一般シャーレ事務員憑依   作:戯け

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時系列はアヤネからスタートでだんだんと過去に戻っていく感じです。


絆ストーリー(アビドス編)

アヤネ編

 

──戦い方を教えてほしい?

 

 夕暮れが学園の窓を赤く染めていた。私は、「少し相談があるんです」とメッセージを送ってきたアヤネの言葉に誘われ、アビドス高等学校を訪れていた。

 

 古びた教室の扉をそっと開ける。ぎぃ、と微かな軋みとともに視界に入ったのは、窓際の席にぽつんと座るアヤネの姿だった。

眼鏡はほんのりと曇り、その奥の瞳には、決意と不安がないまぜになった光が揺れていた。

 

「...あの、実は」

 アヤネは机の端に置いた手をぎゅっと握りしめ、顔をうつむかせる。

「正直、このままじゃ皆の役に立てない気がしていて...。今の私は、戦闘能力もないですし...」

 

 かすかに震える声。

 その言葉の奥には、必死に押し殺していた焦りと、自己否定の感情がにじんでいた。

 

 私は静かに一歩、彼女に近づく。

 

──そんなこと、ないよ。みんな、アヤネのことを信頼してるし、ちゃんと頼りにしてる。

 

 そう声をかけようとしたその瞬間、アヤネは小さく首を振った。

 

「...ありがとうございます。でも、それはわかってるんです。みんなが優しいことも、支えてくれてることも...。でも、そうじゃないんです」

 顔を上げた彼女の瞳は、夕焼けを映してなお深く、まっすぐだった。

 

「私自身が、自分の力に自信を持ちたいんです。支えられるだけじゃなく、私も、誰かを支えられるようになりたい....そう思って」

 

 その真剣な眼差しに、私は少しだけ言葉を選ぶのに迷った。

──10秒。

 考えを巡らせた末、私はふっと肩の力を抜いて問いかける。

 

──とりあえず、どんな形で"強く"なりたいの?シロコやセリカみたいに一人で完結する戦い方か、それとも....ホシノみたいに味方を支えるタイプか──あ、でもホシノはちょっと特殊だから、あんまり参考にならないかも」

 

 軽く笑いながら言ったつもりだったが、アヤネは「あっ」と小さく声を漏らし、目を見開いた。

 

──...,ってことは、あんまり具体的に考えてなかったんだね?

 

 私の言葉に、アヤネは申し訳なさそうに目を逸らしながら微笑んだ。

 

「すみません....。ただ“強くなりたい”ってことしか頭になくて...」

 

──いいよ、全然。それなら、一緒に考えていこうよ。

 私は優しく言いながら椅子を引いて隣に座る。

 

──まずは、さっき言った二つのどちらかを選ぶところから。アヤネが思う“理想の強さ”って、どっちに近い?

 

 アヤネは腕を組んで、小さく唸るように考え始めた。

 その姿を見て、私はふと助け舟を出す。

 

──私としてはね、前者よりも後者の方がオススメかな。

 

 アヤネはきょとんとした顔をしてこちらを見る。

 

「それは……どうしてですか?」

 

──うん、まず単純に、私と同じ戦い方だから教えやすいってのが一つ。それに、アビドスはそれぞれの役割がちゃんと分かれてて、支える立場がすごく大事なんだ。

 私はゆっくりと言葉を選びながら続けた。

──あと、私が“敵”だったとして、後者の相手ってすごく厄介。自己完結しているよりも連携力が高い相手の方が崩すのが難しくて大変だからかな。

 

 その説明に、アヤネは感心したように目を見開き、そして──ふっと頬を赤らめて笑った。

 

「……では、同じ“後者”の戦い方を、ぜひ教えてください!」

 

 その声には、先ほどまでの不安はもう感じられなかった。

 夕焼けの光の中、アヤネの表情はほんの少しだけ、大人びて見えた。

 

 

 

 

 屋上のベンチで、私はいちごミルクのストローを口にくわえながら、ひと息ついていた。

 風は涼しく、休むのには最高の場所だ。

 

 そんな中、静かに足音が近づいてきた。

 

「……最近、アヤネが強くなった。何を教えたの?」

 

 ふと顔を上げると、シロコが立っていた。相変わらず表情は淡々としているが、その目は少しだけ興味深げだった。

 

──アヤネから“強くなりたい”って相談されたんだよ。

 私はストローから口を離し、空になりかけたいちごミルクを揺らしてみせた。

──だからね、私が教えられることは全部教えた。どう?強いでしょ、うちのアヤネ。

 

 冗談めかして言うと、シロコはわずかに目を細めて頷いた。

 

「……うん。前より明らかに動きが変わった。ドローンの数も増えて、サポート能力が大幅に上がってる。敵の注意を引く“ヘイト”も自然と高くなってるし、囮としてもかなり優秀になった」

 

──ハハっ、そうだろ?

 私は少し誇らしげに微笑んだ。

 

「でも、ただ狙われやすくなっただけじゃない」

 シロコは続けた。

 

「狙われたとしても、回避が早い。逃げ足もついたし、トラップを使うようになった。アヤネが時間を稼いで、その間にこっちがフォローできる。逆に、アヤネを放置したらドローンが妨害をしてくる。...だから、味方としてはすごく助かる。はっきり言って、敵としては──相手にしたくない」

 

 それを聞いて、私は思わず笑ってしまった。

──へぇ〜、シロコがそこまで言うなんて、相当だね。

 

「事実だから」

 シロコはそっけなく答えたが、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。

 

 アヤネの努力は、ちゃんと届いている。

 彼女が望んだ“誰かを支える強さ”は、もう確かな形になっているのだ。

 

 いちごミルクの最後の一滴を飲み干しながら、私は心の中でそっとつぶやいた。

 

──よかったね、アヤネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

────────

セリカ編

 

 「――これで一通り、教えたわよ。それにしても、本当に大丈夫なの? バイトなんて」

 

 セリカの声には、どこか呆れたような響きが混じっていた。それでも、その瞳の奥には、わずかに楽しげな色が滲んでいた。

 

 今日は、久しぶりの休日だった。けれど、特に予定があるわけでもなく、私は朝からのんびりと時間を持て余していた。そんなとき、ふと頭に浮かんだのだ「そうだ、柴関ラーメンでバイトしてみよう!」と。

 

 思い立ったが吉日。すぐさまセリカに連絡し、大将に頼んでもらったところ、ありがたいことに快く受け入れてもらえた。こうして今、店に立ち、セリカから一通りの仕事を教わり終えたところだった。

 

─―全然、大丈夫だよ。

 

 私は立て続けに言う。

 

──...ねえ、知ってた? 私って、こう見えて数々のバイトをこなしてきた“バイトマスター”なんだ。頼りにしてね。

 

 自信満々にそう言ってみせると、セリカはじっと私を見つめてきた。いや、正確に言えば――見下ろしてきた、のほうが正しいかもしれない。

 

 その目には、じんわりとした心配の色が浮かんでいた。

 

「本当に大丈夫なの? いつもよりテンション高いし...まさか徹夜明けとか?だったら今日はやめといた方が――」

 

──大丈夫だってば、セリカ。ちゃんと昨日の夜は寝たし、元気モリモリ! ただね、ワクワクが止まらないんだ!

 

 きっぱりと言い切ると、セリカはわずかに眉をひそめたあと、小さくため息をついた。

 

 「そんなに、柴関ラーメンでバイトしたかったの?」

 

──それもあるけど――。

 私は言葉を切って、ふっと微笑んだ。

 

──セリカと一緒にバイトできるのが、一番楽しみなんだよ?

 

 その言葉に、セリカの頬がふわりと赤く染まった。

 

 「..,もう、なに言ってんのよ!」

 

 照れくさそうにそっぽを向いた彼女の背後で、ガラガラ、と店の入口の引き戸が開く音が響いた。

 

 どうやら、お客さんが入ってきたようだ。

 

 二人で自然と顔を見合わせ、短く息を整える。

 

「いらっしゃいませ」

 

─―いらっしゃいませ!

 

 

 

 

 

 

 

──────

ノノミ編

 

 

───お願い、殺して……。

 

 消え入りそうな声でそう呟いたのは、昼下がりの静かな教室の中だった。私は顔を赤らめながら、視線を泳がせる。そんな私の前に立つノノミは、いつもと変わらぬ、どこか底知れぬ笑顔を浮かべていた。

 

「えぇ〜? いいじゃないですか〜。すっごく似合ってますよ」

 

 その言葉に、私はますます身を縮める。もしこれが普通の服だったら、たしかにまだマシだったかもしれない。だが今、私が着ているのは.,.フリルたっぷりの、アイドル衣装。それもピンクを基調にした、どう見ても子供っぽいデザインだ。本気で恥ずかしい。

 

「も〜、感謝してくださいよ〜。急にアビドスに来られなくなったって言って、シロコちゃんを悲しませたのは誰ですか〜? で、誰がそのシロコちゃんを慰めたと思ってるんですか〜?これは、罰。そう、罰なんです」

 

 まるで教師のような口調で、ノノミは指を振ってくる。だが、どう見てもその顔は楽しそうだった。

 

──.,.の割に、とても楽しそうだけど。

 

 私が思わず眉をひそめると、ノノミは悪びれもせず、口元に手を当てて笑った。

 

「アハハ、バレちゃいましたか〜☆」

 

 本気でムカつく...でも、何も言い返せない自分が悔しい。私が口を開きかけたその時、不意にノノミが鞄から取り出したのは、スマートフォンだった。

 

──ちょっとノノミ?カメラ構えないで。

 

「え〜? いいじゃないですか、減るもんじゃないですし?」

 

──減らないけど、増えるんだよ! 黒歴史がっ!

 

 焦って手を伸ばすが、ノノミはひょいと避けてシャッターを切る。パシャリと軽快な音が教室に響いた。

 

──...ったく。でも、これだけは約束して。絶対、みんなには見せないこと!

 

 私は念を押すように指を立てた。だが、その言葉を聞いたノノミは、まるで悪戯が成功した子供のように笑った。

 

「あ、もうグループに送っちゃいました〜」

 

──ノノミーーーッ!!

 

 私の絶叫が教室に響き渡る。しかし、その直後。

 

 ドタドタドタ──と、廊下の向こうから足音が三つ。勢いよく迫ってくる気配がした。

 

 そして、教室の扉が今にも開かれそうなその瞬間——。

 

──終わった。

 

 私はその場に崩れ落ち、これから訪れるであろう地獄に、心から絶望したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

─────────

シロコ編

 

「ん、遅い」

 

 そう言ってシロコが振り返る。風になびく髪が、陽の光に揺れていた。

 

 ──はぁ、はぁ...。シロコが速すぎるんだって...。

 

 久しぶりに会ったシロコに誘われ、ロードバイクに跨ったのはいいが、その走りについていくのがやっとだった。思えば、最近はあまり顔を出せていなかった。だからだろうか。シロコはいつもよりも容赦なくペダルを踏んでいる。

 

「普段運動してないから、遅くなった?」

 

 ──いや、これでも日頃から運動してるよ。……シロコの成長が早すぎるだけだよ。

 そう言い返しても、彼女はどこか寂しそうな表情を浮かべて前を向いた。

 

「最近、来れてなかったから。皆んな、寂しがってた」

 

 ──ギクッ。

 

 たしかに、忙しさを理由に足が遠のいていた。けれど、それを咎めるような言い方はしない。ただ、事実を静かに告げるだけ。そういうところが、彼女らしい。

 

 「でも私は、気にしてないよ。だって、今日来てくれたから」

 

 ──...。

 

 胸の奥が、じんと熱くなる。何気ない言葉なのに、どうしてこんなにも沁みるのだろう。

 

 「....なに、その顔」

 

 ──いや、なんかさ。娘の成長を見守る親って、こんな気持ちなんだろうなって。

 

 「子ども扱いしないで」

 

 ふいっと顔を背けたシロコが、頬を赤らめる。その仕草がまた可愛い。

 

 ──あ〜照れてるシロコ可愛い〜。ほら、お父さんって呼んでもいいよ〜?

 

「うるさい。お父さんは二人も要らない。もう行くよ」

 

 その一言を残して、シロコは勢いよくペダルを踏み込んだ。細身のフレームが軽やかにしなり、彼女の姿はあっという間に風の中へと溶けていく。

 

 ──ちょ、シロコ速いってば!待って!ねぇ、聞こえてるよね!

 

 慌ててハンドルを握り直し、必死に脚を回す。けれど、背中はどんどん遠ざかっていった。

 

 ──あとさ、「お父さんが二人」ってどういう意味!? ねぇ!? 何その謎設定!!

 

 叫んでも返事はなく、振り返る気配すらない。まるで、風に置いていかれたようだった。

 

 ──....本当に、強くなったなぁ。

 

 そんなふうに感心している自分に、思わず苦笑する。彼女はもう、いつまでも子ども扱いしていられる存在じゃないのかもしれない。けれど――

 

 ──もうちょっとだけ、待っててくれてもいいじゃん....!

 

 心の中でぼやきながら、私は必死にその背中を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

───────

ホシノ編

 

 

 待ち合わせの場所に着いたのは、予定の十分前だった。今日はホシノと、人気の水族館へ行く日。まだ誰もいないだろうと思っていたが、すでにホシノの姿があった。

 

 風に揺れる短めの髪。少し大きめのパーカーにジーンズといった、どこか少年っぽさを感じさせる装いが、彼女にはよく似合っていた。

 

──ごめん待った?

 

「いいえ、待ってませんよ。私も今来たところです」

 

 そう言って笑う彼女の表情は、どこか照れ隠しのようにも見えた。

 

 ──その服、似合ってるよ。

 

 言葉にすると、ホシノは一瞬目を見開き、そしてふっと視線をそらす。

 

「....ありがとうございます」

 

 その声は、いつもより少しだけ小さかった。

 

 本当なら、今日は三人で来るはずだった。だが、結果的にホシノとふたりきりになってしまったことに、少しだけ申し訳なさがよぎる。

 

──ごめんね、私と二人だけになっちゃってさ。

 

 ぽつりと呟くと、ホシノは小さく笑った。

 

「ユメ先輩は仕方ないですよ。楽しみにしすぎて夜眠れなくて風邪ひいたなんて...まぁ、ユメ先輩らしいですけどね」

 

 そう言って肩をすくめる彼女の姿に、苦笑が漏れた。からかうようでいて、どこか心配しているようなその言い回しが、ホシノらしかった。

 

「だから、ユメ先輩の分も楽しみましょう」

 

 そう言って、ホシノは軽やかに笑った。吹き抜ける風に、彼女の髪がふわりと揺れる。その横顔は、どこか大人びて見えて、胸の奥が少しだけざわついた。

 

 こちらが言葉を返す前に、ホシノは一歩、前に踏み出す。

 

「ほら、行きますよ」

 

 振り返ったその目は、期待と少しの照れくささを含んでいて、なんでもないようで、どこか特別な一日が始まる予感がした。

 

 ──あぁ、きっと今日は、忘れられない日になる。

 

 その背中を追いかけて、自然と足が動き出した。

 

 

 

 

 館内に一歩足を踏み入れると、目の前に広がったのは、まるで異世界のような幻想的な光景だった。

 

 巨大な水槽の向こう側を、色とりどりの魚たちがゆったりと泳ぎ、柔らかな光が水の揺らめきとともに壁や床に反射している。クラゲの展示には青白いライトが差し込み、ふわりふわりと漂うその姿は、時間の流れすら忘れさせるほどだった。

 

 思わず足を止めて、息をのむ。

 

 ──こんな世界があったなんて。

 

 その隣で、ホシノも目を輝かせていた。じっとしていられない様子で、「見てください!」と声を上げながら、小さく走り出す。まるで子どものように、嬉しそうに、あちこちを指さしては目を輝かせていた。

 

 そんなホシノの姿に、自然と笑みがこぼれる。

 

 私の胸の中も、さっきまでより少しだけ、あたたかくなっていた。 

 

 ホシノは、まるで引力にでも引かれるように、次々と展示に目を向けていく。ペンギンの前では「かわいい...」とつぶやき、アシカのショーが始まれば、無邪気に手を叩いて喜んでいた。

 

 その姿を見ていると、こちらまで嬉しくなってしまう。こんなふうに感情をまっすぐに表現できるところが、ホシノの魅力なのだと、あらためて思う。

 

「見てください、あのクラゲ...光ってますよ。あんなの、図鑑でしか見たことなかったです」

 

 興奮気味に声をかけてきたホシノが、私の手を軽く引いた。その一瞬のぬくもりに、胸の奥がどきりと揺れる。

 

 クラゲたちは、静かに、ゆるやかに、暗い水の中を舞っていた。青、紫、白――光に照らされて、まるで宙に浮かぶ幻のよう。

 

──....綺麗だね

 

 気づけば、自然とそんな言葉が漏れていた。

 

「はい。すごく、綺麗です」

 

 隣で答えるホシノの横顔は、クラゲの光を受けて柔らかく照らされていた。いつもの快活さよりも少しだけ落ち着いた表情で、じっと水槽の向こうを見つめている。

 

 ふと、彼女の横顔から目が離せなくなる。

 

 ──今日、来てよかった。

 

 その思いが、胸の奥で小さく灯った。

 

 

 一通り館内を歩きまわったあと、私たちは水槽前のベンチに腰を下ろした。大きなガラス越しに、悠々と泳ぐマンタが見える。時間はゆっくりと流れていて、騒がしさから少し離れたこの場所には、心地よい静けさがあった。

 

「....ちょっと歩きすぎましたね」

 

 ホシノがそう言って、軽く息を吐いた。展示を回る間はあれほどはしゃいでいたのに、今は声のトーンもすっかり落ち着いている。水族館という場所がそうさせるのか、それともこの時間の静けさのせいか。

 

 私もベンチにもたれかかるようにして、ふうっと息をついた。

 

──でも楽しかったよ。...初めて水族館に来たけど、こんなに楽しいところなんだね。

 

 思ったままを言葉にすると、ホシノが少し目を丸くして、こちらを見た。

 

「そうなんですか? なんだか意外です。...でも、楽しんでいただけたなら私も嬉しいです」

 

 そう言って、彼女はふっと笑った。その笑顔は、少し誇らしげにも見えて、胸がやわらかくなる。

 

 私の知らなかった世界を、ホシノが少しずつ見せてくれているような気がした。魚たちの泳ぐ姿だけじゃなく、ホシノのこういう一面を見られたことも、今日来た理由のひとつだったのかもしれない。

 

 

 水族館をひととおり回り終えると、出口の手前にギフトショップの明かりが目に入った。ガラス越しに見えるカラフルな小物たちは、まるで最後の誘惑のように並んでいる。

 

「ユメ先輩に、お土産買っていきませんか?」

 

 ホシノがそう声をかけてきたとき、ちょうど同じことを考えていた。

 

──うん、私もそう思ってた。

 

 そう答えると、ホシノは目を少し丸くして、すぐに柔らかく笑った。その笑みは、どこか誇らしげで、あたたかかった。

 

 それぞれ店内に足を踏み入れ、棚をひとつひとつ眺めて回る。ペンギンのぬいぐるみ、クラゲのキーホルダー、アクアリウム風の文具セット――どれも可愛くて、ユメがどれを喜ぶか想像するだけで自然と頬がゆるんだ。

 

 そんな中で、目を引く商品があった。

 

 ――楽しいバナナ鳥。

 

 ユメがいつも愛用している日記のキャラクターだ。ひょうきんな顔のその鳥が、水族館とのコラボでマリンルックになっている。チャームの中で、バナナ鳥はシュノーケルをつけて浮き輪でぷかぷか浮かんでいた。

 

 迷いはなかった。

 

 私はそのチャームを手に取り、レジへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 ベンチの前でホシノと合流し、帰り支度をはじめる。少し歩き疲れた足を休めながら、何気なく袋の中をのぞいて、お互いに買ったものを取り出した――その瞬間だった。

 

──あっ....。

 

「えっ?」

 

 ふたりの手のひらに載っていたのは、まったく同じバナナ鳥のチャーム。色も、表情も、マリンルックの浮き輪までそっくりだった。

 

 一瞬の沈黙。そして、ふたり同時に吹き出した。

 

「もしかして...考えること、同じだったんですね」

 

──うん....なんで、こうなるんだろ

 

 笑いながら、胸の奥にくすぐったいようなあたたかさが広がっていく。恥ずかしいような、不思議と嬉しいような、そんな感覚。

 

「……これ、ふたつ一緒に渡したら、ユメ先輩、絶対泣きますね」

 

──たしかに。今日来られなかったの、余計に悔しがるだろうね。

 

 ふたりでまた、顔を見合わせて笑い合った。

 水族館を出る頃には、空が夕暮れに染まりはじめていた。チャームの中のバナナ鳥が、夕陽に照らされてきらりと光る。その小さな輝きが、まるで今日という一日を閉じ込めた宝物のように、そっと揺れていた。

 

 

 

 館内から出たあと、帰り道は駅までのんびりと歩いた。夕方の風は少しだけ冷たくなっていて、昼間の熱気をやさしく包みこんでくれるようだった。

 

 手にはおそろいのバナナ鳥のチャーム。紙袋の中では、カラカラと軽やかな音が鳴っている。今日が終わってしまうのが、どこかもったいないような気がして、私はゆっくり歩く足を少しだけ遅くした。

 

──ホシノ

 

 ふと、立ち止まって呼びかけると、ホシノも足を止めて、首をかしげた。

 

「はい?」

 

──えっと、これ..,..今日のお礼。

 

 私は鞄から、もうひとつの紙袋を取り出した。中には、あのギフトショップで見つけた、小さなイルカのぬいぐるみ。丸い目とちょこんとしたヒレが可愛くて、気づけば手に取っていた。

 

──ホシノに似合いそうだなって、思って。

 

 差し出すと、ホシノは目を瞬かせ、それからそっと両手で受け取った。

 

 ぬいぐるみを見つめるその横顔に、どこか言葉を失っているような表情が浮かんでいた。やがて、ゆっくりと目を細めて――

 

「....ありがとうございます。すっごく、嬉しいです」

 

 小さな声で、けれどはっきりとそう言って、ホシノは笑った。

 

 その笑顔は、水族館の光よりも、イルカのぬいぐるみよりも、きっと今日一番まぶしかった。

 

 夕焼け空の下、私たちは並んで歩き出す。チャームとぬいぐるみ、それぞれの手に小さな思い出を抱えながら。

 

 ──今日という一日が、ずっと心に残る日になることを、私はきっと忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────

 

 

 

「──」

 誰かが、俺の名前を呼んだ。

 かすかに届いたその声で、俺は目を覚ました。

 

 肌を刺すような乾いた空気。目を開けると、視界のすべてが焼けつくような白い光に満たされていた。顔をしかめながらゆっくりと身を起こし、空を見上げる。そこには、雲ひとつない青が、広がりすぎるほど広がっていた。

 

 周囲を見渡す。そこは、見渡すかぎりの砂だった。

 

 一面の、果てしない砂漠。

 

 何で俺はここにいる。どこかの国の観光地?夢の中?思考はもつれたまま、まともに働いてくれない。わかるのは、喉がひりつくように渇いているということと、太陽が容赦なく全身を焼いているという現実だけだった。

 

 体を起こすと、隣にレジ袋が落ちていた。中には、ぬるくなったペットボトルの水が五本。ポケットの中には財布。だが、携帯はない。地図も、メモも、手がかりになりそうなものは何ひとつ見当たらなかった。

 

 なぜこんな場所にいるのか、まったく思い出せない。

 

 恐怖よりも先に、混乱と茫然が胸を支配していた。しばらくその場に座り込んでいたが、何かに追い立てられるように、私は立ち上がった。

 

 じりじりと照りつける太陽に目を細め、足を引きずるようにして歩き始める。どこに向かえばいいのかもわからない。だが、立ち尽くしていても死を待つだけ――そんな感覚だけが、確かにあった。

 

 歩きながら、何度も振り返った。だが、後ろにも前にも、地平線の彼方まで砂が続いているだけだった。

 

 それでも、俺は歩いた。

 

 どれくらい時間が経ったのか、わからない。足元の感覚が薄れ、汗が乾くよりも早く体力が奪われていく。喉はすでに、悲鳴すら出せないほどにひび割れていた。

 

 そんなときだった。

 

 砂の先、遠くにぽつんと黒い影が見えた。

 

 俺はふらつく足を前に運び、その影へと向かった。

 

 熱のせいか、頭がぼうっとする。視界の端が滲み、砂の色さえ灰色がかって見える。だが、その一点だけは、確かに異質だった。

 

 近づくにつれて、影は少女の姿を取っていった。

 

 彼女は、砂の上にうつ伏せではなく、まるで誰かがそっと寝かせたように仰向けに倒れていた。体の下の砂が風にさらわれているのに、彼女の髪と服は、不思議と乱れていない。

 

 長い。

 膝下まである、緑がかった薄い水色のロングヘア。

 

 白いシャツにはチェックのスカート、胸元を緩めたネクタイが、ハーネスベルトに挟まれている。制服のようでもあり、戦闘服のようでもある。だが何よりも――

 

 その頭上に、淡く光る円が浮かんでいた。

 

 ヘイロー。

 

 それを見た瞬間、胸の奥に冷たい衝撃が走った。

 

 ここは...キヴォトス...?

 

 思考が追いつかない。混乱がさらに深まる。だがそれでも、目の前の少女が確かに「普通」ではない存在であることだけはわかった。

 

 俺は膝をつき、彼女の肩にそっと手をかける。日差しを遮るように身を乗り出すと、少女のまぶたが、ゆっくりと震え、開いた。

 

 光の中で、彼女の瞳がこちらを捉える。

 

 その瞳は、どこか寂しげで、それでいて、懐かしさすら感じさせる色をしていた。

 

 俺は、乾ききった喉で、なんとか声を振り絞る。

 

──だいじょうぶ...な、わけないか。

 

 少女が、わずかに顔を動かし、唇を震わせる。

 

「あ.,..な....たは....?」

 

 かすれる声が、風に溶けそうに響いた。

 

 俺は一瞬、何と答えればいいのか戸惑った。けれど、この状況で必要なのは、名前でも正体でもなく――

 

 生き延びるための、ほんの少しの余裕だ。

 

 俺は、手にしていたペットボトルの水を一本取り出し、少女の唇にそっと近づける。キャップを外しながら、小さく、息を吐いた。

 

──とりあえず、水、飲んで。

 

 

 少女はわずかに水を口に含み、喉を鳴らした。その瞳に、ささやかな光が戻ってくるのがわかった。

 

 だが、体を起こせるほどの力はまだ残っていないようだった。

 

 俺は静かに息を吸い、彼女の身体に腕を差し入れる。何も言わずに、ゆっくりと背に負った。

 

 細い。体温があまりにも軽くて、まるで幻を抱いているような気さえする。

 

 歩き出す。砂を踏むたび、足が重く沈む。だが、彼女の重みは苦ではなかった。

 

 それでも、しばらく歩いたころだった。

 

「...おろして」

 

 耳元で、少女の声がかすかに聞こえた。

 

 最初は聞き間違いかと思った。けれど、彼女は確かにそう言った。

 

「....おろして」

 

 少女の声は、小さかった。けれど、確かにはっきりとした意志が込められていた。

 

 俺は歩を止め、振り返らずに問い返す。

 

──歩けるわけじゃないだろ。今ここで下ろしたら.,.俺は君を見捨てることになってしまう。

 

 背に負った彼女の体が、かすかに震えた気がした。

 

「それでいいの」

 

 ぽつりと、砂を打つように言葉が落ちる。

 

「それでいいの。私は...足手纏いだから」

 

 その言葉に、何かがぷつんと切れた。

 

 俺はその場に立ち止まり、静かに息を吐いたあと、振り返った。背負っていた少女の体をそっと地面に下ろすと、真正面から彼女を見下ろした。彼女は伏し目がちに視線をそらしている。

 

──.,..君は、それでいいのか?

 

 思わず、問いがこぼれた。

 

──こんな、見渡す限りの砂しかない場所で、何もかも諦めて...ただ死んでいくって、それで満足か?

 

 少女は答えない。ただ黙って、風に揺れる髪だけが微かに震えていた。

 

──会いたい人はいないのか?

 

 声が熱を帯びていくのが自分でも分かる。喉は焼けるように渇いているのに、言葉だけが止まらなかった。

 

──もう一度笑いたいと思う誰かも、戻りたい場所も、何か一つもないって、本気で言えるのか?だったらそれは、あまりにも...悲しすぎるだろ。

 

 少女が、かすかに顔を上げた。だが、その目に光はなかった。

 

 俺は一歩、彼女に近づく。

 

──君が....自分を足手纏いだと思ってるなら、それでいい。だったら、俺が――その足にでもなる。

 

 言葉が熱を帯びていく。乾いた喉が焼けるのも気にならなかった。

 

──君が、誰かと会いたいなら...俺が、会わせる。

 

 少女の肩が、びくりと揺れた。

 

 俺は、そのまま目を逸らさずに続けた。

 

──たとえその誰かが、どこにいるか分からなくても。何があっても....俺が連れていく。絶対に、会わせてみせる。

 

 拳を握る。指先がかすかに震えていた。

 

──約束する。

 

 その言葉は、誰に向けたものでもなく、自分自身に刻みつけるような誓いだった。

 

 少女は、ゆっくりと顔を上げた。

 

 その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 光の反射でわずかに滲むその色は、まるで迷子の心が、ようやく声をあげる瞬間のようだった。

 

「....ホシノちゃんに、会いたい」

 

 震える声が、砂の上にこぼれる。

 

「...あんなお別れの仕方...やだよ...」

 

 唇を噛み、目元を押さえながら、それでも絞り出すように続けるその姿に、俺は言葉を失った。

 

 けれど、迷いはなかった。

 

 俺は、まっすぐ彼女の目を見て、短く、強くうなずいた。

 

──分かった。任せろ。

 

 たったそれだけ。けれど、その一言に、自分のすべてを込めた。

 

 俺は再び少女の体に腕を差し入れ、そっと背負い直す。

 さっきよりも、その身体は少しだけ重く感じた――けれど、不思議と苦ではなかった。

 

 これは、背負うべき重さだ。

 

 誰かの「生きたい」と願う気持ち。

 それを引き受けたのだから、もう後には引けない。

 

 熱された砂を踏みしめ、私は再び、歩き始めた。

 どこまでも続く白の中に、小さな影が、二つ伸びていた。

 

 

 砂漠の中を、ひたすら歩いた。

 

 太陽は容赦なく照りつけ、風は乾いた砂を巻き上げ、喉と肺を削っていく。

 それでも、背中の少女の呼吸があるのかすらも分からない。でも、足を前へ、前へと運び続けた。

 

 一歩ごとに、体が沈んでいくようだった。

 何度も足がもつれ、膝をつきかけた。視界は白く霞み、音が遠ざかっていく瞬間すらあった。

 

 それでも、止まらなかった。

 

 ただ、約束したから。

 

 「会わせる」って言ったから。

 

 それが、意識をつなぎ止めていた。

 

 ──そして、日が暮れかけたころ。

 砂丘の向こうに、小さな白い建物の影が見えた。十字のマークが掲げられた、それは病院だった。

 

 ぼやけた視界に、確かな希望が灯る。

 

 もう少し。もう一歩だけ――

 

 そう思った瞬間、膝が崩れた。

 

 

 全身の力が抜けて、地面に倒れ込む。

 

 ああ、もう限界だ――

 

 そんな思考とともに、意識が暗闇に飲まれていった。

 

 

 

 

 

 どこか、静かだった。

 

 風の音もなく、焼けるような熱もない。

 柔らかな布に包まれていて、遠くで電子音がかすかに鳴っている。

 

 まぶたの裏に、白い光が差し込んでいた。

 

 ...生きてる、のか?

 

 ゆっくりと意識が浮かび上がっていく中で、最初に気づいたのは――

 

 手のぬくもりだった。

 

 自分の手が、誰かに握られている。

 

 細くて、やわらかくて、けれど確かに、ここにある体温。

 

 まぶたが、わずかに震えた。

 

 光が差し込み、視界がぼやけながら開かれていく。

 

 隣に座っていた少女が、目をぱっと見開き、安堵の笑みを浮かべて顔を上げた。

 

「起きたのですね!良かった...本当に、すごく心配しましたよ。丸々二日も寝ていたんですから!」

 

 声には、ほっとした安堵と、ずっと胸に抱えていた不安が入り混じっていた。

 

 彼女の目は少し潤んでいて、必死に隠していた涙が零れそうになっているのが見えた。

 

 そんな彼女の視線が、そっと隣のベッドへと移った。

 そこには、背負っていた少女が静かに眠っている。呼吸は穏やかで、まるで戦いの疲れをすべて忘れてしまったかのように安らいでいた。

 

 俺はほっと息をつき、肩の力をゆるめた。

 

──無事でよかった...。

 静かに風が吹いた。遠くで鳥が鳴いている。

 それは、確かに“終わった”という証のようだった。




筆が凄く乗りました。
ようやく書きたいエピソードの一つが書けました。
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