天雨カナという存在について   作:BRだんちょ 

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万魔殿VSバカ?

静まり返った風紀委員の教室。カーテンの隙間から差し込む柔らかな日差しの中、アコは無機質なデバイス越しに万魔殿のマコトと電話で会談していた。

 

彼女の表情には緊張の色が浮かびながらも、口調は一貫して冷静だった。

 

「……以上が、来月に予定している戦術訓練の計画案です」

 

机の上に並べられた資料の一枚を指でなぞりながら、アコは静かに説明を終えた。

 

だが──

 

『ふむ……我々、万魔殿が提案した計画が、影も形も無いようだが?』

 

端末越しに聞こえてきたマコトの声には、露骨な不満が滲んでいた。

 

アコは深く息を吸い、努めて柔らかく応じる。

 

「こちらの方が合理的だと判断いたしましたので。この訓練で使用する予算案については既に提出済みです。内容は今回の計画案と照らし合わせても問題ないかと思いますので、そちら側でご確認いただいて、本決定できればと」

 

一拍の沈黙の後、マコトが応じた。

 

『……ああ、そういえば届いていたな。目は通した。確かに問題は無い』

 

その言葉にアコの肩がわずかに緩む。だが──

 

『しかし却下だ』

 

「はい? しかし今、問題ないと……」

 

『ああ、確かに問題はない』

 

淡々と繰り返される言葉に、アコの眉がぴくりと動いた。

 

「ではなぜ……? 何か不備や要望があれば、調整いたしますが?」

 

それでも丁寧に尋ねるアコに対し、マコトの声はふざけたような笑い声を帯びた。

 

『キキキッ……!無駄だ、どう書類を調整したところで、結果は変わらない』

 

「どういうことでしょう?」

 

警戒を強めたアコが問うと、マコトは楽しそうに語り始めた。

 

『仕方ない、説明してやろう。前々から思っていたのだ……風紀委員会の予算周りについては、もっと精査が必要だと。書類がいくら整っていようと、実際には何処で着服されているか、変な使い方をされているかわかったものではない。そうだろう?』

 

その一方的な言い分に、アコのこめかみに冷や汗がにじむ。

 

「っ……! ふぅ……では、どうすれば?」

 

『ちょうどいい機会だ、風紀委員会。仕方ないから我々が会計監査しようではないか』

 

「ちょっ!? 急にそんな……!」

 

アコが動揺を隠せないまま言葉を重ねるが、マコトの口調に容赦はなかった。

 

『仕方あるまい。最近は風紀委員会に色々と怪しい動きがあると聞いているしな?』

 

「っ……!」

 

まるで最初から決めていたような、作られた流れ。

 

『キシシ……!何だ、良い顔ができるじゃないか!何度でも言ってやろう、天雨アコ。万魔殿を出し抜こなど、所詮は無駄な足掻きだとなぁ!』

 

アコは眉をひそめながら、それでも皮肉を交えて切り返した。

 

「本当に困ったタヌキですね……! おっと、お口が滑ってしまいました」

 

『……ま、まぁ良い。精々念入りに、首でも洗って楽しみにしてるがいい!!今度こそ徹底的に思い知らせてくれるわ!キキキキ、キャハハハハハ!!!』

 

そして──

 

プツッ

 

通信が、雑音とともに一方的に切れた。

 

教室の中に、重たい沈黙が流れ込む。

 

「……全く……」フニッ

 

アコは溜息まじりに椅子へ腰を下ろした。が──

 

「ん? 柔らか……?」

 

座面から伝わってきた妙な弾力に、眉をひそめて下を見やる。

 

「アコ、今の相手は誰ですか?」

 

「お、おおおおお姉ちゃん!?!?!?」

 

目の前には、澄ました顔で椅子に座るカナの姿があった。

 

アコは飛び上がって椅子を振り返り、口をぱくぱくと開閉させる。

 

「いつの間にそこに座ってたんですか!? というか……私、さっきまでそこに──」

 

「うん。アコが立ったから、座った」

 

「立ったのは今です! 今ですからね!? さっきまで普通にお姉ちゃんいなかったですよね!?」

 

「いたよ?」

 

「いなかったよ!?!?」

 

あまりにも自然に現れすぎたせいで、アコのツッコミはもはや反射神経に近かった。

 

(まるで……空気のような存在感……いや、存在感がないわけじゃないけど……なんかずるい)

 

そんな混乱の中でもカナは落ち着いていた。首を小さくかしげ、「ふむ」と顎に指を当てる。

 

「それで、今のは誰ですか? あまり良くない顔をしてましたが……」

 

「……ああ。今のは万魔殿の『羽沼マコト』というタヌキです」

 

「タヌキ……? もふもふしてるの?」

 

「いえ、そっちの意味ではなく……まあ風紀委員会を見下している気に入らない方です」

 

アコが若干言葉を濁しながら説明すると、カナは「ふーん」と素直に頷いた。

 

「アコは、その人たちのこと、嫌い?」

 

「え? 嫌いというか……嫌がらせが多すぎてストレス溜まるというか……」

 

アコはふと視線を逸らし、ふぅと息を吐いた。

 

「……まあ正直、疲れます。あの人と話してると」

 

「そっか」

 

その短い返答のあと、カナは机の引き出しをゆっくりと開けた。

 

不穏な気配を察知したアコが身構える。

 

「……?」

 

紙コップと──なぜかカレーのルーの箱を取り出すカナ。

 

「お姉ちゃん、それは何を?」

 

「アコがストレスで疲れてるなら、カレーを飲ませるしかないと思って」

 

「待って待って待って待って!」

 

四連続の制止が教室に響いた。

 

「どうして選択肢が“カレーを飲ませる”しかないんですか?」

 

「他にあります?」

 

「ない方がおかしいでしょ!!」

 

(この人、やっぱり天然というか……ズレてる……)

 

カナは少し残念そうにカレーをしまい、水を差し出す。

 

「……ふぅ。生き返る……やっぱり水ですよ、水」

 

「よかった。やっぱり“飲み物”の方がいいんですね」

 

「最初からそうしてくださいよ……そもそもカレーでストレスが本当に解消されると思ってるんですか?」

 

「ごめん、あまりストレスが溜まってるアコは見たくないから」

 

「な、なんですか急に」

 

「アコはよく頑張ってる。他の誰よりも……?」

 

「なんでそこ疑問形なんです?」

 

「アコのことを見下す連中は……ゴミです」

 

「それ言い切るんですね。変なところで思い切りがいいなこの人」

 

「とにかく、アコは今まで通りで大丈夫。お姉ちゃんがいるから」

 

「……!」

 

そのカナの言葉に、アコの胸の奥で何かがふっと脈打った。

意識の奥底に沈んでいた記憶が、水面に浮かぶようにして蘇る。

 

──10年前。

 

いつも一緒に遊んで、一緒に寝て、一緒に学んでいたあの日。

 

──「怖い夢でも見ちゃった?」

 

布団の中で身体を小さく丸めるアコに、カナは唐突にそう言って背中を撫でてきた。

その手は温かく、でも妙に不器用で。そして優しい。

 

──「大丈夫。お姉ちゃんがいるから」

 

その言葉を、たしかに聞いた気がする。

カナが失踪するその時まで、信じていた。

 

「……本当に……もう……」

 

アコは小さく笑って、テーブルの上にあった書類を一枚、そっと裏返した。

見つからないように──その目の端に滲んだ涙を隠すように。

 

「……その無責任な自信だけは、昔から変わりませんね」

 

「うん。アコのことだけは、絶対に守れるって思ってるから」

 

「まったく……どうしてそんなに……」

 

言葉を途中で飲み込んだアコの指先が、カナの袖をそっと掴んでいた。

自分でも気づかないほど自然に。

だがカナは、何も言わずにその手をただ見つめ、ふっと優しく目を細めた。

 

──あの時と同じだった。

 

ぎこちなくて、ちょっとズレてて、不器用で。

でも確かに、そこにあった“姉の顔”。

 

「……じゃあ……今だけは、少しだけ……頼らせてもらっても、いいですか?」

 

「うん、なんでも言って」

 

「では、明日にでも万魔殿が監査しに来るかもしれないのでお姉ちゃんは問題起こさないようにじっとしててください」

 

「あぁ……頼るってそういう……」

 

カナはどこか納得がいっていないように、少し唇を尖らせて頷いた。

 

「冗談です。お姉ちゃんはいつも通りでもいいです」

 

「いえ、私に考えがあるので、その日だけはじっとしてます。たぶん」

 

「最後の“たぶん”が一番いらないんですよ……!まあ、あまり期待しないでおきます」

 

アコは即座に額に手を当て、重々しいため息をついた。

 

──翌日

 

アコの予想通り、万魔殿から二人の監査役が風紀委員室に出向いてきた。

 

「……というわけで、監査をしに来たよ!せっかくマコト先輩が任せてくれたことだから、『イブキ』頑張るね!」

 

「はぁ……めんどくさ……」

 

万魔殿のイブキとイロハの唐突の来訪。イオリやチナツは何も聞かされてなかったらしく、動揺した様子だった。

 

「訓練が目の前に迫っているこの状況で……!」

 

「ちょっ!アコちゃんこれどういうこと!?よりによって委員長がいない、こんなタイミングで……!」

 

「仕方がなかったんです……!別になにもやましい事はありませんしここでさらけ出しても別に構わないでしょう」

 

「いやでも……」

 

二人が言い争っていると、イロハは面倒くさそうに前に出て二人を制止する。

 

「諦めてください。万魔殿の上層部直々の指示ですので……ん?」

 

イロハがアコの隣に視線を向けると、そこには大人しく座っているカナがいた。

 

(……あんな生徒……風紀委員会にいたっけ……?マコト先輩からも何も聞かされてないけど……)

 

「ねぇイブキ……あの人、名簿に載ってた?」

 

「んー?どの人?」

 

「そこの……ほら。無駄に落ち着き払って、空気を吸うように存在してるあの人。見たことない顔なんだけど」

 

「わかんない☆」

 

「まあそれもそうか……」

 

イロハはため息をついてカナに向き直る。

 

「あなた、見ない顔ですね」

 

すると、カナは静かに立ち上がり、姿勢を正して一礼した。

その所作は丁寧で落ち着いており、血気盛んなゲヘナの生徒とは思えないほどのものだった。

 

「初めまして、天雨カナです。現在は、風紀委員会の臨時補助員として活動しています」

 

「天雨……?もしかして……」

 

「はい。一応私の姉です。最近ゲヘナに転入してきました」

 

アコが横から補足する。

 

「なるほど、そういう事ですか。それで……臨時補助員とは?」

 

「はい。正式な登録にはまだ手続きが必要ですが、風紀委員長、ヒナさんからの許可をいただいております。主な業務は記録整理、日誌のチェック、備品の整備確認などです」

 

カナはまっすぐイロハを見据えて、真剣な表情のまま淡々と答える。

その様子を見ていたイオリとチナツがカナに対し違和感を覚える。

 

「アコちゃん……なんか今日のカナ変じゃない?あんな真面目だったっけ?」

 

「今日のカナさんの性格が全く違う気が……まさかまた頭に強い衝撃を……」

 

「ち、違いますよ……私だってビックリしてるんです。今日のお姉ちゃんが変なのは私が一番驚いてるんですよ……」

 

小声でそんなことを話していると、

イロハはファイルを開いて手元のメモに何かを書き込んだ。

 

「……風紀委員会には勿体ないくらいの優秀そうな方ですね。マコト先輩にも一応報告はしておきます。さて……そろそろ監査を始めましょうか。まずは風紀委員会の本部から見させてもらいます」

 

そういうと、イロハは風紀委員会本部の廊下へ足を運んだ。

 

「廊下に見るところなんてあるのか?」

 

イオリが不思議そうにそう尋ねるが、イロハは廊下の隅々を見て早速メモをとる。

 

「なるほど……万魔殿が配布している新聞、掲示されてませんね。減点です」

 

「はいっ!?」

 

「何それ、知らないんだけど!?」

 

イオリとアコが早速訳の分からない減点のされ方をされて驚愕する。

 

「万魔殿が定期的に配布している新聞は、どの建物の掲示板にも必ず貼られていなくてはなりません。校則で決められています」

 

「そんな校則あったのか!?」

 

「まあ、つい先々月にマコト先輩が発議したばかりの校則ですので、まだ現場には情報が届いていないのかもしれませんが……それでも校則は校則なので」

 

「それはもう暴挙じゃんか!?」

 

「戦術訓練の予算はまず、こちらに割り当てるべきですね。そういう形で──」

 

「あ、イロハさん。新聞ならこちらの掲示板に貼ってあるんです。少し見えずらい位置に掲載していたので今後は気をつけますね」

 

「「「!?」」」

 

カナはイロハの言葉に割りこんで、新聞の貼られた掲示板に案内する。

 

「む……確かに掲示されてますね。見落としがありましたか」

 

(さっきまであんな掲示板あったっけ……?)

 

イロハは自分が歩いてきた廊下にあんな掲示板が置いてあったのか少し疑問に思ったが、減点にする理由が見つからなかったため、仕方なく減点を取り消した。

 

「お姉ちゃん……あんなものいつ用意したんですか?」

 

「アコから話を聞いた時から準備はしてました。嫌がらせが多いという話だったので、間違いなく理不尽な事で予算を削減すると思ってましたから」

 

「お姉ちゃん……」

 

「……何かあった時のために前もって備えるのは当然です」

 

カナは静かにそう言うと、イロハたちの様子を一瞥し、再び落ち着いた様子で後ろに控える。

 

「なんで……こんな時だけ完璧なんですか……!」

 

どこか頼もしさすら感じさせるその背中に、アコはぽつりと呟いた。

 

「……では次です。休憩室に行きましょう」

 

イロハが次の監査をしに、休憩室に向かう。

 

「こちらが普段風紀委員会で使っている休憩室です、が……ここまで調査するんですか?」

 

「そうですね。校則で決められている備品が揃っているか、賞味期限切れのものなどが放置されていないか……そういう部分の調査になります。それらを誤魔化すことで、数値の粉飾に繋げることもできますから」

 

「そういう事でしたらきちんと管理していますから心配ありません!」

 

アコが自信満々にそういうと、イブキが二人の間から飛び出す。

 

「ねえねえ、イロハ先輩」

 

「イブキ?どうかしましたか?」

 

「この休憩室、ココアはないの?」

 

イブキが不満そうにイロハに尋ねる。

 

「なるほど……ありませんね。これは減点です。お客さんに対するおもてなしの準備がなっていません」

 

「「「は!??」」」

 

アコ達がくだらない理由に驚いていると、横からカナがイブキに一杯のココアを差し出した。

 

「ちょうど昨日買い足しておいたんです。好きなだけ飲んでくださいね」

 

(ナイスですお姉ちゃん!!)

(ナイスだカナ!)

(まさかこれも想定済みだったとは!)

 

「わあ!ありがとう☆」

 

カナが差し出したココアを、イブキは 笑顔で受け取る。

 

「なるほど……多少なりとも様々な好みに合わせて品を揃えてはいるんですね。ここはいいでしょう。では次……」

 

その後もイロハは、あの手この手で難癖をつけようとしてきた。だが、カナはそれをすべて想定済みだったかのように、冷静に対応していく。

 

事前に用意された資料の正確さと、カナの的確な受け答えにより、結果として予算に関する減点は一切発生しなかった。

 

「はぁ……はぁ……これは……もうなんかめんどくさいから減点です」

 

イロハは疲れ果てた様子でぐったりと書類をめくるが、それに対してカナは間髪入れずに静かに返す。

 

「こうすることで、めんどくさくなくなります」

 

「……じゃあ減点0です」

 

瞬間、アコたちの脳裏に一斉に疑問の声が浮かぶ。

 

(なんだこのクソみたいな監査……)

 

(というか万魔殿はどんだけ予算削減したいんですか!こんだけ対策されてたら普通帰るでしょ……)

 

(こんなの三時間もやる必要ない気が……)

 

アコは小声でため息をつきつつ、内心で毒を吐いた。イオリもチナツも、すでに疲れ切った表情を浮かべている。

 

しかし──ようやく、終わりの時が訪れた。

 

「……残念ながら、諸々確認した結果、予算削減には至りませんでした……さて、残りは……」

 

イロハが次の話題に移ろうとしたその瞬間──

 

「ふんふん〜るんるん〜♪」

 

どこか気の抜けた鼻歌が、場違いなほど明るく響いた。

 

イブキがスキップしながら教室内を移動していたのだ。

 

「あっ!イブキ!そこ、前っ……!」

 

イロハが慌てて叫ぶが、時すでに遅し。

 

「あっ……!」

 

バランスを崩したイブキは、机の脚に躓き、派手に床に倒れ込んでしまった。

 

「イブキ!!」

 

イロハの顔が真っ青になり、咄嗟に駆け寄る。その動きには、監査官とは思えないほどの焦りと心配が滲んでいた。

 

「い、痛い……うぅ……」

 

床に座り込んだまま、イブキは涙目でしゃくりあげている。

 

「なんか今、ものすごい派手に転んだけど……大丈夫か?」

 

イオリが近づきながら、不安そうに様子をうかがう。

 

「ひぐっ、うぅ……ぐすっ……な、泣かないもん……大丈夫……」

 

強がるように口では言うが、目には大粒の涙が浮かんでいた。

 

その姿を見た瞬間、イロハの顔から完全に血の気が引く。

そして──数秒の静寂のあと、表情が急変した。

 

「……来年度の予算はゼロですね」

 

「はあ!?!?!?!?」

 

教室内が凍りついた。

 

「なんで!?どうして!?」

 

アコが声を荒げて詰め寄る。

 

「イブキを泣かせたから」

 

「もう無茶苦茶ってレベルじゃないぞ!?理屈通ってないにもほどがあるだろ!」

 

「イブキを泣かせるなんて、許しません」

 

イロハは真剣そのものであり、もはや冗談ですらなかった。

 

「ちょっと流石に──んぐっ!?」

 

アコが言葉を継ごうとしたとき、カナがそっと手を差し伸べ、アコの口元を押さえた。

 

その仕草は優しく、だが確かな意図があった。

 

「イロハさん。今ので予算が0は、あんまりではありませんか?」

 

声は柔らかく、それでいて芯のあるものだった。

 

「確かに、こちらにも落ち度はありましたが──それは監査とは関係ないはずです」

 

カナはイロハの目をしっかりと見据える。静かで、けれど凛とした言葉。その眼差しの奥には、怒りと悔しさが燃えていた。

 

「私たちが来ると知っていたのですから、あらかじめ片づけることはできたはずです。それにもし、イブキがこうして怪我をしたことが、マコト先輩に知られたら……来年度の予算案どうこうではありません。……これくらいで済んで良かったと思ってください」

 

言葉の最後に込められたのは、警告ともとれる静かな圧だった。

 

──その時だった。

 

イロハの持つ端末から、耳障りな笑い声が響いた。

 

『キキッ、キャハハハハハ!よくやったぞイロハ!素晴らしい!』

 

その声は──羽沼マコト。

 

いつもながらの品のない笑い声が、風紀委員会の空気を一気に冷やす。

 

『これでわかっただろう、アコ行政官?万魔殿が本気を出したらどうなるのか!』

 

「くっ……!」

 

アコが歯を噛みしめ、拳を握る。

 

『そろそろ無意味な抵抗はやめて、理解したらどうだ?お前たち風紀委員会なんか、我々万魔殿の下っ端に過ぎないのだということを!』

 

「……っ」

 

悔しさと怒りが、全員の胸に渦巻く。

だが誰も、言い返せない。誰もが、万魔殿の理不尽さに膝を折りかけていた。

 

──だが、その時だった。

 

「それが……あなた達のやり方ですか」

 

まるで空気を切り裂くような、静かな声が教室に響いた。

 

『キキッ!ん?なんだお前は』

 

カナの声は、静かだった。

だがその響きには、張りつめた糸のような緊張感があった。

 

「それが、あなた方“万魔殿”の正義だと……そう言い切れるんですか?」

 

イロハも、イブキも。

イオリも、チナツも。

アコも。

 

その場にいた全員の視線が、カナに集まる。

 

「権限があるから命令できる? 立場が上だから正しい?それで通るなら、この世界に“正義”なんて要りませんね」

 

『……何が言いたい?』

 

「あなた達は“予算を削れば”問題が解決するとお考えなんですよね?まあ、“表向きは”……ですけど」

 

『なに……?』

 

カナの言葉はまるでマコトの裏をかくように、淡々と紡がれていく。

 

「では、仮にこの委員会が消えた後に暴力事件が増えたら、その責任もあなたたちが取るんですね?」

 

『は?』

 

カナの声は静かだった。だが、その言葉の一つひとつは、確かにマコトの喉元へと突き刺さる刃のように鋭い。

 

「この委員会が消えれば、間違いなく抑止力は消える。万魔殿がどれだけ人員を割こうと、それを“防ぐ能力”までは持っていない。違いますか?」

 

『……』

 

「もし、あなたの指示でそれが崩れたとなれば──“後始末”では済まなくなります。あなたの立場そのものが問われる。あまりにもわかりやすい、判断ミスとして」

 

マコトは黙ったまま、返答しない。

その沈黙こそが──図星だった証だった。

 

「“見えなかったから切った”なんて言い訳、歴史の中では“最悪の判断”って呼ばれるんですよ」

 

マコトの沈黙は、もはや“言葉を失った”というより、“追い詰められている”という印象すら与えた。

 

端末越しの通信口からは、一切の音がしない。

あの耳障りな高笑いも、軽薄な調子も、もうどこにもなかった。

 

「風紀委員会の“解体”が目的じゃなくて、“牽制”や“示威”が目的だったなら、今すぐにでも方向転換した方がいいです。……その程度の計算もできないほど、馬鹿じゃないと信じてますので」

 

通信越しの空気が、凍りついたように沈黙する。

 

その場にいた誰もが、呼吸を忘れていた。

 

あまりに直球で、あまりに的確。

言葉の裏に何もない、純粋な“理”だけがマコトを射抜いた。

 

『…………』

 

沈黙のまま、通信端末の先で何かが動く音が微かに響いた。

 

──そして。

 

『……お前……名前は?』

 

ようやく漏れ出たマコトの声は、先ほどまでの高圧的なそれではなかった。

低く、感情を抑えた響き。だが、その底には興味と、警戒と、そして……確かな苛立ちが混ざっていた。

 

「……天雨カナです」

 

カナは視線を逸らさず、真っすぐに名乗る。

その声音に迷いはなかった。

 

『……そうか。覚えておこう。イロハ、イブキ。引き上げろ』

 

「えっ、いいんですか?」

 

「マコト先輩、本当にいいの?」

 

『ああ。今回の件は一旦保留にしてやる。予算は再審議に回す。……だが、油断はするなよ、風紀委員会……そして、天雨カナ』

 

──そこで通信が切れた。

 

「……終わった……のか?」

 

イオリがぽつりと呟く。

 

誰もが信じられなかった。あの万魔殿のマコトが、何の強硬手段も使わずに引き下がったことが。

 

「まさか、あのタヌキが“保留”なんて言葉を使うとは……」

 

チナツの表情にはまだ警戒の色が残っていたが、それでも安堵のため息が漏れていた。

 

「……行きましょう、イブキ」

 

「う、うん」

 

イブキはまだ涙の跡をぬぐいながら、ぺこりと頭を下げ、イロハは無言のまま端末を閉じ、静かに立ち上がった。

 

「ってことですので、私たちは失礼します。予算削減の件は保留ということで。でも、マコト先輩はそう簡単に引き下がらないと思うんで、まあ一応注意だけしておいてください」

 

「バイバーイ☆」

 

二人は頭を下げると、踵を返して静かに去っていった。

 

「……ふぅ。やっと帰った……」

 

イオリが背伸びをしながら天井を仰ぐ。

 

「……今回はカナのお手柄だったな!」

 

「そうですね、見直しましたよカナさん」

 

イオリとチナツが安堵する中、アコはそっと隣にいるカナを見る。

 

「かっこよかったですよ、お姉ちゃん」

 

「……でも、結局じっとしていることができませんでした」

 

「何言ってるんですか。お姉ちゃんがいたから予算は削減されずに済んだんですよ」

 

「風紀委員会のことをバカにされたからつい……」

 

「私たちのために怒ってくれたんですよね。分かってますから」

 

「……」

 

すると、不在だったヒナが風紀委員室の扉を静かに開けて入ってきた。

 

カツン、と硬質なブーツの音が床を打つ。

 

「……なるほど。騒がしかったと思ったら、そういうことだったのね」

 

その声は低く抑えられていたが、言葉の端々に微かな怒気と──わずかな安堵が混ざっていた。

 

「委員長……!」

 

アコが立ち上がり、驚いたように駆け寄る。イオリもチナツも、思わず背筋を伸ばした。

 

ヒナはゆっくりと視線をカナへ向ける。

 

「カナ、今回は……私の変わりに風紀委員会を守ってくれたのね。ありがとう」

 

「……いえ。じっとしてるという命令を破ってしまいました……」

 

カナはまっすぐにヒナを見て、少しだけ肩をすくめるようにして答えた。

 

だがヒナは──わずかに目を細めて、表情を和らげた。

 

「命令なんて、必要なときに守ればいいのよ。風紀委員というのは、そういうもの。理不尽に立ち向かう覚悟がなきゃ、務まらない」

 

「……」

 

「あなたは今日、それを示してくれた。……堂々と胸を張りなさい」

 

カナの瞳に、わずかな揺らぎが灯った。

 

まるで長い時間をかけて、ようやく言葉として認められたような──

そんな、遠い温もりに似た感覚だった。

 

「……ありがとうございます。ヒナさん」

 

そう返した声には、いつもの軽薄さも、ふざけた色もなかった。

 

ヒナは静かに頷くと、振り返りざまに一言だけ言い残して部屋を出ていった。

 

「……風紀委員会は、今日もよくやったわ」

 

扉が閉まり、残された空気には微かな達成感と、

それを噛み締めるような静けさが漂っていた。

 

アコはそっと、カナの隣に立つ。

 

「……なんだか、ちゃんと“お姉ちゃん”してましたね」

 

「それ、褒めてます?」

 

「もちろん。……少しだけ、ですけど」

 

カナは小さく息をついて、目を細める。

 

「ふふ……カレー……飲みます?」

 

「調子乗らないでください」

 

──日が傾き、風紀委員室の窓から差し込む夕陽が、二人の影をやさしく照らしていた。

その影は、どこか寄り添うように、少しだけ重なっていた。

今後はどんな話がみたい?

  • ブルアカ本編のストーリーに介入
  • ギャグ路線で暴走
  • アコとカナの百合展開
  • カナの空白の10年間
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