「きゃあああああああああ!!!!!!!!!」
ミノタウロスが、少女を襲う。突進を一度かわした。だがそこから角のしゃくり上げ。小手で受けたが、ミノタウロスの角は鎧を容易く貫き、左腕を切り裂いた。絶命しなかっただけでも、奇跡だ。
フー、フーとミノタウロスが荒い息を吐く。少女は恐怖の表情で壁を背にし、座り込んだままだ。足が震える。逃げなくてはならないのに、立ち上がれない。次の一撃で、間違いなく死ぬ。
少女がそう思った瞬間、ミノタウロスの体を閃光が通り抜けた。突進の体勢に入った体から、首が、腕が、足が吹き飛ぶ。慣性に従い前に吹き飛んだ頭は、少女の足元に転がった。
「………あ」
理解が追いつかない、
「………え?」
【ロキ・ファミリア】所属。Lv.3第二級冒険者、レフィーヤ・ウィリディスは自分の眼を疑った。ミノタウロスが、勝手に切断された。彼女の目には、そう見えた。
そして、その帰り道。17階層でミノタウロスの大軍に遭遇。と言っても、ロキ・ファミリアにとってこんなものは脅威でも何でもない。むしろ、下位の団員に経験を積ませるチャンスである。
しかし、空気を読まない第一級冒険者の幹部が何人か最前線に出たのが不味かった。いや、いくら何でも数が多すぎたから、多少は片付けてもらって構わない。
だが、その彼らに怯えたミノタウロスが逃げ出すなど、予想できるはずなかった。しかも運悪く、その大群は上層に向かってしまったのである。
そして、レフィーヤの担当になったのが、この10階層。だがダンジョンの中だ。迷路の曲がり角で、見失ってしまった。悲鳴を聞いて慌てて駆け付けたものの、間に合うタイミングではなかった。
仮にレフィーヤが移動しながら詠唱する並行詠唱を使えれば、助けられただろう。だが「火薬樽を抱えて火の海の中を走る」と言われる高等技術だ。彼女には、まだ使えるものではなかった。
「………」
呆然としているレフィーヤの先で、青年が魔石を拾い上げた。歳は20歳くらいだろうか。黒髪で、顔はそれなりの美男というところか。だが、その外見には違和感しかない。
(この人の装備品―)
何をしたのかはわからない。『魔法』か『魔剣』を使ったのだろうが、ミノタウロスを雑魚のように倒してしまった。魔術師で相性が悪いという点はあるが、Lv.3冒険者のレフィーヤでも苦労する相手を、だ。
そんな実力がありながら、防具は下級冒険者向けの安物。血のように赤い剣だけは、何か、ものすごく禍々しいものに見えた。実力と武器に対して防具が、全く釣り合ってない。
「……あの、先ほどのミノタウロスを倒したのは、あなたで間違いないんですよね?」
「…他に誰かいるのか?……【
Lv.3冒険者ではあるが、レフィーヤの名はかなり広く知られている。だから、この青年が知っていても何らおかしいことではない。だが視線と声音が、吹雪の極寒を感じさせる。
「
変わらず、抑揚の薄い声音で話しかける。気絶した少女の腕は大きく切り裂かれ、ひどく出血していた。その手当てのためだろうが、使い切ってしまったため残念ながら持ち合わせの回復薬はない。
レフィーヤが首を振ると、青年はひとまずタオルで患部をきつく縛って圧迫した。出血さえ止めれば、回復薬のある地上まで戻れば何とでもなる。
(……悪い人では、……ない?)
手際よく止血の処置を行う青年を見て、レフィーヤは第一印象による評価を少し改めた。当初は冷酷非情に見えたが、しっかり怪我人を助けるなど、常識や良心はあるようだ。
「…あ、あの、実はあのミノタウロスなんですけど、まだ残っているはずなのです。私はその掃討にあたりますので、この人のことを任せても良いでしょうか?」
試しに、言ってみた。返答は「……ああ」とそっけないものだったが、気絶した少女を抱え、ふっと消える様に走り去った。Lv.3のレフィーヤが、目で追いきれない速度で。
「……な、何だったんでしょう。……とにかく、この階層のミノタウロスを駆逐しないと」
当初の目的を再確認したレフィーヤは気合を入れ直し、10階層を見回った。確認したところによると、この10階層には2匹のミノタウロスが逃げ込んだはずである。まだあと1匹残っている。
下級冒険者が襲われれば、先ほどの少女のようにろくな抵抗もできず殺されてしまう。そうはさせじとレフィーヤは10階層を駆けまわったが、ついに発見することができなかった。
上の階を片付けた同僚たちが戻ってこないレフィーヤを気にかけ皆で探すことになり、最終的には鼻の利く獣人の団員が臭いで追跡したところ、ミノタウロス一体分に相当する灰の山に行きついた。
『
帰還翌日。
「夜は打ち上げやるからなー!遅れんようにー!!」
必死の思いで行って帰ってきて、一息入れたら魔石や戦利品の換金、消耗した武器の整備や再購入、消費した
オラリオ西のメインストリートで最大級の酒場『豊穣の女主人』は、主神ロキお気に入りの店である。女主人のミアが作る料理と、見目好い女性だけの店員たちがその理由だということは、団員皆気付いている。
「よっしゃあ、ダンジョン遠征みんなごくろうさん!今日は宴や!飲めぇ!」
主神ロキの乾杯の音頭を合図に収拾のつかない大騒ぎになる。周囲は都市最強派閥が一堂に揃った光景を興味津々で覗き見る。
【ロキ・ファミリア】の団員で、その不躾な視線を気にする者は少ない。好奇の目に晒されるなど、いつものことだ。皆、慣れてしまっている。
その中で、最強の一角とされる【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインは、ふと妙な視線を感じて辺りを見回した。妙と言ったが、決して害意のあるものではない。
一つは、何というか真っ直ぐだった。嫌味な感じがしない。もう一つが、無関心。そこだけ穴が空いたような、奇妙な感覚。単に団体客が入ってきたので、気になって顔を向けたという程度。
「………」
先の一つはすぐ消えた。何だったのだろうと思うが、わからない。もう一つはすぐ分かった。奥のテーブルで、家族だろうか、初老の夫婦と、青年、それに少女がテーブル席に座っていた。
「アイズさん、どうしました、…って」
アイズの視線を追い、レフィーヤが気付いた。「知り合い?」と尋ねられて、「先日の10階層の人です」と短く返す。報告はアイズも聞いていた。となると、Lv.3以上か。それなら、この態度も頷けないことはない。
不意に、相手の方がこちらを見た。アイズの視線が気になったのであろう。その瞬間、ぞくっと背筋を冷たいものが通り抜けたような悪寒に襲われる。
「何だぁ、おいアイズ、何惚けてやがる」
一瞬のことだった。同僚のLv.5冒険者であるベート・ローガの言葉に我に返る。相手はまた興味を失ったように、料理と向き合っていた。
ベートはかなり悪酔いしているようだ。宴の開始からまだそれほど経っていないが、一気に呷ったのだろう。酒好きではあるのだろうが、強くはないのかもしれない。
「なあおいアイズ。あの話をしてやれよ」
そして酔った時のベートは、アイズはあまり好きではない。素面ならまあいい。常に『強さ』を求める、超が付くほどの実力主義者。やり過ぎではないかと思うことはあるものの、自分に近いとも感じていた。
ベートはいつも弱者を侮蔑し暴言を吐くが、それは単なる強者の傲慢ではない。真意はよくわからないが、その裏で彼がどれほど強くなるために努力しているか知っているアイズはそう思っている。
だがそこに酒が入ると、本人でさえ止まらなくなるのか、暴言に拍車がかかる。それはもうただの侮辱であり、人を傷つけるだけの悪意しかない。
17階層で遭遇したミノタウロスの集団。そのうち一頭が何と5階層まで駆け上り、まだ駆け出しとしか思えない冒険者を襲った。間一髪でアイズの救援が間に合ったものの、問題はその後だ。
「まるで兎みたいなやつでよ……。そいつ牛の血を全身に浴びて……、真っ赤なトマトになっちまって……、そんで叫びながらどっかに行っちまって……。うちのお姫様、助けた相手に逃げられてやんのぉ!」
話しながら笑いが込み上げてくるベートと、それに唱和する周囲の笑声。
「しかしまぁ、久々にあんな情けねぇヤツを目にしちまって、胸糞悪くなったな。野郎のくせに、泣くわ泣くわ。泣きわめくくらいなら最初から冒険者になんかなるんじゃねぇっての」
その中で、アイズだけが暗く、不快感を募らせていた。それに気付いた副団長のリヴェリアが窘めるが、ベートは止まらない。
「そんな救えねぇヤツを擁護して何になるってんだ?ゴミをゴミと言って何が悪い。雑魚は身の程を弁えやがれ。…なあアイズ、お前ならわかるだろ?あんな雑魚が自分と同じと認めるなんて、できるわけねーよなぁ」
不快感の中で、アイズはベートの言葉を否定できない。アイズ・ヴァレンシュタインに弱者を顧みる余裕はない。常に進み続けるだけ。後ろを振り返ることは許されない。だから―。
「雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」
その言葉と同時に、一つの音が酒場に響いた。ガタンと椅子が倒れ、人が走り去る。その後姿を見たアイズは反射的に立ち上がり、扉の外まで追いかけた。
何だ?、と人々が呆然とする中で、パシャという水音が響く。それに気付き、音の元に視線が集まる。どういう光景なのか理解した瞬間、何人かは顔色を失った。
「………何しやがる」
「少しは酔いが醒めたようだな。……貴様のせいでせっかくの料理が台無しだ。いい加減にしてもらおうか」
一人の男が、ベートの頭の上で水の入ったグラスをひっくり返したのだ。レフィーヤだけはそれが先日の10階層の人だと知っている。だが声は出ない。ベートにこんなことをすれば、やった者の命はない。
「はっ、図星でムカついたってか!テメエも雑魚の一人なら、大人しく巣穴に引っ込んでりゃいいんだよ!不相応な夢に潰され、大切なものを失い、後悔の中で喰い殺されたくなかったらな!」
彼にしては珍しい。酔って口が軽くなっていたためか、この酒場では喧嘩厳禁と知っていたためか、ベートはすぐさま手を出さなかった。だがその次の相手の言葉が、全てをぶち壊す。
「……成程、また失うのが怖いのか」
ドゴォ、と衝撃音が店中に鳴り響いた。Lv.5冒険者の、神速の蹴撃。普通なら防ぐ間もなく受け吹き飛ばされた相手は壁に大穴を開けるだろう。レフィーヤはその光景を想像し、思わず目を閉じた。
「………?」
音は一つだけ。おかしい、と思い、目を開ける。そこには対峙したままのベートと青年の姿。なんと、ベートの蹴りを、左腕一本で防いでいた。
「………テメエ」
もはやベートの表情に酔いなど欠片もない。標的を定めた獰猛な獣の視線が、相手を射抜く。流石にこれ以上はまずいと周囲が止めに入ろうとしたところ―。
「喧嘩は、駄目ー!!!」
何とも場違いな、可愛らしい少女の声が響く。相手の青年と向かい合って食事していた少女が、青年の腰に抱きついてきたのだ。その状況にベートも青年も周囲も、皆あっけにとられる。
「フォルトゥナぁぁぁぁ!!!!!」
その中で最も早く動いたのは、神ロキだ。まるで蛙が跳ぶ様に座った状態から一足飛びで跳ね、少女に抱きついた。何も知らない周囲からすると、幼女を誘拐あるいは強姦しようとする変質者そのものである。
「ついにこっちに来たんかー!あああ可愛い可愛い可愛い。あれ自分の眷属か?うん、ウチの馬鹿狼がぜーんぶ悪い。だから喧嘩なんてやめよーなー。あ、これ食べや?」
頬ずりするロキに対して、フォルトゥナと呼ばれた少女はされるままにしていた。主神から責任を押し付けられたベートは「どういうことだぁ!?」と激昂するが、もうロキの耳には届かない。
女神フォルトゥナ。司るは運命。れっきとした神の一柱である。………なのだが、外見は少女を通り越して幼女と言った方がいいだろう。金髪金眼、整い過ぎた容姿は確かに下界のものとは思えないが、その愛くるしい仕草は6、7歳の
なおロキに言わせると、「運命の女神やから幼女なんやろ」となる。運命というのは純真で気まぐれで残酷な、子供がその時の気分で決めてしまうようなものだからだ。
そして、そんな可愛らしい幼女となれば、
「なーフォルトゥナ、いつこっちに来たんや?」
幼女を膝の上に置き、優しく問いかける。文字にするとほのぼのとした光景が浮かばないでもないが、実際にはロキがゲスな笑みを浮かべながらだから、事案一歩手前だ。
「まだ二月?いろいろ大変やろ?ネエちゃんお金持ちやからなー。なーんでも買うたるでー」
酔いも手伝い調子のいいことを言う主神に、流石に聞き捨てにできないと団長のフィンもリヴェリアも止めに入る。ファミリアの資金を、自分の
その間に、ベートの相手をしていた青年は消えていた。
「追わないのか?」
店を飛び出し、その先で立ち尽くしていたアイズに、青年が声をかける。この青年も、先ほど逃げ出した少年が、ベートが嘲笑っていた少年である事を知っていた。たまたま見かけただけだったらしいが。
「……強くなるためには、関係ない」
ズキン、と胸が痛む。あの少年は、かつての自分を思い出させてくれた。【剣姫】となる前の、自分。それを穢されるように感じた。だから不快に感じはしたが、それはもう捨てた郷愁だ。
歩みを止める理由には、ならない。なのに、この胸の痛みは何なのか。
「……ここで仲間と飲んでいれば強くなれるものではないだろう。躊躇している内にあの少年が死ねば、何もできなくなる。謝れなかったと後悔しても遅い」
「……あやま…る?」
え、と俯いていたアイズの顔が上向いた。本気で、初めて気づいたという表情を浮かべる。相手の青年は抑揚の薄い声で問う。逃げ出した彼を追ったのは、傷つけたことを悪いと思ったからではなかったのか、と。
ああいう目に遭った男の取る行動は二つ。自分だけの領域に引き籠って涙にくれるか、自暴自棄となって危地に赴くか、だ。ダンジョンの方へ向かったあの少年が取った行動は、間違いなく後者。
はっとしてアイズが腰に手をやる。剣はない。皆が置いて行けと言うからそうしたのだった。取りに帰ろうと自分の
「……貴方の名前を聞いていなかった」
「……【フォルトゥナ・ファミリア】所属、ノア・セファル」
■登場人物紹介:フォルトゥナ
・【フォルトゥナ・ファミリア】主神
・甘えん坊ロリ
・日本で知名度がある名前で、幼女にする理屈を付けられたのでこうなった。ヘスティアをロリと思わない作者が『真のロリ』として登場させた神である