午後。
ホロライブ事務所。
シグレ「……何故こんなにも段ボールが存在するのだ」
大量の荷物を前に、シグレは真顔で立ち尽くしていた。
新グッズ。 収録機材。 イベント備品。
事務所の廊下には、山のような段ボールが積まれている。
シグレ「人間界、“箱”に依存しすぎではないか?」
そう言いながらも、彼は黙々と荷物を運んでいた。
すっかり裏方仕事が板についている。
その時。
「……あの」
後ろから、小さな声が聞こえた。
振り返ると、そこにいたのは――
風真いろは。
控えめに立ちながら、少し困ったような顔をしている。
シグレ「む? 風真ではないか」
いろは「お疲れ様でござる……」
シグレ「どうした。その顔」
いろはは少し視線を泳がせたあと、小さく頭を下げた。
いろは「……ちょっと、相談がありまして」
◇
数分後。
休憩スペース。
シグレはいろはの向かいに座っていた。
テーブルには温かいお茶。
シグレ「して、悩みとは」
いろはは湯呑みを両手で包みながら、小さく息を吐いた。
いろは「……最近、自分の配信がわからなくなる時があるんでござる」
静かな声だった。
いろは「楽しくやりたいのに、“もっと上手くやらなきゃ”とか、“期待に応えなきゃ”って考え始めると、何をしたいのか分からなくなって……」
シグレは黙って聞いていた。
いろは「みんなすごいじゃないでござるか。面白くて、歌も上手くて、ちゃんと自分の色があって……」
少し俯く。
いろは「拙者、自分がちゃんと前に進めてるのか、不安になるんでござる」
沈黙。
遠くでスタッフの笑い声が聞こえる。
シグレはしばらく考えたあと、静かに口を開いた。
シグレ「……神にも、似た者はいる」
いろは「え?」
シグレは窓の外を見る。
シグレ「神々は常に比べ合う。“誰がより信仰を集めたか”“誰がより崇められるか”とな」
それは、かつての神界。
数字。 格。 信仰。
全てが序列だった。
シグレ「だがな。人は、“完璧だから”祈るわけではない」
いろはが顔を上げる。
シグレ「弱くとも、迷っていても、それでも前へ進こうとする者に、人は心を寄せる」
静かな声。
だが、不思議と真っ直ぐだった。
シグレ「貴様が悩むのは、本気だからだ。本気で向き合っているから、迷う」
いろは「……」
シグレ「ならば、それは恥じることではない」
いろはは少しだけ目を丸くする。
シグレ「“自分らしさ”とは、探して得るものではない。積み重ねた先で、他者が見つけるものだ」
しばらく沈黙。
やがて、いろはは小さく笑った。
いろは「……なんだか、少し楽になったでござる」
シグレ「そうか」
いろは「ありがとうございます、シグレ殿」
その瞬間だった。
――ぽうっ。
微かな光が、シグレの胸元で揺れた。
シグレ「……!」
視界が、一瞬だけ歪む。
目の前の景色が遠ざかり、 代わりに“別の場所”が見えた。
白い空間。
巨大な柱。
無数の光。
そして。
《……観測反応》
《下界に神格波長を確認したわ》
《アマツカミ=シグレ》
シグレの目が見開く。
神界。
忘れるはずもない、あの空間。
《あいつ消えてなかったの?》
《再活性化を確認したわ》
《危険度再査定を開始。》
冷たい声。
次の瞬間。
“視線”が向いた。
ぞわり、と。
まるで空そのものがこちらを見たような感覚。
シグレ「ッ――」
一瞬で血の気が引く。
向こうも気づいた。
自分を認識した。
神界が、“アマツカミ=シグレ”を再び捉えた。
《監視対象へ指定》
《必要に応じて、処分を――》
ブツッ。
視界が戻る。
事務所の休憩室。
シグレはテーブルに手をついていた。
いろは「シグレ殿!?」
彼女が慌てて立ち上がる。
いろは「大丈夫でござるか!? 顔色が……!」
シグレはすぐに表情を整えた。
シグレ「……問題ない」
いろは「でも今――」
シグレ「少し立ち眩みだ。気にするな」
だが。
手が僅かに震えていた。
神界が動いた。
それはつまり。
自分が再び、“神として認識され始めている”ということ。
信仰が戻れば、 神格も戻る。
だがそれは同時に、追放された存在として再び狙われることを意味していた。
いろは「本当に大丈夫でごさるか?」
心配そうな声。
シグレは数秒沈黙したあと、いつものように肩をすくめた。
シグレ「心配するな。ただ、“人間の仕事量”に魂が悲鳴を上げただけだ」
いろは「えっ」
シグレ「段ボールが多すぎる」
いろははぽかんとしたあと、小さく吹き出した。
いろは「ふふ……それは確かに大変でござるな」
シグレも笑う。
だが。
その瞳の奥だけは、笑っていなかった。
神界は、自分を見つけた。
あの場所は決して、“裏切り者”を許さない。
それでも。
シグレは休憩室の外を見る。
忙しなく動くスタッフ。
笑い合うホロメン。
誰かの配信準備。
守りたいと思ってしまった。
この騒がしくて、 温かくて、 人間臭い場所を。
シグレ「……厄介だな」
誰にも聞こえぬほど小さく、元神様は呟いた。
――To Be Continued.