魔王は滅んだが、エリザの様子が……?
主の姿に拝謁する。呆然としながらそれを眺めるのは、不信心者である勇者とガルタリアンのみであった。
「――異界の勇者よ。この世界に招かれたのは偶然……いや、魂に呼び寄せられたのですね。魔王の魔力を使えば、異界への門は開けるのでしょう……ガルタリアン、あなたのまいた種です。責任をもって、返すように」
「……あ、あぁ。行くぞ、ヒジリ」
「まって――」
「やめろ。もうあれは……エリザではない」
ガルタリアンは、そういってヒジリを掴み、姿を消した。大地に降り立った姿に、急いで走り寄ったのはアルベールだった。
「地上の魔族が滅び去った……魔王をやったんだな、エリザ」
「ええ。魔王はすべて、滅ぼしました。人の子よ、これよりあなた方が戦うのはあなた方自身の心の闇に他なりません」
「……そう、だな。いう通りだ。人は、弱くて罪深いからな」
「――それでも、人間が心に宿す光もまた、強く尊い。その輝きを、あなたは誰よりも知っているでしょう」
「……なぁ、エリザ……――エリザ、なのか?」
アルベールは、エリザの姿に、絞り出すように問いを投げた。エリザは、当然と言わんばかりにうなずいた。
「わたしがエリザでなければ、何だというのです。――完全に姿を示すのはこれが初めてかもしれませんが……間違いなく、あなたの良く知るエリザでしょう」
――何かが、違う。エリザは、そんな目で人を見る少女ではない。目の前にいる、これはエリザではない。
剣を握りしめる。エリザに、誰が、何をした。
「……剣から手を放してください。仮に抜いたとしても、ユースティティアはあなたの意志に従いませんよ」
「なら、答えろ。お前は――本当に、俺の良く知るエリザか?」
エリザは、真正面からアルベールを見据えて言葉を放つ。
「――あなたの知るエリザって、誰のことを指しているんですか? 少し過去のことを知っているからって――わたしの、何を知っているっていうつもりなんだか」
「エリザ、俺は――」
「もう一度言いましょうか? わたしの、何を知っているというんですか」
エリザのこと。アルベールは、部分的な断片しか知らない。だが、それでも。
「――俺は、それでも。あいつにお兄ちゃんって言われたんだ。そうなると、もう、兄貴なんだよ」
「……だとしても、あなたに問いを投げる権利はありません。――問いの答えを聞く権利くらいは、与えましょう」
その言葉に、アルベールは思わずあたりを見回した。兵士が、だれも動いていない。――世界が、止まっている。
その中で、のどをからしながら走ってくる少女がいた。クリスだ。
「――え、エリザ様――! よかった、もう、私……会えないのかと………おも、思って――ぁ」
小さく、声をこぼして、エリザの姿を見たクリスは言葉を失い。そして、エリザの側に近づいて、手の甲に接吻を落とした。
「――主よ、エリザ様は――私がつい先ほどまで語り合ったわが友は――どこへ行かれましたか」
「正しく問うものに正しく答えます。わたしが、エリザです」
「……エリザ様は、御座を清めるものではなかったのですね。天使があの方の前に二度姿を見せたしるしの意味を、今知りました」
その言葉に、エリザは満足して微笑む。クリスは、切実な顔でエリザを見やった。
「では、――エリザ様が受肉する前。器を守る精神を持っていたものは、あなたでしたか? もし、あのものがゆがんだ信仰を持っていれば、今日この日、受肉は果たされましたか?」
「――そうですか。いえ、あの子も意志を持つ人間。そうですか、クリス。あなたもまた、奇跡を戴く聖人でしたね――。正しく答えましょう。わたしではないものです。そして、あの人の子が正しく信仰を持たなければ、受肉は果たされなかったでしょう」
刹那。クリスは、肉体に雷霆を纏った。ぱちぱちと放電するそれは、まごうことなき雷霆の裁きである。
「――返してください。エリザ様――その魂が、なんという名前を与えられるべきだったのかは分かりませんが――その子を、返してください」
「やめておきなさい、クリス。雷霆を使っても、わたしには勝てません。治癒が必要な奇跡の運用では――いえ、それは奇跡ではありませんね。あなたは――」
「受肉すると、過つこともあるのですか? そうかもしれませんね。世界は陰で、どんな形でも推論を必要としてしまうのかもしれません。――巡礼者よ、恐るることなかれ。あなたの道は、驚異と祝福に満ちているであろう。願えば星は瞬き、祈れば太陽と月は巡る。信仰を忘れずに地を征くものよ。あなたは、聖者である――主たるエリザ様に賜りし奇跡は、人としての在り方の奇跡。人間は、意志とその表象として、信仰を為している」
「そうですか、つまり――あの子が魔法を奇跡として運用したように」
「奇跡もまた、人の表象として扱うことはできます――!」
クリスは、雷霆を纏って、睨みつけた。
「主よ。どこへ向かわれようと。私はあの方の魂を取り返します。あなたが受肉を果たしたように。あの方の魂もまた、必ず受肉できるはずです――それもまた、あなたが為したことなのですから」
その言葉に、エリザは首を振った。
「やめておきなさい。魔力も信仰も枯れますよ……いいですか、あの子は、あの子の名誉のためにも、名前は隠しますが――。あの子は、自らを自らの意志で奉げたのです。わたしは、一度も無理強いをしたことはありません。致命的な判断の前には、いつだって問いかけた。進んだのは、あの子の意志です」
「……そうだとしても、私は。エリザ様の中にいた『誰か』が……何の力もなく、ただ普通に暮らして、普通に死ぬ少女であればいいと……どれだけ……」
「――そのために、あなたはわたしの受肉を止めるのですか? ――一人の少女が、望みすらしていない生を得ることを、肯定するのですか? その先に、あの子の幸せは――あるのですか?」
クリスは、その問いかけに。一度だけ逡巡して。そして、うなずいた。
「幸せがあるかどうかなんて、聞くまでもないでしょう。生きてみなければ、わかりません」
「……わかりました。奇跡の目撃者よ。正しい子よ――わたしは、確かに受肉を果たし、奇跡を与えました。――聖句は二度と開かれません。それが、受肉を拒んだ人間の未来です」
クリスは――手を合わせてひざまずいた。
「お許しください。ですが――隣人の不調を知らないといったものに、生を与えてはならない。違いますか?」
「……あなたは、つくづくクリスですね。わたしに信仰について論議を投げるなんて――でも、あなたにはそれを赦しましょう。あと……この子は、寿命を削っていますが――そうですね。これまでの献身に免じて、人としての生を、凡庸な命を赦します……では、審判にて、また」
エリザは、そのままふらふらと二度三度立ち眩みをおこしたようなそぶりを見せ――。赤い目をこちらに向けた。
クリスは、少しためらいがちに、尋ねた。
「――今のあなたを、なんとお呼びすればよいでしょうか」
「……そう、ですね。ルミエールは聖人としての名。エリザが主の名前なら……フォルテ……いいえ、やっぱり、エリザと呼んでください」
エリザは、目を細めて、涙を流した。
「もう、全部、全部。役目は果たして。刻まれた奇跡もない、ただの小娘になってしまいました。――クリス。どうすればいいと思いますか?」
エリザの問いに、クリスは笑った。
「何言ってるんですか? あなたは、最初っから、私の実家に寄進をたかりにきた、小娘ですよ。――私の大好きな人に、人より優れたチカラなんてずっとずっといらなかった」
「――そう、ですか。であれば――これからも、一緒にいてほしいです」
「当たり前ですよ、エリザ様――エリザ」
エリザは、弱弱しくてをにぎって。笑った。
「クリスの手は、少し冷たいですね」
エリザ かつて聖女だった少女。聖句を暗唱できる(しかし、何も起こらなかった)。
エリザ様 神と呼ばれる存在。超越者。人としての受肉体。神の位格の一つ。
聖女様 かつてクリスと呼ばれていた少女。人として、奇跡を魔法としてふるうことができる。奇跡を扱う、最後の人。