しんしんと、雪が降りやまない夜だった。――暖炉の中でぱちぱちと炎が爆ぜる。室内だからあたたかいのだけれども、温められた空気特有のむわっとした空気感が、私はあまり得意ではない。貧しい修道院で暮らしてきたからか。旅の中で、北方の寒さにすっかり慣れてしまったのか。
なんか、気分がぼうっとしてしまうというか。そういう感覚が、とにかく苦手なのである。
「――エリザ? 何かあった?」
「猊下……」
「やめてって、言ってますよね?」
クリスのじっとりした視線に、思わず目をそらす。もとから圧力が結構つよい子ではあったが……。なんでだろう、立場が気が付かないうちに逆転している気がする。
魔王を討ち果たし、人類を救済する。それが、かつて私――エリザに課せられた使命だった。クリスは、私の無謀にも等しい救済の巡礼を三年も支えてくれた、大事な従者だった。
結果として私は聖女の力を失い、クリスはその力を継承することになった。北方大司教として、北方教区の教会を統べるクリスを私は時折からかってみたりするのだった。
「ごめんなさい」
「――反省してない、悪いエリザですね。どうせまた猊下とか、聖女様とか呼ぶんでしょ」
「ぜんぶほんとのことです」
「……じゃあ、御身を私はどう呼ぶべきでしょうか」
クリスの、熱を帯びた視線に……たまらず、目をそらす。
「それだけは勘弁してほしいです。ぁぅぅ、いや、うぅん……」
「ふふっ、少しは懲りてください。エリザ様」
「様づけもやめてください」
「――私が仕えるべき聖女は、今も昔もあなた一人なんですよ」
クリスが、私の隣に腰を下ろした。長いソファだ。就寝前の厚手の寝間着。私が肌着しか着ないのを、クリスに一度半ギレで注意されたことがある。あったかいのが苦手なんですと文句を垂れると、「エリザの体温は高いくせに」と言い返された。だからじゃない? と思ったことは内緒にしておく。
クリスの身体に抱き着いて、頬ずりする。ひんやりと、もちもち。
「ちょっと、エリザ」
クリスは笑いながら、私の頭を押しのける。無理やり頭を太ももに押し付けられて。ひざ枕。太ももに顔をうずめる。なんか、いけないことをしている気持ち。
「クリスはひんやりしていて気持ちいいですね」
「……もうっ、聖女じゃなくなったと単にあまえたがりの女の子ですね」
女の子。そうか。確かに、女の子だ。――クリスには、私が異世界の転生者で。昔は、男だったことを伝えられていない。魂のありかたとか、そういうことを考えれば些細なことで。前世で生きた記憶よりも、こっちに来てからの自意識のほうが強烈だったから。
――私は私なんだと思って、ずっと生きてきた。
男とか女とか、関係ないというか。私は、聖女という存在で。だから、そうだな。私が私であるということについて。何一つ考えたことがなかった。
クリスにこうやって甘えるのは。どういう感情なんだろう。
友愛? 親愛? あるいは――家族愛。
昔、妹を殺したことを思い出す。ベアトリス。私が助けられず、魔族に堕ち果てた魔女。魔女になって、あらゆる悪逆を為したあとも。あの子は、私のことを好いてくれていた。
でも、あの子にちゃんとお姉ちゃんとして遊んであげたことなんて。ほとんどない。おままごとに付き合わず、冒険だなんだと引っ張りまわして。お姉ちゃんなんてできていなかった。
その代替みたいに、クリスにくっついて。甘えて。――許されざる自己欺瞞に、おぞけが走った。
「……寒いの? エリザ」
「違います。ただ……後悔していただけです」
「後悔? エリザが?」
こてんと、クリスが首を傾げた。
「ええ。ベアトリスと、もっとちゃんと遊んであげていればよかったなって思ったんです。あの子は、私と違って女の子らしい遊びが好きだったから。……お兄ちゃんと、棒切れを振り回していた自分に注意してあげたいくらい」
「――ふふ。また、自分以外のことで悩まれているのですね」
クリスは、愛おしそうに私の頭を撫でる。前髪をはらって、かるくこめかみに口づけをおとした。
「私は。エリザ様みたいな聖女にはなれません。人類を救う。誰かを救う。みんなを救う。そんな理念は、持ち得ていないんです。私はただ――あなたを救いたかったんです」
「……私にとって。人類を救うことは手段でしかなかったですよ、クリス。クリスみたいな、他人を想うようなきれいな心は持ち合わせていないんです。――軽蔑しますか?」
救済は手段でしかない。私が、この世界で生きていい理由。人の役に立てない自分は。聖女じゃない自分は、ただのゴミなんだから。
要するに、私はいつだって自分のことしか考えていなかったのだ。どこまで行っても自分しか大事じゃない。そんな人間なのだ。
「エリザ。軽蔑なんてするわけがないじゃないですか。――でも、そうですね。少しだけ。悔しいし、悲しいし。痛い、です」
「痛い?」
「はい。エリザが――エリザ自身のことを大事にできないことが。ひねくれた心が、解きほぐせないことが。エリザがエリザを好きになれないことが。――エリザの心を考えると、私も痛いんです」
あたたかな液体が、頬におちてくる。クリスが、泣いている。私の心を痛んで。泣いている。――それを見ていると。なんでだろう。私の視界も、うるんでいく。
「ねぇ」
あまりにか細い声。自分から出たとは思えないような、弱い声。
「くりす。わたし、聖女じゃないよ?」
「はい」
「もう、なにもできない」
「そんなことないです。普通に生きれます。いずれ死ねます」
「――私、すごくわがままだよ」
「存じております。しなくていいことまで引き受けるお方ですものね」
ああ、でも。今はそう言ってくれるけど。クリスもいずれ、ただの荷物になった私がいらなくなる日が来るんじゃないのか。
そう思うと、その日のことを想うと涙が止まらなくなってくる。
「くりす」
「はい」
「わたし……わた、わたし……」
「はい」
「くりすが思ってるような、きれいな人間じゃない」
「……知ってます」
「ちが、ちがう」
「違いませんよ」
クリスに、すべてを打ち明けてしまいたい。でも。それを打ち明けるには。私は、あまりにも自分自身を理解できていない。
「エリザが、何を言いたいのかは分かりませんが。あなたが抱えている全部を含めて。私は、エリザが大事なんです。だから、――これからも一緒に生きていきましょう」
――変な話。そういわれて、声を上げてわんわん泣いてしまった。泣いて、泣いて、さんざん泣いて。
ようやく気付いたわたしの気持ち。
いつからなんだろう。私、クリスに恋をしているらしい。
この番外編でいきなりGL要素がでてきてしまいました。
タグ付けしてなくて申し訳ございません(追加しました)。
TSしてるからGLじゃない、と言うにはエリザの性自認があまりに女の子寄りすぎ。