戦いは一瞬一瞬が死との隣り合わせだった。
体液に溶かされかけた外套を捨て、彼は全力で立ち回った。
銃身を短く切り詰めたフリントロックを懐から引き抜くと、躊躇なく撃ち込む。だが、鉄より硬い外殻にはほとんど傷が入らなかった。
距離を取っても、触手が容赦なく飛んでくる。
サーベルを交差し、跳ね返す。だが一瞬の隙を突かれて、地に倒れた。
観客が息をのむ。触手が振り下ろされる。
そのときだった。アンセルムは転がるように立ち上がり、目の前に迫る巨大な角をサーベルで横から叩き折った。
「……もらったぞ!」
折れた角を手にし、すぐさま逆手に持ち替えて、シェルマールの甲殻の継ぎ目へ突き刺す。
甲高い悲鳴。内部から弾けるように粘液が飛び出し、怪物が地に崩れた。
しばしの沈黙の後、歓声が爆発した。
*
戦いの夜、城では盛大な宴が開かれた。
魔族の料理人が振る舞う肉の塊に、濃い葡萄酒、火薬の香りのするスパイス。どれもが濃厚で荒々しいが、戦士たちの胃袋を満たすにはぴったりだった。
アンセルムは、戦場とはまた別の意味で気を張っていた。
リカルドは隣の席に座り、杯を掲げて言う。
「お前の戦いぶりには感服した。騎士団員の資格は十分だ」
ドドンは豚の丸焼きを頬張りながら、陽気に笑う。
「いやぁ、アンセルムくん! 最初は堅物かと思ったけど、酒も強いし食いっぷりもいい! これなら一緒に借金も抱えられそうだ!」
「それは御免だな」
バリは向かいの席から観察するようにワインを舐めていた。言葉少なだったが、少なくとも疑いの目は和らいでいるようだった。
ケッセルリンクは相変わらず隣の女騎士にちょっかいを出していたが、アンセルムにもチラリと意味深な笑みを送る。
「ようやく“女神”に会えるな、アンセルム。覚悟しておけよ」
*
宴の翌日、アンセルムはリカルドに呼び出され、城の最上階に案内された。
古の聖堂を思わせるその部屋には、太陽の光も届かぬ静謐さが満ちていた。薄紅のステンドグラスが差し込む光の中、白い衣を纏う女が佇んでいた。
それが、赤鷲騎士団の主。
‘血族’苦痛と飢餓のジル
白金の王座に到達し、自身の闇と向き合い新たな神となった超越者
白銀の髪は腰まで届き、神々しいほどの白衣がその身体を包んでいた。だが、何よりも印象的だったのはその眼差し。憐れみと慈しみに満ちた、まるで聖母のような瞳。
アンセルムはヘレンの言葉を思い出していた。血族とは絶対に戦うな、と。
「来てくれたのですね、アンセルム。あなたの戦い、すべて見ていました」
ジルは静かに近づくと、両手でアンセルムの顔に触れた。
「……あなたは飢えている。正義にも、信念にも。けれど、その空腹こそが、人の美しさ」
その言葉の意味を問う暇もなく、ジルは自らの指先を切り、血を垂らした。血は黒く、赤く、光を孕んでいた。
「これは私の力、苦痛と飢餓の印。あなたに、それを与えましょう」
アンセルムが血を飲むと、焼け付くような痛みが走った。全身の血が逆流するかのような錯覚。血族から力をもらった者は強くなれると聞いたことはあったが。
ジルは微笑み、彼の手をそっと取った。
「これで、あなたも私の子。赤鷲の羽として、新たな使命を与えましょう」
*
その夜、再び応接室に全員が集められた。ジルは玉座に座り、ゆっくりと口を開いた。
「ある女性が、行方不明になりました。名はアンジェリカ。私の娘です」
リカルドが補足する。
「我々が求める情報を、彼女は握っている。だがネブラカスに見つかれば、その命も危うい」
バリが口を挟んだ。
「捜索範囲は?」
「最後に目撃されたのは、南西の街、ミランテ。そこから消息が途絶えている」
ジルは静かに頷いた。
「アンセルム、これはあなたの試練でもあります。騎士団員としての最初の務め……どうか、あの娘を、無事に見つけ出してあげて」
アンセルムは席を立ち、拳を胸に当てた。
「必ずや見つけ出します。騎士団の一員として」