1話:高校デビューを暴露されたギャルとオタク穏健派な僕
こういう話を聞いたことがあるだろう。
中学までの自分自身に対して何かしらの不満を抱いて変革を決意して、高校入学を契機に新しい自分へと生まれ変わる。髪を明るくして性格も入れ替えて、高校生へと進化する。
つまるところ、高校デビューってやつだ。
これをアイデンティティの一貫性が無いだとか、本来の自分を理想で覆い隠してクラスメイトを騙す卑怯者だとか、批判することはそんなに難しいことじゃない。特に中高と変わらず教室の隅っこで生きるような僕からすれば手を変え品を変え、多方面からケチ付ける事が出来るだろう。
勿論そんなことは出来るだけでやらない。言うまでもなく倫理観がまるで無いし、僕自身が波風を立ててクラスの内外から睨まれるのは嫌だからだ。
ともかくとして、その観点からすると
何故知ってるかって?
僕は去年まで通ってた二輪平中学でも彼女はクラスメイトだったからだ。
中学の小宮山さんとはあまり会話をしたことは無かったけども、唯一確かなのは彼女もまた僕と似た人種であったことだ。前髪はカーテンみたく顔を隠しそうになるほど長く、分厚い黒縁眼鏡のレンズはいつもBL小説の官能的表現を映し出していた。言ってしまえば女版僕みたいな立ち位置に居たと言える。だから仲間意識のような連帯感を小宮山さんには勝手に感じていたりもした。
それが今やどうだ。
髪色は「私を見ろ!」と叫ぶかの如く鮮烈な金に染め、重苦しかった眼鏡は恐らくコンタクトレンズにリプレイス。加えて高校デビューしてから初めて小宮山さんの顔の全貌を見たのだが、これまた小顔で愛嬌があって、元来の出不精から肌も白い。この学年の中でも余裕で美少女として括られる存在にまで変貌を遂げた。
中途半端なビフォーアフターならいざ知らず、流石にここまでの変身っぷりを見せられてしまえば認める他無い。
何か理由があって中学時代は目立たず韜晦していたが、小宮山さんは元々そちら側だったのだ。どう足掻いても童顔が抜けず男らしさや逞しさと程遠い僕とは土台からして違う人種である。高校始まって1日目に僕は小宮山さんに対する仲間意識を捨て去った。
そうして僕は小宮山さんの過去を言い触らすことなく、小宮山さん自体にもノータッチで今まで過ごしてきた。高校デビュー直後のクラスメイトなど殆ど引火性液体みたいなもんで、火花が付けば忽ち僕まで一緒に丸焦げになりかねない。そんな確信があったのは小宮山さんも一緒だったのだろう。中学でクラスが一緒だった僕を知らないわけでもないだろうに、小宮山さんは僕に口裏合わせを求めなかった。きっと放っておいても言い触らすことの無い無害な虫けらとか思われていたんだろうなとか思う。
だが、高校デビューするのに中学から程近い
要するに学力的に大きな壁が無いこの高校には、僕や小宮山さん以外にも二輪平中学の生徒は何人かいた。多分3人とか4人とかのはずだ。その中に小宮山さんの転身に気付いてる人間が居て、その誰かが告げ口をしたのだろう。
更に悪かったのは小宮山さんが嘘を吐いてリア充軍団に混じりこんでいたことだった。陰鬱とした過去の経歴を欺瞞で塗りつぶし、さながら元からキラキラしたクラスの一軍でしたと言いたげな風貌で小宮山さん笑顔で高校入学を果たしたことを僕は今でも昨日のことのように思い出せる。あの衝撃と言ったら幼稚園児の頃に芋虫が成長したらアゲハチョウになるという知見を得た時にも似ていた。
と、なぜ僕が小宮山さんが高校デビューした話を滔々と続けているかといえば、それは明確に目の前の光景が原因だった。
視線を戻せば小宮山さんは3人のクラスメイトに弾劾されるように囲まれていた。その全員が高校デビューをしてから小宮山さんとよく一緒にいた人たちで、偽りの経歴に騙されていた被害者である。だからこそ小宮山さんを見る眼差しは剣呑としていて鋭い。
「揚羽、これマジ? マジでオモロイんだけど」
異質な空気に包まれた昼休みの教室内、スマホ片手にクラスメイトの赤里さんの乾いた声が響いた。間違いなくそれは昨晩出回ったSNSでの暴露話のことを指し示していた。
言わんがや、クラスLINEに参加してない僕でも、寧ろ参加していないからこそXでは秋柏高校の同級生のアカウントはチェックして日々の動向は追っている。それによれば小宮山さんは中学時代、クラスでアニメや漫画───それも昨今人権を得ているメジャーな作品ではなく性や欲求を直接描写するような官能作品だ───をクラス内で人で熟読する陰キャだったという暴露話だ。中には国語の授業でイケメンキャラ同士のカップリングについて論じたなんて話も上がっていたけど、流石にそれは脚色であると小宮山さんと中学の2年間同じクラスだった僕は胸を張って言える。確かに小宮山さんはオタクだけど、当時の彼女はもっと日の当たらない場所で呼吸音にすら神経を使ってるかの如く慎まやかな暮らしを享受していた。
教室内ではクラスメイトの多くがこの追及劇を唾を呑んで見守っている。誰も談笑すらしていない異様な空気感。ただならぬ状況になっていることを言いふらす奴でもいるのか、教室外からは見物客すらやってくる始末だ。
「何が中学はバスケ部だっただよ。全然帰宅部だし、彼氏も居ねえし、言ってたことの8割は出鱈目だし、お前本当に何なんだよ」
吊り目でいつも不機嫌そうな顔をしている生川さんが舌打ちを鳴らす。その様は見かけ上は殆どヤンキーだ。僕は生川さんのことをあまり知らないから彼女の見た目と性格が一致してるかは分からないけど。少なくとも秋高に入れる頭があるんだからバカではないのは間違えないはず。
小宮山さんは何も言わずに立ち竦んでいる。唇を強く噛むでもなく、項垂れるでもなく、怯懦に震えるでもない。剣呑な雰囲気をダラリと自然体で迎え入れるその体勢は、嫌な教師から説教を受けてハイハイと右から左へ聞き流す様子と酷く酷似している。
「何とか言ったらどうだよ、なあ!」
赤里さんが小宮山さんの肩を思い切り張り手みたいに押し出して、教室が雑然とざわめいた。流石に教師を呼ぶべきかと周囲のクラスメイトがヒソヒソ声で会話する。
確かに呼ぶなら今かもしれない。ここらで一度、大事に発展する前に中立的な人物に間へ入ってもらって両者の言い分を事情聴取してもらうべきだ。そうすれば小宮山さんとほか3人の関係性は破綻するが、教室内に秩序が取り戻される。
しかし動こうと思うだけで誰一人として教室内から動くことはなかった。かく言う僕も手に持つ文庫本を手放さなかった。薄情だったわけでも、当事者意識が欠如してるわけでもない。
僕含めオーディションがそれでも静観を続けたのは、一度暴力に走りかけて冷静になったのか、赤里さんが周囲を一瞥して小宮山さんとの距離を開けたからだ。激昂して我を失っての行動ではなかったらしい。
「二度と喋りかけんなよ詐欺師」
細く、しかし明確に赤里さんは口に出して言うと背を向けて自席へと戻っていく。それを日切りに二人も追従して背を追って小宮山さんはただ一人取り残された。騒ぎが収まり、徐々に普段の教室の姿を取り戻す中でも小宮山もちょっと考える素振りをした後に次の授業の準備を始めた。
……まあ、なんというかだけども。
小宮山さんにとっては大変残念だったと思うけれどこれも一つの経験だと思う。僕たちみたいな日陰者が無理に爪先立ちをするとその稼いだ高さ分のしっぺ返しがやってきてしまう。特に虚偽と欺瞞で塗り固めて足りない要素を補った小宮山さんのぶり返しは一入だ。
でも一方でリア充グループにウソをついてまで潜り込もうとした意志と気概は同類として称賛したい。実際高校入学後は歴戦リア充の一員にしか見えなかったし、僕は小宮山さんのことを完全に一次元上の存在であると認識していた。少なくとも入学して3カ月経った今日までは。
まあなんだ。
ナイスチャレンジ、次があるさ小宮山さん。
心の中でサムズアップしつつ、現実から興味を失った僕は再び異世界ファンタジー小説の世界へと帰った。
△
高校デビューという話なら実のところ僕にも関係ない話ではない。ただし小宮山さんと比較すればかなりちっぽけで大したことがないんだけども。
僕にとっての高校デビュー、それは毎週バッティングセンターに通うことだった。
きっかけは運動不足解消が半分、ストレス発散が半分だ。
中学時代は帰宅部を貫き、校則15条によって全校生徒に部活動加入を強いる秋高入学後も幽霊部員を歓迎するカルタ部に所属しては中学と同じような生活を送る僕には決定的に運動習慣が足りなかった。バッティングセンターに通うようになる前も色々と試しはした。しかし春休みにちょこっと試したランニングやサイクリングは体力を浪費するだけ何一つ達成感を覚えず、高校入学直後の体験入部で入った卓球部は球技への根本的な素質の無さを思い知られ無駄足になった。
バッティングセンターも大枠で語れば球技と言えるものの、それでも明確に異なるのは誰からも見られていないという点だった。
僕が100円玉を入れる。バットを握る。ボールが飛んでくる。バットを振り被る。ボールはバットの軌跡を潜り抜けるように走り、背後のネットがキャッチする。大抵はこの一連の流れでただバットの素振りをするだけのインドア高校生になり果ててしまうのだが、偶にバットにボールが当たると結構嬉しい。思わずガッツポーズだって握ってしまう。その瞬間が堪らなく好きで、不思議と僕の性に合った。
それとこのバッティングセンターの人気が無いというのも大きな理由の一つだ。年季を感じるピッチングマシンは故障防止のためか、80㎞以上の球を投げてくれない設定になっていて、近くにもっと本格的なバッティングセンターがあるのも相まってプロ運動部たちはみんなそちらへと足を運ぶ。運動初心者である僕からすれば有難いことにいつ来てもこのバッティングセンターはがら空きなのだ。
いつもは金曜日に来るところを今日は水曜日に訪れてしまったのは他でもない、小宮山さんの弾劾裁判を間近で傍聴して、ふと高校デビューを僕もしたくなったからだった。
僕は普段と同じようにバッティングセンターの建屋に入る。相変わらず5面ある打席に人気は無かったけど、良く見れば金髪の見知った女子生徒が機械に100円玉を入れてゲームスタートする直前だった。
そしてその女子生徒に僕は非常に見覚えがあった、というか完全に昼休みの渦中の人物となった似非リア充その人。
つまりはそう、小宮山さんだ。
何でこんな場所にいるんだろう。クラスメイトに嘘がバレて詰められて溜まったストレス発散とか?
もしそうだとすれば僕は関わらない方が良い。僕も一応小宮山さんのクラスメイトである以上、ストレスの種には違いないだろうからそっとしておこう。中学時代、一緒に図書室で築き上げた陰キャ同盟としてのせめてもの配慮だ。
小宮山さんが最奥の打席に立っているのを確認して、僕は入口すぐの打席に立つことにした。コインを投じる前にワイヤレスイヤホンを耳に嵌める。この空間で小宮山さんと二人きりはかなり気まずいから、聴覚的に小宮山さんがこの場にいるという情報を遮断することにする。最近のノイズキャンセリング機能は本当にすごい。適当なアニソンを流せばすぐに世界が僕一人で構成された単体へと早変わりだ。
お金を払って打席に立つ。ついでにホームラン予告もしてみる。勿論ホームランなんて打ったことは無いけど、これは気持ちの問題だ。ホームラン予告をして本当にホームランを打てたら滅茶苦茶に気持ちがいいに違いない。
使い古しの木製バッドを振り被る。最初のローテーションでは10球投じられて、2球だけバットに当たった。1球はバッド下部を擦って、もう1球はボテボテのゴロだった。それでも十分僕は楽しい。始めたての最初の1カ月なんてバットに当たることも無かったんだ。よくもまあ3カ月もバッティングセンター通いが続いているもんだと我ながら誇らしくなる。
さて、今日は後3セットくらいしようかな。もうそろそろホームランが出ちゃうかもしれない。もし打てたら帰路にあるファミマでお祝いハーゲンダッツだ。
そんなことを考えて次の100円を投入しようとしていると、肩を軽く2回叩かれた。振り返ると小宮山さんの顔が近くにあって僕は思わず仰け反る。びっくりするな。
小宮山さんはパクパクと口を開いて喋っているが何も聞こえない。当たり前だ。僕は仕方なくイヤホンを耳から外した。
「何か用? 小宮山さん」
「久しぶり、嶋守くん。元気してた?」
小宮山さんが小さく笑みを作る。教室内ではよく北斗星みたいな眩い笑顔を咲かしていることを知っているけど、やっぱりあれは誇張したリア充演技なんだろうとふと思った。今の小宮山さんの方が圧倒的に僕の知る中学時代の小宮山さんにより近い。
ただそれはそれとして、一つ言わなくてはならないことがある。
「放課後ぶりだね小宮山さん」
「……?」
小宮山さんは少し悩むような仕草のあと、間を置いて首をコテンと横倒しにする。
「私のクラスに
なんて失礼なクラスメイトだ。
そう思ったけど僕は極めて個人的な事情で一つ思い当たることがあった。
今や嶋守は僕の旧姓である。
「親が再婚して今は涼木だからね。
「……え! あれって嶋守くんだったの!?」
道理で似てると……とかブツブツ独り言を零す小宮山さんに愕然した。
幾ら苗字が変わったとは言え顔も背丈も名前も変わらないんだけどな。中学時代のクラスメイトを忘れるとはクラスメイト甲斐の無いヤツだ。それとも僕の影が薄すぎると嘆くべきなのだろうか。
怒るべきか凹むべきか判断に困っていると、小宮山さんは所在なさげに目線をピッチングマシンへ向けながら口角を上げる。今度は完璧な作り笑いだった。
「あはは……それで何でこんな場末のバッティングセンターなんかにいるの?」
明らかに話を流された。人から存在を認知されにくいのは今に始まった話じゃないから別にいいけど。
「ここは僕のマイホームだからね。良く来るんだここ」
「へぇー、全然見えない。だってしま……涼木くんって陰キャじゃん」
「言いにくいなら嶋守で良いよ。あと陰キャって言うの止めてもらえる?」
小宮山さん、それは事実陳列罪だ。
僕の言葉に一瞬だけ視線を彷徨わせて唇を震わせた。
「じゃあ嶋守くんで」
「ああ、うん。嶋守ね」
「それでマイホームってどういうこと? もしかしてここ嶋守くんの家とか?」
「だとしたら流石にもうちょっと打つの上手いでしょ僕」
「だよね。へっぴり腰だしボールに力負けしてるし、下手過ぎて見物としては面白かった」
「はあ」
もうここ来るの止めようかな。唯一知り合いが誰も来ないことだけが良い点だったのに。
僕は良く来てるけど小宮山さんをこのバッティングセンターで見かけたことなんて一度もないぞ。
「小宮山さんこそ……コーラ飲む?」
「え、いいの?」
「うん」
危うく『なんでバッティングセンターなんか来たの?』と聞きそうになって慌てて軌道修正を図る。聞くまでも無く自明の理だろうに。普段と違う行動をとる理由なんて普段と違う出来事が起きたからに決まってる。真昼の修羅場を蒸し返す趣味は僕には無い。
しかし勢いでコーラを奢ることになってしまった。勿体無いなあと思いながらも手に持っていた100円玉に、更に20円加えて自販機に投入してコーラを購入。
買ってから思ったけどこれ、僕もなにか飲み物買わないと小宮山さん気を遣うよね? つまり僕も買わなきゃダメ?
……しょうがないか。
せめて出費は最低限に抑えようと考えて、僕は最も安い100円のミネラルウォーターを買った。うん。嶋守一番水が好き。
小宮山さんは僕からコーラを受け取ると、ジッと僕のミネラルウォーターを見詰める。
「コーラありがとう嶋守くん。でもちょっとアドバイスするけど、水なんか買われたら気を遣われてることバレバレだから止めた方が良いよ」
「……そんな露骨だった?」
「うん。私に合わせようとして、でもお金を使いたくなかったんだろうなあって分かるよ」
「そっか」
コクリと頷く小宮山さんの話に、恥ずかしくなった僕はミネラルウォーターを背中に隠す。僕に友達がいないことを知ってるんだからそこまで言わなくて良いんじゃないかな。
クラスメイトに笑われながら下手なバッティングを披露する性癖もないので、取り敢えず僕は自販機横に据え付けられたベンチに腰を掛ける。小宮山さんも空気を読んだみたいに一人分の間を置いて隣に座った。
……ヤバい。
とても気まずい。何か話を切り出すべきだろうか。
でも小宮山さんと話せる話題なんてあまりないんだよな。同じ中学で同じ高校、クラスメイト歴としては3年目ではあるものの、僕たちは互いを良くは知らない。ただクラスメイトだっただけの他人である。会話した記憶も数えるほどしか無い。思い返せばオタクで陰キャだったという事実以外、僕は小宮山さんのことを知らない。
ペットボトルの蓋を回して、開いたり閉じたりしていると小宮山さんがぽつりと言った。
「ここ、誰も来ないね」
「そうだね」
「…………話すことないね」
「…………そうだね」
会話が途切れて、その隙間を埋めるように店内BGMが鳴り渡る。店主が阪神タイガースファンなのか、ずっと阪神に所属する選手の応援歌が流れ続けている。かと思えば突然ウルトラマンやら仮面ライダーやら特撮ヒーロー系の主題歌も流れる。こういうガラパゴスで一定層のマニアにしかウケなそうな雰囲気も客を遠ざける一因になっているのだろう。例えば放課後デートみたいな甘酸っぱいイベントとかにはこの場所は使いづらいだろうし。
間を誤魔化すために水を口に含む。
なんなんだろうこの空間は。隣に座った割には小宮山さんも中々口火を切らないし。
もしかして一発芸でもして場を和ませることが求められてる? 辛いなぁ……それは。
やむなく変顔のレパートリーを脳内で確認していれば、ようやく小宮山さんの唇が動いた。
「何も聞かないの? 高校デビューの事とか、今日の事とか」
その話を自分から切り出すんだ。
でも絶対突いたら気まずくなるやつじゃん。見え透いた藪蛇だよ。今以上に空気が重くなったら地面に潰れてホームベースの一部になっちゃうって。
「僕は過去に捉われない人間だからさ、こうやって水に流すのが得意なんだ」
蓋を開けてペットボトルを逆さにしてみる。傾ける角度を調整することで手に収まる程度の水を出すことに成功した。ユーモアのつもりで出した水だけど、そのまま顔にパシャリと当てる。さっきまで真夏の日差しで火照ってたから、ちょっと涼しくなって快適だ。
小宮山さんは瞳を大きく見開いて、くすりと笑った。
「なにそれ。今日の事をもう過去って言っちゃうんだ」
「今が過ぎ去れば過去になるからね」
「じゃあ私と話してるこの瞬間も過去ってこと?」
「そうなるかな。厳密には僕がこうして話している間はまだ現在という認識だけど、話が終わって小宮山さんのターンが始まれば僕の話していた内容は過去になるって思う」
「で、過去のことに対しては全て興味が消えると」
「学業以外はそうだね」
とか格好付けて言ったものの、余裕で他にも興味があるものは存在する。例えばアニメとかゲームとかラノベとか。特にラノベなんて毎月出る新刊をチェックしては楽しみにしている。でも幾ら相手が小宮山さんとはいえ、見た目ギャルっぽい可愛いクラスメイトに馬鹿正直に告げるのは少し恰好が付かない話題だったので結局興味の対象として勉強だけが残ってしまった。めっちゃガリ勉じゃん僕。アミラーゼアミラーゼ。
ふんふんと小宮山さんは頷いて、高校デビューの証である金色の髪がふわりと揺れた。
「興味が無くなるっていうんなら、じゃあ私の話も聞いてくれる?」
えっ。
結局その話に戻すんだ。結構精一杯その話にならないように誘導したつもりだったんだけどな。
小宮山さんは遠くを見つめたまま口を開く。視線の先には古ぼけたピッチングマシンが置かれていて、今か今かと100円玉の投入を待ちわびている。
「高校デビューしたじゃん私」
「そうだね」
「髪も染めて、アクセサリーを付けて、香水まで付けてるんだよ」
小宮山さんが長い髪を取り払うようにして右耳を僕に見せてくる。髪に隠れていたけどイヤリングなんてしてたんだ小宮山さん。良く見れば運動部とかギャルしかやらないような手首のミサンガまでしてるし、高校デビューへの熱意が感じられる。
「見た目完全にリア充でしょ私。なのにちょっと過去が暗いからってだけであんな言われるのは酷くない? 驚いちゃって何も言い返せなかったんだけど」
「確かにすごい言われようだったよね小宮山さん。詐欺師とか何とかって」
「そうそう、何も騙し取ってないんだよ私! いつどこで私が赤里たちの不利益になるようなことをしたかなって感じ! 嶋守くんも分かるよね!」
ヒートアップするにつれてぶんぶんと小宮山さんの手振りが激しくなる。
うーん、同意とか求められてもなぁ。僕は曖昧に首を縦に振ることしかできないぞ。
「聞きたいんだけど、なんで高校デビューなんかしたの?」
この話に乗っかると痛い目を見そうだったから、敢えて話の中核に触れることにした。自ら切り出したということは多分触れて問題ない話題のはずだ。
小宮山さんは即座に答える。
「脅されたから」
「……どういう意味?」
自分から変わりたいと願ったんじゃなくて?
「親から友達30人作らないと部屋の漫画全部売り払うって……。1人2人ならともかく、30人なんてクラス全員と仲良くならなきゃ無理な規模だし……リア充になるしか無かったんだよ」
訥々と話す小宮山さんに僕は御愁傷様と手を合わせた。勿論心の中の話だ。
それにしても凄い極端な教育方針である。僕で言うと家に何百冊とコツコツ集めてきたラノベが焚書される感じか。
……流石に脅しじゃない?
「その、親は本気で言ってるの?」
「中学でも言われてたんだ。一人でも良いからいい加減友達作らないと私の持ってるB……漫画の3割売るからねって」
「へー。それでBLは売られたの?」
「嶋守くん、私はBL漫画とは言ってないよ」
「でも中学の時はよくBL小説とか読んでたじゃん」
そう言うと小宮山さんは唇を噛んで引き攣った顔になった。
そりゃね……。ご丁寧に無関係の有隣堂のブックカバーを掛けてはいたものの、中身は絶対にアニメイトとかメロブとかじゃないと到底お目に掛かれない官能表現盛りだくさんの小説を読んでいたことを当時後ろの席でラノベを読んでいた僕は良く知っている。多分僕じゃなくて他のクラスメイトも知ってたんじゃないだろうか。
「へ、へぇー……シラレテタンダ……ムカシカラ」
「カタコトになってるよ小宮山さん。それでBLは売られたの?」
「……嘘と思ってて何もしなかったらホントに売られた」
蚊の鳴く声で小宮山さんは僕の目を見ながら、売られていった漫画たちを思い出すかのようにポカンと上の空になる。……しかし瞳からハイライトを消しながら言うのやめてくれないかな。昨日見たアニメのヤンデレヒロインを思い出すから。ヤンデレ彼女、現実にいたら絶対に僕みたいなオタクと生活が合わないから理性的な判断では欲しくないとは思いつつ、感情的な部分でちょっと欲しいと思う自分もいるんだよね。つまりヤンデレ需要は令和になっても依然高いのでもっとヤンデレ作品作ってくださいクリエイターの皆さん。
日本の全創作界隈へのお願いは置いておくとして、小宮山さんの現在の状況は非常に厳しい。同じく友達ゼロ人同盟の僕としても同情しかない。
でも解決方法として、リア充になる以外の選択肢とかもあったんじゃないか?
「部活入ればよかったじゃん。部員同士は全員友達とか距離感バグった発言をする気は無いけどさ、それでも親を騙すだけなら部員を紹介してもバレないと思うよ」
「私も最初はそう思ったんだ」
言語野が正常に戻った小宮山さんはコーラのプルタブに親指を掛けて力を込める。プシュッ。炭酸が勢いよく夏に溶ける音が響く。
「でも私運動音痴だから運動部は無理じゃん。運動音痴は遊びならともかく、ガチの運動部じゃ足手纏いでウザいとしか思われないはずだし」
そんなことは無いと思うけど……。まあ斜に構えた本音の小宮山さんっぽい陰キャの意見って感じで僕は良いと思うけど。
「文化部は? アニメ研究部とか文芸部とかあるよね」
「アニ研はオタクしかいないから論外。文芸部は見学行ったけど森鴎外とか武者小路実篤とか、高尚な文学ばかりで低俗な文学しか嗜んでない私じゃ無理」
オタクらしい卑近さを醸し出しつつも、小宮山さんはコーラをちょっとだけ口に含んだ。そのままベンチ横の小さな机に置く。
「てか私がオタクだからってそれっぽい部活ばかり並べないでよ。他にも二つ三つは見学行ったんだけど?」
「ごめん。で、何で入らなかったの?」
「嶋守くんって絶対友達いないよね」
ジトリと呆れた瞳で見つめられた。
おっと。僕が責められるパターンかこれ。そりゃ友達なんていないけど何で見透かされたんだろうか。
暫く僕を非難するような視線を送っていたが、やがて溜息を吐いた。
「……一番入りたかったのは家庭科部だったの。料理とか興味あったし、お菓子作りもやるって。楽しそうだったから」
「へぇー」
「でも居たの、同中の藤野が」
同中…………ああ、同じ中学の生徒って意味か。クラスメイト同士が良く会話で使ってる語彙だけど僕は使ったことがなかったら思い出すのに時間がかかってしまった。藤野という名字に聞き覚えが無いから、多分、同じクラスじゃなかった1年生の時の話だろう。
その間に小宮山さんは拳を握って語り出す。
「しかもアイツ、中学のとき私のオタク趣味をばら撒いて笑い者にしたんだよ。興味本位でさ。絶対に許せるわけないじゃん。なんとかBLだけは死守出来たんだけど、あんな奴と同じ部活動だなんて絶対に私は嫌なの!」
あんな堂々と教室でBL小説を読んでたのに死守も何も無いんじゃないかな。思っただけで口には出さないけども。
「それでクラス内の人脈を築き上げる方向に行ったと」
「そういうこと。私は別にリア充になりたかったわけじゃないし……ああもう全部お母さんのせいだもん。お父さんはちゃんとBL趣味に対して理解してくれてるんだから」
「あはは……」
それは恐らく諦められているだけだと思うぞ小宮山さん。
「───っていうかさ、ここまで事情話したんだから手伝ってくれるよね嶋守くん?」
「え、どういうこと??」
意味が分からずポカンとした僕の肩を小宮山さんが掴んでくる。
え、僕コーラ奢ってるのになんで強制されかけてるの?
「だって私だけ赤裸々にBL趣味を告白して、高校デビューの話までしたんだよ。これって私にしか損無いよね。だからその損分くらいは嶋守くんが手伝ってくれるべきだよね」
「損ってBL趣味は中学二年の頃から知ってたけど」
「スマホ出して。ほら早く!」
反駁する僕に取り合わず、小宮山さんはスカートからスマホを取り出しては僕を急き立てる。
いや何でスマホ?
「ほら貸してスマホ。あ、ロックとか解除して……生意気にFace ID使ってるんだ嶋守くん。連絡先追加するからね」
「連絡先?」
「だって協力してもらうのに連絡先知らなかったらダメでしょ。クラス内で嶋守くんに話しかける訳にも行かないし」
それってギャルの私がオタクに話しかけたら周囲から同類と思われるじゃん的な意味かな小宮山さん。まあ何の反論も出来ないけど。
あと重要性が低いから聞き流したけどなんでFace IDを使ってたら生意気なんだろうか。ちょっと酷すぎる。
「はい、これで連絡先登録したから」
「あ、うん。ありがとう……?」
返ってきたスマホを見れば、僕のLineに小宮山さんの連絡先が登録されている。プロフィール写真は何処かの海岸線で、複数人でピースした指を繋ぎ合わせて輪の形にした写真だ。多分リア充になるべく高校入学前に撮ったと考えると……これ以上の詮索は止そう。まさか一人で海に行ってピースして、画像加工した上で作られた一枚だなんて僕は思いたくない。涙ぐましい努力すぎる。
小宮山さんはスマホを見て満足そうに微笑むと、そのまま立ち上がった。
「じゃあ私帰るよ。今日は色々あって疲れたし……寝るかな」
「うん。じゃあサヨナラ」
「また連絡するから」
ディズニーキャラのぬいぐるみが付いたスクールバッグを肩にかけると、小宮山さんは僕に背を向けてバッティングセンターへの入り口へと歩き始める。
あれ、飲みかけのコーラ置きっぱなしじゃん。
そう思って声を掛けようとして、その前に小宮山さんが振り返ってきた。
「そうだ、コーラはあげるよ。私糖質制限しててあんまりジュース飲みたくないんだ」
「……あ、はい」
「そういうことだから」
入り口から消えていくのを見届けると、思わず僕はコーラを手に取ってマジマジと見てしまう。
中身こそ腐臭漂うオタクだけれど、見た目爽やか金髪ギャルな小宮山さんの飲みかけコーラだ。思いがけずレアな逸品をゲットしてしまった。きっとネットオークションにでも売れば愛好家たちの入札合戦によって5万は下らぬ値が付くだろう。
でも既にプルタブ空いてるし、放っておけば炭酸も抜けるから飲むしかないよなぁ……このコーラ。
謎の緊張感を全身に張り巡らせつつも、僕は小宮山さんの唇が触れた缶の飲み口に間違っても口が付かないようにしながら、コーラを頭の上に持っていき口内に向けて流し込んだ。
……なんというか。
期待外れ……いや別に期待とかしてかったけどさ。
普通にコーラの味じゃん。
間接キスの味ってなんなんだ。教えてくれよ、僕に恋愛知識を授けてきた恋愛ラブコメラノベ作家の方々よ。コーラはコーラでしかなかったぞ。
間接キスを避ける飲み方も疲れるので、僕は諦めてミネラルウォーターでコーラの飲み口をちょっと洗って拭いたあとに普通にコーラを飲んだ。そして普通に美味しかった。コーラ最高。
こういうラノベが書きたかった。