数を超えた分については反応できていないかもしれませんが、良い評価も、批判にも全て目を通しています。
誤字報告も大変ありがたいです。すべてを糧にしてより良い作品を作っていきたいと思っています。応援よろしくお願いします。
「じゃあ、うちの演奏は聞けなかったんだ」
京都府大会を終えて家に帰ると、最近では珍しく両親が揃ってリビングでくつろいでいた。
母の静理は国際楽団に所属するトランペット奏者として世界を飛び回っており、基本的には家に居ない。
今回直接顔を見たのも1ヶ月ぶりくらいだ。
コンサートの配信等で間接的にはよく見ているが。
「そうなのよ。間に合う予定だったのにちょっと飛行機が遅れてね、ちょうど着いたときに北宇治の演奏が始まって……スタッフ蹴り飛ばして入ろうかと思ったんだけど」
父の透也はそんな母をげんなりした顔で眺めている。
暴れようとする母を父が必死で止める光景が目に浮かぶようだ。つまり、いつものことだ。
「まぁ、北宇治は5番で時間帯早かったからね……DVD買ってきたから、一緒に見ようよ」
吹奏楽コンクールでは全ての学校の演奏を録画・録音し、その映像の販売を行っている。
折角だからと、僕もDVDを買ってきた。
緑などは『保管用』として2枚目も買っていたほどである。
母は演奏を聞けなかったらしいのでちょうどいい、一緒に見よう。
……
DVDを客観的に見て演奏を評価すれば、北宇治の演奏は明らかに立華、洛秋高校を上回っており、京都1位通過と言ってもいい物だった。
やはり現地でも感じたことだが北宇治は上手い、上手くなった。
軸となるトランペットは空に抜けるようなメロディを奏で、トロンボーンやサックス、低音がそれをしっかりと支えている。
木管とパーカッションが少しピタッとはまらない印象があるが、十分強豪校と戦える迫力はある。
それに木管とパーカスにはかなりの割合で1年生が割り当てられている。今後の成長もまだまだ期待できるだろう。
などと、どこから目線なのかわからない感想を心のなかで呟いていると、隣からも感想が出てきた。
「あんたの学校、弱小って聞いてたのに、かなり上手いわね。特に金管が良い。ペットのメロディなんてなにこれ、高校生ってレベルじゃない……あんたと一緒に演奏してるのが例の高坂さんの娘さん?」
「例の? うん、そうだけど。あぁ、れい……高坂さんもお父さんがプロ奏者だったね。知り合いなの?」
「ええ、高坂さん無駄に顔が広いからね。京都に越してきたときも挨拶したし、この間もベルギーのコンサートの後で会ってね、話好きだから延々と1時間くらい付き合わされたわ」
「そうなんだ。娘さんの方はちょっと、いや、かなり寡黙なほうだよ。近寄りがたい雰囲気あるし。お母さんの方に似たのかな?」
ぶっちゃけ高坂さんは演奏の腕前は文句無しだが、人付き合いに関してはコミュ障も良いところだと思う。
家は良いところの出なのに、社交辞令とかお世辞とか言わないし、興味のない打ち上げとか女子会とかもバシバシ断るし。
定期的に会話をしている人物という緩い縛りでも、片手の指に収まる気がする。
「で、その会話の殆どが娘さんの話で、正直参ったわよ。顔も知らない子の話に相槌打たないといけないのかーって」
確かに、人生において目上の人の無駄話を強制的に聞かないといけないことは、残念ながら稀に良くある事態だ。
母は最近日本で一番勢いがあると言ってもいい奏者ではあるが、長年日本のトランペット界を支え、多くの方面に顔が広い高坂さんにはまだまだ頭が上がらないようだ。
「でも面白い話も混じっててね、その娘さん、家では友達の話なんて滅多にしないらしいんだけど、それが最近増えてきてるらしいのよ」
母の表情がニヤけている。
なんとなく都合の悪い方向に話が進みそうな予感を感じて、さり気なく席を立とうとするが、既に左腕が母によって捉えられていた。
「ひとりは同級生の女の子の話でね、ほとんどはこの子の話なんだって。あんまり親しい友達とか作るタイプじゃないから、性格の合う子がいて嬉しいって夫婦で喜んでるらしいわよ。特に母親側が大喜びで家に呼ぼうって作戦立てたりしているみたい」
「それ多分黄前さんの話だね。あの子、見た目人畜無害な感じなんだけど、意外と人の核心ついたこと言ってきたりして、面白い子だよ。普段の練習でも根性見せてるしね。高坂さんとは合うと思う」
久美子の話に話題を逸らそうとするが、目を輝かせる母は全く聞いていない様子だった。
「でね、数少ない他の友達の話なんだけど、なんとここで、人生初の男子の話題が混ざってきたんだって!」
母のテンションがいよいよ面倒くさい域に達してきた。
父はコーヒーを淹れ直すふりをして密かに場を離れた。
父は僕を見捨てるようだ。このことを僕は生涯忘れないだろう。
「しかもその男子の評価が信じられないくらい高いっぽいのよ。娘さん本人は純粋なライバルだって言ってるらしいんだけど、ことあるごとに『すごい頭良い』だとか『優しい』だとか『彼のお陰で北宇治が全国行けそう』だとか『世界レベルで上手い』だとか、もうべた褒めらしいわよ」
母はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべてこちらを揶揄してくる。
「で、どうなの、いい感じなの?」
ついに直接聞いてきた、完全に面倒くさい親である。
正直絡みたくないが、左腕が文字通り絡め取られているので、物理的に距離を離すことが出来ない。
「いい感じって、何。普通に同じトランペットパートの部員だよ」
「トランペットの中でも上のパート一緒に吹いてるみたいだし、一心同体に息合わせる練習もするわよね。しかも、透理が吹奏楽部に入ったのだってその子が誘ってくれたからって話でしょう? こんなシチュエーション、少女漫画でも中々ないわよ! で、どうなの、いい感じなの?」
繰り返し聞いてくる。
うざい、言動は同級生の男友達と同レベルだが、それを発するのが自分の母親だとなると、そのウザさは当社比23倍くらいはある。
「だから、いい感じって何。普通に同じトランペットパートの部員だよ」
「そんなわけないでしょ! 絶対に向こうも少しは意識してるって! それにさっき高坂さんのこと下の名前で呼びそうになったのは気付いてるわよ。そんなに仲良いなら、こういうときは男からガンガン行くものよ。もし駄目でも骨は拾ってあげるから!」
ウザさが極まってきた。もう無視して自室に戻りたい。
しかし左腕はもはや完全にロックされているし、母の目には星が散っている。
「母さん、流石にうざい。恋バナで盛り上がる権利があるのはJKまでだよ。年をわきまえて」
「は!?」
そんな馬鹿話をしているうちに、ちょうどDVDの映像は自由曲のソローパートの場面にたどり着いていた。
自分で自分の演奏を聞くというのも少し恥ずかしいものがあるが、必死で練習しただけあって、それなりのものになったと思う。
僕がソロを吹く場面だと気付いたのか、母も静かになった。
……
「透理、あんた、また上手くなったわね。このレベルになると、伸び悩んだりする時期なんだけど、あんたむしろ成長速度上がってない?」
「滝先生にも田原先生にも色々指導されたからね」
「いや、そういうんじゃなくて、もっと根本的な……」
それ以上は母も上手く言葉に出来ないようで、静かに口を閉じて音楽鑑賞に戻った。
母には珍しく難しい顔をして演奏に聞き入っていた。
こうして僕は、母親との強制恋バナという危機から脱することが出来たのだった。
音楽のちからってすごい。
◇ ◇ ◇
朝早くジョギングして、筋トレして、タンパク質多めの朝ご飯を食べて、というのは小学生の頃からの習慣となっていた。
他の人よりも音の粒が安定し、終盤でも音が崩れないのは、この習慣のお陰だと思って続けている。
軽くシャワーを浴びて、家の防音室で練習をする。これも小学生からの習慣だ。
なんだかんだ嫌にならずに続けられているのは、紛れもなく音楽が好きだからだろう。
前世の物理学の研究ですら嫌になって数日サボったりしたものだが、今世のトランペットに関しては、体調を崩したり他に重要な用事が有ったりしなければ記憶にある限り皆勤賞だ。
我ながら音楽大好き過ぎだろうとも思う。
……
よし、そろそろ登校するか。
僕は他の熱心な部員と違って朝練には特に参加していない。
家に防音室があるし、他の人が奏でる音を聞かずに、誤解を恐れずに言うと雑音を聞かずに済むし、集中して家で練習したほうが効率がいいからだ。
合わせの練習の時間は、今は夏休みに突入しているので、十分取れているしね。
まぁそれでも麗奈は合わせの練習をしたいらしく、朝練に参加しろと文句を行ってくるのだが。
夏休みの練習は、午前中はパート練習と個人練習、午後は合奏練習、そして居残りは個人練習といった具合になっている。
この日の練習が始まったのは、予定通り9時ぴったりだった。
「起立」
滝先生が指揮台に着いたのを確認し、小笠原部長が声を出す。部員一同は立ち上がると、背筋を伸ばして顧問の方を見つめた。
「よろしくお願いします」
小笠原部長の言葉に続き、部員たちは同じ言葉を繰り返す。
「よろしくお願いします!」
よろしくお願いしますね、と滝は席についたままニコリと微笑んだ。着席の指示のもと、部員たちは再び椅子へと腰掛ける。
「えー、今日はまず夏休みのスケジュールと、夏合宿についての連絡事項があります。今からプリントを配りますので、各自内容を確認するように」
僕も皆と同じ様に紙面に目を落とす。
このスケジュールは、一月に一枚プリントとして配られるのだが、これがまた毎月びっしりと黒い字で練習予定が細かく組まれ、毎回生徒を辟易とさせているものだ。
しかし今回のプリントは文字が少なく白かった。驚きの白さだ。
しかしそれは練習が少ないことを意味しない。むしろ何も書かれていないのは全部練習の証拠、とばかり、『休み』という文字が真ん中あたりに2日間だけ転がっていた。
夏休みに入ったことで、練習予定が限界突破してしまったのだろう。
ついに滝先生も詳細に書くのを放棄したようだ。
合宿の予定は8/17-19の二泊三日か、と確認する。
僕は合宿をやる意味というのがいまいちわからない。普段の夏休み練習と練習時間は大して変わらないだろうし、移動時間と費用を使う分非効率なのではと思うくらいだ。
ただまぁ、吹奏楽以外の世間から離れてそれに集中し、部員以外の人から離れてより部員間の親睦を深め、普段はできないホール練習を繰り返すことが出来るという点では払ったお金の分、プラマイゼロくらいには出来るのかな、と考えていた。
それよりも、プリントの余白欄に書かれたことで僕の興味を引いたのは、今日の午後からパーカッションの指導者が北宇治に指導に来てくれるという話だ。
しかも夏合宿に入ってからは木管の指導者も付くという。
DVDを見た時に僕も感じたことだが、滝先生も木管とパーカスが足を引っ張ってしまう可能性を考えていたのだろう。
先生自身はトロンボーン奏者だったらしいので、細かいところはどうしても金管に指導が偏ってしまう。
もしかしたら加部先輩の件も影響しているかもしれないと思った。滝先生と僕では金管のフォームは確認できるが、パーカッションと木管の細かいところは確認に不安が残る。金管の顎関節症と並び、パーカッションの腱鞘炎というのも奏者の引退理由になりうる怖い病気だ。
単純に技量のボトムアップということもあるだろうが、以前の滝先生の表情を思い出すと、生徒の健康の確認のためというのも大きなファクターと言えるかもしれないと思った。
とはいえそんな都合よく有能な指導者を引っ張ってこれるのだろうか。
僕は期待と不安が半々の状態で午後練習を待つのだった。
……
「今日も合奏練習よろしくお願いします。ただ、今日は合奏の前に紹介したい人が居ます」
「あ、まさか婚約者!?」
んなわけないだろ。部活の担当生徒に婚約者を紹介する先生とか常軌を逸してるわ。
しかも朝に配られた紙に書いてあっただろうに、発言した生徒は夏の暑さで脳が煮え始めているのか。
「失礼します!」
ガラッと後ろから音楽室の扉を開けて入ってきたのは、派手目の服を来た中肉中背の男だった。
音楽室の扉から堂々と教壇の方へ足を進める態度は自信に満ちている。
「彼はこの学校のOBで、パーカッションのプロです。夏休みの間、指導してもらうことになりました」
「プロォ!」「まじで!?」などパーカス部員のテンションが上がっている。
「橋本真博といいます。どうぞ、よろしく! あだ名は『はしもっちゃん』、こう見えても滝くんとは大学の同期です。滝くんのことで知りたいことがあったら、どんどん聞きにきてぇ!」
……
「あれ、反応うすいなぁ」
「余計なことは言わないでいいですよ」
「滝くんモテるでしょう。女子にきゃあきゃあ言われてるんじゃないの?」
吹部女子は互いに顔を見合わせる。そして一人の部員が代表して滝先生の評判を口にする。
「はい、吹奏楽部員以外の女子には」
吹部女子は苦笑いだ。たしかにまだイケメン効果で滝先生を慕う女子は多いが、怖れと恨みを持つ生徒も同じくらい居る。
イケメンなのは間違いないが、なんとも不思議な状況になっているのだ。
約一名その評価にむっとしている女子も居るが。
「あっはっは、吹部女子には人気ないかぁ! ごめんなぁ。滝くんが口悪いのは昔からで……」
「余計なことは言わないでいいと言いましたよ」
と、珍しく滝先生が子どもみたいな報復で橋本先生の足をぐりぐり踏みつけている。
それだけ気の置けない仲なのだろうか。
滝先生にそんなにも仲の良い友人が居るのがまず衝撃である。
絶対にボッチだと思ってたのに。
「まぁ冗談はさておき、教えるからには北宇治がライバルを蹴散らせるよう、ビシビシ行くよ! 特にパーカスはパート練も担当するから覚悟しといて!」
「はい!」
告げられた言葉に、部員が揃って返事をする。
ん? 視界の中で返事をせずぼーっとしている生徒がいる。久美子だ。
彼女はこういう返事をサボるタイプではないし、特に体調が悪そうでもないが、考え事でもしてたのかな?
「では早速合奏練習に入ります。前回の続きから……と言いたいところですが、橋本先生もいらっしゃいましたし、一度全体を通して聞いてもらいましょう」
生徒側も、そして指導者側も、お手並み拝見といった所か。
パーカスの部員が特に気合の入った顔つきになるのが見えた。
チューニングは午後練習に入る前に終えているので必要ない。
「では、課題曲から。良いですか? イチ、ニ……」
サン、シ、といつもの様に指揮棒なしの指揮が始まった。
……
自由曲の終盤を駆け抜ける。チューバを始めとする低音が作ってくれた土台の上でトランペットの音色を弾けさせた。
演奏が最後まで終わって数拍経ってから、滝先生は橋本先生の方へ視線を滑らせた。「どうですか?」という声が聞こえてくるようだ。
「すごい! 上手いねぇ、流石京都代表なだけはある! 特に……」
橋本先生とビタッと目があった。
「トランペットのファーストのふたり、何者? って感じ。滝くんから京都府大会のDVD借りて見てたときから思ってたけど、実際に聞くと更に凄いね! ソロパートとかこれ、長く練習してるだけあって世界のトッププロの演奏聞いてるみたいだったよ。心臓にバシーンってくるというか……」
めちゃくちゃ褒めてくれている。正直プロ奏者にここまで言ってもらえてすごい嬉しい。
吹奏楽コンクールの高校生の演奏は、繰り返し同じ曲を長期間練習することもあり、ときにプロを超えた演奏になることもよくあると言われている。
「ファーストの二人は、両方とも1年生の大槻くんと、高坂さんですよ。確かに今の北宇治の演奏の軸になっていますね。ソロの担当は大槻くんです」
珍しく滝先生も褒めてくれている。
ちらりと右を見ると、ただでさえ大きな目を更に大きく見開いて、麗奈が感動していた。
そして無意識にだろうか口の端がぴくぴくと上がっている、おもろい。
思わず吹き出すと、気付いた麗奈からきっと厳しい目線をもらった、こわい。
「ふたりとも1年生なの!? こりゃまた……というか、トランペットでその名字ってことはもしかして……」
橋本先生は僕達ふたりの親の存在に気付いたようだ。
滝先生も、そうです、と肯定するように軽く頷く。
「いやー、僕は親御さんどうこうはあまり言いたくないタイプだけど、鷹の子はやっぱり鷹なのかねぇ」
橋本先生は顎に手を当てて少し考えた。が、切り替えたようにぱっと正面を向く。
「でも通し演奏を聞けてよかったよ。僕の仕事はボトムアップってことでいいのかな、滝くん」
「その通りです。私も私なりに指導しているのですが、どうしても細かいところまでニュアンスが伝わりにくいようで」
「ある程度はしゃーないな、ま、ここからは僕に任せておいてよ……ということで、聞いてた? パーカスの皆、はっきり言うけど君たち、明らかに北宇治の演奏の足を引っ張ってるよ。それも、結構なレベルで」
ここまで単体パートを攻撃する指摘は、これまであまりなかった。
初対面の橋本先生から出た言葉に、パーカスの部員はもちろん、部員全体も少しざわざわとしている。
「まぁ大丈夫、僕が指導するんだから、関西大会までには完璧に仕上がるよ、安心して! ただし時間無いからスパルタになっちゃうけどねぇ」
『仕上げるよ』ではなく『仕上がるよ』であることろに、彼の自信家な面がうかがえる。
しかし、安心すれば良いのか、恐怖すれば良いのか、実際に指導を受ける前からパーカス部員の表情は困惑の色を浮かべていた。