神ソーマ。司るものは『酒』。当然、リリ達【ソーマ・ファミリア】の主神である。
「あの神様に会って、何をするつもりですか?」
リリの声音は堅い。警戒心がありありと現れていた。
ソーマは、一言で言ってしまえば自分の趣味にしか興味のない神である。その趣味とは、司るものである『酒造り』。ファミリアのことなどそっちのけで、酒の醸造にだけ精を出す変人だ。
「決まっている。
ノアの答えはリリの予想の範疇である。というより、神ソーマに会いたいという以上、それしかないと言った方が正しい。
「【ソーマ・ファミリア】のお酒でしたら、数は少ないですが市場にも出回っていますが?」
「ああ。それが『失敗作』という噂も聞いている。『完成品』が欲しい」
リリの顔が、大きく強張った。
「『完成品』、ですか……。あれは……、飲んだら、戻れなくなります。飲んだ人はみんな、変わってしまって……」
【ソーマ・ファミリア】における『完成品』とは何か。ベルのような善人であれば、純粋に「酒として完成度の高いもの」と捉えるだろう。だがリリは知っている。
その『完成品』が、いかに人を狂わせ、人生を破壊してきたかを。
「別に自分で飲むつもりはない。贈答用だ」
目的の相手は舌が肥えている。市場に出回るような『失敗作』では、到底満足しないだろう。むしろ、そんなものは常飲している可能性が高い。ならば、正式な『完成品』を手に入れる他にない。
「……無理だと思います」
リリは目を伏せた。あの酒を醸す神は、人の話を聞かない。唯一執着しているのは自分の作った酒だけだ。完成品など、団員だってろくに口にできるものではない。
「交渉の手段は用意してある」
「手段って……、お金じゃ無理ですよ?」
「金ではない」
即答だった。リリはそれを聞いて、ほんのわずかに安堵した。もし金で何とかしようとするなら、逆に無謀だと思っただろう。
「……わかりました。ソーマ様に取り次ぎます。ただし、本当に一言も喋らず追い返される可能性も、ありますから」
とりあえず、自分は案内すればいいだけだ。ノアとソーマの話し合いがどうなるかまでは知ったことではないし、責任を取る筋合いもない。……ならば、引き受ければいい。
翌日、約束通りリリはノアを連れて【ソーマ・ファミリア】の
本拠には、門番も守衛もいない。ガランとして人っ子一人いないような静けさに包まれていた。地上に残る団員のほとんどは、別の場所にある酒蔵の方に詰めている。
「ソーマ様でしたら大抵は畑か、……今日はいないから自分の神室ですかね」
リリにとっては、一応は家である。ずかずか踏み込んでも文句を言われる筋合いはない。ソーマの神室となると無断で立ち入るのは不味いが、そこまでなら誰の許可も必要とせずに進める。
「ザニス様…」
「ああ、アーデではないか。久しく顔も見せなかったが、何をしていた」
ソーマの神室の前には、さすがに人がいた。この【ソーマ・ファミリア】の首領―ザニス・ルストラ。ファミリア内では数少ないLv.2の上級冒険者であり、神ソーマに代わってこのファミリアを切り盛りしている男だ。
「ソーマ様に直に話を聞いてもらいたい、という客人を連れてきました。リリ一人で充分ですので、ここはお任せください」
リリの声には、はっきりとした警戒と敵意がにじんでいた。自分のファミリアの団長であるこの男を、全くと言っていいほど信頼していないのは明白だった。
「そういう訳にはいかん。ファミリアの団長として、まずは話を聞かせてもらおう」
「ソーマ様でなければ裁定の出来ない話です。お引き取りを」
後ろの男は泰然としたままだ。大きな樽を背負っていた。得体の知れない奴だが、自分以上の上級冒険者であれば面倒だなと、ザニスは所属と等級を警戒して問う。
「【フォルトゥナ・ファミリア】所属、ノア・セファル。……Lv.2だ」
Lv.2か、とザニスは安堵した。その安堵ゆえに、それなら会わせてやってもいいと思ってしまった。余計なことを神ソーマに吹き込まれぬよう、状況を把握するためと称して自分も同席するという条件は付けたが、それは団長として当然の権利だ。リリもそこまで強く拒めず、やむなく了承した。
……まさかそれが、自分の破滅に繋がるなどとは、ザニスは微塵も思っていなかった。
さらに翌日、【ソーマ・ファミリア】の
「27階層まで行き、水を採取してくること。果たした団員には、望む褒美をやろう」
主神がそう言った時、団員は大きくざわついた。27階層。それは、【ソーマ・ファミリア】の全戦力をもってしても、絶対に到達できない階層である。
ノアが交渉の手段として用意したものは、27階層で採集できる『
「…地上の水とは、香りが違う。水を変えれば、酒の味も変わるか?」
ノアが背負ってきた樽を降ろし、中身が水と知り怪訝な顔をしたソーマだが、皿に取った水を舐めて少し目を細めた。酒の仕込みには水がいる。美味い水は、美味い酒に欠かせない。
「……しかし、これだけでは足りない。もっとだ。もっと手に入れることができれば、『神酒』と交換してもいい」
金でも他の何でもソーマは『神酒』を渡す気は無いが、酒の味を変えるとなれば話は別である。しかも自分のファミリアでは無理、というのなら、『神酒』を出すのもやぶさかではない。
とはいえ一人では一度に運べる量などたかが知れている。【ソーマ・ファミリア】から運搬役を出す、ということで、話は付いた。
「リリが行きます!!!」
躊躇する団員の中で、リリは真っ先に名乗り出た。ノアの実力を知っているから出来た事である。ソーマはザニスの舌打ちをよそに、「では任せる」と即決してしまう。
「俺も行く」
もう一人名乗り出たのは、チャンドラというドワーフであった。彼もLv.2だ。そして、その声に続く者はいなかった。それで、ザニスは再び安堵する。
Lv.2が二人と、Lv.1のサポーター。これでは中層の浅い階層まで行くのがせいぜいだろう。とても下層―27階層まで行ってこれるような布陣ではない。
おそらくノアは上級冒険者に雇われて、サポーターとして27階層まで行ったのだろう。それで余った水を押し付けられた。ソーマとの交渉に使えると思い付いたのは秀逸だったが、今の展開には内心焦っているに違いない。
そうザニスが考えたのは無理もない。それが『常識』なのである。
「では行ってくる。神ソーマ、契約はこれで良いか?」
「良くはない。もっと水が欲しい。……しかし、仕方ない。『神酒』も、一瓶は渡す」
ノア達が27階層から『
「戦闘は任せろ。お前らは樽を運ぶだけでいい」
ノアはそう豪語した。チャンドラは名乗り出はしたものの、状況には後悔している。27階層なんてはなから無理に決まっており、18階層、『
そもそも、チャンドラが名乗り出た理由は、ザニスの追い落としである。奴が『完成品』の『神酒』をくすねている証拠を掴んでおり、ソーマに話を聞いてさえもらえれば、勝てる見込みは充分あった。その機会を得たいがためだ。
リリは何の心配もしていないようである。それどころか「下層のドロップアイテム…、一つ残らず持ち帰らねば…」と呟く辺り、本気で下層まで行ってくる気のようだ。
チャンドラはため息を吐いたが、生きて帰ればザニス抜きでソーマと話せる機会ぐらいは持てるだろう。とにかく、行くだけは行こう。……その彼の常識は、早々に崩れる。
上層。まあここはLv.2が二人もいれば問題は何もない。中層。ここから苦しくなるはずが、ノアは全てのモンスターを【閃光刃】の一撃で倒してしまった。18階層まで、全くの無傷。
20階層。変わらない。中層最下層の24階層。変わらない。25階層、下層に入った。変わらない。【閃光刃】が全てを切り裂き、それで終わる。
「な、何なんだよ、あんた…」
チャンドラにしてみれば、もはや恐怖でしかない。嬉々としてドロップアイテムを回収しているリリを見て、ようやく気付いた。この少女は、この男が化物だと知っていたから手を挙げたのだと。
「何でもいい。明日は水を採取して、そのまま戻る」
27階層まで、わずか1日で到達。団員に話しても信じてもらえないであろう。「戦闘を一度も行わず、傷を一つも負わず、下層まで行ってきました」なんて言う奴がいたら、自分だって大ぼら吹きと思う。
27階層でキャンプする、というのも常識外だ。普通なら28階層の
なお、ノアにそうした理由を聞いたところ、「何故余計に潜る?」と言ってきた。この男、27階層の敵を歯牙にもかけていない。まあ確かにこれまでの道中を考えるとそうなのだが…。
もういいや、寝よう。諦めたチャンドラは、常識について考えるのをやめにした。
翌日、予定通りに『
戦闘については、もう不安も何も感じなくなった。下層だろうが中層だろうが、【閃光刃】がある限りただの作業だ。チャンドラがやっていることは、本当に樽の運搬だけである。
18階層を過ぎ、14階層まで進んだ時のことだ。崩落があってこの先の道が塞がれてしまったので、回り道をしてくれと言われた。
【ソーマ・ファミリア】の団員だったので、チャンドラは疑わなかった。リリはそのまま現場に向かおうとしたが、ノアも道を変えようとしたので、それ以上は言わずに従った。
しばらく進んだ先で、不意に、暗がりから人が現れた。ザニスだ。一人ではない。【ソーマ・ファミリア】の中でもザニスの子飼い、と言っていい連中が、20人以上。3人を、十重二十重に囲む。
「何のつもりだ」
ノアが静かに問う。それに対しザニスは、これまで理知はあるように振舞っていた仮面を外し、いかにも狂暴そうにノアを睨みつけた。
「分からねえのか?邪魔なんだよ。余計なことをしやがって。あの神を酒造りに没頭させておけば、このファミリアは俺が好き放題出来た。それを邪魔するなら、排除するしかねえだろうが!!!」
「――『千光刃』」
ザニスの言葉が終わるのと、ノアが剣を振るのが同じだった。次の瞬間。閃光が部屋中を駆け抜けた。知覚できた者はノア以外いなかったであろう。
それは、千の刃。ノアの魔法、【閃光刃】の最大顕現。20人以上が、一瞬で原型を失った。
「これが『神酒』だ」
本拠に戻ったノアに、ソーマは契約通り『神酒』を渡した。表情は何も変わらない。20人以上の団員が失われたことは知覚しているはずだ。なのに、何も言わない。
「何も聞かないのか?」
ソーマの無関心は、ザニスの行動も把握しているからこその態度である。彼は、チャンドラに言われずともザニスが何をしているかくらい、察してはいたのだ。
「酒に溺れる子供達のことなど、どうでもいい」
押し付ければ面倒事を片付けてくれる、便利な道具。ソーマにとってザニスとはその程度の存在だった。他の団員も同じである。酒造りの資金を稼いでくる、ただの労働力。減ればまた集めればいいだけのこと。
とはいえ、ソーマとて最初からそう思っていたわけではない。『神酒』に溺れる眷族の愚かな姿が、彼の心をすり減らして行った。その結果、彼は下界の子供たちを見限ったのだ。
「……下界の子が、犬に
「馬鹿だと思う。犬が人の言葉を喋れるはずがない」
「その馬鹿と同レベルの事をしているのが貴様だ」
そもそも『神酒』なんて代物に、下界の子が耐えられるはずないだろうが。そんな劇物を飲ませておいて、何もしないのでは溺れて当然だ。例えばもう少し弱めの、下界の子用の酒を提供しようとは考えなかったのか。
「……考えたこともなかった」
ノアの指摘に、ソーマは初めて気づいたようにきょとんとして言う。酒の神としてなら、ただ最高の酒を目指した彼の行動は正しいのだろう。だが、【ファミリア】の主神としては、完全に失格だ。
「……そうか、下界の子に合わせることをしなかった俺は、犬にだって言葉を教えることができると思っていた馬鹿か」
ソーマも何か悟ったようで、しきりに頷いていた。あとはもう知らんと、ノアは立ち去る。
チャンドラはザニスが死んだこともあり、今回の褒美として次の団長となった。実力からも妥当で、団員も納得できる人事である。
そしてリリは、【ソーマ・ファミリア】からの脱退を願い出た。
「『
ソーマが少し変わったように思えたが、もう自分には関係ない事である。思いがけず自由を手にしたリリは、宿に戻り一晩考えた。
「すみません、リリを、【ファミリア】に入れてください」
そして翌日、廃教会の扉をくぐったのである。