16話 残業代って出ますか?あぁ...ダメですか
アビドスの件から、一週間。
季節はまだ移ろわないけれど、街の空気はどこか軽くなった気がする。
今日も例によって、机には書類の山。
それでも、不思議と気分は悪くない。むしろ、ほんの少しだけ、未来が楽しみになってきた自分がいる。
アビドス対策委員会は、正式な委員会として無事に認定された。
借金の額こそ相変わらず目を背けたくなるレベルだけど、利子は大幅に減額。数字だけを見れば、まだまだ返済まで遠い。
けれど、前よりはずっとマシだ。少なくとも、「前に進んでいる」と実感できるだけで、違うと思う。
そして──カイザーPMCの理事。
例のブラックマーケットでの不正取引がついに発覚し、あっけなく解雇。今では堂々たる指名手配犯になっている。
……まあ、あの人のことだ。
どこかの影で、しれっと生き延びて、またちゃっかり這い上がってくるに違いない。
「...ま、元気にやってたらいいけどね」
そんなひとりごとをこぼしながら、カップを手に取り一口。
──うっ、苦っ。
「やっぱコーヒーは苦手だ....」
さっきの休憩中のことだ。
エンジェル24に立ち寄った。
冷蔵ケースを覗き込み、エナジードリンクを探したが……まさかの全滅。全部売り切れとは、なかなか珍しい。
仕方なく、「今こそ克服のチャンス」とばかりにブラックコーヒーを手に取った。
けれど、結果は案の定の大惨敗。苦すぎて、頭が冴えるどころか、眉間にしわが寄る始末だった。
「今日もお疲れさまです~」
レジの奥から顔をのぞかせたのは、店員のソラさん。
いつも通り、にこにこと笑顔で手を振ってくれる。
──自分で言うのもなんだけど、彼女にはちょっと慕われてる……気がする。
きっかけは、以前ふとした会話の中で節約術を教えたことだった。
たとえば、飴玉を炭酸水に溶かすと、それっぽいジュースになるよ──なんて話をしただけなのに、
「えっ、すごい...!今度やってみますね!」
あのときの目を輝かせた笑顔。今でもはっきり覚えている。
まさか、そこから仲良くなるとは思っていなかった。
──そして今、オフィスに戻って。
思い出しながら、もう一口。
やっぱり、コーヒーは、どうしても苦い。
今さらだけど──どうしてこんなにも口調が崩れているのかって?
それもそのはず。部室には、私ひとりしかいないのだ。
先生は、ミレニアムサイエンススクールのゲーム開発部からの応援要請で、数日間の出張中。
さらに今日は当番の子も不在。つまりこの空間は、完全に“私だけの部室”となっている。
誰に気を使うでもなく、誰に聞かれる心配もない。
だからこそ、つい言葉づかいも、心もちもゆるんでしまうというわけだ。
ゲーム開発部──
ミレニアムでは珍しくないが、変人が集まった部活動である。
所属しているのは、たった四人の生徒。
それでも、その存在感はなかなかのものだった。
彼女ら、いや彼女の代表作、《テイルズサガクロニクル》。
言わずと知れた、クソゲーランキング堂々の第一位──ある意味、伝説の作品である。
私もプレイしてみたことがある。
うん、まあ……正直、いろんな意味でひどかった。
操作性、バランス、ストーリー、UI……どこをとってもツッコミどころ満載で、挙げればキリがない。
けれど、それを“クソゲー”と断じて、勝手にランキングを作り、人様の努力を笑いものにするのは──やっぱり、どうかと思う。
言葉の暴力は、見えないところでじわじわと効いてくる。
それで誰かが精神的に追い詰められてからじゃ、もう遅いってことも……もっと理解してほしい。
……まあ、これは、あくまで私の個人的な意見だけれど。
ああいう作品は、刺さる人にはちゃんと刺さる。
少なくとも私は──好きだ。ファンを名乗るくらいには愛着をもっている。
そんなことをぼんやり考えながら、手元の書類に視線を戻していた──そのときだった。
──ガチャリ。
静かな部室に、扉の開く音が響いた。
「ん...寄り道がてら来た」
声とともに姿を見せたのは、無表情なシロコ。
けれど、その格好は制服ではなくスポーツウェア。学校帰りではなく、どうやらライディングの最中に立ち寄ったらしい。
「先生はいらっしゃいませんよ」
そう声をかけると、彼女は静かに首を振った。
「いや、先生じゃなくて...キミヨに用がある」
「私に....ですか?」
思わず聞き返してしまう。
するとシロコは一歩だけこちらへ近づき、簡潔に尋ねた。
「今度の土曜日、空いてる?」
「少々お待ちください。確認しますね」
私は手帳を取り出し、日付をめくる。今日が月曜日。土曜日は……五日後。
「..空いてますね。差し支えなければ、用件を教えてもらっても?」
「いや、それは...当日のお楽しみってことで。それと、その日は動ける格好で来て」
「なるほど。では、楽しみにしておきます」
そう微笑みながら、私は立ち上がる。
「お茶でも飲みますか? いれますよ」
「ん。なら..お言葉に甘えて、いただく」
ケトルのスイッチを入れると、湯が沸く静かな音が部屋の空気を温めていく。
その沈黙の中、背中越しにシロコの声が静かに響いた。
「キミヨ....あれから、アビドスには来てない」
「そうですね。仕事でそちら方面に行く機会もなかったので」
「.....みんな、寂しがってた。先生は、何度か様子を見に来てくれた。でも、キミヨは一度も来なかった」
少し間を置いて、シロコはぽつりと続けた。
「特に...ホシノ先輩が酷かった。なんでもないような素振りだったけど、顔にすごく出てた」
「.....それは、すみません。まさか、そこまで思われていたとは」
湯がしゅんしゅんと沸騰する音が、耳の奥で響く。
けれど、それすらも遠く感じるほどに──シロコの言葉は胸に静かに届いてきた。
「キミヨは、私たちにとって大事な仲間。無理にとは言わない。でも....来てくれたら、やっぱり嬉しい。それに──お菓子も、いっぱいある」
彼女の優しさが、心にじんわりと染みる。
私は、素直に答えた。
「...それなら、今度伺います」
するとシロコは、わずかに口元をほころばせて、短く言った。
「ん。よろしい」
────────────────
あれから数十分。
シロコと話を交わし、少し気持ちが落ち着いたころには、また書類仕事に戻っていた。
集中しているうちに、外はすっかり夕暮れ時。西の空が、茜色に染まり始めていた。
──ふう、と小さく息をつく。
「今日は...帰るか」
期限の近い書類は大方片付き、先生も出張中。
たまには定時で帰ってもいいだろう──そう思いかけた、まさにそのときだった。
「すみません!キミヨさんはいらっしゃいますかっ!」
勢いよく扉が開き、駆け込んできたのは、ミレニアムのセミナー所属、早瀬ユウカだった。
「....はい、いますけど。どうしたんですか、ユウカさん?」
肩で息をする彼女は、見るからに焦っている。
「今夜、空いてますか!? ミレニアムの生徒会が...襲撃されるんです!」
「.....え?」
聞き間違いかと思ったが、彼女の真剣な表情を見る限り、どうやら冗談ではなさそうだった。
「できれば、力を貸していただけませんか! キミヨさんなら、きっと.....!」
──ああ、今日もまた残業か。
心の中で静かに絶望しつつ、ひとつ疑問が浮かぶ。
「....でも、ミレニアムには先生がいらっしゃるのでは?」
ユウカはぎゅっと拳を握りしめ、言った。
「その先生が...ゲーム開発部と一緒に襲撃してくるんです!!」
「.....................は?」
数秒の沈黙が、部室に重く落ちる。
思考が追いつかない。いや、むしろ止まった。
この瞬間ばかりは、書類の山よりもずっと手ごわい案件だった。
最初からだと長くなってしまう予感しかしないため、途中から参戦させました。
これまでの話でキミヨがどう言うキャラか分かりましたか?
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はい
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いいえ
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