虚無と期待のアンセルム   作:yumui

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裏切り

赤鷲騎士団の城は、かつて栄光の象徴だった。

 その門前に、いまや地獄が広がっていた。

 赤鷲の赤き旗は燃え、リカルドは剣槍を肩に担いで、敵の大群を前に立っていた。

 兵はもう二十を切っていた。皆、傷だらけで、目の光は燃え尽きかけていた。

 敵は押し寄せてくる。

 先陣には、黒き血族“死と再生のミラエル”の部隊。倒しても蘇る異形の兵たちが、黒雲のように殺到していた。

 リカルドはそれを見つめ、ただ槍を握りしめた。

 

「ドルネシーア……悪いな」

 

 懐から、折れた金の耳飾りを取り出す。

 彼の叫びが、戦場に響く。

 

「赤鷲騎士団、突撃――!」

 

 そして、彼らは炎の中に散っていった。

 

***

 

 その頃――城の中庭。

 白霜のような結界の中で、バリは氷の剣を握っていた。

 彼女の前に立ちはだかるのは、“鋼と氷”のアグネス――血族のひとり。だがその姿は、もはや人ではなかった。

 全身を鎧のような外骨格で覆い、六本の節足を持つ、巨大な刀を携えた昆虫のような異形。

 剣と氷を司る、人ならざる美と暴力。

 

「美しいな、お前の魔術は」

 

 アグネスが、口に似た器官で発する。「だが弱い。“ためらい”がある」

 

「あるさ……」

 

 バリは答える。「私は、誰かのために剣を振るってる」

 

 刹那、氷が砕け、剣が閃いた。

 バリの剣と、アグネスの巨大な刀が交差し、氷の中で火花が散った。

 一度、二度、三度。

 交錯するたびに、地面が割れ、霜が舞い、血が飛んだ。

 だが四度目――鋼の刃が、バリの心臓を貫いた。

 

「ジル様……」

 

 バリは呟いた。「私は……間違ってなかった……」

 

 その体が、氷の中に崩れ落ちた。

 アグネスは黙ってその場を去り、冷気だけが残された。

 

***

 

 地下――闇と静寂に満ちた牢獄。

 アンセルムは息を殺し、抜け道を這うように進んでいた。

 罠も、敵兵もすでに通り過ぎた。ただひとつ、彼の目的は明確だった。

 ――アンジェリカを救うこと。

 長い階段を下りた先の奥、朽ちた牢の扉をこじ開けた。

 

 「アンジェリカ……!」

 

 そこに横たわっていたのは、血まみれの銀髪の女だった。

 服は裂け、腕には焼印。皮膚の色は青白く、口元から血が流れている。

 それでも、彼女はゆっくりと顔を上げ、彼の名を呼んだ

「……アンセルム……?」

 

 「俺だ」

 

 アンセルムは駆け寄り、その体を抱き上げた。「今すぐ連れ出す、治療も――」

 

 「もう……遅いよ」

 

 アンジェリカは、儚く笑った。

 

 「……ごめんね、こんな姿で」

 

 「謝るな……!」

 

 アンセルムは必死に彼女を抱きしめた。「俺が、もっと早く来ていれば……!」

 

 「違うの」

 

 アンジェリカはゆっくりと語り始めた。

 

 「……私、奴隷だったの。名前もなく……薬を打たれて、心も体も壊されて。何度も死にたかった」

 

 彼女の目から涙がこぼれた。

 

 「でも、ジル様が来てくれた。……“アンジェリカ”って、名前をくれたの。私を、娘だって言ってくれた」

 

 アンセルムは唇を噛んだ。

 

「……だから、もう怖くなかった。あなたに会って、笑えるようになった。私、幸せだったのよ……」

 

 そして、アンジェリカが問いかける。

 

 

 「……ねえ、あなたの名前、教えてくれる?」

 

 アンセルムは少し迷い、やがて静かに答えた。

 

 「……俺の本当の名前は、“シェイ”だ」

 

 アンジェリカの瞳が優しく揺れる。

 

 「……シェイ……素敵な名前」

 

 彼女は微笑んだ。

 

 「……最後に、あなたに会えてよかった……ありがとう」

 

 その言葉とともに、彼女の体から力が抜けていった。

 アンセルム――シェイは、ただ、彼女を抱きしめた。

 

 

焦土と化した赤鷲騎士団の城、その中庭に、誰かの足音が響いた。

 死の静寂を破るように、陽光に髪が揺れた。

 

「……フィリップ」

 

 アンセルムは剣を下ろすことなく名を呼んだ。その姿は見慣れた仲間のはずだった。だが、彼の後ろに並ぶのは、かつて赤鷲騎士団にいた兵士たちではなかった。異国の旗を掲げた兵、黒装束の魔術兵、そして血族の従者たち。

 フィリップの瞳は、静かに揺れていた。かつての熱は、そこにはなかった。

 

「……アンセルム。」

 

 その声音に、かつての仲間の面影はなかった。

 

「何の真似だ」

 

 アンセルムが問いただすと、フィリップはやれやれと肩をすくめた。

 

「俺は……俺の“願い”のために、赤鷲を裏切った」

 

 静かな告白だった。

 

「ジルの理想は立派だった。赤鷲騎士団は居心地のいい場所だった、けど……それじゃ足りなかったんだ。世界は変わらなかった。血族の支配は終わらなかった。俺は、“白金の王座”にすべてを賭けた」

 

「まさか、お前が……血族を引き入れたのか」

 

 

 フィリップは頷いた。

 

「俺が扉を開けた。……各地の派閥の血族達は全部、俺が招き入れた。騎士団を守るより、王座を奪る方が早いと判断した」

 

「……お前は、仲間を、アンジェリカを……!」

 

「俺はこれから“王になる”。そのために、お前には死んでもらう」

 

 フィリップが手を上げると、兵たちが一斉に剣を抜いた。

 

「さらばだ、アンセルム」

 

 そう言い残して、フィリップは城を後にした。

 

「……来るぞ」

 

 アンセルムが剣を構えたその瞬間、空を裂くように火球が降り注いだ。

 

「遅れすまない、アンセルム!」

 

 空から滑空するように降り立ったのは、フラウだった。

 

「フィリップの裏切り、全部聞いたよ。奴ら、全員殺そう」

 

「……ああ」

 

 アンセルムとフラウは、死者のような兵たちの軍勢に突撃した。

 剣が閃き、火が舞い、肉が裂ける。

 迷いはなかった。二人の怒りは一点に集中していた。

 敵は一人、また一人と倒れ、やがて屍山血河の中に全員が沈んだ。

 炎の中で、アンセルムは息を整え、遠く西にあるという“白金の王座”の遺跡を見つめていた。

 

「行こう、フラウ。フィリップを止める」

 

「王座になんか、絶対に座らせない」

 

 二人は歩き出した。かつての仲間に背を向けられた今、信じられるのは自分の剣と、隣に立つ者の意志だけだった。

 目的はただひとつ。

 裏切りの果てにある、王の玉座。

 そこに、終焉が待っていることを知りながら。

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