夜十一時。
ホロライブ事務所。
配信もほとんど終わり、事務所の中は静けさに包まれていた。
スタッフたちの姿もまばらで、聞こえるのはパソコンのファン音と、自販機の低い駆動音くらい。
そんな中。
シグレ「…………」
休憩スペースのソファで、シグレは静かに目を閉じていた。
今日も色々あった。
機材搬入。 収録準備。 フレアに「料理で天井汚した責任取って」と言われ掃除。 わために「神様って羊数えなくても眠れるの?」と真顔で聞かれた。
騒がしくて、疲れて。
それでも、不思議と嫌ではない日常。
シグレ「……人間の暮らしというものは、存外忙しいな」
ぽつりと呟き、目を閉じる。
その瞬間だった。
――たすけて。
シグレの目が開いた。
「…………」
今のは、誰かの声だった。
耳で聞いたものではない。
もっと奥。
魂へ直接触れるような、小さな“願い”。
――こわい。 ――だれか。 ――たすけて。
シグレはゆっくり立ち上がった。
空気が変わる。
彼の周囲を、淡い青白い光が揺らいだ。
その時。
白上フブキ「あれ? シグレ、まだいたの?」
缶ジュースを持ったフブキが、廊下から顔を出す。
だがシグレの表情を見て、すぐ笑みを引っ込めた。
フブキ「……どうしたの?」
シグレ「今、“願い”が届いた」
静かな声。
フブキ「願い……?」
シグレ「助けを求める声だ。かなり弱い。だが確かに聞こえた」
フブキの顔が少し真剣になる。
フブキ「それって……ヤバいやつ?」
シグレ「分からぬ。だが、放置すべきではない」
その瞬間、再び。
――こわいよ。
シグレははっと顔を上げた。
シグレ「北だ」
フブキ「えっ」
シグレ「声が、北から聞こえる」
◇
数十分後。
夜の東京。
シグレとフブキは、人気の少ない住宅街を走っていた。
フブキ「待って待って! なんでこんなRPGイベント始まってるの!?」
シグレ「急げ。願いが消えかけている」
彼の瞳は、淡く発光していた。
まるで、見えない何かを追っているように。
フブキ「神様って、普段からそういう声聞こえてるの?」
シグレ「昔はな」
走りながら、シグレは静かに言う。
シグレ「人々の祈りは、常に空へ届いていた。“助けてほしい”“生きたい”“守ってほしい”……そういう願いが、神々の元へ流れ込む」
フブキ「……」
シグレ「だが現代では、声が少ない。人は神へ祈らなくなったからな」
だからこそ。
今聞こえた声は、異常だった。
それほど強い“助けて”だった。
◇
やがて二人は、小さな公園へ辿り着いた。
街灯が一つだけ灯る、古い児童公園。
夜風でブランコが軋んでいる。
フブキ「……ここ?」
シグレはゆっくり頷く。
シグレ「まだ、近い」
彼は静かに歩き出す。
砂場。 ベンチ。 滑り台。
そして。
シグレ「……いた」
公園の隅。
植え込みの影に、小さな人影が蹲っていた。
女の子だった。
小学校低学年くらい。
膝を抱え、泣きそうな顔で震えている。
フブキ「えっ……!?」
シグレはゆっくり近づく。
少女「……ひっ」
少女が怯えて後ずさる。
シグレ「安心せよ。我らは怪しい者では――」
フブキ「いや神様、その格好で言っても説得力ゼロ!」
ジャージ姿とはいえ、シグレは妙に威圧感がある。
フブキはしゃがみ込み、優しく声をかけた。
フブキ「こんばんは。どうしたの?」
少女は震えながら答える。
少女「……ママ、いなくなっちゃった……」
話を聞くと、買い物帰りにはぐれてしまったらしい。
スマホも持っていない。
気づけば夜になり、公園で一人泣いていたのだという。
フブキ「そっか……怖かったね」
少女「……うん」
シグレは静かに少女を見つめる。
彼女の周囲には、微かに光が揺れていた。
願いの残滓。
人は極限まで不安になると、無意識に“祈る”。
誰でもいい。 助けてほしい。
その願いが、偶然シグレへ届いたのだ。
少女「……おにいちゃんたち、だれ?」
フブキが困った顔をする。
フブキ「えーっと……」
シグレ「元神だ」
フブキ「今それ言う!?」
少女はきょとんとしたあと、小さく笑った。
少女「へんなの」
シグレ「……否定できぬ」
その時。
「――みーちゃん!!」
遠くから、女性の叫び声が聞こえた。
少女「あっ……ママ!!」
駆け込んできた女性が、少女を強く抱きしめる。
母親「よかった……! よかったぁ……!」
少女「ごめんなさい……」
涙声で謝る少女を、母親は何度も抱きしめた。
その光景を見ながら、フブキは小さく息を吐く。
フブキ「……見つかってよかったぁ」
シグレは静かに夜空を見上げた。
願いは届いた。
誰にも知られず、 感謝されなくても。
それでも、“助けて”という声に応えられた。
かつて神だった頃と同じように。
少女がふと振り返る。
少女「あのね!」
シグレ「?」
少女「ありがとう、神様!」
その瞬間。
ふわり、と。
シグレの胸の奥で、微かな光が灯った。
ほんの小さな力。
だが確かに、“祈り”だった。
フブキ「あ」
シグレ「……」
彼の周囲に、淡い光が揺れる。
まるで失われた神格の欠片が、一瞬だけ戻ったように。
だが次の瞬間。
グゥゥゥゥ……
沈黙。
フブキ「……え?」
シグレは真顔だった。
グゥゥゥゥゥ……
フブキ「……お腹?」
シグレ「……夕食を逃した」
フブキ、吹き出す。
フブキ「あはははっ!! せっかく感動シーンだったのに!!」
シグレ「仕方なかろう! 人間の身体は空腹になるのだ!」
すると少女が、小さな飴玉を差し出した。
少女「これ、あげる!」
シグレは少し目を丸くしたあと、そっと受け取る。
シグレ「……感謝する」
夜風が吹く。
東京の空には星は少ない。
それでも今夜だけは、ほんの少しだけ世界が優しく見えた。
――To Be Continued.