クリスに聖衣を与え、黒い肌着だけになった。寒さに、目を細める。クリスは私に頭を下げて、ただ一言。
「――いただいた厚恩は二度と忘れません。これからは、太師とお呼びしましょう。北方教区はあなたの家です。あらゆる家に、招かれることなく立ち寄ってください。……どうか、くれぐれも。死なないで」
本当に、できた子だ。彼女のような弟子を持てたのは私の人生最大の恵みだろう。白い衣を着て、村を去るクリスに向かって叫ぶ。
側仕えとしてのクリスは、まるで幼子だった。そんな彼女に、大司教は荷が重いだろう。白の聖衣は重かろう。でも、それでも。荷を分けるに値する信仰を彼女は示した。
大丈夫だよ、エリザ。
「太師だなんて、かたっ苦しいです! ――これまで通り、エリザ様って呼んでくださいね!」
振り向かなかった。気付かなかったのだろうか……いや。きっと、別れがつらくなるから、あのまま歩んだのだ。それでいい。アストレウス。うん。最も慈悲深い律法者。
彼女にふさわしいだろう。
「……別れはすませたようだな」
アルベールが、私に声をかけてきた。
「うん。彼女が、後ろからくる聖樹軍にも号令を下せます。……帰るべきものは、帰りましたか?」
「いや。ついては来ないが、ここで魔族を狩っていくそうだ。守るべきものを守るために」
「素晴らしい。それでは、行きましょうか」
雪を布に変える奇跡で、聖衣ですらない布を纏う。うん。これだけでいい。これがいい。ライオス。ヒジリ。アルベール。剣士に、槍の戦士に、魔法使いに、僧侶。RPGみたいだね、なんていえば。ヒジリはなんて顔をするだろうか。むくむくと湧き出る興味をそらしつつ、剣を肩に担いで告げる。
「行きますか。魔女征伐です」
「戻るべきだと思う。魔女は段違いで強い。俺たちで勝てる相手か?」
ヒジリの言葉に鼻で笑う。異世界人らしい考え方だ。
「やるべきことをやらずに逃げるつもりですか? ……別に、逃げたいならいつだって帰っていいのですよ」
「――できもしないことを」
「…………できれば帰るのですか? そもそも、魔王を倒したところであなたが帰れるとも限らないでしょうに」
私の言葉に、ヒジリは目を見開く。
「嘘だ。救国魔法連盟は、確かに……」
「まぁ、魔王を撃殺することで莫大な魔力を吐き出すことは可能ですが。異界へのパスを、彼らが『本当に』持っているかは分かりません」
――私だって、残念な話だが魔法使いでもある。異界からの召喚の逆は難しかろう。不可能に近い。
この戦いに、異界の使者は不要だ。
「――見て見ぬふりも勇気です。このまま大人しく身を引きなさい。異世界人」
聖女の言葉は、俺の過去を逆撫でするように心をかき乱す。……違う。
「見て見ぬふりはもうできない。俺は、戦う。たとえ――元の世界に戻れないとしても、だ」
聖女は、布を纏い薄く笑う。先ほど身を削る戦い方をした少女とは思えないほどけがれなく、むき身の剣を肩に乗せるそれは危うくもある。
だが、その笑みは聖女とは少し違う、俺を嘲るような笑みだ。いや。嘲るのではない。心底、理解できないような――。
脳裏によぎる。机の上に置かれた花瓶。ニュースに流れる境遇。昔の事件。いろいろあった。俺は、助けるべきだった。俺には関係ないで、済ませることは。もう、許されないはずだ。
「一度見殺しにしたのでしょう、ヒジリ。――二度見捨てようと、三度見捨てようと。百たび見捨てようと、同じでしょう?」
「――アンタみたいな、なんでもできて、なんでも助けられる人間に俺の気持ちは――」
聖女は、目を細めてこちらを見る。冷たい視線だ。結局、この少女は。異世界人である俺を認め切っていないということがよくわかる。
「なんでもできて、なんでも助けられるなら。ベアトリスは私の隣で笑ってるんじゃないですか」
底冷えした言葉に、思わず後ずさる。聖女は、鼻を鳴らして剣を向けた。……あんな剣、戦う前は持っていなかったと今更気づく。
「性根は変わらないようですね、ヒジリ。……〇〇〇〇も、あなたなんかに助けられたいとは思わないでしょう」
吐いた言葉に、世界が止まる。どうして、この少女が彼の名を知っている。どうして、俺の後悔を。少し話した程度で明確に推し量れる。どうして、この少女は――。
「異界の門をくぐったのがあなただけとは思わないことです。帰るか、失せるか。あるいは、本気で戦うか」
俺は、救えなかった過去のだれかに、この戦場で守られていたことに気づいた。
「……別に、恨んだりしませんが。つまらない後悔で人生を無駄にしないことです。あなたはただ巻き込まれただけ。私たちとは、本質的に違うのですから」
剣を、俺の前に突き立てた。
「この剣は、私の力で顕現した奇跡そのもの。一度くらいは、異界の門を異教徒相手にでも開いてくれるでしょう」
さっさと帰りなさい。そういって、聖女は歩き始めて。――俺は、その背中を追えなかった。
祈りなき世界だった。私がたっていたのは、救いもなく、正しさもなく、何もかもがゆがんだ形の世界。あんなところに、何の未練もおいていない。だから、あの世界で誰が何を悔いたとしても。誰がどう裁かれたとしても。だれがどう死んだとしても。
腹の底からどうでもいい。
だから、もう彼にしてほしいことはない。
「なぁ、勇者を置いてきたけど。それでよかったのか」
アルベールの言葉に、笑って返す。
「戦いの目的を同じくしていなければ。裏切る可能性があります。漫遊の騎士。……あなたは、どうですか」
私の言葉に、アルベールはつぶやいた。
「……俺は、昔からお前を守るために戦う。それだけだ」
「そうですか。……お兄ちゃんは、いっつもそればっかですね」
ライオスと、アルベールと、私。なんだか、おかしな編成で冒険が始まった。
勇者 戦線離脱。剣が脊髄であるとは知らない。
帰還の魔法 魔王を倒せば元の世界に帰還できるのは本当。聖女目線だと不確定。
聖女様 勇者の戦う理由を聞いてから「勝手にトラウマにされてもなぁ」って気持ちだった。