「入学式とは見違えてる。滝先生が指導してくれたから。だから、見に来てほしい」
そう高坂さんに言われたとはいえ、ほいほいサンフェス会場に来てしまったのは、我ながらちょろいと言わざるを得ない。
事前にサンフェス公式HPで確認した北宇治の演奏の順番は、都合よく立華高校、洛秋高校という強豪高校に挟まれている順番らしいので、その三校の演奏だけ見に行けばいいかな。他の悪い意味でユニークな学校の演奏を聞いて気分が悪くなることはないだろう。多分。
というか、今日はまだ5月だというのにかなり暑い。日差しが強いので、観客である僕らはともかく、奏者達はたまったものではないだろう。
大きな楽器を担いで、歩幅を合わせて行進して、演奏するのだ。大変な労力が必要に違いない。
プログラムでは北宇治の前の立華高校がパレードを始めるタイミングでちょうど到着した僕は、そのパフォーマンスとクオリティをみて驚いた。
走って跳んで楽器を振って、それでも演奏が乱れる気配はない。
むしろ少し体が揺られるその音の揺らぎすら音楽に組み込んでいる、そんな感じだった。
透理の耳も、視界も、嗅覚も、テンションが上がっていた。一緒に混ざりたいほどだった。
それほど立華高校の演奏は素晴らしかったのである。流石にマーチング全国金賞常連なだけはある。
立華高校が集団が過ぎてしばらくして聞こえてきた曲は『ライディーン』、北宇治の演奏だ。
これは……
高坂さんの言う通り入学式とは別物だと言えるだろう。
立華高校と比べればまだまだマーチングとしての完成度には差があるが、透理としても十分に楽しむことが出来るレベルである。
入学式で聞いたあの演奏を思い出すと、この1ヶ月という短期間でこうも演奏が変わるものなのか、正直驚きである。
新任の滝先生が凄腕なのか、在校生が奮起したのか、新入生が天才だらけだったのか。
ステップ係もそれなりの人数がいるので、初心者も混ざっているのだろうが、この時点でこのレベルまで引き上がっているのは瞠目に値する。
もしかしたらコンクールで京都府大会くらいは突破しちゃうかもな。
そう思えるような素晴らしい演奏だった。
◇ ◇ ◇
北宇治の次の洛秋の演奏まで聞いてから、5月にしては暑すぎる気温と日差しに負け、僕は近くの木陰で休んでいた。
先程スマホで撮影した北宇治の勇姿を見返していると、2つの足音が近づいてきた。
「大槻くん、しっかり見に来てくれたんだ、正直意外」
お前が強引に呼んだんだろうが。思わず悪態が口から出そうになった。
初っ端から高坂さんは失礼だ。でもそろそろ慣れつつある自分が少し怖い。
「あれだけ言われたら、見ておこうかなって思うよ。今日は予定も空いてたしね。演奏良かったよ。立華と洛秋に見劣りしないぐらい」
そこでもうひとりの人物に目を向ける。この人は知っている。今年度から北宇治に来て、吹奏楽部顧問に就任した滝先生だ。
「ありがとうございます。あの大槻静理さんの息子さんに褒めてもらえれば、これまでの皆の努力も報われるというものです」
「滝先生は母と面識が?」
「いえ、こちらが一方的に知っているだけです。奏者としては比べ物にならない活躍をされているので。僕もファンのひとりといったところです」
「それは、ありがとうございます。母も喜ぶと思います」
本当に喜ぶと思う。母さん面食いな所あるし、こんなイケメン先生にファンだと言われたら気持ち悪いことになりそう。
ところで高坂さんと滝先生が二人揃ってここに来たってことは、僕の母親を褒めるためだけではないはずだ。
「それで、御二人してどうしたんですか? 今は楽器の片付けとかで忙しいでしょう?」
僕の疑問に答えたのは、まずは高坂さんだった。なぜか少し後ろめたそうな感じだ。
「あの夜には断られたけど、もう一度吹奏楽部に入ることを考えてほしいの」
ああ、そうきたか。高坂さんも結構執念深いらしい。一度断られた相手にもう一度頼むのは、よほど吹奏楽部の状況が悪いのか、もしくは相当僕を買ってくれているのか。
「高坂さんがここまで評価しているトランペット奏者が吹奏楽部に入っていただけるなら、顧問としても嬉しいことだと思っています。ただ、この時期に入っていないということは、吹奏楽部に入る気がなかったということでしょう。なにか理由でもあるのですか?」
滝先生も畳み掛けるように話してきた。
今年はトランペット奏者の層が薄いとか、切実な理由があるのだろうか。
まぁこれだけ僕のことを買ってくれる人達に隠すようなことでもない。正直に吹奏楽部に入らない理由を説明することにする。
説明しても分かってもらえるかは判らないが。
「えーと……滝先生と高坂さんは、『共感覚』というものを知っていますか?」
「……共感覚?」
高坂さんは聞き覚えがないようだ。ただ滝先生は顎に手を当てて何かを思い出そうとしている。
「共感覚、大学で習った覚えがあります。といってもコラム的に聞いたことがある程度で……、確か、目で見たものが触覚にも影響するとか、感覚器官が相互に影響を与えるとかいう話だったと記憶していますが」
「滝先生は流石ですね。共感覚の概念としてはそれで正しいです。軽いものだと風鈴の音を聞くと涼しく感じる、とかも共感覚のひとつと言われてたりします」
で、どこまで説明するのかだが、全部説明するのは面倒だから概要だけにしようかな。
「で、ここからが本題なんですが、その共感覚、人によってはもっと大きな感覚として
「……なるほど」
「これは良いことも悪いこともあって……、良いこととしては、より音に対して繊細な感覚を持てるとか、素晴らしい音楽を聞くにあたっては他人よりも深く楽しむことが出来るとかがあります」
滝先生は少し表情を変えた、その先の「悪いこと」にも考えが及んだようだ。
「滝先生も気付いたかも知れませんけど、逆に都合の悪いこともあるんです。奏者に対して無礼に当たるんで普段は口に出さないんですが、ハーモニーが合ってなかったり、タイミングが合っていなかったり、ただ単純に音の質が低かったり、そういう演奏を聞くと、共感覚の副作用が出るんです。具体的には視界が暗くなったり、耐え難い悪臭に見舞われたり、そういった感じです」
高坂さんは、そんなことが現実にあることを知らなかったようで、大きな目を更に丸く見開いて驚いている。
滝先生は、僕が話している途中から口元に手を当てて難しい顔をしている。
「だから、吹奏楽部には入らないようにしているんです。というか、中学で吹奏楽部に入ろうとして、大失敗しました。……吹奏楽部にはどうしても初心者がいますし、その事自体は部活にとってはとても良いことだと思うんです。でももし僕が入った場合、僕はその初心者が居る場所から逃げ回ることになります。それは部にとってよくないことでしょう。証拠も僕の言葉だけになるので、結局部員にも悪い印象を与えて迷惑かけちゃうと思いますし」
正直僕はもう吹奏楽部での活動は諦めていた。
適当な吹奏楽団で過ごせば合奏も出来るし、楽器開発も楽しいし高校生活は演奏よりも楽器制作の研究かな、とか思っていた。
しかし、滝先生の次の一言によって考えを覆された。
もしかしたら、今後の人生をも。
「大槻くん、音楽は、吹奏楽は好きですか?」
「え、あ、それはもちろん、好きですけど」
「それなら、吹奏楽部に入ってみませんか?」
滝先生は僕の話聞いてなかったのかな?僕のためにも、既存の部員のためにもならないって言ったつもりだったんだけど。
「吹奏楽団での経験は、社会人になってからでも出来ます。しかし、高校の吹奏楽部での経験は今しか出来ません」
まぁそりゃそうだけど。
「それに今年の北宇治は全国大会出場を目指しています。部員も今は、全員がそれ相応の努力を積み重ねています。サンフェスの演奏は聞いていただいたんですよね?」
「……はい、入学式からは信じられないほど上達していて、良い演奏でした」
「それなら、少なくとも今年は致命的に気分を悪くすることなく活動出来ると思いますし、来年以降は初心者と比較的関わりの薄い役職につくことで何とかなると思いますよ」
顧問の私も最大限のサポートを約束します。と滝先生は締めた。
滝先生は寡黙なタイプだと勝手に想像していたが、結構ぐいぐいくるな。
「随分熱心に勧誘してくださいますね。僕の演奏も聞いたことないのに……」
「演奏のレベルどうこうも重要ですけど、それよりも私は生徒ひとりひとりに将来のための良い経験をさせたいと考えているのです」
「……何かそれ、立派な先生っぽい発言ですね」
「滝先生は立派な先生よ。謝って」
「えっ、あ、ごめんなさい」
高坂さんが久しぶりに口を挟んできた。
凄まじい圧を感じたので反射で謝ってしまった。
真剣な空気だったのに、急にギャグ時空になってしまったようだ。
でもまぁ、その御蔭で少し気が楽になった気がする。そんなに深刻に考えなくても良いような気がしてきたのだ。
「今更ですけど、ちょっと楽しそうな気がしてきました。少し考えさせてください」
「ええ、もちろんです。あと、入っていただけるとしたら練習の厳しさは覚悟しておいてください。私達は全国を目指していますので」
◇ ◇ ◇
その次の週の頭の月曜日、僕は吹奏楽部に入部届を出した。
「1年の大槻透理です。事情があり、少し遅くなりましたが入部したいと思います。担当はトランペットです」
音楽室の前に立って自己紹介をすると、部員の皆はかなり戸惑った感じでざわざわしている。
パン、パン、と手を叩く音がする。先ほど滝先生に紹介された小笠原部長が注目を集めた。
「中途半端な時期だけど、皆歓迎してあげて、仲良くしてあげてな」
「「はい」」
「一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします」
パラパラとまばらな拍手が上がる。
部に入るにあたっては色々な不安もあるが、ひとまず挑戦してみることにしたのだ。
滝先生が言った、「高校の吹奏楽部の経験」というのが今しかできないというのも最もだと思ったし。
「じゃあ、今日はパート練のあと自主練だから、まずはそれぞれパート練習室へ、解散!」
部長の号令で部員皆がキビキビと移動し、あっという間に音楽室には数人のパーカッション部員だけが残った。
入学式の頃の吹奏楽部は、はたから見てもだらけた雰囲気だったのだが、こういうところも変わったんだなと感じた。
「大槻くん、でいいかな?」
ぼーっと音楽室を眺めていると、横から声をかけられた。
振り向くと手にトランペットを携えた女子部員がいた。制服のリボンの色からすると3年生の先輩だ。
そして、これは重要なことだが、声も見た目も仕草もあざといくらい可愛い。
「は、はい、大槻です」
「あはは、そんな緊張しなくていいよ。私はトランペットパートのパートリーダーの中世古です。これからよろしくね」
「パートリーダー……そうなんですね、よろしくお願いします」
こんな可愛いパートリーダーが居るパートで練習出来るってだけで吹奏楽部入ってよかったまである。
高坂さんといい中世古先輩といい、北宇治のトランペット奏者はどうなってるんだ。
「今からパート練習室に案内するから、一緒に行こう!」
「はい!」
中世古先輩は歩きながら色々と説明してくれた。
パート練習室は普段2年生が授業で使用している教室を借りているので、練習時間や片付けなど気をつけること。
トランペットパートは僕が入って合計8人で、男子2人女子6人であること。
今はサンフェスも終えて、コンクール曲の楽譜は中間テスト後に配られるので、基本的には個人で基礎練習をする期間であること。
「色々説明したけど、一番お願いしたいのは、パートの皆と仲良く練習しようってこと! 皆いい子達だから大丈夫だと思うけど」
ちょうどそこでパート練習室についたようで、中世古先輩は立ち止まった。
「じゃあ大槻くん、トランペットパートへようこそ!」
ガラガラ~っと教室の引き戸を開け放つ。
中にはもう僕以外のパートメンバーは揃っていたようで、一斉に視線がこちらを向く。
「香織先輩! お疲れ様です!」
真っ先に声をかけてきたのは淡い亜麻色のロングヘアをデカいリボンでまとめている女子部員だった。
制服のリボンの色を見るに2年生のようだ。
「優子ちゃん、お疲れ様。大槻くんを紹介したいから、皆集まって!」
ユウコチャンと呼ばれたデカリボン先輩は中世古先輩に向けた視線とは全く違う、不審者を見るようなジト目をこちらに送ってくる。
この態度の違いはなんでだろう。初対面なのでマイナス印象はないはずなのだが。
「今日からトランペットパートの仲間がひとり増えることになりました。大槻透理くんです。皆仲良くしてあげてね」
「大槻透理です。中途半端な時期の入部で迷惑をかけますが、一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします」
緊張気味に挨拶をすると、パートメンバーはわっと皆拍手と歓迎の言葉で迎えてくれた。
例のデカリボン先輩以外は。
高坂さんですら小さく拍手で歓迎してくれている。
「せっかくだから、今日は大槻くんの歓迎会? 懇親会? みたいな感じにしたいと思うけど、どうかな?」
中世古先輩が問うと、もうひとりの3年生の先輩が賛成する。
「コンクールの楽譜もまだ配られてないしね。良いと思うよ。まぁ今年はもう新入生の歓迎会はやっちゃったから、この間みたいにファミレスってわけにもいかないけどね」
落ち着いた雰囲気の先輩だ。僕に気を使ってくれていることといい、出来た先輩のようだ。
「じゃあまずパートのメンバーの自己紹介からいこっか」
中世古先輩の言葉で、トランペットパートメンバーが順々に自己紹介をしてくれた。
まずは先程の3年生、笠野先輩。3年生は中世古先輩と合わせて二人だけのようだ。
2年生は、先程好意的ではない目線をくれた吉川先輩。この吹部には理由もないのにきつい目線を送ってくる人が多い気がする(現状二人)。
そして男子部員の先輩で頼りになるだろう滝野先輩。そしてハート形のヘアピンが特徴的な加部先輩。
最後に同学年の高坂さんと吉沢さん。高坂さんは僕を熱心に誘ってくれたこともあるし、とても美しい音を奏でるトランペット奏者だ。
吉沢さんは微妙に天然っぽい感じがする。
僕を含めて合計8名の所帯だ。
「じゃあせっかくだから、大槻くんに少し吹いてもらおうかな、私達みんな、大槻くんの演奏聞いたことないし」
唐突にそんなことを言い出したのは中世古先輩だ。
まぁ確かに実力もよくわからないメンバーが入ってきたら、練習の組み方も変わるし、妥当な提案だろう。
「高坂さんは聞いたことあるんだっけ?」
「はい、同じトランペット教室に通っているので……」
実際には差し向かい一対一で吹いたのだが、そこら辺はぼかすようだ。
ならあの時と同じ曲でいいかな。
高坂さんに目線を送ると、高坂さんも少し期待の表情を浮かべた気がする。
「了解です。じゃあいつも練習曲で吹いてる『ロマネスク』でもいいですか?」
「いいよいいよ、高坂さんが熱心に勧誘してたって聞いてるからね、楽しみにしてるよ!」
「え、マジですか? あの負けず嫌いの高坂が?」
うわ、なぜか知らないところでハードルが上がっている。
当の高坂さんを見ると、そんなことは関係ないとばかり、こちらを真剣にみて耳をすませている。
今日は初めて吹くこともあり、少し丁寧にチューニングを行ってから、皆に向き直る。
「じゃあ、吹きます。ジェイムズ・スウェアリンジェンで『ロマネスク』」
◇ ◇ ◇
「ご清聴ありがとうございました」
……
みんな真顔で黙っている。
なんかまたやらかしてしまっただろうか。
「えーと、あの、感想とかいただけると嬉しいんですけど……」
僕の発言をきっかけとして、わっと歓声があがった.
「すごい! すごいよ大槻くん。わたし鳥肌たっちゃった。なんというか、心臓にガツンとくるというか」
「あ、わたしも。感情揺さぶられて泣きそうになった」
3年生のふたりの褒め言葉は正直に嬉しかった。というか、泣きそうになったと言っている先輩は普通にガチ泣きしている。
音楽は人に聞かせてこそだと思っている。そして聞かせたうえで感動を呼び起こすことが出来れば最高だ。
「高坂、あんたが連れてくるだけあって、中々やるじゃない」
教室に入ったときから胡散臭いものを見る目線をくれていた吉川先輩も渋々だが褒めてくれている。
「……そうですね。確かに中々やると思います。少なくとも、今の私よりも明確に上手い奏者だと思います。だから勧誘しました」
自他ともに認める負けず嫌いオブ負けず嫌いの高坂さんが、自分より上だと認めたことで、トランペットパート部員はざわついた。
「あんた、死ぬほど負けず嫌いじゃない。なんでわざわざ自分より上手い人を勧誘したの?」
「……それは、決まってるじゃないですか。私達は全国を目指してるんですよ。なりふりかまってる場合じゃありません」
全国を。
高坂さんのその言葉には、燃えるような決意がみえるようだった。