静かな夜だった。
窓の外では雨が降っている。
アパートの一室。
床に転がったゲームのコントローラー。 食べかけのポテチ。 ラプラスが忘れていった謎のサングラス。
騒がしかった時間が嘘みたいに、部屋は静まり返っていた。
シグレは布団に横になり、ぼんやりと天井を見つめていた。
シグレ「……」
眠気はある。
だが、意識が落ちる直前。
ふと、胸の奥がざわついた。
まるで。
遠い昔を呼び起こすように。
◇
――空が、近かった。
いや。
違う。
“空そのものが、自分の庭だった”。
巨大な雲海。
黄金に輝く天門。
空を流れる神気の川。
そこは神界。
まだ、シグレが“天上神”として座していた頃。
神官「アマツカミ=シグレ様。本日の祈願数、三千二百七十件です」
玉座に座るシグレは、静かに目を閉じていた。
若かった。
今よりずっと。
その瞳には神としての威厳があり、纏う神気だけで周囲の空気が震える。
神官「東方領域に干ばつ。降雨祈願が集中しております」
シグレ「……わかった」
彼が指先を軽く上げる。
瞬間。
空に巨大な雲が生まれた。
雷鳴。
雨。
遠い地上へ恵みが降り注ぐ。
神官達が頭を下げる。
神官「お見事です」
だが。
シグレの表情は変わらない。
それが当然だった。
神とは、そういう存在だった。
祈られ。 願われ。 応える。
それが役目。
それ以上でも以下でもない。
◇
神界・大広間。
数多の神々が並ぶ中。
シグレは中央を歩いていた。
風神。 雷神。 海神。 星神。
どれも強大な神格を持つ存在。
その中でもシグレは上位に位置していた。
だが。
当時から既に、空気は変わり始めていた。
神A「最近、“信仰値”が落ちているらしいな」
神B「人間どもが“科学”などというものに頼り始めたせいだ」
神C「愚かなことだ。神を忘れれば滅ぶというのに」
冷たい声。
誰も人間を見ていない。
“数字”しか見ていなかった。
シグレは黙って聞いていた。
その頃から少しずつ、違和感があった。
神々は人を導く存在だったはずだ。
なのに。
いつしか人間を“信仰資源”としか見なくなっていた。
大神「アマツカミ=シグレ」
重い声。
空気が張り詰める。
神々の最上位。
大神。
姿は見えない。
ただ巨大な神威だけが空間を支配していた。
大神「お前は人に近づきすぎる」
シグレは目を細める。
シグレ「……どういう意味だ」
大神「必要以上に人間へ干渉している」
脳裏に浮かぶ。
幼い子供の願いを聞いた日。
泣いていた巫女を慰めた夜。
祭りの日、人間達と笑った時間。
大神「神は崇められるべき存在だ」
冷たい声。
大神「共に笑う必要はない」
シグレは静かに拳を握った。
その言葉に。
何故か、ひどく苛立った。
◇
地上。
まだ信仰が残っていた頃。
山奥の神社。
石段を駆け上がる小さな子供達。
「シグレ様ー!」
「今年も祭り来てー!」
シグレは社殿の上に腰掛け、それを眺めていた。
人間は弱い。
すぐ泣くし、 すぐ転ぶし、 すぐ迷う。
だが。
彼らはよく笑った。
巫女「今日は豊作祭ですよ、シグレ様」
笑いながら供物を置く巫女。
シグレ「また団子か」
巫女「好きでしょう?」
図星だった。
その時。
境内で転んだ子供が泣き出す。
シグレは小さくため息をつき。
そっと風を起こした。
花びらが舞う。
子供は泣き止き、笑った。
その瞬間。
胸の奥が、少し温かくなった。
祈りとは違う。
もっと小さくて、 もっと穏やかな感情。
だが当時のシグレは、その意味を知らなかった。
◇
そして。
神界。
暗い大広間。
大神「アマツカミ=シグレ」
冷たい声が響く。
大神「お前を降格とする」
静寂。
神々は誰も口を開かない。
ただ冷たく見下ろしている。
大神「信仰値低下。思想逸脱。神格運用違反」
淡々と並べられる言葉。
シグレは静かに立っていた。
大神「神は人間と並び立つ存在ではない」
その瞬間。
シグレは理解した。
ああ。
この世界はもう。
“人を見ていない”。
大神「よって、お前の神位を剥奪する」
眩い光。
神気が引き剥がされる。
空が遠ざかる。
落ちる。
どこまでも。
どこまでも。
――その時。
『シグレー!!』
間の抜けた声が響いた。
シグレ「……?」
視界がブレる。
『起きろーー!!』
ドンッ!!
腹に衝撃。
シグレ「ぐぇっ!!?」
目を開ける。
そこには。
ころね「起きたー!」
腹の上に飛び乗っている戌神ころね。
シグレ「な、何をする貴様ァ!?」
現実だった。
狭いアパート。 散らかった部屋。 朝日。
そして。
ラプラス「ふははは! 起床が遅いぞ元神!」
おかゆ「コンビニ行くって言ったのに全然起きないからねぇ」
勝手に部屋へ上がり込んでいた。
シグレ「何故いる!?」
ころね「合鍵!」
シグレ「誰が渡したァ!!?」
おかゆがスマホを掲げる。
おかゆ「すいちゃん」
シグレ「情報管理が終わっている!!」
騒がしい。
うるさい。
だが。
シグレは少しだけ黙り込んだ。
さっきまで見ていた夢。
神だった頃。
遠くて。 冷たくて。 孤独だった世界。
そして今。
ころね「朝ごはん行こー!」
ラプラス「吾輩は肉が食いたい!」
おかゆ「神様のおごりで〜」
シグレ「何故そうなる!?」
騒がしく笑う人間達。
シグレは小さく息を吐いた。
……悪くない。
神だった頃より。
今の方が、ずっと。
温かかった。
――To Be Continued.