♂♀コンプレックス! 作:男の娘すこすこのすこここ丸
昼下がり。教室のざわめきが少しずつ遠ざかり、静けさがじわじわと満ちていく中、窓際の一角だけが妙に生活感にあふれていた。
三人で囲んだ机の内、ただ一人椅子に腰掛けていた男子生徒が、ぽつりと独り言のように呟いた。
「なぁ、圭。青春って、何だと思う?」
声の主は青木春人。制服のネクタイはやや緩く、シャツの袖は適当に肘までまくり上げられている。肘を机に突き、頬杖をついたまま、窓の外をぼんやりと見つめていた。
「は? 何って……そりゃあ、恋愛とかじゃねぇの?」
問いかけに答えたのは、隣でスマートフォンをいじっていた相間圭。
光沢のある黒髪を無造作に掻き上げながら、こちらを一瞥もせず、画面をスクロールする指先だけが忙しそうに動いている。
春人と圭は、小学校からのつき合いだ。家も近所で、習い事が被っていたわけでもなく、趣味が一致していたわけでもない。ただ何となく、近くにいた。
気づけば隣にいて、いつの間にか友達になっていた。
そして今、こうして制服を着て同じ教室にいる。
ちなみに、圭には彼女がいる。
どこに出しても恥ずかしくない、正真正銘のリア充だ。
顔立ちは整っていて、話も上手くて、軽薄そうに見えるが根は意外と真面目。
要するに、腹が立つほどいい奴である。
「優、お前はどう思う?」
春人は今度、机の向かいに座っているもう一人の友人に視線を移した。
桜田優。スリムな体つきに、淡い紅茶色の髪。肌は陶器のように白く、まつげが長い。
制服の上にカーディガンを羽織り、魔法瓶のカップに入った紅茶を両手で包み込むようにして飲んでいた。
一見すると、どこからどう見ても女の子………だが、驚くことに、信じられないことに彼は男である。
本人がそう言っているのだから間違いない。多分。おそらく。
「えっ、僕? ……そうだなぁ。友達、とか……?」
優は首をすくめるようにして小さく笑った。
その表情には、どこか照れのようなものが滲んでいた。
繊細な仕草ひとつ取っても、まるで少女のようだ。
だが、春人にとっては“ずっと前からの親友”という認識で、そこに違和感はなかった。……今までは。
この三人。
クラスでは「仲良しトリオ」として有名だった。
特に何かを仕掛けるでもなく、派手な目立ち方もしない。ただ、何となく一緒にいる。
その関係性は、まるで曖昧なバランスの上に成立している芸術作品のようだった。
そんな中———春人はふと、教室内を見渡した。
後列の席では、肩を寄せてイヤホンを分け合うカップルが笑っている。
窓辺では陽キャグループが、お菓子と恋バナを片手に盛り上がっていた。
廊下には、スマホ片手に彼氏らしき男子と通話している女子の姿。
春人は気がつく———リア充だらけじゃねぇか、と。
その瞬間、春人の脳裏に、一筋の電流が走った。
そうして自分でも驚くほどの絶望感がこみ上げる。
気づいたときには、何もかもが崩れていた。
自分の立ち位置、過去の記憶、これまでの青春。
全てが砂上の楼閣だった。
背後からヘラヘラとした様子の圭が震える春人の肩に手を置く。
「まあまあ、安心しろって春人。いくらお前が彼jo——」
———ガンッ
次の瞬間、春人の拳が、圭の顎を真っ直ぐに撃ち抜いた。
鈍い音が響き、圭は大袈裟に机の上へ突っ伏す。
「少し黙ってろ」
淡々とした声で呟き、春人は手の甲を振るって痛みを散らす。
目を閉じ、深く、ゆっくりと息を吸った。
「……俺、彼女できたことない……?」
———そして静かに、敗北を認めたのだった。
◇
午後の授業は、地獄だった。
教室に射し込む陽の光が、黒板に薄い影を落とす。教師の声が響いているはずなのに、言葉の意味がまるで頭に入ってこない。ノートを開いてはいるが、ペンは動かない。手元には、書きかけの“数列”のタイトルだけがポツンと浮いていた。
「俺、彼女いないんじゃね?」という、昼休みに訪れた衝撃が、脳のあらゆる機能を停止させている。
いや、正確に言うなら今日はいつもより起きていた。三分の二寝ていたのが、三分の二起きていた。でもその分、何も聞いていなかった。
つまり、結果的にはいつもと同じ。まったく進歩がない。
しかし、思考の渦だけは止まらない。俺は机に突っ伏す寸前の体勢で、じわじわと脳内の真理に近づいていた。
よくよく考えてみれば、俺の両隣は「超」がつくほどの美形揃いだ。
右には相間圭。雑誌の読者モデルでもおかしくない整った顔立ち。しかも彼女持ち。
左には桜田優。もはや「女の子」と言われたほうが納得できるような、儚く美しい男の娘。
その間にいる俺。
この配置に何度も身を置いてきた結果、いつの間にか自分も同じ土俵に立っていると錯覚していたのかもしれない。
やばい。オセロじゃねぇんだよ、この世界は。黒の隣に白を並べても、白にはならない。
美形二人に挟まれたって、自分が輝くわけじゃない。むしろ“浮いて”いただけだったのかもしれない。
俺は、真っ白なシャツに落ちた一滴のインクのような存在。
違和感の塊だったのだ。
ふと思い出す。優と一緒に歩いていたとき、確かに感じていたあの視線。
あれは、「なんであの子とあの人?」という好奇心の混じった目だったのかもしれない。
俺がイケメンだからじゃない。優が可愛いからだ。俺はただの「添え物」だったのだ。
俺、完璧に現実を忘れていた。
あれだけ輝いていた「理想の自分」は、完全な虚構だったのだ。
「……なあ、優」
俺は隣の席に視線を向ける。静かに、でも確かに、問う。
「俺って、いつも笑われてたのか? お前らの間で」
その言葉に、優は小さく目を見開き、唇を噛むようにしてから、ゆっくりと答える。
「春人は…いつもかっこいいと思う、よ……?」
その頬は、真っ白な肌にポッと浮かぶ紅。
いや、可愛すぎだろ。何なんだその反則フェイスは。
……あれ? お前って、男だよな?
でも、こうして見ると、どこからどう見ても女の子。
いや待て。性別なんて、そんなに大事か? 大事なのは、心じゃないか? 好きになったら、それが全てじゃないのか?
イエス! 男女平等!
イエス! SOGI!
俺の頭の中で、何かが弾けた。完全なる革命前夜だ。
「……ッ、ハッ!」
そうして新たな世界に突入しようとした時、俺はなんとか我に返る。
危ない、今の勢いでプロポーズしちまうところだった。
危うく「結婚を前提にえっちしてください」って口走りそうだった。順番がめちゃくちゃである。
落ち着け……優は男、優は男、優は男……
優は……オトコ……よし、完璧だ。俺、今、めっちゃ冷静。
「ありがとう、優。お前だけだよ、そんなこと言ってくれるのは」
俺の言葉にまるで花が咲いたような笑みを浮かべる彼。
……ちょっと待て。何その笑顔。好きになるだろうが。
優と出会ったときから、思ってたんだよ。
「こいつ、付いてるだけの女の子なんじゃないか?」って。
じゃなきゃ俺の蒸気機関車がここまで暴走するわけない。もう「シュポポポ」どころか「好ここここここぉ」って感じ。
「まあまあ、お前もそのうち彼女できるって。まだ高校生なんだし」
いつの間にか戻ってきていた圭が、俺の背中を軽く叩いてきた。
ハッ、そうだった! 俺はまだ高校生。
焦るには、まだ早い。よし、俺には優がいる。最高の友達がいる。それだけで———
「そういやお前、最近彼女できたんだって?」
「そうなんだよ、めっちゃ可愛くてさ。これで俺もリア充の仲間入りだぜ」
そのとき、後ろの席から響いた幸せそうな会話。
——俺の中で、何かが折れた。
電光掲示板に灯った“希望”の文字が、砕けて粉々に飛び散る。
満塁ホームランだ。逆転サヨナラ負け。心のグラウンドに一発ぶち込まれた。
なんだその幸せそうな顔。極楽から帰ってきたみたいな表情しやがってふざけんなよ。
俺の中に、黒くてドロドロした何かが渦を巻いた。
「別に嫉妬なんてしてないが羨ましいなんて思っていないが彼女がいないと俺が俺でなくなりそうだからちょっと用事ができたちょっとちょっとちょっと———」
「お、落ち着こう?」
優が、俺の腕をそっと掴んでくれた。
その手は、温かくて、細くて、柔らかくて———。
やばい。俺、元気出てきた。
彼女作っちゃうぞー! 超絶可愛い彼女作っちゃうぞー!
だがその瞬間、ふと気づいたことがあった。
「……ってか、どうやって作るんだ、彼女って……?」
女の子と、まともに話したことなんて、母親以外であっただろうか?
……いや、優は除外。可愛すぎる。もはや“可愛い”の福袋。即完売だ。買い手は全俺。
「なあ圭」
「どうした、その話は俺のスマホをゴミ箱にぶち込んだとこと関係あるか?」
「彼女って、どうやって作るんだ?」
「まずは倫理観を構築しような」
「優」
「え? えっと……よしよし?」
包容力。慈愛。胎内回帰。癒される。
俺には優しかいないのか? もう優でいいんじゃないか? いや、優がいい。
「俺には……何が足りないんだ……」
その呟きに、圭が小さく言う。
「そんなに分かんないなら、誰かで練習でもしてみたらどうだ?」
——練習?
俺の彼女、実習生スタートなのか?
「誰か」って誰だよ。女子相手だったら、話す前にゲームセットだぞ。
「いや、だから……いるじゃねぇか」
圭は、俺のすぐ隣に目をやる。その先にいたのは———
「……優?」
優を女の子として見る?
無理だろ。だってこいつ、俺が今まで見てきた誰より可愛くて、優しくて、俺ことを分かってて……女の子じゃねぇか。
「……行ける気がしてきた」
「ええええ!?」
俺は、優の肩を掴み、真正面から見つめる。
「優———」
「ひゃ、ひゃい…!」
そうして息がかかるほどの距離にまで顔を寄せ、一言———
「———俺と、デートしよう」
———教室に、春風が吹いた。
窓のカーテンが揺れ、優の髪がふわりと靡く。
目の前には真っ赤な顔で目を泳がせる優ただ一人。
俺は周囲の雑音など気にも止めず、ただ彼の言葉を待った。
「ふ、不束者、ですが……」
———その声を聞くと同時、チャイムが鳴る。
その音は、まるで俺の青春の始まりを告げる祝福のようでもあった。