説教爺さんの言葉を軽く流して、教会の聖堂に入る。一般の教徒の列に座り、聖書の聖句をじっと眺める。イライラするときのルーティンはこれにかぎる。
ライオスは教会に入ってすぐ、荒くれ者が入信したいらしいといって押し付けてしまった。本当に申し訳ない。でも、めんどくさい手続きとかにかかずらってしまうと、イライラが爆発してしまう。
司祭が前に立ち、聖句についての解釈を語り始める。――口伝律法、第三章。ティオデウスの説法――異教徒に寛容になってはいけない――という律法の解釈。伝統的な異教徒を断じて厳罰に処し、そのあらゆる訴えをも棄却するという立場。そして、異教徒が悔い改めず、信仰を踏みにじることだけにフォーカスを置いたやや穏健な解釈。
それぞれの解釈は決定されておらず、口伝律法がいかに議論を重ねているかを語っているのだ。
私に言わせれば、口伝律法は神の言葉ではなく、あくまで信仰者の教えだ。――どちらの解釈も採りうる。それだけ。
そんなことよりも。私は、爺さんの言葉にいまだに怒りを飲み込めなかった。
立場をわきまえろ。
私は、列聖された聖人だ。そのことを、寿いでくださらないのですか、先生。
私は、教区を預かる大司祭だ。誰よりも、人民の救いにひた走る必要があるのではないでしょうか。
私は、白の聖衣を賜った教会のしるしそのもの。――教会の教えにのっとり、何の役にも立たない子供を何人も拾ってきて、育てて。そんなことをしたくせに、今更「他人を救うな。立場をわきまえろ」なんて言葉を、誰が誰に言っているのか。
ならば答えてやる。私が人を救うのは――命を助けることだけを救いと呼ぶならば、だが――、これまでこの世界で出会ったすべての人間が私にそうしてきたように、だ。
私の立場は、いつまでたっても「滅びた村のエリザ」だ。
わきまえるならば、なおのことだ。くそ爺。……と思っていたら、周りが私に注目していた。やばい、聞いてなかった。口伝律法の話……のままだよな? 礼拝の説法は一回につきワンエピソードが原則だ。
クソ、もう言ってやる。何見てんだお前ら……私は礼拝に来ただけだぞ!
その日の礼拝は、異様な雰囲気に包まれていた。白の聖衣が教徒に混じるのはいつものこと、だが――。説法や解釈におちゃめな冗談を飛ばしながら、神の教えを楽しそうに説いている聖女が、今日ばかりは黙して聖書を眺めやるばかり。
「異教徒を許してはならない。かれらは、奪い、憎しみを育てるものであるからだ。形あるものを祀り、神の禍などと言葉を吐き、惑わせる。そういった行いをするものもまた、悪魔である」。口伝律法の文言に、大きな問題があるから、だろうか。民衆は不安そうに顔を見合わせる。エリザはそこで、はっと周りを見て、顔をしかめる。そして、立ち上がり。不機嫌さを隠そうともせずに言葉を吐いた。
「――皆様、誰を見ていますの?」
言葉には、隠しきれない怒り。皆、思わず背筋を伸ばす。
「私はただ礼拝に参っただけ。神に祈りをささげに来た一信徒にすぎません」
そんなばかな、と皆が思う。聖女様が一信徒なんて、ひどい冗談だ。
「そんな信徒を見て、どうするのですか。司祭様のほうを見て、学び、祈りをささげる。それが、神への祈りでしょう――」
不機嫌そうにつぶやいてから、司祭をちらと見て、頭を下げた。
「私がいることが祈りの邪魔になるなら、私は去ります」
礼拝の最中に、聖女が席を立つ。きわめて異例の出来事であった。
司祭は、予期せぬ出来事に恐怖し、おののいた。
最近の教会の日和見主義は何だ。断固許せん。そもそも、最近の教会は世俗権力に干渉しすぎなのだ――。そういった話を、貴族であり領主である兄からよく聞いた。司祭である自分に、教会の愚痴を垂れるのが好きな兄だった。実際、教会は魔族との戦いを標榜し異教徒との対立や教会勅令などの数を減らし、王国の大貴族と手を結び始めていた。対異教徒戦争で功績をあげてきた家柄上、我慢ならないものがあったのだろう。
うるさい。そう思いながら、しかし。兄の言葉となるということを聞くしかできなかった。
兄はふと、教会での話を聞いた。司祭は、嬉しそうに告げた。説法に聖人がお見えになる。神のしるしたる存在を招けるとは、導きであると。
兄は、恐ろしい言葉でそそのかした。
聖女は近頃の教会に対してどう思っているのか。其の意を問え、と。
「説法に教会の態度をただす戒律を示せ。……そうだな、それができて、聖女様による猊下批判のお言葉を賜ることができたなら。家名を与え、街を与えてもよい。司祭として、貴族として。これ以上ない栄達を望むとよい」
兄のそそのかしは、悪魔のようだった。だが、振り切れぬ誘惑がそこにはあった。
「誰を見ていますの――」
その言葉は。間違いなく。司祭の目を見て発せられた。
「祈りの邪魔になるなら、私は去ります」
そう吐き捨てた聖女を見て、司祭は聖句を思い出した。祈りを唾棄する者は、異教徒である。衣服を似せ、同じ言葉を話そうともゆめゆめ油断してはならない。
一体、いつから自分は異教徒となり果てたのだ――。聖女は、この中でただ祈ろうとしていた。それを踏みにじったのだ。
兄に家督を譲り、司祭として生きる。そこに本当に望むものはなくとも。祈りは、救いは本当だったはずだ。それが偽物でも。聖女は、確かに自分と向き合っていた。
自分が、それを踏みにじった。
男は司祭の職を辞して、中央へと南下した。信仰の騎士バルザック・アルガマクタートの騎士道物語は、ここから始まる。
聖女 普通に神は信じている。この世界に来ていろいろ経験したので。