───ドリンクバー横、奥のカウンター前。
氷の音がカランと静かに響く。
夏の気配が残る店内で、アコは一言も発さず、ヒナのコップに麦茶を注いでいた。動作に無駄はなく、背筋の通った姿勢はどこか凛としている。
「……はい、どうぞ。委員長の分です」
差し出されたグラスに、ヒナはそっと手を添える。
「ありがと……ほんと、さっきは助かったわ」
そう言って、気が抜けたようにアコの肩へ体を預けた。
かすかに汗ばむその肩は、なぜだかとても頼もしく感じられた。
(ああ、なんて頼れるんだろう……)
そんな感慨にふけるヒナを、少し離れたテーブルから鋭く見つめる視線があった。
「“ワールドクラスのDF”……ッ」
静かに、しかし確かな憎悪をにじませて、カナが歯ぎしりを漏らす。口元は笑っているが、目は笑っていない。
(なぜですか。なぜここまで完璧に阻止され続けるのですか……)
《作戦履歴:再確認中》
・海辺スカートバースト作戦:アコによるガード → 失敗
・割り箸床ダイブ作戦:アコによる誘導 → 失敗
・飲み物コーナー孤立作戦:アコによる同行 → 失敗
(まるでアコが、すべてを見越して動いているような……いや、それ以上に……)
額に浮かぶ青筋を押さえながら、カナは自分の思考を言語化する。
《考察結果:アコ=天性のエロガード》
《対エロ構造崩壊スキル発動中》
(……このままじゃ、ゴールは奪えない……!!)
カナの脳裏に、想像上のスコアボードが浮かぶ。スコアはゼロ。敗北寸前だ。
そして一つの結論に辿り着く。
(こうなれば……協力者が必要!!)
その時だった。
「カナ? さっきからどうしたんだ?」
何気ない調子でイオリが声をかけてくる。
その瞬間、カナはビクッと肩を揺らし、反射的にイオリとチナツの手を掴んだ。
「カナさん?」
「なんだよ。手なんか握って」
二人とも戸惑いを隠せない。
「少し……お手洗いまで同行してもらっていいですか……」
カナの声は妙に真剣で、かえって怪しい。
「カナ、まさかお前……!」
イオリが目を見開いた。
「漏らし──」
「違います。断じて違います。連れションです」
「それ言っていいの男子だけだ!!」
「すみません先生、少しお手洗いに行ってきますね」
「ああ、行ってらっしゃい」
先生に声をかけ、自然を装ってその場を離れる三人。
だが向かったのはトイレの個室ではなく、そのすぐ外にある小さな休憩スペースだった。誰の目にも止まらぬよう、物陰に身を隠すようにして三人は顔を寄せ合う。
「……で、話ってなに? なんかただ事じゃない感じだけど」
イオリが腕を組み、真剣な眼差しでカナを見据える。
チナツも、心配そうにカナの表情を覗き込んだ。
カナは一呼吸置いて、ふぅ……と深く息を吐いた。
そして、まるで国家機密でも打ち明けるような、重々しい口調で切り出す。
「……委員長、ヒナさんは今、先生に対して……“そういう感情”を抱いています」
「…………」
「…………」
イオリとチナツの視線が、同時にカナへと注がれた。
「“そういう感情”って……」
イオリが眉をひそめながら問い返す。
「つまり……恋?」
「Yes。L・O・V・Eです」
得意げに両手でアルファベットを綴るカナ。だがその発音に、イオリはあからさまな嫌悪感を浮かべた。
「……発音がなんかむかつくな」
「えっ、本当に? あの委員長が?」
チナツは目を丸くしながら、半信半疑で首を傾げる。
「普段の態度からは、まったく想像できないですね……」
「それが、ギャップというやつです」
カナはしたり顔で頷いた。
「分かりやすい例で言えば、完璧主義の女性が部屋だけは汚いみたいな——」
「例えのクセが強いよ」
思わずイオリがツッコミを入れる。
「とにかく今は、ヒナさんがその感情に“気づいていないフリ”をしている段階です。ツンです。デレは寝ています」
「ほーん……」
イオリが口元を歪めた。呆れているのか、面白がっているのかは読めない。
「それで、カナ。お前は何がしたいわけ?」
「協力してほしいんです」
カナは真剣な表情で二人を見つめた。
「ヒナさんが先生に想いを伝えられるように、私たちで後押しを——」
その言葉に、イオリとチナツは一瞬ぽかんとした顔を見せた。
「……意外とまともな理由だったな」
「へぇ……カナさんって、そういうの応援するタイプなんですね」
「はい。純粋に、二人が結ばれることを願っているんです。ええ、純粋に」
にっこりと微笑むカナ。しかし——
(……そしてその瞬間、スカートがひらりと舞えばベストショットが完成するはず──いや、応援です。あくまで応援です)
「……なんか企んでる?」
イオリがじと目を向けた。
「いえ、そういうことではないのですが……」
カナは目を逸らしつつも、言葉を続ける。
「ただ、何故かアコが邪魔をしてくるんです。ヒナさんがあと一歩踏み出せそうな場面で、毎回的確に阻止される……」
イオリは顎に手を当てて、考え込む。
「つまり、アコちゃんがヒナ委員長と先生の距離を“無意識に”ガードしてると」
「そうです。それも、まるで意図しているかのようにタイミングが完璧で……これはもう“天然の妨害フィールド”としか思えません」
「確かに、行政官はヒナ委員長のことになると……本人は全然悪気なくやってる感じで……」
チナツも腕を組みながら、しみじみと頷いた。
「で? 具体的に私たちは何をすればいいの?」
「はい。私が考えているのは——」
カナはピッと指を三本立てた。
「作戦名:《アコ・フラグ・ディストラクション》」
「いきなり厨二病みたいなネーミングきたな」
「私がなんとかしてチャンスを作ります。その間に、二人にはアコの注意をそらしていただきたい」
「そういうことなら、まあ……」
イオリは軽く肩をすくめる。
「やるだけやってみましょうか」
チナツも同意の微笑を浮かべた。
「……頼みましたよ」
カナは小さくガッツポーズを決めた。
───それから約10分後。
ヒナとアコは席に戻り、まったりと食後のデザートをつついていた。アイスのスプーンがカチカチと器に当たり、静かな午後の空気が広がる。
その中で、カナは静かに立ち上がると、何気ない素振りでヒナの隣に腰を下ろした。
「……」
「……」
一瞬、気まずい沈黙が流れる。
ヒナは警戒した視線をカナへと向けたが、カナはどこ吹く風といった顔で箸を動かしていた。
「で、何を企んでるわけ?」
ヒナが低い声で切り出す。
「ん?」
「とぼけないで。どうせまた何かやらかす気でしょ」
カナは一瞬だけ箸を止めたが、またすぐに食べ始めた。
「……根拠は?」
「さっきからずっと顔がうるさい」
「ふふ、私が注目しているのはヒナさんではなく、“心の隙間”ですから」
「もっと悪質だったわ」
ヒナは眉間を押さえながら、深いため息をつく。
「いい? 私が何を抱えてるかはさておき……余計なことはしないで。マジで。今日は静かに終わらせたいの」
「ふむふむ」
「聞いてない顔すんな」
「なるほど……」
「やめろって言ってるの。あとその“なるほど”って言ってる時、全然理解してないでしょ」
「……OK、ストライカー。勝つって事ですね」
「え、本当に何言ってるの」
───レジ前。会計を終え、いよいよ外へ出るタイミング。
自動ドアが開くと、潮の香りを含んだ涼やかな海風がふわりと吹き抜けた。
「ふぅ〜……やっぱり、海沿いって気持ちいいわね」
ヒナが軽く髪を押さえながら、満足そうに伸びをする。そのしぐさは、どこか無防備で……風のせいか、スカートの裾がふわりと揺れた。
すかさず、そのすぐ後ろを歩いていたアコが一歩踏み出し、さりげなくスカートの端に手を添えて風をガードする。
「……はい、また吹きました。風強いので注意してください、委員長」
「え……あ、ありがと……」
「そろそろ慣れてください」
「うっ……」
ヒナは照れたように頬を赤らめ、少し視線を逸らした。
その光景を少し離れた場所から眺めていたカナは、もはや震えるほどの戦慄を覚えていた。
(……なんだあの反応速度は。風の読み、体の角度、タイミング……まるで“センサー”のよう)
まるで熟練のプロ選手が、完璧な守備をしているかのような防御力だった。
《ログ解析:アコの防御率100%》
(もはや“最終防壁”。このままでは一生、スカートの中の真実には辿り着けない……!)
しかし、カナは諦めていなかった。
いや、ここからが本番だと確信していた。
(──最後の砦を崩すには、連携しかない)
そのとき、ふいにイオリがふらりとヒナたちの近くへ歩み寄ってくる。
「先生、ちょっと今の会計の明細なんだけど……」
「ん?」
先生が振り向いた、その瞬間——。
「アコ行政官、少しだけ相談がありまして」
後方からチナツが声をかけた。手にはなぜか書類の束。
「え? なんですか?」
「その……来月の戦術訓練の資料なんですが……この部分に訂正が……」
「ん? あ、本当ですね。これはこうして……」
アコの意識が書類へ向いた。
(よし……!)
《パス①:チナツによる“情報偽装”成功》
《パス②:イオリによる“意識分散”成功》
すべてが整った。タイミングは今しかない——!
(読めた……ここしかない……!)
ヒナが何気なくスカートに手を添える——その“前”に。
カナは、背後から静かに、だが確実に一歩を踏み出した。まるで手刀を抜くかのように、スッと手を伸ばす。
(パズルは揃った……!)
《ブロック:アコ不在》
《注意:先生とヒナの視線は外》
《風速:理想値》
《作戦名:ゼロ距離フリップ・シュート》
指先はあと30cm、いや20cm。届く、届く……!
その時だった。
「やっぱり……チナツを私にマークさせたのは……あなただったんですね? お姉ちゃん」
その言葉が、空気を切り裂いた。
カナの手がピタリと空中で止まる。ぎこちなく首を回すと、そこには、すでに戻ってきていたアコの姿があった。
青色の髪が風に揺れ、鋭く細められた目だけが“それ”を語っていた。
──妹ではない。“DF”の顔だった。
(な、なんで……!? イオリさんとチナツさんの連携は完璧だったはず……!)
脳内に警報が鳴り響く。
《ERROR──連携パス消失》
《ERROR──風向き解析データ消失》
《ERROR──DF再出現:アコ》
(まさか……読まれていた!?)
視界がぐにゃりとゆがみ、さっきまで完璧だった“戦術ボード”が音を立てて崩れていく。
ガラスのように割れて散る中に、アコの笑顔だけが鮮明に残った。
「お姉ちゃん如きに見える世界が……私に見えないとでも思いましたか?」
(最短で……一番危険な領域を潰しにきた!? 私の集大成を……一瞬で!?)
「諦めてください、お姉ちゃん」
「いや……まだです……!」
「……?」
(まだ……この一瞬は終わっていない!!)
カナはアコの身体よりもわずかに前へ出て、再び手を伸ばす。
(触れれば……ヒナさんのおしり……! 指先だけでもいい!!)
だが——
「……」トンッ
アコは、無駄のない一歩で、軽くカナの肩をタックルした。
「早まりましたねお姉ちゃん。軸がブレれば……『
「あ……崩された……!? こんな軽いタックルで……!?」
カナの身体がよろけ、視界が大きく傾く。
(……まずい。このままじゃバランスが……!)
地面が迫る。
指先は空を掴み、スカートは——遠い。
《ERROR:接触角度消失》
《ERROR:姿勢制御不能》
《パズル崩壊率:97%》
(……終わった……)
スローモーションの中で、カナは“敗北”を悟った。
崩れ落ちるパズルのピースは、ひとつずつ色を失っていく。
──その時。
「カナさん!!」
鋭く、けれどまっすぐな声が後方から飛んだ。
チナツだった。彼女の声が、希望の鐘のように響く。
カナの瞳に、光が戻る。
「チナツさん……!?」
振り返ると、その両手には——トレイと、氷の入ったコップが握られていた。
「私を見てください!!」
(まさか……!)
その言葉に、カナの脳内で崩れていたパズルが再構築されていく。
失われたピースが音を立ててはまり込む。
《リンク再接続》
《パス回復:チナツルート》
《作戦名更新:ラスト・フリップ・コンビネーション》
(まだ間に合う……! アコの守備を崩せる、最後のパス!)
膝をつきながら、カナは右手を突き出す。
チナツが微笑んで頷き、トレイを軽く傾けた。
カラン、と氷が宙を舞う。
反射光と風の乱れが生まれ、アコの集中が、一瞬だけ、揺らいだ。
「パス、受け取ります!」
カナの視界に、再び光る戦術ライン。
全てが、一瞬で繋がった。
(激アツ確定!!)
地面を蹴る。
氷が放つきらめきの中、彼女の手が再び、ヒナのスカートへと伸びる——
──その瞬間。
「お姉ちゃん」
風よりも速く、アコの手が伸びた。
カナの手首を、がっちりと掴み取る。
「……その“パス”も、全部見えてます」
「な……!?」
《ERROR:希望、遮断》
《パズル──全壊》
視線の先、アコの瞳が細められる。
それはまるで、すべての戦術と妄想を超越した者の眼差しだった——。
「絶対許しませんよ? お姉ちゃんには……私がいるんですから」
「ん???」
カナの思考が、一瞬にして凍りついた。
「……ん? 今、なんて言いましたか?」
「……私が、いるんですから」
アコはにこりと微笑んでいた。その笑顔は一見いつも通りに見える。だが、その奥底に潜む何か——見てはいけない何かを、カナは確かに感じ取ってしまった。
「お姉ちゃんには私がついてますから。これから一生、ずっと」
「ごめんアコ、今までで一番怖いよそれ」
アコは柔らかく笑ったまま、そっとスカートに伸びていたカナの手を払った。決して乱暴ではない。だが、その動きには確実な“拒絶”と、“警告”が込められていた。
「でも安心してくださいね。全部、見てますから。お姉ちゃんがどこを見て、何を求めて、誰に手を伸ばそうとしてるのか……」
「えっ……えっ……えっ……?」
《ERROR:戦術外干渉発生》
《ERROR:想定外の感情攻撃》
《警告:ヤンデレ反応圏内突入》
カナの脳内に並べられていた思考のピースが、ひとつ、またひとつと崩れ落ちていく。あまりの事態に、スカート作戦のことなど吹き飛んでいた。
(無理無理無理無理!! ヒナさんのスカートとかどうでもよくなってきた!!)
──その時だった。
「イオリーー!!」ペロペロペロペロ
「やめろ変態!!!!」
突然、まったく別の混沌が発生した。先生がなぜかイオリの足元に這いつくばり、足を舐めていたのだ。
「「「「…………」」」」
その場にいた全員が固まり、空気が凍りつく。
(……余計な問題が……一個増えた……)
《新たな障害物:妹(執着型)》
《状態異常:逃走不能/観察モード》
《推奨行動:一時撤退 or 土下座》
カナはそっと、手を下ろした。
もうスカートどころではなかった。
「なんでこんなことに!!!」
「それはこっちのセリフなんだけど!? 私の後ろでなにやってんのよ!」
一部始終を冷たい目で見ていたヒナがついに叫んだ。
───
海風が、すうっと吹き抜けていく。
まるで舞台が一旦幕を閉じたかのように、誰もが動けずにいた。
スカートを死守したヒナ。
なぜか足を舐められたイオリ。
すべてを冗談だと思いたいカナ。
静かに狂気をにじませるアコ。
そして、すべてを目撃していたチナツは、なぜか無言でストローの袋を破っていた。
「……先生最低」
イオリがバッサリと断罪した。
「最低って……なにが? 君の足が美味しそうだっただけで……」
「もう喋るな!!!!」
店の出入り口で繰り広げられる修羅場に、通りすがりの客たちが二度見し、何人かは三度見していた。
「……あの、もう行きません?」
チナツがぽつりと呟いた。
「うん。コンビニ寄って帰るわよ」
ヒナの言葉に、誰も逆らえなかった。全員が静かに立ち上がり、無言のまま、海沿いの道を歩き出す。
───
カナはというと、なぜかアコに腕を組まれていた。密着した距離で、逃げようにも逃げられない。
(……おかしい。普段のアコなら、こんなにくっついてこないはずなんですが……)
「お姉ちゃん、これからずっと面倒見てあげますからね」
「あっ、お構いなく。ほんとに」
「駄目です」
「……」
カナはそっとアコの腕をほどこうとするが、微妙に力負けしていた。
(なんで!? アコってこんなにパワーあったっけ!?)
「お姉ちゃん……」
アコが、ひそやかに囁いた。
「もし、万が一……ヒナ委員長に何かしたら」
「…………」
「その手、切り落としますからね」
「ヒィッッ!!!!」
カナの背筋が凍りついた。全身から冷や汗が吹き出し、視界が一瞬白くなる。
(あっぶな!? 今の、完全にアウトのやつじゃない!? てか感情の方向が不明!! 私への好意なのかヒナさんへの執着なのか分かんない!!)
そんな恐怖の隣で、ヒナはスカートの端をそっと押さえながら呟いた。
「……はあ。リフレッシュしに来たのに、逆に疲れた気がするわ……」
「……まったくですね。結局温泉旅行って、なんだったんでしょうね……」
チナツのその一言に、皆が立ち止まり、ふと空を見上げた。
青空、白い雲、穏やかな波。
そのどれもが、今日一日の出来事とあまりに釣り合っておらず——それが逆に笑えてくる。
「……きっと、これが青春ってやつなのよ」
ヒナが、どこか悟ったように微笑んだ。
「全部まとめて、しょうもないって笑えるのが、青春なの」
「今日のはまとめていいの? 本当に?」
イオリが冷静に突っ込む。だが、ヒナのその言葉が、妙にしっくりと胸に残ったのも事実だった。
───
その隣で。
「お姉ちゃん、今日一緒に寝ましょうね?」
「さすがにそれはキツ……」
「寝ましょうね?」
「…………はい」
カナの声は蚊の鳴くような音量だった。
この先も、きっとまだまだ波乱と混乱と、ヤバい何かが続いていくのだろう。
だが、それでも——
明日はきっとやってくる。
風紀と狂気の狭間で揺れる、いつもの日常が。
───
温泉旅行編 〜完〜
次回、『ようこそゲヘナマートへ』
今後はどんな話がみたい?
-
ブルアカ本編のストーリーに介入
-
ギャグ路線で暴走
-
アコとカナの百合展開
-
カナの空白の10年間