ある聖女の記録   作:黄金りんね

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聖女と巡礼

 たっぷり掃除をして、ぐっすり眠った翌朝。鶏の鳴き声を聞いて、体をぐっと伸ばす。しっかり寝れば昨日の鬱憤もどこへやら、だ。

 まだ暗く、冷たい空気に身震いしながら聖衣にそでを通す。――清浄なる衣と言っても、奇跡がないと垢まみれの汚れた衣服になるだろう。やっぱりほかの大司祭も清浄の奇跡をかけているのだろうか。

 二十四句の聖句をいちいち詠むのはなかなかに堪えると思うが……ま、信仰心に篤い者ならご褒美だろうか。この世界の人はあんまり衛生観念がレベル高くないので、意外とかけない人もいるのかも。

 

 そもそも、清浄の奇跡は場に巣食う悪霊を祓う十二の大奇跡の一つ。こんなことで使う人は稀有なのかもしれない。ひょっとして、私欲か? 私欲のために奇跡を独占しているのか? 

 

「なんと罪深い……」

 

 奇跡の使い過ぎには注意したい。でも、一日着てた服ってどうあがいてもなんか嫌なんだもん!

 

 頭を振って、煩悩を振り払う。一日を始めるとしよう。

 

 

 

 

 肌を刺すような冷たさが、それほど嫌いではない。むしろ心地よく、意識を呼び覚ましてくれる。北方でも寒さとは飢えや欠乏の象徴で、皆が憎み恐れるが――嫌いになり切れない。

 

「――巡礼者よ、恐るることなかれ。あなたの道は、驚異と祝福に満ちているであろう。願えば星は瞬き、祈れば太陽と月は巡る。信仰を忘れずに地を征くものよ。あなたは、聖者である――」

 

 季節は、巡る。どれだけ厳しかろうと。否。厳しければ厳しいほどに、強い人をはぐくむ。穏やかであれば、きっと優しい人を育てる。

 ――石造りの街を歩く。皆、すでに動き始めていた。勤勉な人々である。

 

「聖女様、おはようございます」

「おはようございます、レイシェル。今日は早起きですね」

「へへ、あの時のことは忘れてください。たまたまですよ」

「偶然が五たびも続くのですか?」

「勘弁してくださいよ、もう」

 

 町の学生であるレイシェルが、珍しく早起きしていた。――そうか。もうすぐ、そういう時期か。

 

「間もなく、冬至ですね」

「はい。今度の祭祀はきっとすごいことになりますよ。北方教区は、聖女様の巡礼で全盛期の七割まで領土を回復。貿易による収益は三年前の六倍にもなるって話です」

「私が大地を広げたわけではありません。私が荷を運び、品を売り払ったわけではありません。すべて、皆の営みの結果です」

 

 そういうと、レイシェルはまじめに向き直って言った。

 

「聖女様は、俺ら庶民の光なんですぜ。魔物を蹴散らして、恩寵を示した。教会の神威にひれ伏さぬ北方の民はずいぶん減った。田畑も戻った。……本当に、皆が感謝しています。俺がガキの頃は、北方教区は終わりだって言われてました。絶えて生まれざる大地(ノーマンズランド)。そんな風に呼ばれてた。俺たちの故郷がここまで栄えたのはあんたのおかげだ」

 

 真正面から、そんなことを言ってもらえると。少し照れる。人の役に立てたのなら、うれしい。頭に血が上がってくるのを感じて――刹那。レイシェルの後ろに、髑髏が見えた。

 お父様。お母さま。ユリウス。ベアトリス。――お兄ちゃん、家族が、みんなが。

 

 私は、本当は助けられた。私の代わりに、みんなが死んだ。お姉ちゃんだったのに、みんなを救わないといけなかったのに。せめて、妹だけでも。弟だけでも。

 助けられた。助けてもらえた。ここにいるのが、お父様なら。きっと、家族も無事だった。ここにいるのが、弟だったら。お兄ちゃんと並んで、騎士にでもなっただろうか。――お兄ちゃんは、そういうことを漏らすと、寂しそうな顔で。それでもお前が助かってうれしいよと言った。

 

 でも、お兄ちゃんは。騎士になった。皆を助ける人間になるといっていた。――あぁ、やっぱり本当は。みんなを救いたがっていたんだ。――私は、私が生きた意味を全うしなければならない。

 

 頭が冷える。この程度のことで、何かをなしたなんて言ってはいけないことを思い出す。

 

「――ありがとうございます。ですが、私の行いはやはりあなた方の成果です。教会への寄進が、皆様の慈悲が私の巡礼を成り立たせています。そして、私が――ルミーリアが、何かをなしたといわれるときは――魔なるものをこの世から滅したとき。この身に代えても、魔王を討ち果たします。何が、なんでも」

 

 駆逐し、滅ぼす。聖女としての力を与えられたのは――。この世に救済をなすため。

 

 止まってはならない。巡り続けよ。時のように、季節のように。天が廻るように。

 

「心強いや。ところで聖女様――冬至の祭祀は、いらっしゃるんですか?」

 

 レイシェルの声に、笑う。

 

「年末は魔物にとっても夜が長く、力をつける時です。――町から聞こえる聖歌が、私の力になります」

 

 冬至の祭祀には行けません。――私は魔物と戦わなければならないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 じゃあ、もし家族を失わずに。皆が私を囲む中で、聖女の力を手に入れていたら、私は旅をしただろうか。家族を捨て、教会の教えと学びを受けて、力を蓄えただろうか。――正直、無意味な妄想だ。

 私が力を得たのは、村を失ったあの日だから。私が力を示したのは、家族がいなくなってからだから。

 きっと、この力は。家族を持って暮らしていた私には与えられていないんじゃないかと思うから。

 

 ――それでも、もし、家族がいて、力もなお与えられていたとすれば。

 

 

 それでも、旅に出たと胸を張って言えるような旅をしようか。

 

 




冬至 太陽が力を再びつけることから、復活の象徴として教会の最も大きな祭祀となった。

学生 神学をメインに教える大学。学費は教会税によって賄われ、庶民も学ぶことができる。教科書は有償なのでご用心。
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