ある聖女の記録   作:黄金りんね

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人間性

 痛覚と触覚がなくなったので、食事をするのも一苦労である。クリスに甘え切って「あーん」とかしてもらってもいいんだけど……できるうちは自分で何とかしたい。

 その代わりと言っては何だが、人間の信仰値みたいなのが感覚でわかるようになった。砦の人は基本高い信仰を持っているのだろうが、時折悪意や背信のものが城下に混じる。そういう人に積極的に話しかけてみると、だんだんと回心するのでやっぱり単にきっかけがないだけなのかなっていう感じだ。神の恩寵を知らないと信仰の啓蒙は難しい。人間の限界というべきだろうか。信じなければ神のしるしは現れないのに、神のしるしを見なければ信じたくないという人が多い。それは悪魔の信仰で、あなたは利益のために神を信じるべきではないと諭してやるしかない。

 リンゴジャムをふんだんに使ったロシアンティー(ここではそうは呼ばないらしい。でも、どう見てもそれだ)を飲む。リンゴのさわやかな香りと、紅茶の華やかさが絶妙だ。付け合わせのクラッカーはややパサついていて味も薄いが、かえって口をさっぱりさせてくれる。甘さがくどいと感じる人にはちょうどいいかもしれない。

 

「……あっ」

 

 クラッカーが手の中で砕ける。どうにも、力加減が難しい。

 

「エリザ様?」

「……すこし、ぼーっとしていたみたいです」

 

 クリスとのティータイムも、この砦ではすっかり日常で。私が宙に舞ったのがすさまじい速さで喧伝されていた。

 天を舞う魔法なども開発されていたが、技術的には私のそれとは違う。天にむかって落ちるように向かうこの感覚は何というべきだろうか……まぁ、体験できなければ無意味な話だ。

 頭がずきん、と痛む。松果体をフル活用しているせいか、奇跡の出力のほとんどを日常生活で圧迫している。本来天にあるものとなれる奇跡は私の最高の神秘性を持つ奥義中の奥義。その進行は喜ばしきもので、押しとどめるのは……あまり歓迎するものではない。だが、それができているということは、まだ時は来ていないということだ。残された、短い時間の中で、私は大地に縫い付けられる夢を見ている。醒めるまでは足掻こうか。

 

 

 

 

 

 

 エリザ様の様子が明らかにおかしい。常に疲れているとでもいうべきか――何らかの奇跡を常に回している、ような雰囲気を感じる。そのはずなのに誰にも、何にも奇跡の恩恵がない。

 自分自身に、奇跡を回している? いや、だが、何のために? 刻まれた奇跡は松果体に負担をかけないはず。じゃあ、だれに、何に?

 クラッカーが、砕けた。エリザ様の方を見る。エリザ様は驚くわけでもなく、冷静にクラッカーを片付け始める。おかしい。彼女が、食事を意識外でも粗末にすることなんて、ありえない。

 そして、そんなことがあったのに驚くほどに穏やかで。

 

「エリザ様……。本当に、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。――いや、ひょっとすると、少し疲れているのかもしれません」

 

 不意に、エリザ様が私を抱きしめてきた。力強く――いや、か弱い。これがエリザ様の全力。奇跡による壮健さを確保できていなければ、か細い力しかない、少女だ。エリザ様の、雛鳥のような高い体温が、冬の大地ではぬくぬくして心地よい。

 

「一応、全力で抱きしめています。クリス」

「……全然、痛くないです」

「そうですか。良かった――。クリスは、あたたかいですね」

 

 その言葉に、心が凍る。エリザ様の体温で、私が温かい、のか?

 

「クリス。――いずれ、私が亡き後。この教区は完全にあなたのものです。正直、あなたほど心根のまっすぐな信徒はいません。……教皇を目指してもよいのではないかしら」

「……私は、そんなものいりません」

「立場は、信仰の位格です。あなたはいずれ、この提案を必ず受けることになる。なんででしょうね、そういう確信があります」

 

 絶対にありえない。私は――それに、亡き後って。なんですか。

 

「死なないでください、エリザ様」

 

 私の言葉に、エリザ様ははにかんだ。

 

「ありがとう、クリス」

 

 私は、エリザ様のありがとうが――好きじゃないなと感じていた。ずっと、ずっとだ。ありがとう。心配して、止まってほしくていう言葉を大事にして、それでも止まるつもりはないのだ。

 枷をはめるつもりで投げた言葉が、結局のところ推進力になっている。止まってくれない。止まれ。何度叫べば届くのだろう。わからない。

 

 

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