ある聖女の記録   作:黄金りんね

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神のみぞ知り、人に知るものなし。

 エリザの体は、完全に凍り、機能を停止し、砕かれるはずであった。だが。しかし。冷竜レアルテティアが見た景色は、先ほどの傷も忘れ、ケロッとしているエリザの姿であった。

 

「治癒の奇跡。簡易術式でもできるものが、私にできないとでも――」

 

 治癒――治癒だと? エリザの体は、命を奪われるほどの凍傷だったはず。それどころか、瞬間冷却された四肢はひびが入り、細胞同士が膨らみ傷つけ、二度と復元できるはずがない。

 

「凍ったそばから、治したとでもいうのか――」

「……仕切り直し、ですわね。結界に力を割いたとは言えども――」

 

 奇跡に魔力切れはない。エリザが言う「何かが抜けていく感覚」とは、脱力感であり、精神の疲労である。精神的な活動の極致である信仰と奇跡の体現は、単に集中力を使うだけ。――つまり、エリザのような無詠唱での奇跡を起こせるものは、奇跡を同時に回し、その出力を最大まで高めることができる。

 

 治癒の奇跡。聖霊結界。そして、エリザが好んで多用する雷霆の裁きの奇跡。これらすべてをフル出力で回し始める。その負荷に唯一魂と接続する脳の部位――松果体に甚大な負荷がかかり、エリザの目と鼻から血が垂れる。

 

 

 しかし、フル出力で回したと同時にエリザは雷霆を自身に打ち込み――奇跡はエリザを人ならざる雷速での戦闘を可能にした――。

 

「雷帝の嚇怒」

 

 冷竜の翼に、巨大な穴が開く。絶叫とともにレアルテティアは地に落ち、何百もの魔物が押しつぶされた。エリザの腕から、煙が上がる。それもつかの間。治癒の奇跡により、エリザの全身は雷撃により焦げると同時に治癒されていく。もちろん、松果体も。

 

「――さて、ブレスは吐いた。しばらくは放てませんわ。頭上の有利も捨てた。攻撃は通る。――そして、あなたたちの攻撃は効かない。どうします? 命乞いの言葉くらいは聞いてあげてもよいです。叶えることは、できそうにありませんが」

 

 

 聖女が聖女たるゆえん。魔族に決して負けない理由。それは、奇跡を人よりうまく扱えるからではない。列聖されるとは、地上にて圧倒的な神威を示しうると、教会が認めるということ。

 

 テオスは神に並ぶ慈悲で。預言者メルルーサは聡明さで。――エリザは、その畏敬にて列聖された。

 

 民に優しいなど、司祭として最低限の素養。巡礼の旅をする聖職者は少なくない。奇跡を言葉にせず結ぶことができるだけでは、教区を預かることなどとても許されず。

 結局のところ、エリザの奔放な巡礼を担保するのは。彼女の信仰心に裏打ちされた、自身を勘案しない奇跡の効率的な運用と、それによる絶大な対魔族の殲滅能力なのである。

 

「なめるなよ、人間風情が――」

 

 しかし、大地に落ち、力を削がれようと。最大出力の攻撃が通じなかろうと、竜は竜。あらゆる文明を崩し、滅ぼす存在。大帝国や王国の落日にはいつも竜の影が落ちていた。

 エリザが阻まねば、北方の大地に影が落ちる。人類の歩みは、中央地方まで後退する。

 

「竜を甘く見たことなど、一度もありませんわ」

 

 雷霆の裁きをエリザが好むのは、勝負を一瞬で決められる手早さと、単純な火力において最も強烈な威力を誇るためである。魔族であっても、雷速の一撃は阻むこともできず、一方的に勝負がつく。

 エリザが、こぶしを構えて不敵に笑った。

 

「竜は鈍重。私との相性、最低最悪ですわよ」

 

 

 

 

 

 

 肉が焦げる臭いが、あたりに濛々と立ち込める。それが、魔物の肉が焼ける臭いではないと知れば誰もが嘔吐するだろう。それは、ほかでもないエリザの体から立ち込める臭いである。

 聖衣ははだけ、黒い肌着が見える。皮膚は剝がれ、ところどころで血が滲み、肉が裂けている。

 

「さて、魔王軍五大騎士が一人。デュラハン侯爵。一騎打ち、お相手してもらいましょうか」

 

 治癒の奇跡はややおざなりになり、結果として雷霆の裁きも出力はかなり控えめになっている。聖霊結界――エリザの命を担保とする――だけが、フル出力で動き続けている。

 

「バカな……万を超える亡者の群れが、ただ一人の小娘ごときに……」

「魔族なんて、こんなものですわ。さあ、あきらめて死になさい」

 

 デュラハンは、それでも吠えた。

 

「まだだ! 貴様は満身創痍。俺はいまだ四体満足! 負けてたまるか、負けてなるものか! 俺が、万全の俺が、貴様なんぞに後れを取るものか!!!!!」

「かかってきなさい」

 

 エリザは、奇跡による肉体強化を実行。雷霆の強化を保てなくなったといっていい。万を超える死者と、竜を討ち、命をつなぎとめているだけで奇跡だった。

 そして、目の前には幾度となく人類を追い詰めた魔王の使徒。

 

 エリザのブレスレットが光の剣に変化した。

 

「聖樹の奇跡か」

「あなたの得意で、あなたをへし折ることにいたしました」

 

 剣を構える。エリザは下段に、デュラハンは上段に。

 先に動いたのは、エリザだった。デュラハンのフェイントにつられた形だ。傷だらけの体で、不得手な剣で。完全に敗北した。デュラハンのカウンターを身をひねってよけるも、間に合わない。左腕が、鮮血とともにぽとりと落ちる。

 

 

「――ッ」

「俺の勝利だ――」

 

 聖女は、笑っていた。左腕が落ち、剣が落ちた。それでもやはり、笑っていた。

 

「私の、勝ちですわ」

 

 聖女の腕から、一直線。落ちたはずの腕から放たれる電撃による最大出力の雷撃が、デュラハンの腹を貫き、風穴を開けていた。

 自身と自身の一部の間に標的を挟みこみ、正負の電荷で挟み込むことで実現する最高効率の雷霆である。

 

「やはり無策。やはり無謀。魔族風情と私が、腕を競い合うなど生涯ありえませんわ。冷静に距離をとり、戦えていたなら勝負は分かりませんでしたが……ふふっ、魔族は所詮魔族ということですわね」

 

 腕を拾い上げ、とどめの電撃を放つ。聖霊結界を解除し、治癒の奇跡を起こせば――聖女の肉体には、一切のかすり傷もなく。聖衣もまた、一切の解れもなくおろしたての状態であった。

 ふらつく足。痛む頭。

 

 ふぅ、と小さく息を吐く。胃がひっくり返るような気持ち悪さに襲われながら、聖女は立ち上がった。何も食べなかったのは、こうなることがわかっていたから。

 聖女の体に傷は一つもない。態度にも、何も現れない。死闘も、惨劇も。竜に何度はらわたを引き裂かれたかも。ゴブリンたちに矢を、槍をどれだけあびせられたかも。自分自身の奇跡で、どれだけ身体を灼いたかも。

 

 何一つ、誰も知らない。




雷霆の裁き 雷撃を打ち落とし、主の仇を撃ち殺す。最高出力は信仰に比例する。自身に打ち込めば聖霊の加護を受けた高速戦闘が可能になるが、人の身に余る出力であれば奇跡が絶えたのち、そのフィードバックを受ける。

聖女 雷霆のフィードバックは奇跡の並行運用によって完全に解決できる。肉体的負荷は後で治せるし、精神的負荷は耐えうる心があれば問題はないのだから。
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