夕方のホロライブ事務所。
スタジオ前の廊下には、ダンボール箱が山のように積まれていた。
シグレ「…………」
その前で、シグレは静かに固まっていた。
すいせい「どうしたの、神様。顔死んでるけど」
シグレ「聞いていないぞ……“段ボール搬入”が、これほどまでに物理的試練だとは……」
おかゆ「昨日ラプちゃんが“神なら余裕でしょ”って追加発注したらしいよ〜」
シグレ「悪魔め……!」
ダンボールには、
《新衣装備品》 《ライブ小道具》 《配信用マイク》 《ぬいぐるみ(大量)》
などのラベルが貼られている。
シグレ「ぬいぐるみだけで何故こんな重量になるのだ……人類は綿に呪いでもかけているのか……」
すいせい「ほらほら、文句言わない。台車使えば楽だから」
シグレ「台車……この鉄の戦車か」
おかゆ「毎回リアクションがファンタジーなんだよなぁ」
その時。
廊下の奥から、小走りの足音が近づいてきた。
天音かなた「すみませーん! 誰か、追加の機材ケース見ませんでした!?」
現れたのは、ジャージ姿の天音かなた。
額には汗が滲み、片手には大量の資料ファイル。
すいせい「あ、かなたん。レッスン帰り?」
かなた「うん……今日自主練長引いちゃって。ライブ近いから、まだ全然完成度足りなくて……」
そう言いながらも、彼女はすぐダンボールを持ち上げ始めた。
シグレ「待て。貴様、かなり疲弊しているぞ」
かなた「え? あー、大丈夫大丈夫! 体力だけは自信あるから!」
おかゆ「出た、握力50kg超えアイドル」
かなた「いやそこ強調しなくてよくない!?」
かなたは笑いながら箱を抱える。
だがその笑顔の奥に、どこか無理を押し込めた気配を、シグレは感じ取っていた。
◇
数十分後。
搬入作業はようやく落ち着き、休憩スペースにはぐったりした面々が転がっていた。
シグレ「はぁ……はぁ……人の労働とは、何故こうも重力に満ちているのだ……」
すいせい「ただ筋力不足なだけでは?」
おかゆ「神様、意外とインドア派だった説」
その隣で、かなたはスポーツドリンクを飲みながら資料を見直していた。
シグレ「……休まぬのか?」
かなた「ん? あー、まだダンス構成覚えきれてなくて。次のライブ、絶対成功させたいんだ」
シグレ「……そこまで努力する理由は何だ」
かなたは少しだけ目を丸くしたあと、ふっと笑った。
かなた「理由なんて簡単だよ。“応援してくれる人がいるから”」
その言葉に、シグレは静かに目を伏せる。
かなた「もちろん、しんどい時もあるよ? うまくいかない時とか、自分だけ置いてかれてる気がする時とか」
すいせい「……あるある」
おかゆ「わかる〜」
かなた「でもさ。“待ってるよ”って言われると、頑張りたくなるんだよね」
静かな声だった。
だがそこには、積み重ねた努力の重みがあった。
シグレ「……不思議だな」
かなた「え?」
シグレ「我が知る“天使”とは、もっと気高く、完全なる存在だった。だが貴様は違う」
かなた「なにそれ、悪口?」
シグレ「違う。“人間らしい”と言っているのだ」
かなたは少し吹き出した。
かなた「天使なのに?」
シグレ「だからこそ、だ」
その時。
スタジオの奥から、突然大きな音が響いた。
ガタンッ!!
スタッフ「すみません!! 機材ラック倒れます!!」
見ると、高く積まれた照明機材が傾いていた。
下には、ケーブル整理をしていた新人スタッフ。
逃げるには間に合わない。
シグレ「危ない――!」
咄嗟に飛び出そうとしたシグレより先に、かなたが動いた。
かなた「っ、うおおおおおっ!!」
ドゴン!!
凄まじい勢いで突っ込んだかなたが、倒れかけた機材ラックを真正面から受け止める。
スタッフ「えっ!?」
すいせい「かなたん!?」
おかゆ「うわパワーで止めた!?」
ラックはギリギリで静止した。
だが、かなたの腕は小刻みに震えている。
かなた「ぬ、ぬおおお……っ、これ……重っ……!!」
シグレ「馬鹿者!! 無茶をするな!!」
シグレはすぐ駆け寄り、ラックを支えた。
その瞬間。
ふわり、と空気が揺れる。
見えない力が、機材の重さをわずかに軽くした。
スタッフ「……あれ? 急に軽く……」
二人で支えながら、ゆっくりラックを元の位置へ戻す。
かなた「はぁ……はぁ……助かったぁ……」
シグレ「……貴様」
かなた「ん?」
シグレ「何故、己が傷つくかもしれぬのに飛び出した」
かなたはきょとんとして、それから少し笑った。
かなた「だって、“間に合う”って思ったから」
シグレ「……それだけか?」
かなた「うん。それだけ」
あまりにも自然な答えだった。
だからこそ、シグレは言葉を失う。
かなた「応援してくれる人のために頑張るのも、“誰かを助けたい”って飛び出すのも、たぶん同じなんだと思う」
その横顔は、どこまでも真っ直ぐだった。
シグレ「……なるほど」
すいせい「どうしたの神様、急に静かになって」
シグレ「いや。“天使”とは何か、少し理解した」
かなた「え?」
シグレ「空を飛ぶことでも、神聖なる輪を持つことでもない」
彼は静かに、かなたを見る。
シグレ「“誰かのために動ける者”こそ、天使なのだな」
一瞬、空気が止まった。
かなた「……っ」
おかゆ「お〜、かなたん照れてる〜」
かなた「て、照れてないし!? 急にそんな真面目なこと言われると困るんだけど!?」
すいせい「でもちょっとかっこよかったね今の」
わちゃわちゃと騒がしくなる空間。
その中心で、シグレは小さく笑った。
かつて神だった自分には、きっと見えていなかったもの。
奇跡とは、空から与えるものではない。
誰かのために、手を伸ばすこと。
その行為そのものが、もう“奇跡”なのかもしれなかった。
――To Be Continued.