一般シャーレ事務員憑依   作:戯け

15 / 24
お待たせしました


15話 ただいま

 これを「戦闘」と呼ぶには、いささか語弊があるかもしれない。それほどまでに――一方的だった。

 

 戦場に響くのは、規則的な指示と、敵が倒れる音ばかり。一人一人がキミヨの指揮を受けて行動すれば、それだけでカイザー兵たちはドミノのように崩れ落ちていく。

 

 恐怖が、兵士たちの足を止めた。

 

 「なにをしている!早く行け!行くのだ!」

 

 焦燥をにじませた声で叫ぶのは、カイザー理事。命令されてようやく動き出す兵士たちだったが、その動きもまた、意味を成さなかった。

 

 ――なぜなら、その命令が届くよりも早く、彼らは倒されていくからだ。

 

「死んでください、死んでください、死んでください...!」

 

 最前線で、執念のごとく敵を倒していくハルカ。その姿は狂気すら帯びているが、放たれる弾丸は一発もない。敵が撃つ前に、別の生徒の援護で屠られているのだ。

 

「あは〜。ねえカヨコっち、敵が面白いくらい簡単にやられるんだけど〜」

 

 あまりにも余裕な様子で敵をなぎ倒しながら、ムツキは隣にいるカヨコへと話しかける。戦場のただ中とは思えぬその口調に、逆に恐ろしさすら感じる。

 

 「...まさかとは思っていたけれど、まさか九人全員を同時に指揮してくるなんて。彼女、一体何者なの....?」

 

 キミヨの指揮下での戦闘は、これで三度目だ。初めは勘違いかと思っていた。だが、今や確信に変わる。彼女は尋常な存在ではない――カヨコは静かに、だが真剣な眼差しでキミヨを見つめた。

 

「二人とも、喋ってないでもっと倒してちょうだい。まだまだ数はいるわよ」

 

 前線から飛んできた声に、ムツキもカヨコも思わず肩を竦める。その声の主――アルは、いつも以上に静かだった。

 

「アルちゃん、なんか...いつもより本気って感じだね〜」

 

 ムツキの呟きに、誰もが同意した。口数少なく、次々に敵を狙撃するアル。時には至近距離からのスナイプすら行うという、彼女にしては珍しい戦い方だ。

 

 ――なぜ、そこまで本気なのか。

 

 その理由は、彼女の胸の内にあった。

 

(....三回の戦闘で分かったわ。キミヨは、戦闘自体は得意じゃない。きっと、今後もシャーレの任務で戦闘が絡むことは多い。そこで!私たち「便利屋68」の力を見せておけば、戦闘要員として依頼が来る....お得意様としてね。そう、私たちにとってはチャンスなのよ!)

 

 だからこそ――この戦いで、全力を見せる。

 

 

 

 

 (す、すごい.,.!私でも――敵をサクサク倒せてる……!まるで、シロコさんたちみたいに!)

 

 戦場を駆けながら、ヒフミは目を見開いたまま、手にした銃を次々と撃ち放つ。その軌道は迷いなく、敵を確実に仕留めていた。

 

 初めて受けるキミヨの指揮。声に従い、動くだけで、自分の力が何倍にもなっているかのような錯覚すら覚える。彼女の指示は、まるで次の一手をあらかじめ見通しているかのようで――思考を挟む隙すら与えない。

 

 (こんなの....初めて...!)

 

 だが、勘違いしてはいけない。

 

 もともとヒフミは、見た目や振る舞いに反して戦闘能力は高い。彼女自身のポテンシャルは、普通の生徒の域をとうに超えている。キミヨの指揮によって、その力が限界まで引き出されているに過ぎないのだ。

 

 ――だからこそ、圧倒的だった。

 

 単なる「サポート」ではない。「力を引き出す」指揮。それが、キミヨの持つ異質な能力だった。

 

 (....でも、この感覚....どこかで...)

 

 戦いながら、ヒフミの胸に浮かぶ一つの既視感。

 

 今のこの感覚――自分の中の限界が勝手に開かれていくような、戦場の流れと一体になるような不思議な感覚。それは、たった一度だけ、かつて味わったことのある感覚だった。

 

 (....そうだ。先生の指揮を受けたときと、同じ...)

 

 キミヨの指揮と、先生の指揮はまったく違う。けれど、どちらにも共通しているのは「信じさせてくれる」力だ。自分自身の力を、仲間の力を、そして勝利への道筋を――疑いなく信じられる、奇跡のような感覚。

 

 「....信じられない。まさか、ここまでとは...」

 

 その感覚に、困惑しているのはヒフミだけではなかった。風紀委員のチナツもまた、戦場の片隅で静かに唇を噛む。彼女もまた、一度だけ先生の指揮を受けたことがある者だった。

 

 だからこそ分かる。この戦場に今、先生に似た「何か」が存在していることに。

 

 ――それは、カイザー兵がいくら数を揃えようとも届かない、「意思によって統率された力」だった。 

 

 

 

 

 

 

 (...いつもより、ずっと効率よく敵を倒せている。アコには悪いけど...風紀委員会に、本当に欲しい人材だわ。三年生なのが、惜しい)

 

 砕け散る瓦礫の中、ヒナは静かに歩を進めながら、愛銃《デストロイヤー》を構える。そのたびに轟音が鳴り響き、カイザー兵たちの隊列が文字通り吹き飛んでいく。

 

 その姿は、まるで無双ゲームの主人公のようだった。右へ左へと移動するたび、周囲の敵が薙ぎ払われていく様は、一騎当千という言葉をそのまま体現している。

 

 ヒナという存在が戦場にいる時点で、もはやカイザーに勝ち目などなかった。

 

 だが、今回はそれだけではない。キミヨの指揮が加わることで、彼女の力はさらに研ぎ澄まされていた。指示は簡潔かつ的確で、ヒナが求めるタイミングでの援護、進行ルートの提示、敵の配置情報――すべてが最適解だった。

 

 (...戦闘経験が、尋常じゃない。理事が彼女を警戒していた理由、今なら分かる)

 

 キミヨは、戦場を知っている。机上の理論だけでは語れない、実戦に裏打ちされた戦い方をしているのだ。

 

 (それにしても....初対面の私たちに、ここまで正確に指示ができるものなのかしら)

 

 ふと、ヒナは眉をひそめた。彼女のように一定以上の戦闘経験がある者にとって、他人の指揮というものは、時として足枷にもなりうる。けれどキミヨの指揮は、まるで長年連携してきた仲間のような精度を持っていた。

 

 それがどうして可能なのか――ヒナにはまだ分からない。

 

 (...そういうの、私は得意じゃないから。後でアコにでも聞いてみよう)

 銃声を響かせながら、ヒナは一人、戦場を歩き続ける。

 

 

 

 

 

「貴様らーーッ!」

 

 怒号とともに、カイザー理事が前線へと踊り出る。血走った目、握り締めた拳には怒りと焦燥が滲んでいた。巨大兵器《ゴリアテ》を操り、ありったけの火力をもって便利屋68に襲いかかる。

 

 だが――。

 

「ふん、遅いわよ」

 

 その攻撃を、まるで未来を読んでいたかのように、便利屋の面々は軽やかに回避してみせた。アルの一撃が装甲の隙間を貫き、ハルカの奇襲が装置のジョイントを壊し、ムツキとカヨコが静かに仕込んだ罠がゴリアテの足元で炸裂する。

 

 怒りに任せた攻撃はすべて空を切り、反撃にさらされた《ゴリアテ》は、ついにバランスを崩した。

 

「がっ....!?」

 

 コックピットが大きく傾き、カイザー理事の体が投げ出される。

 

 装甲の隙間から落ちてきた彼の前に、狙撃銃が構えられた。

 

「これで、お終いよ」

 

 スコープ越しに、アルの瞳が冷たく輝く。彼女の指先がトリガーにかかる瞬間、戦場の空気が静止する。

 

 チェックメイト――誰もがそう思った。

 

 カイザー理事を除いては。

 

(....フッ、馬鹿どもが....)

 

 地に伏したまま、カイザー理事の口元が歪む。まるで、勝者が勝利を確信した時に浮かべるような笑みだった。

 

 その理由は、すぐに明かされる。

 

「キミヨ!危ないッ!」

 

 誰の声かは分からなかった。だが、確かにその叫びは戦場を貫いた。

 

 キミヨの背後――瓦礫の影から、カイザー兵三体が飛び出してくる。明らかにタイミングを計っていた。すべてはこの瞬間のため、カイザー理事が用意していた罠。

 

 勝利を確信させ、気を緩ませる。自ら囮となり、敵の意識を一点に集中させる。すべてはキミヨへの奇襲――それだけが、彼の唯一の勝機だった。

 

 だが、その結末は――あまりにも、呆気なかった。

 

「....無駄」

 

 キミヨは一歩も動揺しなかった。背後から迫る殺意にも、まるで最初から知っていたかのように、振り返ることなく身体をひねる。

 

 一体目のカイザー兵の関節を、背中越しに肘で叩き折り、二体目を投げ飛ばして瓦礫に叩きつける。三体目が銃を構えるより先に、キミヨの膝が鳩尾にめり込み、そのまま地面に崩れ落ちた。

 

 銃は使わない。使うまでもない。

 

 だがその戦い方は、決して洗練された格闘術ではなかった。

 

 背中に肘を当て、地を転がり、掴んだ瓦礫で反撃する。

 

 勝つためなら、手段は選ばない。効率も美学もない。ただ一つ、「倒すこと」だけを目的とした、泥臭い――喧嘩のような戦闘。

 

(まさか....読まれていた.,..?この私が....!?)

 

 カイザー理事の顔から、勝利の笑みが消えた。

 

 キミヨの目が、その場の誰よりも冷静に、理事を見下ろしていた。

 

 

 カイザー兵たちが沈黙し、戦場に静けさが戻る。

 

 その中心に立つキミヨは、微塵の驕りもなく、ただ静かに一歩踏み出した。そして、地に伏したままのカイザー理事に向けて、まっすぐな声で言葉を紡ぐ。

 

「....ここら辺で、やめにしましょう」

 

 声は穏やかだった。怒気も嘲りもない。ただ、戦況を正しく見極めた者の言葉。

 

「これ以上続けても、無駄な犠牲が増えるだけです。どうか、大人しく――負けを認めてください」

 

 それは命令でも、警告でもなかった。

 

 事実を事実として伝える、ただそれだけの宣言。

 

 だが、言葉に込められた揺るぎない意志が、誰よりも重く響いていた。

 

「あぁ...大人しく降参するとするよ」

 

 カイザー理事の口から漏れたその言葉に、戦場の空気がふっと緩んだ。

 

 カイザー兵たちは驚きの表情を浮かべ、便利屋の面々、そして風紀委員会も同様に武器を下ろしていく。静寂が訪れた。誰もが理解する――戦いは、終わったのだと。

 

 キミヨもまた、ゆっくりと振り返り、皆に声をかけようとした。その背を見て、仲間たちは安堵の息を漏らす。

 

 だが。

 

 ――誰が言った? この男が、素直に負けを認めるようなやつだと。

 

 「これで....お終いだッ!」

 

 カイザー理事が、懐からひとつのスイッチを取り出す。その目に宿るのは、敗北を認めた者の表情ではなかった。もはや勝利など望んでいない。ただ、巻き添えにして道連れにする――その執念だけが、彼を動かしていた。

 

 一瞬、時間が凍りつく。

 

 皆が止まったように見える中、ただ一人、キミヨだけが動いていた。

 

 「っ....!!」

 

 体をひねり、回し蹴り。最大限の火力を込めて、キミヨの脚がカイザー理事の顔面を捉える。打撃音とともに「バキッ」と、明らかに不穏な音が響いた。スイッチは宙を舞い、キミヨの手の中に収まる。

 

 カイザー理事の巨体が、無様に地面へと崩れ落ちた。倒れ伏したまま、微かに痙攣する指先――意識は、まだ完全には途切れていない。

 

 だが、もはや抗う術もない。スイッチはすでにキミヨの手の中。すべてが終わった。

 

 (...,はぁ、ようやく終わった)

 

 

 執念の足掻きに、冷静な一撃。

 これで本当に戦いの幕は閉じた。

 

 

 

 

 

 

「皆さん、あちらを見てください!」

 

 誰かが放った言葉に、穏やかな空気が一変した。戦闘が終わってから、すでに十分ほどが経っていた。十人の少女たちは、ようやく緊張を解き、穏やかな表情で談笑していたが、その声に導かれるように、全員の視線が一斉に瓦礫の向こうへと向かう。

 

 埃と熱気がまだ地表に残る中、その隙間から現れたのは――ホシノを背負いながら、必死に走ってくるアビドス対策委員会の姿だった。

 

 思わず、誰もが息を呑む。

 

 その隙を突いて、カイザー理事が物陰からそっと抜け出し、逃げ始める。しかし、ヒナとキミヨはそれに気づいていたものの、特に追う様子はなかった。彼の逃亡など、もはやどうでもよいと判断したのだ。

 

代表として一歩前に出たヒナが、静かに尋ねる。その問いかけは、あくまで儀礼的なものだった。少女たちの表情――それだけで、十分な答えだったからだ。

 

「これといってケガもなく、ただ眠ってるだけだよ。....本当にありがとう、みんなのおかげだよ!」

 

 先生が、晴れやかな笑顔で深く頭を下げる。その言葉に、ヒナはわずかに眉を動かしたが、すぐにいつもの落ち着いた口調で応じた。

 

「先生が気にすることじゃない。ただ...部下の後始末をしただけよ」

 

 そう言って、背後の仲間たちに視線を投げる。

 

「小鳥遊ホシノが無事なら、私たちは帰るわ。アコ、イオリ、チナツ――行くよ」

 

 名を呼ばれた三人が軽く手を上げ、ヒナの背に続いて歩き出す。夕暮れの光が差し始めた空の下、彼女たちは雑談混じりの声を交わしながら、ゆったりとゲヘナ方面へと去っていった。

 

 その背中を見送りながら、セリカがぼそりと呟いた。

 

「...助かったわ、便利屋。その...べ、別に感謝してるわけじゃないけど...ラーメンくらいなら、奢ってあげてもいいわよ」

 

 その瞬間、周囲の空気がふっと変わる。全員の視線が一斉にセリカへと集中し、口元に浮かんだ笑みを隠そうともしない。

 

「な、なによその顔は!?」

 

 赤くなった頬を隠しきれず、セリカが声を上げる。そんな彼女に、アルが微笑みながら応じた。

 

「フフッ、なんでもないわ。ただ...そうね。奢ってもらおうかしら、ラーメン。ねぇ、みんな?」

 

 アルの言葉に、三人が無言で頷いた。四人の穏やかな表情に、確かな絆がにじんでいた。

 

「それじゃ、先生。私たちもそろそろ戻るわ。依頼があれば、いつでも頼って頂戴ね」

 

 アルはそう言い残し、ふとキミヨの方を振り返る。そして、少しだけ意味ありげな言葉を口にした。

 

「それと、キミヨ。前に話した返事....いつでも待ってるわ」

 

 キミヨが何か言い返す前に、便利屋の面々はくるりと背を向け、風になびくコートをひるがえして歩き出す。

 

「みんな、まったね〜」

 

 ムツキの軽やかな声が、風に乗って遠ざかっていった。

 

 その後、最後まで残っていたのはヒフミだった。静かに一礼し、彼女もまた歩き出す。

 

「では、私も帰らせていただきますね」

 

「..,.ヒフミ、今回は色々と巻き込んでしまった。ごめん。私達にできることがあれば、何でも言って」

 

 シロコが、わずかに眉を下げて言葉を紡ぐ。だがヒフミは優しく首を振った。

 

「いえいえ、気にしないでください。もともとは、私自身の不注意から始まったことなので」

 

「....でも、何かできることがあるなら――」

 

 そう言いかけるシロコの言葉を、ヒフミがそっと遮る。

 

「あ、それなら....私が困った時に助けてくれる、なんてどうでしょうか?」

 

「ん、分かった」

 

 その返事に、ヒフミは満足げに微笑み、振り返って手を振る。その小さな背中が遠ざかっていくのを、皆が見送った。

 

 やがて、キミヨが立ち上がる。

 

「私は帰還用の乗り物を適当に漁ってきます。皆さんは休まれてください。では」

 

 その一言を残し、彼女もまた静かにその場を離れていく。

 

「あ、キミヨ待って....って、もう行っちゃったか」

 

 先生が苦笑しながら呟く。

 

「先生、キミヨさんっていつもああなんですか?」

 

 アヤネがぽつりと尋ねる。

 

「ああって?....そうだね、頑張り屋だよ。たまには休んでも良いよって言ってるんだけどね...彼女には世話になりっぱなしだよ」

 

「お世話になりっぱなしでは気が済みません。帰ったらパーティーで労わりましょう」

 

 ノノミが真剣な目を向ける。

 

「そうね!それに、柴関ラーメンが好きって聞いたから、大将と相談して豪華にしてもらうわ」

 

 ノノミも微笑みながら頷く。

 

「ん....昔使ってたロードバイク、どこにやったかな...」

 

 それぞれがキミヨへの想いを胸に抱き、感謝を伝えようと考えていた。

 

 そんな時――

 

「うぅん....ここは...?シロコちゃん?」

 

 小さな声が風に紛れ、聞こえた瞬間、全員が振り向く。目を覚ましたホシノは、ぼんやりとした表情で状況を理解しようとしていた。

 

 すると、セリカが思わず声を張り上げる。

 

「お...おかえり、ホシノ先輩」

 

 その言葉に続くように、皆が微笑みながら口々に言葉を重ねた。

 

「ホシノ、おかえり」

「ホシノ先輩、おかえりなさい」

「おかえりなさい、です☆」

 最後に、シロコがそっと手を差し出しながら言った。

 

「おかえり、ホシノ先輩」

 皆の温かな声に包まれ、ホシノはぽかんとしたまま、やがて苦笑した。

 

「なんだか皆んな、期待に満ちた表情だけど、求められているのはあの言葉かな」

 なかなか言わないホシノに、セリカとノノミが少しだけ不満そうな視線を送る。

 それを見たホシノは、肩をすくめて笑った。

 

「まったく....可愛い後輩たちのお願いだし、仕方ないな〜」

 

 ホシノは苦笑しながら、少しだけ目を細める。そして、空を見上げるように顔を上げ、はっきりと声を響かせた。

 

「――ただいま!」

 

 その瞬間、空に薄く広がっていた雲が流れ、光の束が瓦礫の上に差し込む。やわらかな陽光が、彼女の髪と背中をやさしく包んだ。

 

 見守る仲間たちの顔が、一斉にほころぶ。

 

 誰もが笑っていた。

 

 

 

 小鳥遊ホシノ、救出完了。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瓦礫の陰、崩れたコンクリートの影に、冷えた風が音もなく吹き抜けていく。

 

 その中に、ひとりの少女――燈在キミヨは身を潜め、静かに戦場の余韻を見つめていた。

 視線の先では、任務を終えた対策委員会の面々が、笑顔で談笑している。

 誰かが冗談を飛ばし、誰かがそれに笑い、誰かが静かにその輪に寄り添う。

 その光景はまるで、戦いの存在を忘れさせるほどに穏やかだった。

 そのとき、不意に背後から冷たい声が降ってきた。

 

「....期待以上に動きましたね、キミヨさん。それと、データの提供も感謝します」

 

 気配もなく現れた黒服の男。その存在に驚くでもなく、キミヨは肩を落として呆れたように呟く。

 

「そんなに....動いていたつもりはないがな」

 

「いえ。理事と交戦しました。それだけで充分です」

 

 黒服は淡く口元を緩める。だがキミヨの顔には釈然としない色が浮かんでいた。

 それが謙遜なのか、あるいは本当に自覚がないのか、黒服には判別がつかない。

 だからこそ、黒服は冷静に言葉を重ねた。

 

「正直なところ...先生たちがあのまま苦戦していても、ゲヘナの風紀委員会がホシノさんを救い、理事を排除していたでしょう。あなたの行動は、結果的に有効だったかもしれませんが――“あなた自身”にとっては、無駄な戦闘だったのです」

 

 キミヨは何も返さない。ただ、その目だけがわずかに揺れていた。

 

「それに、もし先生が追い詰められていたなら、“大人のカード”を使っていたはずです」

 

「...大人の、カード?なんだそれ。クレジットカードか?」

 

 皮肉気に返すキミヨの声にも、黒服は眉一つ動かさず頷いた。

 

「ええ。まさにその通りです。先生が日常的に使用しているクレジットカード。..,それは、持ち主の“命”と“時間”を対価にして、現実には起こり得ない奇跡を引き起こすカードです」

 

「...は?」

 

 あまりにも突拍子もない内容に、キミヨは唖然とした。

 

 そして、ぽつりと呟く。

 

「なんだよその効果...ずるい。俺が戦った意味、なくなるじゃないか...」

 

 

 黒服は、それを否定しなかった。

 

「ええ、そうです。大人とは、そういうずるい存在なんですよ」

 

 そう口にしながら、彼はじっとキミヨを見つめる。その視線に、冷徹な観察者の光が宿る。

 

 ――燈在キミヨ。その肉体に“誰か”が入っていると、黒服は以前から推測していた。

 外の世界からの干渉者――先生やゲマトリアと同じく、“向こう側”の大人だと。

 

 だが今の反応は、あまりにも無垢で、あまりにも人間的だった。

 

(...まさか、貴女の中にいるのは“大人”ではない...?)

 

 ほんの一瞬だけ黒服の思考が揺れる。

 

 だが次の瞬間、彼はその仮説を押し込めるように、いつもの冷静な口調で言葉を放った。

 

「データの感謝も込めて、忠告を一つ」

 

 キミヨが振り返る。黒服の瞳には、淡い警告の光があった。

 

「まず、あなたは“燈在キミヨ”という人物を、根本的に理解していない」

 

「....」

 

「以前調べた結果。彼女には指揮能力も、戦闘技能も、戦術眼も皆無。

 唯一の取り柄は――その人望と神秘の量だけで心優しい、何の力も持たないただの少女です」

 

「....仕方ないだろ。彼女の記録を知る余裕なんて、これまでなかった」

 

 キミヨが口を歪めて返すと、黒服は静かに言い放った。

 

「だからこそ。あなたが“燈在キミヨ”として正しく振る舞うなら...戦闘が始まった瞬間、逃げるべきだった。あるいは、弾に当たって気絶する。それが、“燈在キミヨ”という役割です」

 

 沈黙が落ちる。

 

 風が瓦礫の間をすり抜け、砂埃が舞う。

 キミヨはその言葉を噛みしめるように、しばらく黙っていた。

 やがて、小さな舌打ちとともに呟いた。

 

「...仕方ないだろ。先生が勝つのは頭の中ではわかっていた。でも助けを求めている人がいて助けれる力があるのに、助けないなんて...そんな傲慢なこと、したくなかった」

 

 その声には、少しだけ震えが混じっていた。

 

 

「やはり、私が前に言った通りでしたね。....私としてはもっと、あなたには活躍してほしかったのですが。できれば、以前お渡しした銃も使ってほしかった」

 

「あれを使うのは、本当に危険な相手の時だけだ。カイザー相手に使う必要はなかった。それに、今回の反省を活かして...次からは、なるべく戦わないようにする」

 

「クク...それが、あなたにできるといいですね。では、次回のデータ提供も楽しみにしていますよ」

 

 言葉を残し、黒服はその場を去っていった。まるで、風に紛れるように。

 

 

 気がつけば、笑い声が遠くから聞こえてくる。

 対策委員会の少女たちの笑顔が、太陽のように輝いていた。

 

 キミヨは、それをただ黙って見つめていた。

 何を思い、何を感じているのか――それは、彼女自身にしか分からない。

 

 

 やがて、ぽつりと誰にも届かない独り言が漏れる。

 

 

「.,,やっぱり、君がいないとアビドスは寂しいな..,ユメ」

 

 

 

 その声に答える者は、もうどこにもいなかった。

 

 

─────────

 

 

 

 あれから数時間が経過し、アビドス高等学校に戻った一行は、無事の帰還と勝利を祝してささやかなパーティーを開いていた。

 

 薄暗い校舎の一室。どこか古びてはいるものの、その空間は今、笑顔と笑い声に包まれていた。

 

 手作りの料理に、持ち寄った飲み物。シャーレの二人と対策委員会のメンバーが肩を並べて語らい、メインイベントが始まる。

 

 ――それは、ホシノに向かって、皆が言いたかった想いを口にする。

 

 ぶつけるように、不器用に。けれどその一言一言が、たしかにホシノの胸に届いていく。

 感謝、怒り、寂しさ、それらが混ざり合った瞬間、ホシノは確かに理解した。

 自分はもう一人ではない。守る存在ではない。今ここに、“仲間”と呼べる存在がいるのだと。

 

 そして、パーティーも終盤に差しかかろうとした頃。

 

 一人、屋上へと抜け出す影があった。

 

 夜風がそよぎ、遠くの街灯が点滅している。アビドスの校舎屋上。錆びた手すりに寄りかかりながら、キミヨは静かに夜空を見上げていた。

 

 肩肘張らずに立つその姿は、戦闘の時とは打って変わって穏やかで、まるで風と同化するかのように静かだった。

 

 目を閉じ、深く吸い込む。

 

 ――この空気。この夜。この場所。

 

 アビドスにしかない、懐かしい匂いがする。

 

 そんな静寂を破るように、背後から聞き慣れた声が響いた。

 

「こんなところにいたんだ〜、キミヨちゃん」

 

 柔らかな口調。その主を知り、キミヨは静かに振り返る。

 ホシノが立っていた。満月を背に、どこか安心したような表情で。

 

「...少し、夜風に当たりたかったのです。アビドスの風は...気持ちいいですから」

 

 キミヨの言葉は、いつも通りの抑揚のないものだったが、その中には確かな“愛着”が滲んでいた。

 

 それを感じ取ったのか、ホシノはふっと微笑む。

 

「...そっか。やっぱり、キミヨちゃんはアビドスが好きなんだね」

 

 そう言いながら、ホシノはキミヨの隣に立つ。風が二人の髪を撫で、夜の静けさがふたりを包む。しばしの沈黙のあと、ホシノがぽつりと疑問を口にした。

 

「ねぇ、キミヨちゃん。最初の頃さ...なんで、あんなだったの?」

 

 その言葉に、キミヨは首をかしげる。

 

「あんな?」

 

「こう...失望というか、ゴミを見るような目だったよ」

 

 冗談めかしてはいたが、その声にはほんの少しだけ、本音の棘が混じっていた。

 

 キミヨは、ああ、と静かに息を吐き、申し訳なさそうに視線を逸らす。

 

「それですか...すみません。それは、すごく自分勝手な理由なんです」

 

 ホシノは軽く目を細める。やっぱり、何かあると思っていた。地雷を踏んだかもしれない。それでも、キミヨは逃げずに語り始めた。

 

「最初、小鳥遊さんを見たとき...イラッとしたんです」

 

 あまりにも正直な言葉に、ホシノは少しだけ驚くが、遮らずに耳を傾ける。

 

「はぐらかしていたんですが...私は、梔子ユメと友達でした」

 

 ホシノの表情が変わる。ユメの名が出た瞬間、屋上の空気がわずかに張り詰める。

 

「昔、アビドスに来たことがあって。そのとき、彼女に仲良くしてもらいました。...それから、メールでやり取りをするようになって。長い付き合いではなかったけど、多分...いえ、間違いなく、大切な人でした」

 

 キミヨの声は淡々としていたが、そこには確かな温度があった。

 

「でも、ある日、突然メールが来なくなって....そのまま音信不通になった。調べても何も分からなくて、アビドスのことを検索しても『行方不明』の四文字だけが残っていました」

 

 キミヨは小さく口を結ぶ。そして、ほんの少し、声を震わせた。

 

「それでも、私は信じたくなかった。彼女がいなくなるなんて、信じたくなかったんです」

 

 ホシノは言葉を挟まない。ただ、夜風の中に立ち尽くしていた。

 

「...だから、先生の応援要請を受けたとき、これはきっと何かの手がかりになるかもしれないと思って....アビドスに、久しぶりに来ました」

 

 彼女の言葉に、ホシノは頷く。そこから先は、彼女も知っている話だ。

 

「最初、あなたを見たとき....ふざけているのかと思いました。ヘラヘラして、薄っぺらい梔子ユメを貼っていて」

 

 ホシノは自嘲気味に笑う。

 

「まぁ...実際、ヘラヘラしてたからね」

 

 キミヨは、しかし続けた。

 

「でも....その後、気づいたんです。あなたは、必死にアビドスを守ろうとしていた。だから、少しでもみんなと仲良くなろうと不器用ながらユメの真似をしていたのだと」

 

 その目には、確かな敬意が宿っていた。

 

「...だから、あの夜、あなたに――差し出がましいとは思いましたが、アドバイスをさせていただきました」

 

 ホシノは黙っていた。その言葉の一つひとつを、心に刻むように受け止めていた。

 

 しばしの沈黙。

 

 やがて、ホシノはそっと夜空を見上げ、目を細める。

 

「....キミヨちゃんさ。ユメ先輩のこと、忘れてなかったんだね」

 

「忘れられるわけないでしょう。彼女は、わたしにとって……"初めての人"ですから」

 

「....そっか」

 

 ホシノの目に、懐かしい影がよぎる。

 

 梔子ユメという名前が、今もどこかで生きているような気がした。

 

「...ありがとね、キミヨちゃん」

 

「いえ。こちらこそ、誤解していてすみませんでした」

 

 二人は、しばらく風の音だけを聞いていた。

 

 言葉はもう、必要なかった。そこにあるのは、繋がれた思いと、失われたものへの祈りだけ。

 

 そして――

 

 

「...キミヨちゃんがあの時言ってくれた言葉、最初は正直よく分からなかったんだ。でも...さっき、やっと分かった気がする」

 

 ホシノの声は風に溶けるように、柔らかだった。視線はまっすぐ夜空を見つめていたが、その想いは隣にいるキミヨへとしっかり届いていた。

 

「みんなはもう、私が守る存在じゃない。そうじゃなくて――一緒に立って、アビドスを守ってくれる、仲間なんだって」

 

 その言葉に、キミヨは何も言わず、ただ目を伏せる。そして、少しだけ、肩が緩むのをホシノは見逃さなかった。

 

 ホシノは振り返り、小さな笑みを浮かべて続けた。

 

「だからさ、ありがとね、キミヨちゃん。...それと、もしよければ、モモトークの交換しない?」

 

 突然の申し出に、キミヨは一瞬だけ目を見開くが、すぐに表情を戻して静かに頷いた。

 

「...そうですね。分かりました」

 

 そう言って、制服のポケットからスマートフォンを取り出す。画面をタップし、アプリを起動し、ホシノと端末を向け合う。

 

 ぴろん、と軽快な通知音が鳴った。モモトークのIDが交換された合図だ。

 

「ありがと。ふふっ、キミヨちゃんと繋がれる日が来るなんて、ちょっと感慨深いなあ」

 

 嬉しそうに笑いながら、ホシノは一歩後ろに下がる。

 

「それじゃ、私はそろそろ戻るけど...キミヨちゃんはどうする?」

 

 尋ねる声に、キミヨは少し夜空を仰ぎながら、言葉を選ぶようにして答えた。

 

「私はもう少しだけ...夜風に当たっていきます。少しだけ、名残惜しいので」

 

「....うん、分かった。また後でね」

 

 ホシノは手を振り、屋上の扉へと向かっていく。足音が遠ざかり、やがてドアが静かに閉まる音が響くと、再び風の音だけが残された。

 

 ホシノが去った屋上に、再び静寂が戻る。

 

 キミヨは、しばらく夜空を見上げていたが、やがてゆっくりと手を伸ばし――ポケットから、一つのスマートフォンを取り出した。

 

 それは、つい先ほどホシノとモモトークのIDを交換した端末ではない。黒服から渡された、もう一台のスマートフォンだった。手慣れた様子でスマートフォンのロックを解除するとホーム画面が浮かぶ。だが、そのホーム画面に写っていたのはおかしな写真だった。何故なら──

 

 校門の前。横断幕には「アビドス高等学校 入学式」の文字が掲げられている。

 

 そして、そこに六人が並んで笑っている姿があった。

 

 そこに立っていたのは、アヤネ、セリカ、ノノミ、シロコ、ホシノ――

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梔子ユメが、確かにそこに写っていたのだから。




これにてアビドス編は終わりです。
何個か投稿した後に時計じかけの花のパヴァーヌ編をします。アビドス編ほど長くする予定はありませんが今後ともよろしくお願いします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。