「面白かった」
フラウと名乗ったその人形は、にっこりと微笑んだ。
「お前の物語、勇ましくて、愚かで、少しだけ哀しくて……とても、いい話だった」
アンセルムは眉をひそめた。
「……人形に言われるとはな」
「ただの人形じゃない。私はこの図書館の“生き証人”。そして、姉たちの末妹。アムネシアと、バリと、私――フラウは姉妹だった」
「……なんだと?」
アンセルムは耳を疑った。
「詳しく話してもらおうか」
フラウはゆっくりと、まるで古い頁をめくるように語り始めた。
*
彼女たちは三人姉妹だった。
名もなき都市の貧民街に捨てられた孤児。ある日、三人は魔導図書館の主――“彼”に拾われた。
アムネシアは誰よりも早く文字を覚え、バリは魔術理論に驚異的な理解を示した。フラウだけは虚弱で、本を持つことすらできなかった。
「私は、生まれつき病弱だった。肉体がもう限界で。だから、“彼”は私の魂をこの人形に移した。魔導図書館に代々伝わる、最も禁じられた術によって」
フラウは自嘲気味に微笑んだ。
「最初は嬉しかった。動けること、歩けることが。でも、永遠の命って……思ったより、退屈なんだ」
語られる過去の中で、バリはある日、図書館という閉ざされた空間に疑問を持ち始め
る。世界の広さを知りたいと願い、“姉”の反対を押し切って、外の世界へと旅立った。
「アムネシア姉さんは、裏切られたと思ったんだ。きっと寂しかったんだと思う。私にすら、何も言わなかった」
フラウは銀髪を揺らしながら、静かに語り続けた。
「そして時は流れ……今、三人が再びこの図書館に集まった。運命は皮肉だな」
アンセルムは黙って聞いていたが、やがて静かに呟いた。
「……それでも、あいつはバリを“妹”として迎え入れようとした。力でねじ伏せようとしながらも、あいつなりに……」
その時、上方から声が聞こえた。
「アンセルム!」
振り返ると、崩れた天井の隙間から、フィリップが顔をのぞかせていた。
「おい無事か!? 生きてるのか!?」
「なんとか、な」
アンセルムは立ち上がる。
「こっちは大丈夫だ。こっちは……少し珍妙な案内人付きだがな」
フィリップに続いて、バリも姿を現した。その目がフラウを見つけて揺れる。
「……フラウ」
「お久しぶりだな、姉上」
まるで時が巻き戻されたような、少女の声。
バリの顔に微かな陰が落ちる。「……元気そうね」
「物理的に“壊れた”くらいじゃ死なないからな」
淡々と答える声には、どこか冷めた温度があった。
「でも……寂しかったよ。あなたが出ていってから、アムネシアは、ずっと変わった。冷たく、孤独で……優しかった頃の姉さんは、どこかに行ってしまった」
「……だから私は、あの人を止めたいの」
バリが答える。「でも……無理だった。私一人じゃ、歯が立たない」
アンセルムが静かに言った。
「なら――俺がやる」
全員の視線がアンセルムに向けられる。
「戦って分かった。アムネシアの力は、確かに規格外だ。炎を自在に操り、空を舞う……」
しかし――
「いい案が浮かんだんだ――ついてきてくれ、皆」
*
図書館の深部、かつて禁書を保管していた一室。重厚な魔法結界と、膨大な知識の波動が漂うこの場所へ、アンセルムたちはアムネシアを誘い出していた。
部屋の壁一面に収められた魔導書。天井には浮遊する光球がぼんやりと灯り、足元には古の術式が刻まれている。
「……こんな場所に何の用?」
アムネシアが黒剣を手に、ゆっくりと歩み入ってきた。背から黒い翼が広がるも、その空間の狭さに不満げな声を漏らす。
「貴重な文献ばかりだな。下手に炎でも使えば……」
と、アンセルムが言葉にする前に、アムネシアの目が鋭く光った。
「……私に策を弄するとは」
だが彼女は、すぐに炎を使おうとはしなかった。周囲の資料が、ネブラカス時代の第一級魔術書と知ればこそ。
「バリ、準備は?」
「ええ。私がやる」
アムネシアの顔が僅かに揺れた。「……バリ?」
「ここで終わらせる。あんたの狂気も、孤独も……もう、見ていられない」
アムネシアが黒剣を振る。剣が交錯する。鋭い金属音が室内に響き渡った。
飛ぶことも、炎を撒き散らすこともできない狭所。
剣技のみでの戦いとなれば、アムネシアとて無敵ではない。
「チッ……!」
次第に押され始めるアムネシア。剣の冴えは確かだが、妹とその仲間たちの連携はそれを上回っていた。
「退くわ。こんな茶番には付き合いきれない」
アムネシアが後方の扉へと向かう。
しかし――
「……開かない?」
彼女が呟くより早く、部屋中に重々しい鈍音が響いた。
「防衛結界、起動完了。外部との連絡を遮断。出入り口、封鎖中」
フラウの声が天井の魔導回路を通じて響く。
「この部屋は、図書館の“心臓”。あなたが触れたくなかった記録すら、ここには眠っている。逃げ道なんて、最初からない」
アムネシアの顔が、はじめて明確に動揺に染まった。
「ならば、最後まで戦うまで」
剣が閃く。怒りと悲しみを帯びた斬撃がバリに迫る。
だが、バリの目にはもう迷いはなかった。
杖を構えたバリの口元に、呪文の詠唱が乗る。氷の魔力が凝縮し、白銀の光となって放たれた。
アムネシアの剣がそれを迎撃するも、魔力の流れを逆算したバリの術は、寸分違わずその胸元を貫いた。
「ッ……!」
黒翼が大きく揺れ、アムネシアは一歩、二歩と後退した。
剣が滑り落ち、床にカランと響く。
アムネシアは、バリを見つめた。
「……ようやく……」
「……え?」
「ようやく、お前も……強くなったね……」
膝をついたそのまま、アムネシアの身体が静かに倒れ伏す。
沈黙。
室内に残ったのは、魔導書の静かな囁きと、姉妹の記憶だけだった。
*
後に、図書館の結界は解除され、空は静けさを取り戻す。だがバリの目には涙はなかった。代わりに、何かを背負う決意があった。
アンセルムはそっと、その肩に手を置いた。
「これで、終わったんだな」
フラウが呟いた。
「ううん、ここからが始まりよ。記録は止まらない。あなたたちの物語が続く限り……ね」