アマノと話を終えてから、二日が経った。
あの夜、胸の奥に残った感覚は、未だに消えていない。
神としての力。
信仰が戻り始めたことで、少しずつ蘇っているはずの奇跡。
しかし、それは俺の望んだ形で戻っているわけではなかった。
ほんの些細な感情の揺れで、周囲の物が勝手に動く。何かを願えば、意図しない形で願いが叶いかける。
かつてなら、指先一つで制御できていた力だ。
それなのに、今の我は自分の力を扱いきれずにいる。
シグレ「……まったく、情けない話だな」
事務所の休憩室。
我は一人、紙コップのコーヒーを片手に、そんなことを考えていた。
もっとも、悩んでいるからといって、今すぐ答えが出るわけでもない。
そんなときだった。
スタッフ「シグレさん、社長がお呼びです」
シグレ「社長が? わかった、すぐ行く」
呼び出された理由に心当たりはなかった。
少なくとも、仕事で何か大きな失敗をした覚えはない。
我はコーヒーを飲み干すと、スタッフに案内されて社長室へ向かった。
そして扉を開けた瞬間、思わず足を止めた。
シグレ「……社長?」
YAGOO「急に呼び出して申し訳ないです、シグレさん」
そこにいたのは、いつものように穏やかな笑顔を浮かべたYAGOOだった。
ただし、今日の雰囲気はいつもと違う。
机の上には何枚かの書類が置かれており、YAGOOの表情にも、どこか真剣なものが混じっていた。
シグレ「我に何か用か?」
YAGOO「はい。少し、シグレさんの今後について話しておきたくて」
シグレ「今後?」
YAGOO「しばらく仕事を休んでもらいたいんです」
シグレ「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。
休む?
我が?
シグレ「いや、ちょっと待ってくれ。我は別に体調を崩しているわけじゃないぞ」
YAGOO「もちろん、体調不良という意味ではないです。ただ、最近のシグレさんを見ていて、少し無理をしているんじゃないかと思い...」
シグレ「無理なんて……」
YAGOO「シグレさんは自分で思っている以上に、周囲を気遣う人です。何か問題があっても、一人で抱え込んでしまうところがある気がするんです」
返す言葉が見つからなかった。
我は人間として働くようになってから、できるだけ周囲に迷惑をかけないようにしてきたつもりだ。
かつて神だったことも、力を失ったことも、そして今になって再び力が戻り始めていることも。
すべてを簡単に話せるわけではない。
だからこそ、一人でどうにかしようとしていた。
YAGOO「これは会社としての判断でもありますが、シグレさん自身のためでもあります。しばらく仕事から離れて、自分のことを考える時間を作って欲しいんです」
シグレ「……承知した。」
少し考えた末、我は頷いた。
ここで無理に拒否したところで、YAGOOが簡単に引き下がるとは思えない。
何より、今の我が不安定な力を抱えたまま仕事を続けるのは、確かに危険なのだろう。
YAGOO「ありがとうございます。復帰の時期は、焦らずに決めていきましょう」
シグレ「世話をかけるな」
YAGOO「気にしないでください。今はゆっくり休んでほしいので。」
社長室を出た我は、廊下を歩きながら小さく息を吐いた。
これでしばらくは仕事に出なくていい。
だが、休んでいるだけで問題が解決するわけではない。
我には、やらなければならないことがあった。
奇跡の力を扱う神。
そいつを探し出し、今の我でも力を制御できるようになるための手掛かりを得る。
それが当面の目標だった。
ただ、問題はある。
そんな神が、今の世界のどこにいるのか。
我には見当もつかなかった。
◇
それから数日。
我は自宅で過ごしていた。
表向きは休暇中だ。
会社から連絡が来ることもあったが、急ぎの用事以外はスタッフに任せている。
普段なら、何かしら仕事を見つけて事務所へ顔を出してしまうところだが、今回はそうもいかない。
自分の力を制御できるようになるまでは、できる限り余計な問題を起こしたくなかった。
しかし、休み始めてからというもの、妙なことがあった。
玄関の前に、よく見慣れた人物が立っているのだ。
すいせい「シグレー! いるー?」
インターホン越しに聞こえる、聞き慣れた声。
星街すいせい。
我がホロライブで働くようになってから、何かと顔を合わせることの多い相手だ。
面倒見がいいというべきか、好奇心が強いというべきか。
とにかく、我が普段と違う様子を見せれば、放っておいてくれない。
今日もそうだった。
我は玄関を開け、彼女を出迎えた。
シグレ「どうした」
すいせい「どうしたじゃないでしょ。最近、全然事務所に来ないじゃん」
シグレ「休暇中だからな」
すいせい「それは聞いたけどさ。シグレが何日も休むなんて、珍しくない?」
シグレ「たまには休みも必要だろう」
すいせい「まあ、それはそうなんだけど……」
すいせいは我の顔をじっと見つめた。
その目は、まるで何かを探るようだった。
すいせい「なんか隠してない?」
シグレ「……何も」
すいせい「今の間、怪しすぎない?」
シグレ「気のせいだ」
すいせい「絶対気のせいじゃないって」
鋭い。
昔からそうだが、すいせいは妙なところで勘が働く。
こちらが隠そうとしていることほど、彼女は見逃してくれない。
とはいえ、すべてを話すわけにはいかなかった。
力が不安定になっていること。
その制御方法を探していること。
そして、そのために神を探そうとしていること。
今の段階で話すには、少しばかり事情が複雑すぎる。
シグレ「心配してくれているのはわかる。だが、本当に大丈夫だ」
すいせい「……そっか」
すいせいは、納得したような、していないような顔をした。
すいせい「まあ、シグレがそう言うなら、今日は帰るよ」
シグレ「悪いな」
すいせい「別にいいって。また来るから」
シグレ「いや、今日はもういい。気をつけて帰れ」
すいせい「……え?」
すいせいが目を丸くした。
普段なら、我は彼女が帰るまで玄関先で話をしている。
何なら、帰り際にもう一つ話題が増えて、なかなか終わらないこともあるくらいだ。
それなのに、今日は違う。
すいせい「……わかった。またね、シグレ」
シグレ「ああ。またな」
我はすいせいを見送ると、そのまま玄関の扉を閉めた。
鍵をかけ、しばらく扉の前で立ち尽くす。
シグレ「……すまんな、すいせい」
小さく呟いた言葉は、誰にも届かなかった。
彼女を巻き込みたくなかった。
これは我自身の問題だ。
神の世界に関わる以上、どこまで危険が及ぶのかもわからない。
だから、今は一人で動く。
我は上着を手に取り、家を出た。
◇
最初に向かったのは、昔から覚えている神社だった。
人間として暮らすようになってからも、神社という場所には何かと縁があった。
かつての俺が知っている神々の中には、こうした場所に留まり、人間の願いを聞き届ける者もいた。
奇跡を司る神がいるとすれば、手掛かりの一つくらいは残っているかもしれない。
そう考えていた。
しかし。
シグレ「……ここもか」
目の前にあるのは、崩れかけた鳥居だった。
かつては立派な参道があったはずだが、今では雑草が生い茂り、石畳もあちこちで割れている。
拝殿は屋根が落ち、壁も崩れていた。
人の気配はない。
そして、神の気配も。
シグレ「昔は、ここにも一柱いたはずなんだがな……」
記憶を辿る。
確かに、いた。
人々の小さな願いを拾い上げ、ささやかな奇跡を与えていた神が。
だが、信仰が失われれば、神は力を失う。
祀る者がいなくなり、名前すら忘れられれば、いずれその存在を保つことも難しくなる。
俺自身が、そのことを誰よりも知っている。
かつて神界にいた我も、信仰が薄れて力を失った。
そして、神界から追放された。
シグレ「……時代が変わった、ということか」
そう呟いて、我は神社を後にした。
次の場所へ向かう。
そこにも神はいなかった。
さらに別の神社へ。
そこも、すでに廃れていた。
かつて人々が集まり、願いを捧げていた場所。
祭りが開かれ、神々の名が呼ばれていた場所。
その多くが、今では見る影もない。
鳥居だけが残っている場所もあれば、神社そのものが取り壊され、跡地に別の建物が建っている場所もあった。
何十年、何百年という時間は、神々にとっても決して短いものではない。
俺が人間の世界から離れていた間に、いったいどれほどのものが失われたのだろうか。
シグレ「……駄目だな。これでは手掛かりすら見つからん」
夕暮れが近づいていた。
結局、今日一日で巡った神社のどこにも、奇跡の神に繋がる情報はなかった。
残っていたのは、朽ちた建物と、誰にも知られなくなった神々の名ばかり。
俺は最後に訪れた神社の石段に腰を下ろした。
シグレ「他に手はないものか……」
神界に直接尋ねるわけにはいかない。
そもそも、今の我が神界に顔を出したところで、まともに取り合ってもらえるかも怪しい。
それに、大神に今の状況を知られるのは避けたい。
力が戻りつつある我が、制御の方法を探している。
その情報が大神に渡れば、余計な干渉を招く可能性がある。
せっかく人間の世界で自由に生きられるようになったのだ。
今さら神界の事情に振り回されるつもりはない。
シグレ「……さて、どうするか」
考え込んでいた、そのときだった。
すいせい「それならさ、配信で宣伝してみたら?」
シグレ「…………は?」
聞き覚えのある声。
我は勢いよく振り返った。
少し離れた石段の陰から、見慣れた青髪の少女がひょこっと顔を出した。
星街すいせいだった。
シグレ「すいせい……お主、何をしている?」
すいせい「いやー、ちょっと気になっちゃって」
シグレ「気になったから、後をつけてきたのか?」
すいせい「正確には、シグレが何か隠してそうだったから、ちょっと様子を見に来た感じ?」
シグレ「それを後をつけたと言うんだ」
すいせい「細かいことは気にしない!」
まったく、悪びれる様子もない。
我は額に手を当てた。
シグレ「……いつからだ?」
すいせい「シグレが家を出たところから」
シグレ「最初からではないか!」
すいせい「だって、あんな露骨に帰そうとするんだもん。逆に怪しいでしょ」
反論できなかった。
確かに、今日の我は普段とは違う態度を取っていた。
それを不審に思ったすいせいが、後をつけてきたというわけだ。
まさか、ここまで来ているとは思わなかったが。
シグレ「……それで、配信で宣伝というのは何の話だ?」
星街すいせい「ああ、それね。さっき、シグレが何かを探してるっぽいのはわかったからさ。だったら、私の配信で呼びかけてみたらどうかなって」
シグレ「呼びかける?」
すいせい「うん。シグレのこと、ホロリスにも結構知られてるでしょ? 何か知ってる人がいたら、情報を集められるかもしれないじゃん」
シグレ「……なるほどな」
確かに、その考え方自体は悪くない。
人間の世界には、我の知らない情報がいくらでもある。
長い年月を経て、神社にまつわる伝承が別の形で残っている可能性もあるだろう。
リスナーの中に、古い伝承や神話に詳しい人間がいるかもしれない。
そう考えれば、配信という手段は有効だ。
だが。
シグレ「いや、それはやめておこう」
すいせい「えっ、なんで?」
シグレ「簡単な話だ。神は、すべてを見ているからな」
すいせい「……すべて?」
すいせいの表情が変わった。
我は少し言葉を選びながら、説明を続けた。
シグレ「神々は、人間が思っている以上に世界を見ている。誰かが何を願い、何を語り、どんな情報が広まっていくのか。すべてを把握しているわけではないにせよ、目立つ動きには気づく可能性がある」
すいせい「じゃあ、配信で呼びかけたら……?」
シグレ「最終的に大神の耳に入る可能性がある」
大神。
神界を統べる存在。
あいつらに我の動きを知られるのは、できる限り避けたい。
シグレ「奇跡の神を探していることが大神に知られれば、向こうも黙ってはいないだろう。俺が何をしようとしているのか、探りを入れてくるかもしれん」
すいせい「……それは、面倒そうだね」
シグレ「面倒どころではない。下手をすれば、探している神にまで影響が及ぶ」
奇跡の神が、大神の意向に従っているのか。
それとも、神界とは距離を置いているのか。
そのあたりも、まだ何もわかっていない。
もし後者なら、我が探していることを大神に知られるだけで、相手が身を隠す可能性だってある。
シグレ「だから、できるだけ目立たずに探したいんだ」
すいせい「そっか……」
すいせいは腕を組み、何かを考えるように視線を落とした。
いつもなら、ここでさらに質問を重ねてくるところだ。
だが、今回は違った。
すいせい「……ねえ、シグレ」
シグレ「何だ?」
すいせい「神社って、今日行ったところだけなの?」
シグレ「いや。我が覚えている限りでは、他にもいくつかある。ただ、今のところ思い出せる場所は一通り巡ったつもりだ」
すいせい「ふーん……」
すいせいは周囲を見回した。
そして、何かに気づいたように目を見開いた。
すいせい「あっ」
シグレ「どうした?」
すいせい「……いや、待って」
彼女は顎に手を当て、少しだけ考え込んだ。
その表情を見て、我は首を傾げる。
シグレ「何か思い当たることでもあるのか?」
すいせい「うん。もしかしたら……」
すいせいは我の方へ向き直った。
すいせい「シグレが唯一、絶対見逃してる神社が一つあるよ」
シグレ「……何?」
すいせい「私、その神社を知ってる」
思いもよらない言葉だった。
我が覚えている近くの神社は、すべて巡ったはずだ。
それなのに、すいせいは見逃している場所があると言う。
しかも、彼女自身がその神社を知っているらしい。
シグレ「……すいせい。その神社というのは、どこにある?」
すいせい「それはね――」
彼女は、意味ありげに笑った。
我は思わず息を呑む。
もしかすると、ようやく手掛かりを掴めたのかもしれない。
奇跡の神へと繋がる、最初の手掛かりを。
そして我は、すいせいの次の言葉を待った。
間が空くと設定見直したりして書くことが大変になってしまいますね。