「えっ....先生、ハレ先輩から! アカネ先輩がこっちに来ないって!」
差押品保管室へ向かう道中、ミドリが慌てた様子で先生に伝えた。
「それじゃあ、ごめんけど、コトリもマキもこちらに合流して」
先生は即座に指示を切り替える。
本来の作戦では、ハッキング映像を使い、マキとコトリをモモイとミドリに誤認させることでアカネを孤立させ、閉じ込めるはずだった。だが、そのアカネ本人がこちらに向かってこないという。
その報告に、先生は一瞬の衝撃を受ける。と同時に、ある可能性が脳裏をよぎった。――もしかして、自分の作戦は読まれているのではないか?
だとすれば、一体誰が読んだのか。
セミナーには、戦術を即座に把握できるような人材はいない。メイド部には優秀なブレーンこそいるものの、指揮官は不在と判断していた。だからこそ、こちらの作戦にも引っかかるだろうと踏んでいたのだ。
敵の認識を誤らせるミスリードは成立するはずだった。ハッキングで視覚情報を歪ませ、アカネを誤認させて、孤立したところを閉じ込める。全ては計算の上だった。
だが――引っかからなかった。
アカネは来ない。作戦は完全に見透かされている。
ピースが一つだけかみ合わない感覚。その違和感に、先生の思考が止まる。そして次の瞬間、脳裏に一つの名前が浮かんだ。
――キミヨ。
「....まずいな」
喉の奥で漏れた独り言は、自分でも気づかないほど小さな声だった。
今から作戦を練り直したい。敵がこちらの意図を読んでいる以上、今の作戦を継続するのはあまりにもリスクが高い。だが――時間がない。既に各所は動いており、部隊は配置につき、戦術は発動してしまっている。
今さら全てを引き戻しても、混乱を招くだけだ。もう賽は投げられた。
だから、祈るしかない。キミヨが、こちらの狙いを“まだ”完全には見抜いていないことを。最後の一手だけは、読まれていないことを。
─────────
「遅かったねー。だいぶ待ってたよ〜」
「ここで確実に捕らえさせていただきます」
進む先で待ち受けていたのは、一ノ瀬アスナとアカネだった。まるで進路を塞ぐかのように、彼女たちは立ちはだかっていた。
「アスナ先輩に、アカネ先輩...」
「ど、どうしてここに....?」
モモイとミドリは混乱していた。どうしてこの場所が知られていたのか、その理由がまったく思い当たらなかった。
「どうしてって?私の直感と、あとは指揮官の予測かな。っていうかすごいよ、あの子。私と同じ場所を予測してたんだよ。確か....キミヨちゃん、だったっけ?」
アスナが肩をすくめながら語ると、アカネが静かに頷いた。
「ほんと、ユウカには感謝ですね。私たちだけじゃ、もしかしたら負けていたかもしれません」
アスナとアカネの言葉に、先生は驚く様子もなく、やはりそうか、と静かに納得していた。その一方で、思考の中では別の可能性を反芻していた。
(キミヨを相手にすることも、考慮しておくべきだった....)
そう考えるのも無理はない。シャーレという組織は、「困っている生徒を助ける」ことを目的とする。ゲーム開発部が困ってセミナーを襲うという状況があれば、それは裏を返せば、セミナー側もまたゲーム開発部に困っているということ。
先生はたった一人しかいない。ゆえに、最初に対応した側──この場合はゲーム開発部──の味方につくしかない。
だが、シャーレにはもう一人、部員がいる。であれば、もう一方の立場にも手を差し伸べる者が必要だ。キミヨは、その役を担うにふさわしい人物だった。
先生は知っていた。キミヨもまた、自分と同じように──困っている人を見捨てるような人間ではないということを。
だからこそ、燈在キミヨという存在を、あらかじめ想定に入れておかなかった自分を、悔いていた。
「とりあえず、早く始めようかー」
「や...やばいよ先生。アスナ先輩だけなまだしも、アカネ先輩まで居るなんて」
「弱気になってどうするのお姉ちゃん!やるしかないんだよ」
アスナが軽く掛け声を上げ、まさに戦闘が始まろうとしたその瞬間――乾いた銃声が空気を裂いた。
ババンッ!
足元のアスファルトに弾痕が刻まれる。アスナとアカネが反射的に身を引く。
「びっくりしたー!誰が撃ったの〜?」
アスナが目を丸くしながら周囲を見渡す。
「この状況で、ここに現れる人物といえば...」
アカネが銃を構えつつ、警戒の色を浮かべた。
そのとき、瓦礫の影から元気な声が響いた。
「誰だと聞かれたら!説明するのが世の情け!どんな質問にも答えをご提供!」
姿を現したのは、エンジニア部の豊見コトリだった。胸を張ってポーズを決めると、自信満々に言い放つ。
「エンジニア部の説明の化身、豊見コトリ!」
そのすぐ後ろから、もう一人の少女が前へ出る。冷静で落ち着いた口調ながら、どこか楽しげな笑みを浮かべていた。
「芸術と科学のコンビネーション──ヴェリタスのデジタルアーティスト、マキだよ。助けに来たよ、ミド、モモ、先生」
コトリとマキが颯爽と現れると、ミドリとモモイの顔に安堵が広がる。先生も、短く息を吐いて目を細めた。
新たな戦力の合流により、場の空気が一変する。わずかに傾きかけていた天秤が、再び均衡を取り戻し始めていた。
──────
「それでは、キミヨさん。私も念のため、アスナ先輩たちのもとへ向かいます」
ユウカはそう言い残し、キミヨの隣を離れ、静かにオペレーションルームを後にした。無駄のない足取りで扉の向こうへ消えていく彼女の背を、キミヨは短く頷いて見送り、再び正面のモニターへと視線を戻す。
画面には、現在進行中の戦場が映し出されていた。
カリンからの通信が途絶えていることから、白石ウタハあたりにやられたのだろうと推測する。だが、それに対して特段の焦りや感情を見せることはなかった。
今回の作戦の目的は、敵を捕らえることではない。鏡の防衛――それが唯一の至上命題だ。
ウタハは確かに手強い相手だが、一人で戦況を大きく覆せるような存在ではない。彼女が生き残っていたとしても、それが勝敗に直接的な影響を与えるとはキミヨには思えなかった。
モニターには、アスナとアカネがゲーム開発部のメンバーたちと交戦している様子が映る。状況としては、アスナたちが押しているように見える。だが、キミヨの目はその先を見据えていた。
――先生は、次にどんな手を打ってくるか。
本来ならば、そう考えるべき場面だった。だが、キミヨはもう作戦に思考のリソースを割いていなかった。
すでに、勝敗は決している。
正確に言えば、負けを選んだのだ。最初から、キミヨにはこの作戦で「勝つ」つもりなどなかった。
(....早瀬さんには、申し訳ないことをしたな)
内心、ユウカに対して謝罪の言葉が浮かぶ。あれほど困っている人を見過ごせないと言っておきながら、結果として、相手が有利になるよう作戦を構築していたのだから。
だが、その気持ちが偽りだったわけではない。本当に、困っている人を助けたいという想いは本物だった。ユウカのために動いたことも、嘘ではない。
――だが、それだけでは足りない。
「....それじゃダメなんだ」
キミヨは静かに、そう呟いた。
今回の作戦には、二つの狙いがあった。
一つは、燈在キミヨは、先生よりも指揮能力が劣っている――そう認識させるためのものだ。
アビドスの事件以降、先生とキミヨは同等の指揮官として扱われるようになった。シャーレの副指揮官としての彼女の戦術眼や、最低限の戦闘力も広く知られるようになり、「シャーレを動かすのは先生ではなくキミヨでいいのでは」という声が、少しずつキヴォトスの中で囁かれ始めていた。
しかし、キミヨ自身はその風潮を良しとはしなかった。
だからこそ、この作戦を利用して“格付け”を行ったのだ。とはいえ、ただボロ負けするわけにはいかない。それではシャーレそのものの信頼に傷がつく。だからこそ――接戦の末に敗北する、という着地点を狙っていた。
一つ目の目的は、アリスの可能性を示すことだった。
現在、リオとヒマリがこの戦いの様子を見ているはずだ。彼女たちは、アリスがキヴォトスを滅ぼす脅威か否かを議論している。
リオは、どんな状況でもアリスを危険因子として断じるだろう。だが、ヒマリは違う。ヒマリならば、アリスの「可能性」に気づいてくれると。
だからこそ、あえて反省室にいるアリスには手を出さなかった。先生たちの狙いもすでに見抜いている。アリスが反省室を自力で破壊し、差押品保管室へと向かい、鏡を手にして全員が撤退する――そのシナリオを、キミヨはすでに理解していた。
だが、それではアリスの本質は伝わらない。
キミヨは知っている。アリスという存在が、どれほどの優しさと強さを持っているかを。
そして今、モニターにはユウカが戦場に到着し、完全に追い詰められている様子が映し出されていた。
――それでも。
「....決して、仲間のことを諦めたりしない....だろ」
キミヨが小さく呟いた、その直後。
ドカアアァァン!
轟音が響き、建物全体が大きく揺れた。壁がきしみ、オペレーションルームの照明が一瞬だけ揺れる。
キミヨは、静かに目を閉じた。
セミナーは敗北した。
だが、その目元に浮かんだ感情は、悔しさではなかった。
──────
薄暗い部屋の中で、キミヨはひとり、椅子に腰を下ろしていた。
あの戦いから、すでに数時間が過ぎていた。
ゲーム開発部はセミナーの追撃を振り切り、ついには鏡の入手に成功。作戦は、表向きには終結を迎えた。
オペレーションルームに戻ってきたユウカに、キミヨは短く頭を下げた。
「....力及ばず、すみませんでした」
それに対し、ユウカは静かに首を振るだけだった。互いの気持ちは言葉にせずとも通じていたのだろう。励まし合うように言葉を交わすと、二人は別々の道へと去っていった。
では――今、キミヨはどこにいるのか。
作戦が終わったというのなら、なぜここに一人きりでいるのか。
いいや、そもそも彼女は“終わった”と勘違いしている者たちの方こそが、現実を見誤っているのではないか?
キミヨの戦いは、まだ終わっていない。むしろ、これからが本番なのだ。
そのときだった。
カチャリ――と、扉が開く音が部屋に響いた。
誰かが、この閉ざされた空間に足を踏み入れた。
「....貴方は?」
静かに放たれた問いかけに、キミヨはゆっくりと椅子の向きを変えた。軋むような音とともに、彼女の姿が扉の方を向く。
足を組み、背もたれに優雅にもたれかかるその姿は、まるで物語に登場する悪役のようだった。
「初めまして、調月リオさん」
キミヨの声が、部屋の奥へと静かに広がる。
「少し――お話ししませんか?」
その声は、ただの挨拶ではなかった。
それは宣戦布告にも似た、知略の幕開けを告げる合図。
調月リオのアジトに、燈在キミヨの声が、静かに、しかし確かに響き渡った。
だいぶ端折ってしまい申し訳ないです
これまでの話でキミヨがどう言うキャラか分かりましたか?
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はい
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いいえ
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