天使とは。聖女とは。祈りをもって、神に、人に、世に仕える存在だ。それを、自分の都合で歪め、改変する。その悪辣を赦すわけにはいかない。
雷霆を全身に込めて、さらに炎を纏う。
「神よ――この悪辣を赦すべきではないでしょう――?」
きぃん、と甲高い音が響く。鋼鉄並みの硬度をもつ皮膚と皮膚がぶつかり、音を立てる。全身をそれぞれの思う兵器に変化させながら、ぶつけ、たたき折り、壊しあう。炎が互いの身を焦がす。だが、それでもユースティティアは止まらない。雷撃を振りまいてくる。
だが、それでも。
「人を超えた存在との戦闘経験なら、私が一歩上を行きます」
ユースティティアの腕を何度も、何度も同じところを狙いもろくなったところを打ち壊す。彼女の片腕が千切れとんだ。これでいい。腕がなくなれば、治癒を回すのに慣れていない彼女を凌ぐのは簡単なことだ。治癒の性能では私の方がよほど「慣れている」。
私で作った剣が、ユースティティアを貫いた。
「――大丈夫です、偉大なる聖女。皆の祈りを戴くものよ。私は、大丈夫です。私は、望んで――」
光の泡となり、ほどけていくユースティティアを掴もうとする手が、空を切る。残るのは、優しい信仰と。怒り。
吐き気を催し、大量の何かを吐き出した。胃液ではなく、どす黒い血液だった。吐いても吐いても止まらない喀血に思わず笑いそうになる。血だまりは、人間一人分くらいにはなるだろうか。
すさまじい量の血液である。どうでもいい。
「――この先に、いかないと……」
魔王を殺す。ただそれだけのために、私は。刹那。脳の中に、誰かの声が聞こえる。
「戻りなさい。今は、その時ではない」
……そうだ。砦が襲われているかもしれない。私は、振り返って宙を蹴った。砦を守らないと。
天使を二人失い、魔王は顔面を青くした。
「神の使徒だぞ? 文字通りの天の使いだ。一度地上に降り立てば、信仰なく奇跡を使う権能の持ち主だぞ……それが、いとも、容易く……」
今代のルミーリアは化け物か、悪魔か、それとも神そのものか? そのおぞましさに、魔王は身体をふるわせる。
「もうよい。俺が出る。すべての文明を剥がすためには、結局のところ俺が戦わなければならんらしい」
かつて聖女に封印されたことを思い出し、目を細める。いまだに世界最強の魔族。世界最悪の災厄。魔王が、立ち上がる。
純白の翼が広げられる。イチジクの葉で編んだ聖樹の冠。黄金の眼に、ひげを蓄えた威厳のある姿。魔王そのものである。
「――聖女を殺し、魔族の時代を作る。俺の中にあるのはそれだけだ。たった一つ」
エリザが、偉大な聖女が帰ってきた。針葉樹林から、姿を現した。そして、皆の方に宙を飛んできたかと思うと、アルベールの前で降り立った。
「――魔族がいません。これを、皆で?」
「ああ。当然だ」
エリザは、一瞬だけ何か考えてから……くしゃりと笑った。
「素晴らしいことです。――恵みをもたらすのは、あなた方の心である。育てるのも刈り取るのも、あなた方である――本当に、みなさまこそが、神の国を作るのですね」
嬉しそうに笑って、アルベールに寄りかかった。
「エリザ……顔が青い。すこし、横になるか?」
「治療を、施したので……大丈夫ですよ、お兄ちゃん……あ、でも。少し、眠いです」
そういって、すぐに寝息を立て始めるエリザに、兵士たちが物珍しさゆえに集まる。酒場で酒を飲んで寝こけていたのを知るものも今となっては少ない。
アルベールは嫌な顔をしてから、叫ぶ。
「見世物じゃねぇんだ! 散れ!」
お姫様抱っこをして、アルベールは一瞬動きを止めた。軽すぎる。前々から痩せた体で軽い少女だったが、もっと軽い。重みを忘れさせるほどの軽さ。天に昇れるだろう軽さだ。
なるほど、と一人で納得する。これが奇跡を得た聖人の在り方か。
地の法則に彼女は縛られないらしい。
目を覚まして、寝台から起き上がる。ああ、いつの間にか眠っていたらしい。――戦いが、少しづつ厳しくなっている。魔族は弱っているはず。ゆえに、天使を使われている。
なぜ、天使を使えるのか。――魔王がごとき悪逆が。歪曲の魔法が、いくら虚像を作り上げても。魂をゆがめることなど。聖人を愚弄することなど、あっていいはずがない。
体が軽い。瀉血した分だろうか。手をみても、血が残っていないのか、ずいぶんと血色が悪い。それはそうか。
「――エリザ様。お食事の準備が整っております」
クリスが、穏やかな表情で声をかけてきた。軽く伸びをして、クリスの方を向く。声と信仰の形で、クリスがわかる。私の目は少しづつ視覚ではなく、信仰の在り方を映す瞳に代わってしまっているらしい。当然だ。眠っている間は意識下で発動するべき奇跡は回せない。
人間らしい在り方は、もう少ししかできないらしい。
トーストにたっぷりのジャムを塗って、ほおばる。クリスの方を見る。
「……おいしいですね。ほら、クリスも一緒に食べましょう」
「――! はい!」
もう、味も感じなくなった。
最終決戦が近い!