ある聖女の記録   作:黄金りんね

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聖女と聖女

 無数の刃が、雨のように降り注ぐ。私を貫き、肉を断ち、骨を砕く。全身を刃として、射出する。打ち出す奇跡は在ろうはずもないので、おそらくは権能だろうか。

 ――神が天使を遣わした例は、存在しない。

 

 長らく天使の召喚というものは聖句の解釈の上では可能だったが、それを行うことは人類が地を治めよという予言に抵触するのではという議論もあった。

 だが、魔王は見事にそれをやってのけた。歪められないはずの天の法を。決して侵してはならない聖人の魂を、高貴な尊厳を。完全であるべき世界を、歪めたのだ。

 

「魔王――許されざる罪を、なんと、なんと、――」

 

 体が無数の刃で砦に縫い付けられる。体を起こして治癒を試みる。――許されない。冒涜のあまり、言葉が出ない。歴史をかけて、神を信じ、人を愛し、歴史にその名を刻んだ聖人を! その魂を、自分の都合で捻じ曲げ、利用する――生かしておけない。

 

「――エリザ様!」

 

 クリスが、砦の城壁の上に降り立った私に声をかける。――許されざる背教を見て。そして、地上を見た。……人が、死んでいる。まだ、拮抗している。人類は強くなっている。砦が、祈りが。奇跡が。まだ、魔族に人は負けていない。

 その決め手が、聖人であっていいはずがない。心配そうに見つめるクリス。城下できっと、お兄ちゃんも戦っている。そうだ。私も全力を出さないといけない。――私には、まだ手がある。

 

 そうだ。私の命は。ハナからどうでもいいものだから。

 

「クリス――皆を頼みます」

「エリザ様……なに、言ってるんですか」

「最後の奇跡を――解放します」

 

 ルミーリアを睨みつける。あんな姿で。あんな風に人を傷つけていいはずのない存在を。胸の前で、手を組んで祈る。聖人が、無辜の人間を傷つけたいはずがない。

 

「――丘の上に休むものよ。天の座に座るものよ。あなたが現れる前に、あなたは使いを送り、その誕生を告げた。しかし、ひとびとは信じなかった。あなたが現れる前に、あなたは使いをおくり、その罪を告げた。しかし、ひとびとは信じなかった。罪を疑わず、救いを信じぬものに、なぜ主は使いを送るのですか。――信じないひとびとよりも多くのひとびとを信じさせるためである。わたしは、そのひとびとのためだけにあらわれるのではない」

 

 脳みその中で、音が鳴っている気がする。魂のきしむ音。より大きな、霊的な何かが私を作り変える音だ。天は、魂の座。人の身で至ることができないのならば。奇跡を、より高出力で出し切れないのならば。私自身が、天に属する者になればいい。答えははじめから簡潔だった。

 

 ――意識が、明滅する。私によく似た誰かが、何かを話している。私と違う部分。黄金の眼と、白い鷲のような翼。そして、頭上にわっかが浮かんでいる。使徒の証明。後光。ヘイローだ。

 

「もう、後戻りはできません。そして、前に進むことすらも難しい」

 

 うるさい。耳鳴りがひどい。めまいがする。動悸が、心臓がちぎれそうだ。

 

「立ち止まっていても、守れません。――あなたは、何のためにこの座を清めるのですか」

 

 うるさい。うるさい、うるさい。一歩、踏み出す。今度は、私が叫ぶ番だ。

 

「後戻りなんて、するわけないでしょう! ――信仰と、この地を埋め尽くす人間に、祝福を施すためです!!!!!」

 

 誰にも私は止められない。何もかも、捨て去ることになるかもしれない。でも、それでも。エリザは私に愛を与えて。お兄ちゃんは私が大事だって言ってくれたから。たったそれだけが欲しかった。初めからきっと、本当に欲しいものは戴いていた。この奇跡が。この愛が。神の奇跡のほかに、エリザとして与えられたこれらすべてが愛おしい。尊い。

 それだけで十分。私は、聖女としての在り方を張り続けられる。簡単なことだった。

 

「碧落に至る奇跡」

 

 虚空を蹴り、空を舞う。もう竜踏もいらない。これは、私の力。もう、重力に私は縛られない――。天に浮かぶ少女に向かって、ぐぐんと加速する。

 

「――っ!」

 

 ルミーリアの器が、刃を私に振りまく。あらかたははじき、刺さる刃にももう何も感じない。今の私は、戦いに必要な体に作り変えられているのだから。

 ――かつて、異教徒と戦ったルミーリア。あなたは、どんな思いで戦っていたのですか。あなたは、何を祈って。列聖されて。何を信じて。

 聖樹のブレスレットを、刃に変える。もう、何もいたくない。すべきことが明確にわかる。

 

 ルミーリアに肉薄し、刃を振り上げる。相手の刃の方が、より速く私の頸に到達して――砕け散る。

 碧落に至る奇跡。――生きながらにして自分を天使へと作り変える奇跡。大地の法ではなく、天の法により動く存在へと変換されていく奇跡。今はまだ、鋼鉄のような皮膚と、重力に縛られない肉体の獲得だけ。

 だが、いずれきっと――もっと、何かを得られるだろう。人間としての私を手放していく。そういう感覚が、体に少しづつしみていく。

 巡礼者の奇跡が、その進行を押しとどめている。

 

 そうか。やっと理解できた。私の末路。私の最後。

 

 ああ、こんなに祝福された末路なら。悪くないかもしれない。

 

 天使の頸を、切り落とした。だが、まだ、まだだ。魔王を討ち滅ぼすまで。

 

「――雷霆の裁き」

 

 雷撃が、敵を打ち砕く。

 

「――わが身は、神の刃である」

 

 聖剣が、敵を串刺しにする。

 

「清めよ」

 

 聖なる炎が、悪霊を浄化していく。奇跡の出力も、かなり高まっている。魔王軍は、退却のラッパを聞いて潮のように引いていった。

 私も、一度帰らなければならない。

 

 

 

 

 

 聖女が、一度砦に落下してきたときは。皆、敗北の二文字がよぎっただろう。だが、その後の聖女はどうしたことか。いつもより一層神々しい気配を纏い、天へと飛び立った。

 そして、降り注ぐ刃をものともせずに。一瞬で敵を葬った。

 

「エリザ様……お願いだから、戻ってきて……」

 

 クリスのつぶやきに呼応するように、ふわりと戻ってきて聖女は笑った。

 

「ただいま、クリス」

「へ……?」

「なんだかんだ、戻ってこれました。ありがとうございます」

 

 意外な肩透かしに、クリスは破顔した。魔族軍は、切り札の一つを失った。私は、砦を守り切った。じわじわと進行する奇跡を、治癒の奇跡で無理に押しとどめる。皮膚より下は、まだ人間だ。だから、じっくりを私を天使にしようとする奇跡を、人であろうとする治癒で押しとどめる。

 これで、完全な聖女としての終わりを遠ざける。

 

 頭が、ひどく痛む。前よりも高い出力の奇跡を使えるはずなのに、どうしてだろう。

 




三つ目の奇跡 碧落に至る奇跡。生きながら列聖される奇跡。一度カギを開けてしまえば聖化は進行し続ける。
聖女様 意外と何とかなるもんだなと安心している。対魔族に特化した身体なら負けるはずがない。
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