クリスと夜通しでお話して、目が覚めると太陽がずいぶん高い。目をこすりながらあくびをかみ殺す。
「やってしまった……」
久々のお寝坊である。伸びをして寝台から降り、白い聖衣を羽織る。太陽の高さ的にまだまだ礼拝には間に合うが……大急ぎで教会に入り、信徒と同じように座って聖書を開く。
聖句を頭の中で口ずさむ。――奇跡を普通に発現させるためには、聖句を暗記するだけでなく深く理解し、その恩寵に感謝する必要がある。自身が聖書の聖人と同じように、神に愛され、神を何の利益もなく信仰している裸の信仰者であることを自覚し、言葉を紡ぐ。そうして初めて奇跡は成る。
聖書のすべてを暗記している私でも、こうして福音を目で追うとみずみずしく新鮮な、神への畏敬が心を満たしてくれるような気がする。
「……おはようございます。皆さま」
クリスは、ちょっとだけ眠そうだが説教台の前に立ち、礼拝について語り始めた。うん。時間ちょうどのスタートじゃないし、礼拝の前の軽い枕話ってやつだろうか。
身近な人に感謝を述べること。たとえ見ず知らずの人であっても、その人の境遇を思いやり、遇してあげること。そういう道徳の話を滔々と語るのを聞いて、クリスらしいなと思った。
「――礼拝は、神に祈る素晴らしい時間ですが。町の人々が集まる時間でもあります。たまには顔を出していただければ、得難い知己と出会うかもしれません。こほん、では! 礼拝を始めましょうか」
なんか、大司教というか……見習い司祭だ。そういう自覚が本人にもあるから、ここに立っているのだろうなと思う。私は飛び級だから立ったことないけどねー!
礼拝が終わる。聖句を二回、クリスは噛んでいた。かわいいけど、ちょっとお説教かなぁ。見習われるべき人足らんとするなら、欠点を補わないと。押し付けた荷物だけど、それでもさすがに……。
「エリザ様っ、そんな目で見ないでくださいよ」
すぐに前に向かって、無言で見ているとクリスは顔を赤くして目をそらす。まったく。
「――神がそうであるように、あなたも完全な人を目指しなさい。ですよ。大目玉じゃないかもしれませんが、聖句を噛むのは嘆かわしい限りです。……まぁ、素朴なお説教と差し引きゼロですわね。精進なさい、クリス」
「……聖女サマがお説教してら。大司教様にはいっつも怒られてるから、てっきりそういう関係性なのかと思ってたけど」
後ろから声が聞こえる。振り向くと、ひげをそって昔と同じような、悪童の影を隠し切れない長身の騎士がいた。アルベールだ。
「お兄ちゃん。言っておきますが、私は中央教区の枢機卿で、北方教区はいまだ枢機卿区でもあるんですからね」
「おっと。しっかり権力者だったか」
「そうじゃなくて。エリザ様は人を教え導く立場におつきになっているということです。騎士様」
クリスが、私をかばうように前に出る。
「――そうだな。いや、今日は礼を言いに来たんだよ、エリザ」
「お礼、ですか」
「ああ……北方の魔族は、やっぱり強かった。お前ぬきじゃ俺もライオスもきっとくたばってた。――ありがとう、助けてくれて」
アルベールは、頭を掻きながらそういった。
「戦士なら自分の身は自分で守るべきでしたね。――なんて。冗談です」
軽くお兄ちゃんの肩を小突いて、笑う。そうだな。
「久々に、剣術試合でもしてみますか? どれだけマシになったか、見てあげますよ。お兄ちゃん」
「……あのなぁ――奇跡にかまけて剣術をさぼってた聖職者様に本業の騎士が負けるかよ」
なんか言ってるけど。クリスを横目にみると、にやりと笑っていた。
「ぶっ飛ばしてください、エリザ様!」
うちの弟子は私より好戦的である。
木剣を上段に構える。アルベールは、少し奇抜な構えである。教会の庭で遊びをするわけにもいかなかったので、領主の庭先を借りている。セレナディア嬢はあきれていたが、辺境伯は面白いと笑っていた。
――木剣に敵意を込めて、踏み込む。
私の剣術は剣を打ち合わせない。刃がかけることと、刀身が曲がることを厭うからである。アルベールの刃をかわし、受け流し、回避する。
地面で土を蹴り上げ、目くらましをかけ、大地を這うように重心を低くしてアルベールに肉薄する。――剣というものは、地面すれすれを狙うとき格段に威力も精度も落ちるから。――そして、私が振り上げた剣はアルベールの腕をしたたかに打ち、木剣はその手から落ちてしまうのであった。
「――対人戦慣れしすぎじゃないか、エリザ」
言い訳がましくそうつぶやくアルベールに、ふふんと笑う。
「まぁ、巡礼の旅で悪しき人間ともたくさんであってきました。大地があれれば、心も荒みます。ねぇ、クリス」
「ええ。エリザ様は毎日基礎練習を絶やさなかったお方ですので」
アルベールは、ちぇっと言って木剣を拾った。
「そんな不意打ち、騎士はやらねぇんだよ」
「ほんと、正道を好んでスキをつかれる癖は変わらないんですね、お兄ちゃん」
そう言ってやると、ばつが悪そうに眼をそらした。
「……心正しくあれ。心正しき事より幸福なことはない。俺は、聖句でこれしか知らねぇ」
なるほど。相変わらずバカみたいにまっすぐな人だ。戦いに汚いもくそもないでしょうに。