お盆休み2日目、今日は何も予定を入れていない、完全フリーの日だ。
クラスメイトから遊びの誘いはあったが、やりたいことがあったので断らせてもらった。……断ってばかりだとそろそろ誘われなくなりそうだな。
今日は前々から、もうすぐ完成、もうすぐ完成、といいつつ中々仕上がらなかった自分用のマウスピースの試奏会なのだ。
父親が起業してから、開発環境が整ってから、設計・開発・試作・評価を繰り返してきた。
4ヶ月なんて、こういった楽器のゼロからの開発期間にしては短い部類に入るが、個人で開発をしていた関係で、設計の自由度と試行回数は大手メーカーのそれを上回っている自信があった。
今目の前にあるのは、スタンダードなもの、高音用、音量がでるもの、の試作マウスピース3種類だ。
この3種類があれば大体の演奏に対応できるだろうと、最終的には設計方針を絞った。
今後はもっと用途を広げる可能性はあるかも知れないが、今はこれが精一杯だ。
というか、そういった設計思想よりも重視しているのは、『僕の体に合っているかどうか』だ。
単純に合っているかどうかと言ってもそれにはかなりの要素が複雑に絡み合っている。
マウスピースのカップは僕の唇にしっかりフィットするか、軽いブレスでも唇の振動を高効率で伝えてくれるか。
スロート、シャンク、レシーバーはその振動をトランペット本体に合うように上手くまとめてくれるのか。
僕の唇で鋭く明るい音を出すにはどういう構造がいいのか、逆に柔らかく深い音にするには。
普通の奏者は、市販の品のバリエーションの中で自分にあうものを選ぶ。
選んだうえで、少しのズレを演奏技術でカバーする。
少し唇をマウスピースに巻き込むように押し付けたり、ブレスの量を調整して音の高低のバランスを取ったり。
しかし、僕らの目指す完全なオーダメイドとはそういうものではないはずだ。
何も意識せず正しい姿勢で正しく吹けば、狙った中央の音が出る。
リップスラーは自分の思った通りの幅で音が変わる。
高音でも自分の理想の音の粒を保つことが出来る。
そうあるべきだ。
もちろんそれには奏者自身の力量と練習量が必須だし、実力が足りてないのに楽器に綺麗な音を求めるのはナンセンスだ。
だが、自分の実力と、マウスピースの相性が揃ったときには、最高の音が出るべきだ。
それが楽器の、最高の楽器のあるべき姿だと僕は思っている。
というわけで、そんな設計思想で作った新作のマウスピースを吹いてみる。
というか、吹いてみなければ始まらない。
いつものように、自宅の防音室で、ひとりで、自分の研究成果と向き合う。
これは前世のときに味わった研究成果との向き合い方と感覚的にはかなり近く、僕の心を奮い立たせるには十分なシチュエーションだ。
よし、うだうだしてないで、吹こう!
軽くチューニングして、まずはスタンダードのマウスピースで基本のロングトーンを試してみる。
◇ ◇ ◇
一音目から今までとの違いを感じた。
僕は特にアンブシュアやブレススピードを調整していないのにB♭の音が素直に、しかも軽く出る。
無理な調整が必要ないので、ロングトーンの音の粒も安定する。
そこからは、バルブとリップスラーを自然に使うことで、今の自分の理想の音を奏でることが出来た。
理想な音が出たことよりも、軽く自然なリップスラーで自分の思い描く音が出たことに驚いた。
いつもは集中して、音の中心を狙って、唇周りの筋肉を調整して、やっと出るような音が、ただ自然体に吹くだけで奏でることが出来た。
これは……やったのでは?少なくとも僕にとっての現時点での最高のマウスピースが出来たのでは?
期待と興奮を何とか抑え、外に備え付けていたPCに表示されている波形を確認する。
次は音階を上げ下げするスケール練習だ。少し早めに電子メトロノームのテンポを設定し、吹く。
……
すぐに防音室の外のPCの測定結果を確認する。
これは……今まで試した、どの市販品、どの試作品よりも良い質の音が出ている、と思う。
僕の耳と感覚もそう言っている。
……
やった! やった! ……やっと自作マウスピースで市販品を超える音を出せた! 超うれしい!
あとは、他のパターンの音出しと、曲も吹いておこう、そして記録する。
で、前使っていたのマウスピースとの違いを分析するんだ!
今日は忙しくなるぞ!
◇ ◇ ◇
段々と店舗に訪れてくれる客の数が増えてきてくれたことに笑みを浮かばせながら、大槻透也は店を閉め、自宅の領域へ戻った。
夜のこの時間になると、休日は息子の透理の気分が向いていれば手料理が用意されていて、向いていなければ出前が来る頃である。
しかし、この日は若干様子が違った。
この時間にはほぼ間違いなくリビングでくつろいでいる透理が居ない。
これだけでもおかしいのに、夕飯の用意が欠片もされていない。
というか、リビングの様子が朝見たまま何も変わっていない気がする。
朝からこのリビングを利用した者が誰も居なかったかのように。
とはいえ透也はそれほど慌てなかった。大槻家ではよくあることなのだ。
今回もどうせ透理が研究に没頭しすぎて防音室にこもっているのだろう。研究に没頭すると時間を忘れるのは透理の悪い癖だ。
「透理、もう夕飯の時間だぞ、一旦作業を止めて一緒に飯でも……」
と、防音室に向かう透也の足が固まる。防音室の扉を開けたまま、足を引っ掛けるようにして透理が倒れていたからだ。
「! 透理! 大丈夫か!」
医師でもない透也には透理の状態が判断できなかった。
救急車を呼ぶべきか。自分で車を飛ばして近場の病院につれていくべきか。そもそもなんで倒れているのか。
そんな半ばパニックに陥っている透也とは裏腹に、透理は呑気にムクリと体を起こした。
「……ああ、眠っちゃってたみたい。夕飯用意できてないや。父さん、ごめんね」
「いや、大丈夫なら良いんだが……何でそんなところで寝てたんだ」
「部屋の中で吹いて、外のPCで結果確認してって繰り返してたら疲れちゃってさ。ちょっと休憩するかなー、と思ってから記憶がないね。……音モニターのPCもあれ部屋の中にあったほうが良いかも。いちいち部屋を出入r……」
「お前、昼は食べたのか?」
「え、食べてない」
「水はしっかり飲んでたのか?」
「そりゃ飲んでたよ、音に影響出るし。朝にしっかり1日分持ち込んで……」
「透理」
「なに、父さん」
「おまえ、しばらく防音室使用禁止」
「……えっ!」
◇ ◇ ◇
あの後、かなり長い話し合いの末、防音室使用禁止は条件付きで免れた。
「防音室ってのは一人でこもるのはホントに危険なんだよ。文字通り音が漏れないから中で何か起こってもわかりにくい」
「うん」
「うちの防音室は扉に窓ガラスがついてるが、わざわざ覗き込まないと中で人が倒れててもわからないんだ」
「うん」
絶賛お説教中である。基本僕は良い子なつもりなので、叱られる事自体が少ないが、久しぶりにガチ説教を食らってしまった。
まぁ確かにこの手の設備は気をつけないといけないのは分かっていた。
前世も理系研究室に勤めていたので、電波暗室や恒温室などの外界から切り離される部屋に出入りする経験があった。
そういった部屋のなかで、例えば熱中症で倒れたり、心筋梗塞で倒れたりしても、誰にも気づかれず次の日に別の人が来るまで放置されて手遅れ。
みたいな事故がたまにあるのだ。前世の僕の周りでは幸いそういったことがなかったこともあり、今世では少し油断してしまった。まぁ前世の僕の周囲がそもそもしっかりとルールが決められていたからこそだったんだろうな。
特に今回は個人の家にある防音室だったので、使用ルールもない無法地帯だったし……
ということで、今回の件を機に、防音室使用ルールが設けられることになった。
ひとつ、防音室の連続使用は3時間まで、それ以上使用する場合は、一旦外に出て30分以上の休憩を取ること。
ふたつ、最低でも朝、昼、夕の時間に家族と顔を合わせること。それぞれやることもあるから一緒に御飯を食べようとは言わないが、生存確認報告をしろといったところだろう。
その辺りを軸にもう少し細かい文言も入れた『大槻家防音室使用ルール』を紙面に起こし、防音室の壁に貼ったところで、ようやく父の表情が緩んだ。
今回は長かったな、それだけ心配させたということだろう。反省。
そして今は出前で頼んだピザを食べてるところだ。
「それで、あれだけ時間を忘れて熱中してたってことは、今回のは良かったのか?」
僕が今日試作のマウスピースの試奏と検証をするというのは伝えていたので、気になったのだろう。
「そうそう父さん聞いてよ! 今回のマウスピース、特に標準音域のやつ、めちゃ良かったんだよ! 市販品含めても、今までのやつより音の質も息の効率もかなり上回っててさ、ほらこれ、このデータ見て!」
僕はその辺りに転がっていたタブレットを持って今日の検証で取得したデータを父に見せる。
実験データは家内、というか社内サーバに上げているので、サーバーにつながっている端末ならどこでも見られるのだ。
「特にロングトーン、この音の分布の形、すごいでしょ! 特に音階変わっての音の出始めの安定感が、もう自分の口の感覚でも分かるくらい良くて!」
「おい、わかったから、おれも今日は一日接客で疲れてるんだ。落ち着いて飯を食わせてくれ」
父も楽器を作る職人なので、その楽しさは共有出来るのだが、音の良さに関してはこちらの熱意があまり伝わらない。
やはり奏者でなければこの興奮は共有できないのだろうか。
今ここに母が居てくれればよかったのに……僕は現在絶賛ヨーロッパ遠征中の存在を思い、少し残念な気持ちになった。
「それに、明日から部活の合宿なんだろう。準備は済んでるのか?」
「……あ」
完全に忘れてた。
◇ ◇ ◇
なんとか準備も間に合い、集合時間の7時前には学校に着いた。
この2泊3日で得られるものはなんだろうか。それが全国大会に繋がるものであるように祈りながら、僕はバスへと乗り込んだ。
合宿所は学校から高速道路を使って30分ほどの距離にある。秀一などは中学時代から利用していたというから、このあたりでは吹奏楽部御用達の合宿所なのだろう。僕らが入った前日にも他の吹奏楽団体が利用していたという。
到着すると、まず個人の荷物をロビーへと置き、部員たちはトラックから楽器を下ろす。パーカッション楽器の重さに顔をしかめながらも、男子部員の貴重な活躍の場でもあるので、真面目に作業を行った。
合奏準備が全て整ったのは、9時を過ぎた辺りだった。
僕としては一刻も早く、『真』マウスピースとトランペットのハーモニーを誰かに聞いてもらいたい気分だったが、多くの部員がお盆休みのブランクを取り戻すのに精一杯で、こちらから声を掛けるのをためらう状況だった。
まぁ、後で嫌でも聞いてもらうから良いか、と切り替えて皆と同じ様に基礎練習をすることにした。
隣から麗奈の視線がバシバシと飛んできたが、麗奈自身も忙しそうだったので、あえて話しかけることはしなかった。
「この3日間、ここのホールはうちが貸し切っています。お金のことはあまり細かくは言いたくないのですが、皆さんのお父様お母様方からいただいた活動金で今回の合宿は行えることになりました。いま自分がここにいる一分一秒が、当たり前のものではないということだけは自覚してください。決して安くはない金額を支払っている以上、それに見合うだけの何かを今回の合宿で身につけてほしいと思います」
「はい」
確かに、生徒の両親がこの合宿に支払う部費はそう安いものではない。
そもそも吹奏楽部というのは金銭面ではかなり家族に負担を強いる部活である。
マイ楽器を持つものはその楽器代、日々のメンテナンス代、衣装代、外部から招く講師の謝礼、そしてこうした合宿代。
ふつうの部活を大きく上回る部費を徴収されているのは想像に難くない。
それでも部員の親が吹奏楽部を続けさせてくれるのはなぜか。
そもそも金銭負担が無視できるようなお金持ちであるか、親自身が吹奏楽部出身であり理解があるか、または吹奏楽部での経験が金銭負担以上の経験を我が子に積ませてくれると信じているのか。
各部員の境遇は様々だが、この合宿で成長を求められているのは共通している。
そして部全体としても、この合宿で関西大会を突破出来るだけの成果を、せめてきっかけだけでも掴まなければならない。
それには、合奏の一体感、各個人の実力、そしてソロパートのインパクト、まだまだ足りないことが山ほどある。
なにせ僕は吉川先輩に聞いて今更知ったのだが、関西には大阪3強とも称される超強豪校があるらしい。
ここ5年ほど、この3校、明工、秀大附属、大阪東照が関西代表を独占し、全国でも金賞を取りまくるような超強豪校だ。
僕は北宇治が京都大会で少し図抜けた演奏をしたことで、関西大会をも少し楽観視していたかも知れない。
気合を入れなければ。ここからが正念場だ。