――雨が降っていた。
どしゃぶりの夕方、誰も通らない裏通り。アスファルトの水たまりに、青白い光が差し込む。
その真ん中に、男が一人、うつ伏せで倒れていた。
白い着物はずぶ濡れ。背中に刺さった天の羽衣のような布が、どろどろになって地面に張り付いている。
すいせい「あー……マジか」
傘を差しながら歩いてきた星街すいせいは、男を見下ろして立ち止まる。
すぐにスマホを取り出して、ツイートしかけて――いや、さすがにやめておいた。
すいせい「……ってか、生きてる? 死体じゃないよね? 配信前に通報とかやめてよ?」
彼女が靴の先で男の腕をつつくと、ピクッと肩が動いた。
???「う……ぅ……ここは……人の世か……」
すいせい「うわ、喋った!?」
男は顔を上げた。雨水に濡れた髪がべったりと額に張り付き、目だけが異様に鋭く光っている。
???「我は……天の神、アマツカミ=シグレ。信仰を失い、神界より追われし存在なり……」
すいせい「え、何そのテンプレ。元神様ってこと?」
シグレ「うむ……神の座を追われ、今こうして人間の地に……」
すいせい「じゃあ、今ニートってことか。ちょうどいいじゃん」
シグレ「……ちょうどいい?」
すいせいはにっこり笑って、傘をぐいと彼の頭上に差し出した。
すいせい「うち、人手不足なのよ。興味ある? バイト」
シグレ「……は?」
すいせい「時給1100円から。神様なら、即戦力じゃん?」
シグレ「ま、待て。我はかつて空と運命を司る存在……神を労働に使うなど――!」
すいせい「配信でマイク音声が消えたら、すぐに復旧できる? 機材トラブルも予知できる?」
シグレ「……う、まあ、その程度の奇跡なら」
すいせい「じゃあ採用ね!」
言うが早いか、すいせいは彼の腕を引っ張ってずるずると立ち上がらせた。
シグレ「ちょ、ま、待て、まだ話が――! この雨が、我が涙の比喩であると理解せぬか!」
すいせい「うん、わかるわかる。でもお風呂入ってから言ってくれる?」
そして、ずぶ濡れの元神様は、そのまま星街家の風呂場へ直行することとなった。
しばらくしてシャワーの音が止まった。
風呂場の扉が開くと、湯気の中から神様――もとい、元神様が出てきた。
浴衣姿だったはずの彼は、すいせいから渡されたジャージを着ている。
シグレ「……神にこのような布を纏わせるとは。屈辱……いや、侮辱……」
すいせい「それ、ホロライブ公式のジャージだから。感謝してほしいくらいなんだけど」
シグレ「ふん……だが温もりはあった。風呂というもの、案外悪くない」
すいせい「でしょう? 現代文明って、案外いいでしょ」
彼はソファに座ると、おずおずと足を組む。神らしい威厳を出そうとするが、ジャージの袖が少し長くて袖から手が見えない。
すいせい「……それで、さっきの話だけどさ。バイトする気、ある?」
シグレ「……なぜ我に、そこまで構うのだ?」
すいせいは少しだけ、真面目な顔をした。
すいせい「なんとなく、放っておけなかったってのもあるけど――」
彼女はスマホを取り出し、少しだけ画面を見せた。
そこには、小学生の頃の写真。神社でお参りしている、幼いすいせい。
すいせい「このときね。実は、神様にお願いしたの。“将来、夢を叶える道を見つけられますように”って」
シグレ「……」
すいせい「まさか、その神様本人だとは思わなかったけどさ。――それに、少しだけ神様の気持ちもわかる気がするから」
彼女は笑って続けた。
すいせい「何も持ってないって思ってた時期、私にもあったんだよ。だけど、誰かがちょっと手を差し伸べてくれてさ。あとは、自分で歩いた」
シグレ「人間は、そうして前へ進むものか……」
すいせい「だから、元神様でも元ニートでも、別にいいよ。今この瞬間、やる気があるならさ」
しばらく沈黙があった。
やがて、シグレは小さく息を吐く。
シグレ「……よかろう。神は、もう神ではない。人の下に立つこともまた、運命のうちかもしれぬ」
すいせい「うんうん、そうこなくちゃ」
シグレ「だが……我は働くなら“祈り”を受ける係がいい。全自動で」
すいせい「いや、無理。明日から事務所の掃除とスタジオの片付けだから」
シグレ「なんという現実……」
彼は崩れ落ちるようにソファに倒れた。
しかし、その顔にはどこか安堵のようなものが浮かんでいた。
──こうして、元神様のホロライブバイト生活が幕を開けた。
翌日、午前10時。
都内某所、ホロライブ事務所前。
シグレ「……ここが、人の“神殿”か」
すいせい「違う違う。ただのオフィス。神殿みたいにありがたがらないで」
シグレは見上げていた。無機質なビルの一角。中に入ると、白と青を基調としたロビーに、明るいスタッフの声が響く。
すいせい「じゃあ、紹介するね。えーっと……あ、フブさーん!」
白上フブキ「あっ、すいちゃんおはよー。そっちの人は……神様?」
シグレ「我こそは、かつて天に座した存在。アマツカミ=シグレなり」
フブキ「へぇー。じゃ、今日からうちの新人くんってことか!よろしくっ!」
シグレ「……軽いな!?」
すいせい「フブさんはこういう感じだから。慣れるとこっちが安心するよ」
フブキは笑いながら手渡す。
フブキ「これ、今日の仕事リストね。スタジオの掃除、配信機材の点検、あとガチャのピックアップ祈願」
シグレ「最後のは我の本業では!?」
すいせい「いや、仕事としては最後のが一番怪しいんだけど」
シグレはため息をついてスケジュール表を眺める。
シグレ「……神の仕事というより、使い魔のごとし」
フブキ「いいこと言うね~。うちには他にも猫又とか鬼とか宇宙人とかいるから、神様ひとり増えても違和感ないよ」
シグレ「もはや信仰の混沌である……」
すいせい「さ、そろそろ掃除してくる?ほら、あの掃除機持って」
シグレ「掃除機とは……この筒のような器具か。吸引の力で穢れを払う神器……?」
すいせい「いや、ただのダイソン。神話にするな」
スイッチを入れた瞬間、掃除機が唸りを上げて起動した。
シグレ「うおっ……!?こ、これは龍の咆哮か!?」
フブキ「あ、それMAXモードだから気をつけて。あと電源抜くときはちゃんとコードまとめてね」
シグレ「電源……コード……な、なんという煩雑な手順!」
すいせい「現代の神はコンセントに逆らえないんだよ。がんばって」
シグレは苦悶の表情で掃除機を引きずりながら、スタジオへ向かっていった。
フブキ「……面白い子だねぇ、あの神様」
すいせい「うん。最初はどうなるかと思ったけど……案外、馴染みそうな気がする」
彼が去っていった先で、静電気でホコリがふわりと浮かんだ。するとその粒が、一瞬だけきらりと光った。
フブキ「……今、ホコリが自動で消えなかった?」
すいせい「まさか。気のせいじゃない?」
だが――ほんのわずかに、神としての力は残っていた。
この日から、“元神様”の奇妙な人間生活が、本格的に始まったのだった。