗き込むようにして問いかける。
ようやく落ち着きを取り戻しつつあったハイジは、まさに意気消沈といった感じでつぶやく。
「ううっ、後輩にボロ負けだよぉ……あたしも朝カレーしたほうがいいかなぁ」
「久しぶりの復帰で勝とうとしたってそれは無茶だよ、ハイジちゃん。ってか朝カレーとか何さ」
ブランクの現実と後輩との実力差に打ちひしがれたハイジ。
ボソッと漏らした、そんなハイジの独り言にマヤノが律儀に反応する。
シリウス一同のもとに、何事かという様子で、バ場保全委員に任命されていたベテランの教官がすっ飛んでくる。
時刻はちょうど7時半を回った所だった。
1.この世界はレースで賞金が出ます。賞金は実際の十分の一の金額にしています。ちょうどいいと思いませんか?そのままだと、うわーん!一介の女学生に対して額面がデカすぎます!
2.ビワハイジ。ビワハイジの2006。あっ、ふーん...(察し)