ある聖女の記録   作:黄金りんね

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聖女と――

 空に暗雲立ち込める冬。いよいよ冬至がやってくる。奇跡の力はわずかに陰りを見せ、魔力は莫大なひらめきを示す。

 これが、最後の聖罰となるだろう。

 

 魔王の旗が天に示される。悪徳のしるし。背徳のあかし。許されざる罪を前に、私の心は想像以上に凪いでいた。

 

「――エリザ様」

「ええ。来ます、魔王が。――決して、魔王に心をゆるしてはなりませんよ」

 

 刹那。ひげを蓄えた、長髪の男が私の前にあらわれる。聖樹の冠を戴き、純白の羽に身を包む。碧落に至る奇跡を回し、腕を向けて叫ぶ――これが、魔王だ。

 

「――祝福の息吹――っ」

 

 私に放つことができる最高出力。悪逆に対する、絶対的な裁き。私のからだに何が起こるかなど、腹の底からどうでもいいのだ。

 魔王が全身から血を噴き出しながら吹き飛んでいく。私は追撃のために腕をちぎり、刃へと変える。再生した腕は、焼けただれ高熱を発している。――奇跡が、まともに回せない。

 これが祝福の息吹による、人間性の終わり。私はもう、疵も治せない。

 クリスを一瞬だけ見て、頭を撫でる。

 

「これまで、ありがとうございました――元気でね、クリス」

 

 クリスに、巡礼者の奇跡を授ける。――もう、二度と会うことはない。これは、せめてもの手向け。あなたは、祝福されるべき人だから。

 砦の壁を蹴って、空へと向かう。魔王を殺すまで、二度と地面に足はつかない。――()()()()()()()()を羽ばたかせて、魔王へと肉薄する。城塞は、もう見えないくらいに空へと飛んでいく。

 

 

 

 

 

 いきなり現れた、神聖な気配すら醸し出す邪悪と、それを吹き飛ばした聖女様。聖女様は自分の身体をいともたやすく剣にして、そして、私に何かしゃべって飛び立った。

 今生の別れのように。二度と会わないように。そんな言葉、いらない。ありがとうなんて、いらない。だから、叫んだ。

 

「まって、ください。――おいてかないで! おいてかないで――っ、く、やべでぐだざい! ばだじにどっで、ごのびどだけばぁ――! づれでがないで、やべで、もっど、もっど、し、しあわ、幸せになるべきひとだったんでず、だがら――!」

 

 もう、何も届かない。私の言葉は、あまりにも――無力で。祈るしかなかった。

 

 

 

 

 

 雷霆の裁き。プロメテウスフレア。天の剣となる奇跡。碧落に至る奇跡。悪逆討滅の誓い。

 

 知りうるすべての奇跡を、一点に集中して叫ぶ。

 

「――祝福の息吹」

 

 三度目。私の皮膚が、赤熱して剥がれていく。炭のように、何かのように。魔王はそれを見て、目を見開いて――嗤った。嘲るように。皮肉るように。

 圧縮された時間の中で、魔王の詠唱が確かに聞こえた。

 

「なるほど。人間としてのすべてを焼却して、私を殺すか。だが、貴様ごとき小さな魂では、私には届かん――我が意志を以て神を阻む。すべての呪詛は我を祖とする。我は最も迅きもの。死よりも早く駆け、万民を穢し、汚し、否定し、呪うもの。許されざるを喜び、枷をつけるもの。罪には罰を。罰には裁きを。裁きには叛きを。叛きには罪を。――かくして、私は循環し、大地をめぐり、すべてを滅ぼす。――我は悪なり。遍く人間社会をめぐり、大地を穢し、全てを汚すもの。人が人である限り、全て、わたしを逃れることはできない」

 

 全身に、怖気が走る。これは、身体への攻撃ではない。魂への直接的な干渉。魔王の魔法は、悪そのもの。魂を穢す悪徳そのものである。体に走る不快感は、魂に走る汚染の魔力か。

 だが、身が穢れきる前に全てをたたきつければよい。

 

「祝福の息吹――!!!」

 

 四度目。視界が昏く、曇っていく。魔王の身体の半分が、消し飛ぶのが見えた。足りない。魔王は、悪意の精神そのもの。まだ、殺せていない。――結局、私程度では。魔王を殺すなんて、不可能だったのだろうか。

 否。違う。でも、――それでも。

 

「――告げる。わたしの前にきたすべてのものは、わたしを迎えるそなえを為してきた。あなた方は、わたしを迎えるそなえを行わず、そなえを為してきたものを妨げた。わたしは、そなえをするものを使って、あなた方を二度とがめた。信仰薄きものよ、衣服を捨て、子らの大地より離れる準備をせよ。わたしが座る場に、あなたはいてはならぬ」

 

 聖句を、ひらく。治癒ではない。碧落に至るそれでもない。これはただ、祈りの警句。魔族を呪い、許さないという言葉。もう、なにもできない。

 これは、私がつぶやいたのか?

 

「――衰えたな、聖女。見るにも堪えぬその姿、そのもろさ! 人間としてあろうとしなかった貴様の弱さがその結末を招いたのだ――だがな、それでも……お前は、生きるべきだ。奥義『流れ星』」

 

 どこかで聞いた言葉。ガルタリアンの奥義か。体が、癒える。これは、なんだ。そうか。魔法による治癒か。体が、少しだけ動くようになる。――からだが、宙へと浮かんでいく。そうか。私は、もう天に属する者。落ちる時は、空だ。ガルタリアンが、こちらをちらと見た。思うところはあるらしい。だが、それでも。この場で礼を言うべきだろうか。

 

「あるべきところに向かうチカラ。それが、重力だというのですね」

 

 私の身体は神の刃なのだから。私は、空に立って、魔王を殺せる人間だ。死してなお。魔王を殺すために戦わなければならない。

 

「――私は、まだ死ねないみたいです」

「その体で、砕けた骨で。猪口才な! 小娘、私の手で引導をくれてやる!!!」

 

 黄金の瞳で、にらまれる。上等だ。かかってこい。

 

「――俺は、やっぱり。見て見ぬふりはもうできない――俺は、俺は!!! あんたになりたかったんだ――オルフェウス」

 

 魔王の身体を、黒い闇の腕が握り掴む。ああ、このちんけな手品は。私に、何かが投げつけられる。無意識につかみ取り、おもわず笑みがこぼれた。

 

「それは、お前が持つべき剣だ。――こんな形でしか、報いることができない。それでも俺は、お前の役に立ちたかった」

「――悪くない動機ですね、勇者」

 

 かっこつけやがって。でも、それでも。この剣は、私が祈ったすべてが内包された聖剣だ。

 

「――私の部品がそろいましたね。……そうか、時が来たのですね」

 

 松果体にわずかにかけられた、治癒の奇跡を取り払う。かろうじて保っていた私の最後の部分を、すべて捨てる。完全な天使としての顕現。それができなければ、魔王が殺せない。

 

「――おのれ、おのれ! この愚か者どもが! ガルタリアンよ、なぜわからぬ! 異界の小僧、貴様、何をしたかわかっているのか!? 聖女は、くそ、この、この、この愚物は! 目の前の蒙昧な娘が、そのままであればよかったものを――これは、神の器だぞ!!!!! あぁ、無念だ。こうなる前に、この娘をほろぼさねばならなかった――」

 

 私の中で、声が聞こえる。

 

「もう、いいのですか」

 

 うなずく。すべて、全てあなたにいただきました。最初からそうであったように。あなたに委ねます。

 

「そうですか。それでは――控えよ、信仰薄きものよ」

 

 魔王の身体が、閃光に押しつぶされ、消し飛んだ。

 

 

 

 真珠のような白い髪。後光が背後より光り、背中の羽は抜け落ちて雪のように舞っている。目は、神聖さを示す黄金の眼。

 剣は失われ、すでに形すらもない。あれは、エリザが意図せず失った最後のカギ。

 

 聖女はすでにいない。そこにあるのは、天の座にあらわれるもの。

 




受肉の奇跡 主を顕現させる奇跡。器である肉体を保つための奇跡。

巡礼者の奇跡 人としての器の中身(精神)が汚染されることを防ぐ、よき人であることを保つ奇跡。最後はそれ抜きだったのでちょっとだけ危なかった。

碧落に至る奇跡 人間としての強度しか持たない器を、十分に強くするための奇跡。器がもともとの聖女様だと主がこぼれちゃうからね。
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