ある聖女の記録   作:黄金りんね

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予約間違えて二話投稿しちゃいました。
ごめんなさい!


聖女と軍勢

 アインザッツにとって、妻は宝であった。――もともと、好きあった者同士ではない。家のためだった。妻だって、アインザッツを本当の意味で見たわけではない。

 息子が生まれ、厳しく育て上げた。妻だって、息子に対して厳しかった。家名を誇れ。家名に泥をつけるな。

 

 思い返せば、一度でも息子のことを褒めてやれただろうか。愛していると、口にできただろうか。

 

 息子は反発して、最後には冒険者になるなどという――特に北方では自殺に等しいような――空虚な夢の果てに、死んだ。

 息子は、自分が殺したようなものだと思った。そして、世界が憎くなった。神がいるならば、その顔面に反吐を吐きかけてやろうと思った。

 人間は財物。他は自分への供物。

 

 

 そう思って、生きる中で。

 

 妻と、また話がしたい。

 

 贅をしゃぶりつくした果てで、思ったのはそれだった。当の昔に壊れ果てた妻に。息子と同じように、惜しいと思ったのは。自分の命ではなかったし、家の繁栄ですらなかった。

 聖女の言葉で、妻の目に火がともったのを見て。アインザッツは、絶望した。

 

 

 

 ――妻が正気に戻って、どうして俺は少しだけ落胆しているのだろう、と。

 

 目の前の聖女が、救いようのない妻を見て、あきらめてほしかったのか。そんなはずはない。

 目の前の聖女が、奇跡とやらに頼るのを見て、しょせん世界を創造した男の芝居にすぎんと笑いたかったのか。

 

 そのすべてを超えて、聖女は。自分の言葉で、奇跡をかなえて見せた。人の力は、人間の思いは。時として世界の不条理をも跳ね返すのだろうか。

 そう。皆、夢を見たいのだ。夢をかなえたくはない。夢をかなえるための苦しく、困難な道を歩むことは、夢を語って大望をもった「ふり」をすることよりもよほどに簡単だ。

 だが、その落胆を超えてあふれるものがあった。歓喜と、救済。

 

 聖女は奇跡を以て救いを為さず。それはすなわち、ただ人の身であっても。救いは。すべては、望むがままに天に与えられていた――。

 

「――アインザッツ。奇跡はここに。婦人は心を取り戻し、あなたはもはや神を――我等の主を憎まない」

 

 救いとは何か。失ったものを。幻想に手を伸ばすことではない。ただ悼み、それでも前を向く心の在り方こそが、そう在れたならどれだけよかったかと思うほどに――。

 聖女の顔は、暗がりでも輝いて見える。その眼は紅く、透き通るルビーのようである。その顔に浮かぶ笑みは。ほのかな悲しみとさみしさは。痛みを伴って、それでも歩みを止めぬもの。

 目の前の少女の歩んだ道は、きっと祝福よりも、呪いのほうが多かっただろう。それでも。それなのに。――どうして、そんな顔ができるのだろう。

 

 

 思わず傅いたアインザッツを聖女は笑って身を起こした。

 

「勘定を任せられる信徒がいればよかったのですが、私も含めて数を数えるのはてんでできないんですの! ――学問としての数学と、物資補給を含む戦線維持能力……かしら? を任せられるのは、商人であるあなたしかいません。私に足りないものは、皆に任せることにしました」

 

 聖女は、無邪気にはにかんだ。

 

「――遍くすべてに、救いを示して見せますわ」

 

 たとえそれが、悪徳にまみれた背教者でも。

 

「兵站を、私に担えと?」

「それ! へいたん、ですわ! それが言いたかったのです……」

 

 兵站維持の命。それは、戦場の前線の人間のすべてを預かるといっても過言ではない。それは、全幅の信頼の証であった。

 

「当然です。すべての私財をなげうってでも、わたくしが――」

「……おっと。あなたに支払ってもらう金額はございません。……昔、台下に連れられた少女は寄進を求める旅の中で、心なき商人にその値をつけられたことがございますの」

 

 聖女は、懐から小さな小袋を取り出した。

 

「――金貨4枚と、銀貨6枚。覚えていますか、アインザッツ様。私は、私の尊厳を買い戻しに来ましたの」

 

 アインザッツは、頬をひきつらせて笑った。

 

「……あなたの尊厳も、私の命も……すべて、神の掌に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインザッツの奥さんと話したら、なぜかすべて解決した。正直途中から商人がどうこうというより奥さんが不憫で何とかしないとなとしか思っていなかったので、彼が回心したのは僥倖であった。神の恵みである。

 アインザッツという優秀な商人。無双の軍勢一万。うーん、なるほど……。

 私とリゼル嬢と、セレナディア伯とアインザッツとクリスで集まって、軍議とでもいうのだろうか……を繰り広げている。

 

「正直、全員で攻勢に突っ切るのは無理がある気もしますが……」

 

 クリスの案ずる声に、うなずきながらあごに指を置く。

 

「とはいえ、守備兵は常に配置しております。志願兵と職業軍人は軋轢を起こす。――それに、皆戦いを望んでいます」

 

 うーん……聖断を問おうにも異教徒も魔族相手には団結しようと言ったのはこちらの方。神は苦笑いして「みんなで仲良くたたかえ!」って感じだろう。

 困ったものです。

 

「とりあえず、貴族連中にそれぞれ等しく兵を分けましょうか」

 

 貴族で優秀な騎士五人に兵隊を分けてやる。聖樹軍第一軍団長とか、いろいろ分けて、北方の魔物の恐ろしさを知っている冒険者なんかもそこに足し加えていく感じで……うぅん……。

 

「やっぱり誰かが必ず命を落とす……」

 

 私の言葉に、リゼルはくすくすと笑う。

 

「あら? 聖女様はこの遠征で一人も命を落とさずに行動できるとでも……?」

「……少なくとも、私が率いる五百名に関しては……」

「つくづく聖人ですわね。やめておきなさい」

 

 いまだかつて、聖樹軍を聖人が起こしたことはない。その理由がよく分かった。

 

「エリザ様。――魔法を使おうとも、奇跡を使えずとも。集ったものはすでに巡礼者です。あなたの庇護下にいる民ではありません」

 

 クリスの言葉に、笑ってしまう。未だに、自分以外の誰かが傷つくこと。死ぬことに恐れがあるのは私だけか。私だけが、甘っちょろい。

 小さく息を吸って、うなずく。

 

「そう、ですわね――私より弱いものが集っているからといって、心や覚悟まで私以下と決めつけるのは冒涜でしょう。……私の指揮下に入るものは、少し強さを区切ります」

 

 魔王に食らいつくためには。足手まといは連れていけない。

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