ヒナさんクソザコナメクジ説
カナの痛すぎる厨二病小説によって、追っ手は全員──羞恥心により沈黙した。
正確には、地面に崩れ落ち、顔を赤く染め、痙攣しながら気を失っていた。
「……ふっ。我ながら恐ろしい才能です」
得意げなカナの呟きに、先生は本気の声で釘を刺す。
「その小説、絶対アコには見せちゃダメだからね?」
その言葉には冗談のニュアンスは一切なかった。むしろマジのやつだった。命に関わるレベルで。
「えっ、なぜです?」
「心が持たないから。読んだらたぶん、精神壊れる」
「この聖書が?」
「どこが聖書!? ていうか……あれ何万字書いたの……?」
「およそ……七十八万六千四百二十一文字です」
「一晩で!?」
先生が絶句している横で、気絶した追っ手のひとりが、微かに痙攣しながら震える唇で呟いた。
「……“漆黒の螺旋に堕ちし絶望の従者”……ぐふっ……」
──もはや呪いだった。
「これもう規制されるべきでしょ。人権侵害の一種だよ……」
「ふふ……その通りです、先生。“人類に理解されぬ叡智”──それが私」
「なんかもう“人間やめます”みたいなノリで言うのやめて……」
先生は疲労混じりに頭を抱え、現実から目を背けたくなっていたが、カナは容赦なく話を進めた。
「さ、先生。今のうちですよ。さっさと“誤解だった”と投稿してください。そうすれば、余程の馬鹿じゃない限り、もう追って来ないはずです」
「……分かってるよ……!」
慌ててタブレットを取り出し、先生はすばやく指を動かす。
ポチポチ……
⸻
【ご報告】
現在拡散中の「ゲヘナの生徒と交際中」という情報についてですが、完全な誤解です。
あれはたまたま同席しただけで、私たちは付き合っていません!
あとパフェは美味しかったけど、二人用メニューだったことに気づいたのは後からです。
以上、本当に誤解だけはやめてください。命がいくつあっても足りません。
⸻
「……送信、と」
先生はそっとタブレットを閉じ、深く長いため息をついた。
「……ふぅ。投稿も済んだし、これで大丈夫……だよね?」
SNSにはすでに賛否両論のコメントが飛び交い始めていた。中には騒ぎを面白がる者や、憶測を広げる者もいたが、「誤解だった」という事実は、確かに伝わっているようだった。
少なくとも、物陰から殺気を帯びて覗くような気配は──今のところ──感じられない。
「……これでようやく……終わった……」
安心したのも束の間。カナのスマホが震えた。
プルル……
「あ、アコからですね」
ポチッ
『あ、お姉ちゃん。例の件なんですけど……ヒナ委員長の誤解も解けたみたいで、もう大丈夫です!』
スピーカー越しの声は、明るくもどこか容赦がなかった。
「そうですか。ありがとうございます」
『まあ、騒ぎを起こしたお姉ちゃんには、後で始末書書いてもらうので覚悟してくださいね』
「…………」
『都合悪くなった途端に黙り込むの、やめてください。それでは、風紀委員室で待ってますからね』
プツッ、ツーツー……
「……始末書……」
「……ま、地味に一番怖い罰だね。アコの始末書って」
「なんか嬉しそうですね先生?そんなに始末書を書かされるのが面白いですか?」
「いやいやいや違う!!私もアコにはけっこう書かされてるから!!」
焦って否定する先生に、カナは薄く笑ってみせた。
「ま……いいでしょう。今日のところは生かしておいてあげます。また会いましょう、先生」
「最後まで物騒だねキミ……」
そう言うとカナは背を向け、さっさとその場を後にした。彼女の後ろ姿は、どこか気楽そうで、それでいてどこか──寂しげにも見えた。
──静けさが戻った夕暮れの通り。
「……ほんと、不思議だな、あの子は」
先生はぽつりと呟き、肩の力を抜くようにして深く息をついた。街灯が灯り始める中、彼はゆっくりと歩き出す。
どこかホッとしていた。
ひとつの騒動が終わったこと。
アコやヒナの誤解も解けたこと。
そして、カナが“普通に”帰っていったこと。
──だが、その“普通”は、長くは続かなかった。
先生がシャーレへの帰路を歩いていたときだった。ふと人気のない路地を横切ろうとした──
「……お久しぶりです、先生」
どこか湿ったような、静かな声が、背後から這い上がるように響いた。
先生は足を止め、振り返る。そこには、音もなく立つひとりの男の姿。
「……黒服……?」
全身を黒いスーツで包み、サングラスすらつけていないのに、どこまでも無表情。その存在感はまるで、空間の“穴”のようだった。
「またお前か……。今度は何の用だ? ゲマトリア」
重く口を開いた先生の声に、黒服は淡々と返す。
「単刀直入にお聞きします。……天雨カナという生徒と接触し、どう思いましたか?」
「どうって……?」
先生は思わず眉をひそめる。
「ただの厨二病をこじらせた、ヤバい生徒だとしか思わなかったよ」
「……そうですか」
黒服はわずかに顎を引いた。
「なぜそんなことを聞くんだ」
「先生は……天雨カナが、“外の世界”から来たということをご存知ですか?」
その言葉に、空気が一変した。
「……っ!?」
思わず息を飲んだ先生に、黒服は微動だにせず言葉を重ねる。
「天雨カナ。数ヶ月前に突然ゲヘナに転校してきた生徒。……我々、ゲマトリアは、彼女の出生情報を独自に調査しました。ですが──記録がありませんでした」
「記録がない……?」
「戸籍はあります。だが、それは“完璧すぎる”のです」
「……どういうことだ?」
「血液型、既往歴、ワクチン接種、学歴。すべてが揃っている。あまりにも緻密で、破綻がない。……あまりにも完璧な書類は、それだけで“偽物”だと証明しているようなものです」
先生の心に、ひとつの言葉が浮かぶ。
「──偽造……なのか?」
「はい。“超高度な偽造工作”です。仮にこれが人為的なものだとすれば、国家レベル、もしくはそれ以上の改竄技術。あるいは──人間の手によるものではない可能性もあります」
「……じゃあ、カナは……何者なんだ?」
「それを我々も調査してきました。しかし、彼女の行動パターンには、“人間”の枠を逸脱した兆候が多すぎる。観測不能な要素も多く、我々は現在、彼女を**“観測対象X”**と分類しています」
先生は、無意識のうちに唾を飲み込む。
「観測対象……?」
「そして最近、彼女の中に副人格の兆候が現れ始めています。これは非常に危険なサインです」
「副人格……?」
脳裏に蘇る、あのときのカナの目。
茶化した態度が一変し、冷徹で、見下すような“何か”に切り替わったあの瞬間。
「あなたも、見たはずです。天雨カナには明らかに“切り替わる瞬間”がある。普段はふざけてばかりの彼女が……ある時だけ、まるで別人のように静かで冷たい」
先生は、ただ黙って聞くしかなかった。
「これは“人格分裂”ではありません。より本質的な、精神構造そのものの乖離。彼女は多重人格者です」
──ふざけてばかりのカナ。
──そして、もうひとつの“冷酷なカナ”。
「……多重人格だとしても……なぜ、ゲマトリアがわざわざ彼女を監視してるんだ? 力があるわけでもない。ただの生徒じゃ……」
言いかけた先生の言葉を、黒服が静かに遮る。
「──彼女の過去に、重大な“異常”があるのです」
「……異常?」
「はい。……10年前、天雨カナは“失踪”しています」
「失踪……?」
「戸籍上から、突然、姿を消しました。天雨アコすら行方を知らず、当時通っていた学校も報告は受けていない。……正確には、7歳の時点で、存在が“空白”になっているのです」
「空白……だと……?」
「その“空白”の10年間を辿った末端に、ひとつだけ痕跡がありました」
黒服は一歩、先生に近づいた。
「──“外の世界”の軍事施設に、彼女らしき人物がいた形跡があるのです」
─────────
「あああああああああああ!これ後何枚書けばいいんですか!??」
悲鳴のような叫びが風紀委員室に響き渡る。窓の外では夕日が落ちかけ、日中の喧噪が嘘のように静まり返っていた。
「500枚」
無慈悲な数字が、ヒナの口から淡々と告げられる。
「鬼!!悪魔!!ちっぱi──」
「……何か言った?」
ヒナの目が細くなると同時に、カナの背筋がぴんと伸びた。
「いえ、何も!」
机にうずくまりながらも、カナは震える手でペンを走らせる。始末書。罰。制裁。──そして、これがいつもの日常。
「なんでそんなに怒ってるんですか!?私、ヒナさんには今回何もしてないじゃないですか!!」
悲鳴混じりに訴えるカナの前で、ヒナは腕を組んで静かに問いかけた。
「……ねえカナ。あなた、普段の風紀委員の活動、ふざけてやってる?」
「はい? いつも真面目にやってるじゃないですか!」
「……真面目に……? 本当に?」
ヒナの声には、呆れとも怒りともつかぬ疲れがにじんでいた。
「じゃあ今日できたことも、普段からできるはずよね?」
「はい? 今日できたこと?」
「……あの小石を弾いて、私の意識を逸らして突破したこと。あれ、普段からできるはずよね?」
「いえっ!! あれは……! た、タマタマタマ……でして!」
「タマが一個多いわよ?」
焦ったように否定するカナ。しかし、その語尾の弱さが嘘を語っていた。
ヒナの視線が鋭くなる。
「……あんた、何か隠してるでしょ?」
「だから、何も──!」
「そうじゃなきゃ、私が突破されるなんてありえないはずよ?」
その一言に、カナは苦笑いを浮かべながらごまかした。
「……あれは、ヒナさんが冷静さを失っていたからでして……」
「だとしても、でしょ。」
「はぁ……わかりましたよ。じゃあこう言えばいいんですね?」
ペンを置き、カナは自嘲気味に息をついた。
「今日のヒナさんは先生の件で興奮していて冷静さを失っていたので、ゲヘナ最弱の私でも突破できました! ヒナさんはクソザコナメクジで──」
ドン!!
その瞬間、音を立てて机が持ち上がり、カナの顔面にめり込んだ。
「ぎゃぶぇっ!?!?」
木の軋む音と悲鳴が重なり、室内の空気が一気に緊張感を帯びる。
ヒナは無表情のまま、カナの襟をぐっと掴み寄せた。
「……人をナメるにも、限度があるって……教えてやろうかしら?」
「ちょっ……ご、ごめっ、いまのは言葉のアヤというかその!!ジョークの一環でしてぇ!!」
「“ヒナさんはクソザコナメクジ”って、アヤもジョークもなくストレートに侮辱してるだけじゃない」
「文面だけ見ると!? でもこういうのは文脈で見るべきなんですよ、文脈で!! あと体調とか!」
「……へえ、じゃあ体調が万全なら私に勝てるってことね?」
「勝てるとは言ってません!!命乞いをしているのです!!助けてください!!風紀ィィィィィ!!」
「風紀委員が風紀委員に助け求めてどうすんのよ……」
⸻
そのとき、勢いよく扉が開いた。
「ちょっと!! またお姉ちゃん風紀委員室で暴れてるって聞いたんですけど!!!」
アコが飛び込んできて、騒がしい空気がさらに膨れ上がった。
「アコォォ!!助けてアコォォ!!!ヒナさんがぁあ!!」
「絶対お姉ちゃんがまた煽っただけですよね?」
「いや全然」
「ちょっとは悪びれろよお前」
カナはすっと視線を逸らしながら、口元だけで言い訳を続ける。
「……あれは全体の流れを見ればただの冗談というか、深い意味はなくてですね──」
「“ヒナさんはクソザコナメクジ”に深い意味があるケースなんてあるの?」
「……ナメクジにも尊厳はあるよ?」
「じゃあそれに“クソザコ”ってつける意味よ」
「強くなりたいナメクジの成長物語的な──?」
「やめてください、ナメクジの名誉のためにもやめてください」
ヒナは黙って机に額を乗せ、ひとつ長く、深い溜息をついた。
「……もういい、疲れたから今日は帰る」
「えっ、もう? まだ始末書3枚目ですよ?」
「その3枚目も落書きだったからね」
椅子を立ち上がり、ヒナはカツカツと足音を立てて玄関へと向かう。その背に、静かな怒りと諦めが滲んでいた。
「……もう好きにして。どうせまたアコが尻拭いするでしょ」
「えっ」
その一言に、アコとカナの視線が交差する。
無言のまま見つめ合うふたり。張り詰めたような、どこか気まずい沈黙が流れた。
ヒナは靴を履き、扉の取っ手に手をかける。
「まったく……風紀委員って、もっと堅実で落ち着いた仕事のはずだったのに……」
「お疲れ様でーす!また明日も“怒髪天Ver.”でお会いしましょう!」
「うるさいわよ」
バタン……
扉が閉まった。
──静寂。
にわかに騒がしさを失った風紀委員室には、夕暮れの光だけが差し込んでいた。
カナはペンを置き、机に頬杖をつき、独り言のように呟く。
「……いやぁ、今日も平和だったねぇ……」
「どのあたりが!?お姉ちゃんのせいで風紀委員会の評判がガタ落ちです!」
アコの怒声が、空気を切り裂いた。
「なぜ?」
「言わなきゃ分からないんですか!? 問題ばかり起こすからですよ! 万魔殿のタヌキも最近それでヒナ委員長とかに当たりが強いんですよ!!」
「はあ」
「はあってなんですか! 万魔殿とそれなりにやりとりしてるお姉ちゃんなら、風紀委員会がどういうふうに思われてるか分かってますよね?」
「はい。舐められてます」
「舐められてますじゃないですよ!! あんたのせいですよ!!」
「はい」
「いいですか!! 今度タヌキに会った時に言っといてください! 『ヒナ委員長を舐めないでください』って! ほら、復唱して!」
「ヒナ委員長の舐めてください」
「舐めてくださいじゃないですよ! どこ舐めんですか!」
もうすぐ夕焼けがゲヘナの空を染める頃。
今日もまた、風紀委員室には怒声と困惑と意味不明が渦巻いていた。
──秩序とは、かくも儚く、かくも賑やかである。
そして明日も、カナはきっと懲りずに風紀を乱す。
風紀の名のもとに。
今後はどんな話がみたい?
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ブルアカ本編のストーリーに介入
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ギャグ路線で暴走
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アコとカナの百合展開
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カナの空白の10年間