ネロの蹴りをまともに受け、床へ倒れこんだままのバージル。
生徒たちにとって、ネロは見覚えのない人物だった。
だが――
「親父」
その一言を聞いた瞬間、会場にいた生徒たちは一斉に固まった。
しかし、そんな周囲の反応など意に介さず、ネロはバージルへ歩み寄る。
そしてそのままバージルの上に跨ると、拳を握り締めた。
ドゴッ!
拳が振り下ろされる。
不満をぶつけるように、バージルの顔面へと叩き込んだ。
ドゴッ!
さらに一発。
ネロは何度も拳を叩きつける。
バージルは抵抗しなかった。
避けない。防がない。
ただ黙って、ネロの拳を一つ一つ、真正面から受け止めていた。
会場を包む空気は、凍りついていた。
誰も口を開かない。誰も、この光景に割って入ろうとはしない。
ただ、ネロの拳がバージルへ叩き込まれる音だけが響き続ける。
やがて――
ネロの拳が止まった。
それでもバージルは、一度も抵抗しなかった。
そして、何事もなかったかのように口を開いた。
バージル「気は済んだか?」
ネロ「……まだ鬱憤はあるけど、もういいや。一周回って冷静になったよ」
そんな二人の会話に、真っ先にユウカが声を掛けた。
ユウカ「あの、先生、その人は……?」
バージル「……こいつは、端的にいえば……」
「息子だ」
バージル自身の口から「息子」という言葉を聞いた瞬間、その場にいた生徒全員が目を丸くした。
言葉を失う者。耳を疑うような声を上げる者。あまりの衝撃に、思考が停止する者。
それぞれが異なる反応を見せていた。
アスナ「へぇー、先生って子供いたんだ」
カヨコ「なんというか……あまり子持ちの親って雰囲気がなかったから、気づかなかった」
生徒たちは一斉にネロへ視線を向ける。
しかし、改めて見ても、ネロとバージルにはそれほど年齢差があるようには見えなかった。
そんな疑問を抱いた一人の生徒が、率直に尋ねる。
モモイ「先生の息子の――ネロ? って、今何歳なの?」
ネロ「俺か? そうだなぁ……今年で26だ」
その言葉を聞いた瞬間――
生徒たちは再び固まった。
そもそも、生徒たちは誰一人として、バージルの実年齢を聞いたことがなかった。
モモイ「26?……え、じゃあ先生っていくつなの!?」
その一言で、生徒たちは再び静まり返った。
誰もがバージルへ視線を向ける。
これまで誰一人として聞こうとしなかった――いや、聞く必要がないと思っていた疑問だった。
バージルは外見だけなら、二十代後半ほどにしか見えない。
しかし、26歳の息子がいる以上、見た目通りの年齢ではないことだけは明らかだった。
バージル「……正確な年齢など覚えていない」
「ただ、こいつより長く生きていることだけは確かだ」
突然の話に、生徒たちは困惑しながらも、バージルとネロの二人へ視線を向ける。
聞きたいことは、生徒たちにも山ほどあった。
だが、それを尋ねるのは親子の会話が終わってからでも遅くはない。
バージルはその場を後にし、ネロも生徒たちへ軽く会釈をしてから、その後を追った。
――そして。
~シャーレ・屋上~
二人が屋上へ着くと、真っ先にネロが口を開いた。
ネロ「まず、俺から質問する。いいか?」
バージル「……何を聞きたい?」
ネロは表情を引き締め、バージルへと向き直った。
ネロ「……あれから約2年経ってるんだが……ダンテはどうした?」
バージルがキヴォトスへ来て以来、未だに所在の分からない人物。
――現代世界のダンテ。
バージル「俺が知るか。……少なくとも、ここキヴォトスにはいなかった」
ネロ「俺のいた世界にも帰ってきてない」
バージルはキヴォトスへ来て以来、ダンテの所在を探していた。
しかし、その行方は未だに掴めていない。
バージル「そうか……となると、あとは――」
すると、ネロがふと疑問を口にした。
ネロ「というか、親父はダンテと一緒に行動してなかったのかよ? クリフォトの根を断つって言い出してから」
バージル「事実を言うのであれば、記憶にない」
「そもそも、俺がこうして先生になった経緯すら知らん」
ネロ「記憶喪失って……あんた、くだらない冗談を――」
バージル「……」
ネロは冗談として捉えようとした。
しかし、バージルの表情を見るや否や、その考えを改めた。
ネロ「……マジかよ」
「本当に記憶喪失なのか?」
バージル「そう言っている」
ネロ「そういうのって……実際にあるんだな」
ネロは、どうにもその事実を受け入れきれない様子だった。
バージル「だが、これで分かった。人間界、そしてここキヴォトスにもダンテがいないのであれば、残る場所は――」
ネロ「魔界……いやそもそも、それ以前に、ここに来てからツッコミどころが多すぎるんだけど」
ネロは、再び別の疑問をバージルへぶつけた。
バージル「何がだ?」
ネロ「一つだけ聞くとしたら……なんで親父が先生やってんだよ」
バージル「最初にも言ったが俺が先生になった経緯は知らん」
「今は……」
ネロ「今は……何だよ」
バージルは口を閉ざした。
そして、ネロから視線を逸らし、深く考え込む。
その様子を見たネロは、理由こそ分からなかったものの、何か言えない事情があるのだろうと察した。
ネロ「まぁ、別にあんたが何しようが構わないけど、せめて話しに来て欲しかった」
「別に気になった程度だから、無理に答えなくていい」
バージル「……そうか」
「……それでだ。ネロ、お前はどうやって閻魔刀なしでキヴォトスへ来た?」
ネロ「それは……」
ネロは少し考え込む。
そして、服の内側へ手を入れると、折り畳まれた一枚の紙を取り出した。
ネロ「これだ」
紙を手にしたまま、ネロは口を開く。
ネロ「この手紙に、親父の居場所と……ここへ来る方法が書かれていた」
「その指示に従って、ここまで来たんだ」
だが、バージル自身は手紙を書いた覚えなどない。
それどころか、生徒たちに「ネロ」という人物がいることすら、一言も話していなかった。
だからこそ、バージルはこの手紙を不審に思っていた。
バージル「……見せてみろ」
ネロ「……それは……できない」
バージル「何故だ?」
ネロ「これは俺宛てに送られてきた物で、第三者に読まれたり、内容を話したりしてはいけないんだ。だから言えない」
「もし破ったら……」
バージル「破れば……?」
ネロ「……いや。一応、これも言わないほうがいいかもな」
これほどまでに口を閉ざす辺り、相当な誓約があるのだろう。
バージル「……まぁ、注意して損することはないな」
「ただ、送り主は分かるか? さっきの注意事項からすると、それくらいなら話しても良さそうだが」
ネロ「……連邦生徒会長、とだけ書いてあった」
「連邦生徒会長」という言葉を聞き、バージルは眉をひそめた。
バージル(妙だな……連邦生徒会長は、既に失踪しているはずだ)
(それに――俺の記憶喪失にも、何か理由があるのか……?)
バージル「……わからんことをいつまでも考えても、しょうがないか」
何か関連性があるのかもしれない。
だが、今の時点では何を考えても推測の域を出ない。
バージルはひとまず、この件について考えるのを後回しにすることにした。
そう結論づけた、その時だった。
ネロの身体が僅かにふらついた。
バージルはそれを見過ごさず、ネロへ視線を向けた。
バージル「……ネロ。寝ていないのか?」
ネロ「あぁ?……いや、そういうわけじゃない。ここに来るまでは体調も万全だったんだが……」
ネロは額に手を当てる。
ネロ「……なんか、熱と倦怠感がな、風邪でも引いたのかな?」
バージル(熱や倦怠感か……。キヴォトスに来るまでは万全だったと言っていたな)
熱や倦怠感――。
しかも、それがキヴォトスに来てから現れたという。
バージル(まさか、神秘の影響……か? いや、だが……ネロより俺の方が強く影響を受けるはず)
(なのに、症状が出ているのはネロの方か……)
バージル「……わからんことばかりだ」
ネロ「まぁ、俺が聞きたいことは全部聞いたけど、他に聞きたいことはあるか?」
バージル「……俺からは特にないが……お前の方では、何かあったか?」
バージルは、何か大きな事件や異変が起きていないか――遠回しにネロへ尋ねた。
特に、自分たちが関わった一件が人間界にも影響を及ぼしていないか。それを確認するためだった。
ネロ「1年前に一件だけ、ちょっとしたことが……」
バージル「ちょっとした?」
ネロ「ああ。ダンテが借金返済のために、魔具をいくつか質に入れたって話は聞いてるか?」
バージル「そういえば、言っていたな。呆れる話だ」
ネロ「そのうちの一つが、行方をくらませた……というか、悪魔の力を取り戻して逃げ出したんじゃないかって話があってな」
バージル「何故、疑問形なんだ?」
ネロ「俺も、ダンテの仲間たちも直接見たわけじゃないからな。あくまで状況から、そうじゃないかって推測してるだけだ」
バージル「それで、その悪魔が今、行方不明と」
ネロ「そうだな。悪魔の名前も聞いたんだけど、忘れちまった」
バージル「分からんでもない。俺も、いちいち悪魔の名を覚える気などない」
そして、二人は互いに黙り込んだ。
互いに聞きたいことを聞き終え、話題がなくなったのだ。
しばらく気まずい空気が流れる。
先に口を開いたのは、ネロだった。
ネロ「まぁ、そうだな……親父が世話になったそうだし、あんたの生徒たちに改めてちゃんと挨拶しておかないとな」
バージル「世話? 今まで面倒を見られた覚えはない。戻るのなら、お前が先に戻っていろ」
ネロ「なんでだよ? 初対面だし、さっき結構気まずい空気だったんだ。先生なら責任持ってついて来いよ!」
バージル「仕方がない」
しぶしぶ、生徒たちのいる空間へと戻る二人。
すると、生徒たちは何人かに分かれて集まり、何やら話し込んでいた。
ネロのことを聞きたがる生徒もいれば、家族関係に踏み込んで口を出すべきではないと考える生徒もいる。
そんな意見の食い違いから、生徒たちの間では小さな言い争いまで起きていた。
それからしばらくの間、ネロと生徒たちは言葉を交わしていた。
バージルの息子ということもあってか、生徒たちは特に警戒することもなく、ネロと話していた。
ネロは気さくな性格で、言葉遣いこそ強いものの、面倒見は良かった。
生徒たちの話にも真剣に耳を傾け、まるで兄貴分のような立ち位置で接していた。
三十分ほど経つと、ネロは元の世界へ戻ると言い出した。
そして、バージルの方へと向き直ると、
ネロ「まぁなんだ、元気にやっているようで、何よりだよ」
バージル「貶しているのか?」
ネロ「何でそう捉えるんだよ!? 普通に心配を……あーくそっ」
バージル「……心配される筋合いはない。そう簡単に死にはせん」
ネロ「そういう意味で言ったわけじゃないんだけどな」
「まぁ、親父は掴みどころがない奴だけどこれからも仲良くやってほしい」
生徒たちは顔を見合わせた後、ネロの言葉に力強く頷いた。
ネロ「それに、バカなことをするようなら……親父、分かってるよな?」
バージル「やらかす前提で話してくるな」
そうしてネロは、シャーレを後にした。
ネロがどのような経路でキヴォトスへ来たのか――バージルは、今のところ探るつもりはなかった。
だが、ネロとの再会によって、バージルの中には一つの明確な目標が生まれていた。
未だ行方知れずとなっている、現代のダンテ。
そして――これから相対することになるであろう、最古の悪魔。
この二つに関わる謎を追うことこそが、今のバージルが為すべきことだった。
バージルは、静かにその決意を胸へ刻んだ。
第二部はこれにて完結です。
次話からは、設定資料的なものを投稿すると同時に、本編から少し離れ、2.5部へと移行する予定です。