「よかったです、大将。....またお店を再開してくれて」
朝の空気はまだ少し肌寒く、けれどどこか落ち着く気配を含んでいた。燈在キミヨはそんな空気の中、再開された柴関ラーメンの屋台に立ち寄り、湯気の立ち上るラーメンを前にしていた。
今ごろ、対策委員会や先生たちは、小鳥遊ホシノが遺したであろう手紙を読んでいる最中だろう。あの場に自分のような部外者がいるのは場違いだ──そう思い、気を紛らわせるように足を運んだのがこの店だった。もちろん、先生には「朝食を取りに行く」と伝えてある。
「どっかの誰かさんがお金を置いていってな。引退しようと思ってたんだが....営業してほしいって言われてな」
屋台の主である大将は、どこか照れくさそうに頭をかきながらそう呟いた。
その言葉に、キミヨの顔に自然と笑みが浮かぶ。
「引退だなんて、もったいないです。私は大将のラーメンのファンになってしまったので、一回しか食べられないなんて....悲しすぎますよ」
「.....嬉しいこと言うじゃねぇか、嬢ちゃん」
大将の顔に、嬉しさを隠しきれない笑みが広がる。だが次の瞬間、ふとその表情が変わった。
「嬢ちゃんって、アビドスの子じゃなかったよな?」
「はい、一応.....シャーレ所属です。だから、先生の部下です」
「なるほどな。....ってことは、他の学校にも行くってことだよな?」
「ええ、先生の仕事の手伝いで、あちこち出張することになるとは思います。....まさか?」
キミヨが問い返すと、大将は目をわずかに細め、口元に笑みを浮かべた。
「その“まさか”だよ。....もう一度、やり直してみようと思ってな。今度は、他の学校でも営業してみようかって。だから、そのときは――また来てくれよな」
一瞬、キミヨの胸に温かさが広がる。だが同時に、心の奥にほんの少しだけ暗い影が差し込んだ。
少し口を噤んだのち、彼女は言葉を選びながら、静かに口を開く。
「....正直、すごく嬉しい話ですし、応援もしたいんですが....」
言葉を濁すキミヨに、大将が不思議そうな視線を向ける。
「どうしたんだ、嬢ちゃん。.....何か、まずいことでも言ったか?」
「いえ、むしろ逆です。....ただ、ゲヘナとミレニアムだけは、やめておいた方がいいかもしれません。あくまで、私の個人的な意見ですけど」
そう前置きしてから、彼女は静かに説明を始める。
「ゲヘナは....アビドスの五倍以上、治安が悪いと思ってください。毎日何かしらの事件や事故が起きますし、飲食店が爆破されるなんてことも。でも――」
言いかけて、彼女は慌てて手を振った。
「でも大丈夫です!柴関ラーメンは絶対に爆破されません! 美味しいので、爆破する理由がありませんから!」
自分でも少し熱くなりすぎたのが分かる。大将はぽかんとした後、吹き出すように笑った。
「.....そりゃありがたい話だな」
その笑顔を見て、キミヨの気持ちも少し軽くなる。
「ミレニアムの方は、治安というより....学園内で開発された機械が暴走することが多いんです。人為的な悪意はない分、むしろゲヘナより厄介なときがあります」
「そうか....そういう事情もあるんだな。ありがとな、嬢ちゃん。心配してくれて」
大将は手際よく鍋を振るい、香ばしい香りを漂わせながら声をかけてくる。
「はいよ、柴関ラーメン一丁と餃子の単品。熱いから気をつけな」
湯気の向こうに浮かぶラーメンを見つめ、キミヨはふっと表情を緩めた。
「....どちらの学園も、対策はありますし、大将が行けばきっと大丈夫だと思います。なので、あくまで戯言だと思って聞き流してください。では――」
彼女は手を合わせ、深く一礼する。
「いただきます!」
割り箸をパキッと割る音が響く。左手にレンゲ、右手に箸を持ち、熱々のスープを一口啜った。
「....美味い」
数日前に食べたはずなのに、まるで初めての味のように新鮮で、飽きのこない旨さだった。次に餃子をそっとつまみ、タレをつけて口に運ぶ。
「こっちもやはり美味しいです。...これだと、白米が欲しくなるくらいには」
「悪いな嬢ちゃん、流石に白米はないな」
「大将、白米をレシピに追加してください。それで朝昼晩、柴関ラーメンに通えます」
「ハハッ! それは嬉しい話だが、流石に健康に悪いぜ」
「ラーメンには野菜が入っているので、健康的です!」
そんなやりとりの最中、背後から足音が近づいてきた。
「大将、柴関ラーメン四杯、いいかしら?」
湯気の立ちのぼる屋台に、にぎやかな声が飛び込んできた。便利屋68の面々が、連れ立ってこちらへ向かってくるところだった。
「おっ、噂をすればってやつだな。あいよ!」
大将が手際よく鍋を振り始める。その間に、彼女たちの一人――陸八魔アルがこちらに気づいた。
大将が手際よく鍋を振り始める。動きの合間に、陸八魔アルがこちらに気づいた。
「――あら、あなた。前に会ったわね。えっと....名前を聞いてもいいかしら?」
キミヨは箸をそっと置き、姿勢を正してきちんと名乗った。
「連邦生徒会三年生、シャーレ所属の燈在キミヨです。便利屋68、先日はご協力ありがとうございました」
「いえ、それはこちらの台詞よ。あの時は、私たちの不注意であなたを怪我させてしまった。むしろ感謝を伝えたいのは、私たちのほう──」
アルの言葉を、ムツキが笑顔を浮かべて被せる。
「キミヨちゃん、年上だったんだ!ねぇねぇ、この前の指揮、すっごくよかったよ!ぜひうちに来ない?」
その勢いに、キミヨは思わず声を詰まらせた。
「ちょっと、ムツキ。キミヨが困ってる。...でも、確かに。同じ参謀として、学ぶところはあったわ」
カヨコが無表情で、淡々と続けた。その目は、キミヨをじっと見つめている。
「えぇーーっ!?燈在さん、入社するんですか!? 私はアル様が良ければ歓迎しますが....!」
ハルカが目を輝かせ、大げさに反応する。
「みんな、やめなさいってば。キミヨが困ってるでしょ。でも....貴方が本気で入社したいというのなら、私は歓迎するわ。直感だけど、貴方には私と同じアウトローの匂いがするの」
ムツキは内心でそう呑気に考えていた。――冗談で言っただけなのに、本当に勧誘の流れになっている。でもいっか、この子興味あるし。
「い、いや、あの....私は先生の部下ですし、入社とかではなくて、その...」
次々に浴びせられる熱量に、彼女は完全に押されていた。
(....どうしてこんなに友好的なんだ?指揮を執っただけで、ほとんど接点はなかったはずなのに)
混乱を振り払うように、彼女は控えめに口を開いた。
「と、とりあえず....座りませんか?」
「それもそうね。大将、ちょっとうるさくしてごめんなさいね」
「いや、気にすんなって。はいよ、柴関ラーメン四杯、お待ち!」
出されたラーメンに目を輝かせながら、四人は勢いよく箸を取り、屋台は一気ににぎやかさを増した。
「いただきまーす!」
──だが、その瞬間だった。
ドカアァァァァン!!!
乾いた爆発音が、遠くの空気を震わせて屋台へと届く。一瞬の沈黙が場を支配した。器の中のスープが波紋を描き、湯気がかすかに揺れる。
「....今の音、何?」
最初に口を開いたのはアルだった。彼女はすぐに立ち上がり、屋台の外へと視線を送る。
遠く、空の向こう――白い煙がもくもくと立ち昇っていた。
「....あれ、市街地方面じゃないですか」
ハルカが低く呟いた。その声には、わずかに警戒と焦りが混じっている。
「でも、どうして市街地に被害が....?私たち以外に、誰か雇われてる組織がいるのかしら」
アルの眉が険しく寄った。すでに彼女の目は、現場へ向かう覚悟を帯びていた。
「とりあえず、行くわよ!これじゃ報酬が吹き飛んでしまうわ!キミヨも一緒に来て頂戴!」
「アル様!ついていきます!」
声を張り上げて走り出すアル。続くハルカの背中は、すでに視界の端で小さくなりかけていた。
「もう、社長ったら……素直じゃない」
カヨコが肩をすくめる。
「メガネっ娘ちゃんたちが心配って顔してたね!」
ムツキも軽く笑って同調した。
そしてカヨコは彼女に向き直った。
「で、どうするの?キミヨ。一緒に来る?」
──ここで「NO」なんて言えるはずがなかった。
彼女は心の中で舌打ちした。同時に、器の中に残ったラーメンと餃子が視界に映る。
(....まだ、完食していないのに...ッ!)
くそっ、と内心で叫びながら、彼女は立ち上がった。
(絶対に許さない....カイザーめ...こんな茶番に付き合わせんなよ...!)
「すみません、大将。お金は全員分、後で支払います。ラーメンを残してしまい、申し訳ございません」
深々と頭を下げると、大将はしばらく彼女を見つめ、それからふっと苦笑した。
「残すなって言いたいが....緊急事態だからな。...気をつけて行きな」
「ありがとうございます。必ず、戻ってきます」
そう告げると、彼女はすでに走り出していた。便利屋68の背中を追い、煙の上がる市街地へと向かって。
◆
市街地のど真ん中。瓦礫と煙に覆われたその戦場の中心で、奥空アヤネは震える指先で制服の裾を握りしめ、今にも零れ落ちそうな涙をこらえていた。
「どうして...私たちだけ、こんな目に...」
アヤネは、打ちひしがれたように座り込んでいた。炎と硝煙の匂いが辺りに立ち込め、遠くで響く爆発音が、希望を削り取っていく。敵は圧倒的だった。次々と投入されるカイザーの機械兵と傭兵部隊に、少女たちの士気は見る影もないほどに沈んでいた。
(くっ....どうする?皆、完全に戦意を失っている。この状態で前に出ろとは....酷すぎる。だが、このままじゃ...この街も、学園も、本当に全部カイザーの手に渡ってしまう)
彼女の視線は地面から上がらなかった。その隣で、対策委員会がどう声をかけたら良いか悩んでいる。内心皆んな思っているからだ。
「ホシノ先輩....私たち、どうすればいいんですか」
アヤネの声はか細く、泣き声まじりだった。
「アヤネちゃん....」
セリカもまた、答えに詰まっていた。こんなにも無力だと思わされたのは、何度目だろう。彼女もまた、自分の無力さに歯噛みしていた。
誰もが、次の一歩を踏み出せずにいた。
――そんな空気の中で、たった一人、指揮官である「先生」は黙して立っていた。
(....私が、発破をかけるしかないか)
内心、何度も自問した。こんなに傷ついた生徒たちに、もう一度戦えなどと言ってよいのか。何もかもを背負わせて、それでも前へ進めと――そんなこと、言える資格が自分にあるのか。
それでも。
(....やるしかない。誰かが、声を上げなければ)
重い決意を胸に、先生は一歩前へ踏み出し、口を開こうとした。
――その瞬間だった。
ドカアアァァァァン!!
耳をつんざくような轟音が、上空から降り注いだ。衝撃が地面を揺らし、周囲のビルのガラスが砕けて飛び散る。
皆が反射的に身を縮めた。
煙の向こう、瓦礫の降り注ぐ空に――何かが現れた。
黒煙の中から姿を見せたのは、見慣れないシルエットの部隊。
先頭に立つ少女の髪が、爆風に吹かれて煌めく。
その足取りには一分の迷いもなかった。鋭く戦場を見据える視線、踏みしめる一歩一歩に、圧倒的な覚悟が滲んでいる。
陸八魔アル――便利屋68の社長。
そして、そのすぐ隣を走る影に気づいた誰かが、声を上げた。
「アルさん!それにキミヨさんも!」
奥空アヤネだった。驚きと歓喜が入り混じったその声は、瓦礫に沈んでいた少女たちの心に、再び火を灯すように響き渡った。
髪を風になびかせながら、燈在キミヨが戦場に姿を現す。鋭く研ぎ澄まされた目は、一切の迷いを見せずに前方を射抜いていた。
キミヨの背後からは、煙の帳を切り裂くように、次々と仲間たちが飛び込んでくる。
ムツキは瓦礫の上を跳ね、爆薬を巧みに使いながら敵のPMC兵士に躊躇なく突撃。
カヨコは無駄のない動きでハンドガンを構え、冷静に射線を読み取って射撃を開始。
ハルカは仲間を守るかのように敵のヘイトを集め、ショットガンを叩き込む。
彼女たちの動きはひとつの連動した機構のように噛み合い、敵の前線をじわりと押し返していく。
――その戦場の中央、キミヨは先生の隣で足を止めた。一方のアルは、対策委員会の面々のもとへとまっすぐ歩み寄る。
「状況は把握しています、先生」
キミヨは簡潔にそう言うと、手早く端末を操作し、現場の地形情報をホログラムで表示した。
「援軍はここまでです。残りの戦力で、敵の展開を断ち切り、後方の補給線を潰します。便利屋68は私が指揮を取ります。先生は――対策委員会をお願いします」
その言葉に、先生は短く頷いた。
その声に、先生も迷いを振り払うように頷いた。
そして、アルが前へ出る。
言葉を選ぶことなく、彼女は烈火の如く叫んだ。
「全く...大人しく聞いていれば。何をすれば良いのかわからない。“どうすればいいのかわからない”だの、“全部失敗に終わった”だの、泣き言ばっかり!」
怒気を孕んだ声が、焼け落ちたコンクリートの上を突き抜け、沈んだ空気を切り裂く。
その迫力に、アヤネたちは思わず肩を震わせた。
「この先が苦しい?逆境しかない?だから何なのよ!」
アルの拳が固く握られ、全身に感情がほとばしる。
「でも、だからって――ここで止まる理由になるわけ!?」
激しく揺れる髪が、残響のように戦場にたなびいた。
「仲間が危機に瀕してるのよ!街が、学園が、踏みにじられてる!黙って見ていられる!?このまま何もしないで納得できるの、覆面水着団!!」
その言葉は、戦火の中で戦意を失いかけた仲間たちの胸に、容赦なく突き刺さった。
....しかし。
「....覆面水着団?」
その唐突すぎるフレーズに、キミヨがぽつりと呟いた。まるで熱に浮かされたように。
キミヨは静かに、しかし確かな力でアルの肩に手を置いた。
「陸八魔さん、発破をかけるのは良いですが一旦落ち着きましょう」
「い、今のは...勢いっていうか、ノリで...!」
言葉を濁しながらも、アルは目をそらす。頬がほんのりと赤らんでいた。
だがその姿を、誰一人笑う者はいなかった。むしろ、彼女の叫びは間違いなく、冷えきっていた空気を吹き飛ばしていた。
「....いえ。カッコよかったですよ、陸八魔さん」
キミヨが小さく、しかし確かな声でそう告げた。
そして、俯いていた少女たちの顔が、次第に上がっていく。
くすぶっていた心に、もう一度、戦う理由が灯っていく。
――立ち上がらなければならない。
誰かがそう思った。その想いが、周囲に連鎖していく。
再び、戦場に立つために。
この街を、仲間を、そしてアビドスの未来を守るために――。
──市街地に向かう途中。
「せっかくだからアウトローらしく、カッコいい登場の仕方はないかしら?」
「カッコいい登場って言われてもねー、何も思いつかないなー。カヨコっちは?」
「同じく、何も思いつかない」
「すみません何も思いつきません。こんな私死んだ方が良いですよね」
「伊草さん大丈夫です落ち着いてください。陸八魔さん、こんなのはどうですか?───」
「良いわねそれ!」
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