調月リオは、ほんの一瞬だけ言葉を失った。
それも無理はない。
自分のボディーガードである飛鳥馬トキですら把握していないはずのアジト。その最奥、簡易ソファの上に――まるで以前からそこに住み着いていたかのように、見知らぬ人物が腰掛けていたのだから。
その存在は、あまりにも自然だった。
侵入者特有の緊張も、周囲を探るような視線もない。ただ、そこに「いる」。
意識に引っかからないこと自体が、異常だった。
侵入の痕跡はない。
警報は沈黙したまま。
認証を必要とする扉はすべて正常にロックされ、アクセスログにも不審な形跡は残されていない。
それが意味するのは、二つに一つ。
――侵入者の技量が、調月リオの想定を遥かに上回っているか。
――あるいは、そもそも彼女の認識体系の外側にいる存在か。
室内の空気が、微かに張りつめる。
オイルと金属の匂い。稼働中の機材が発する低い振動音。
本来なら思考を安定させるはずのそれらが、今は逆に現実感を薄め、悪い夢の中にいるかのような錯覚を与えていた。
だが、リオは即座に呼吸を整えた。
胸の奥を走った驚愕を、理性で上書きする。
感情を表に出すことは、「負け」を意味する。
相手の話に応じる素振りを見せながら、キミヨの視界から外れる角度で端末を操作する。
――緊急時用の位置送信。
指は迷わなかった。思考より先に身体が動くのは、数え切れない修羅場を潜り抜けてきた証拠だった。
「....話すのは構わないわ」
声は静かで、揺らぎはない。
「けれど、まず聞かせて。あなたは何者?」
「ああ、失礼しました」
キミヨと名乗る人物は、穏やかな微笑みを浮かべ、ゆっくりと両手を上げた。
敵意を示さないための動作。だが、そこに過剰な演技はない。
まるで最初から、この場にいることが当然であるかのような自然さだった。
「シャーレ所属、燈在キミヨと申します。敵意はありません。少なくとも、今は」
「“今は”ね」
リオは即座に言葉を挟む。
「ええ」
短い肯定。
それ以上の説明は、意図的に省かれている。
室内に、薄い沈黙が落ちた。
リオは視線を逸らさなかった。瞬きの回数すら計算に入れているかのように、相手の呼吸、重心、視線の動きを観察する。
この人物は、恐れていない。
少なくとも、この場で排除される可能性を想定していない。
「噂に名高いシャーレの人間が、どうして私のところに?」
リオは続ける。
「それに、この場所は――」
「その話も含めて、これからします。ただし」
キミヨは言葉を区切り、わずかに間を置いた。
「これから話す内容は、他言無用でお願いします」
「.....随分と一方的ね」
リオは肩をすくめる。
「守るメリットが見当たらないわ。聞いたあとで、私が誰かに漏らす可能性だってあるでしょう?」
「ええ、当然です」
あまりにもあっさりと肯定され、リオの眉が僅かに動いた。
「ですから――例えば」
キミヨは、視線だけを横に流す。
「セミナーの帳簿。確認しておきたいですね。横領が事実なら、困る方も多いでしょう?」
心臓が、一拍遅れて強く脈打った。
喉の奥が、きゅっと引き攣る。
視界の端が、わずかに歪む。
――知られているはずがない。
帳簿の改竄も、資金の流れも、完璧なはずだった。
だが、その動揺は一瞬で押し殺される。
リオはゆっくりと息を吐き、表情を整えた。
「.....そこまで把握しているとはね」
鋭い視線を向けたまま、静かに言い切る。
「改めて聞くわ。貴方、本当に何者?」
「単刀直入に言います」
キミヨの声音は、最初から最後まで変わらず穏やかだった。
「私には、未来が見えます。確定した未来ではありませんが.....それを頼りに、あなたの情報に辿り着きました」
「未来視.....」
リオの脳裏に、一人の少女の姿が浮かぶ。
百合園セイア。
彼女だけの特異性だと思っていた力。だが、“未来”という概念を介せば、説明はつく。
(……でも、本当に信じていいのかしら)
思考を切り替え、短く問う。
「それで。本題は?」
「調月さん。天童アリスと接触してください」
「.....無駄よ」
即答だった。
「彼女は無名の司祭を崇拝するオーパーツ。いずれ世界を滅ぼす存在。ヒマリのように、害意がないとでも言うつもり?」
「いいえ」
キミヨは、静かに首を横に振った。
「天童アリスが世界を滅ぼす可能性。それ自体は、私も否定しません」
キミヨの声は静かだった。
感情の起伏を意図的に削ぎ落としたような、淡々とした響き。
だが、その言葉が孕む内容はあまりにも重く、室内の空気を一瞬で張り詰めさせた。
一拍。
沈黙が落ちる。
調月リオは、その沈黙の中で相手の真意を探ろうとしたが、キミヨの表情からは何も読み取れない。
「ですが」
わずかな間を置いて、キミヨは続ける。
「廃棄すると勝手に決めてんじゃねーよ」
その瞬間、空気が軋んだ。
先ほどまでの穏やかな対話とは明確に異なる、鋭利な感情。
まるで刃物が静かに抜き放たれたかのような緊張が、部屋全体に走る。
リオは眉をひそめる。
「その選択を取るのは、確かに手っ取り早いです。調月さんが傷つくだけで終わりますから」
その言葉は、あまりにも率直だった。
犠牲が一人で済むなら、それが最適解だと考える人間は少なくない。
「私はそれを望───」
「未来は二つあります」
リオの言葉を遮るように、キミヨは続けた。
声は落ち着いている。だが、その奥には揺るがぬ意志があった。
「一つは、天童アリスを破壊し、全ての罪を一人で背負っていく未来」
淡々と告げられる選択肢。
「もう一つは、先生と共に天童アリスは“問題ない存在だ”と証明し、これからも後輩と仲良く、何事もなかったかのように学園生活を送る未来」
「さぁ、どちらを選びますか?」
試すような視線が、リオに向けられる。
「......分からないわ」
思わず零れたのは、本音だった。
「何故そこまで彼女のために動くの?彼女一人を切り捨てれば、キヴォトスは救われるのよ」
合理性だけを見れば、それは正しい。
リオ自身も、そうした判断を幾度となく下してきた。
「いえ」
キミヨは静かに首を振る。
「私は、天童アリスのために動いているわけではありません」
「.....は?」
「なら、何のために?」
キミヨは一瞬だけ視線を伏せた。
その僅かな仕草に、これまで見せなかった人間らしさが滲む。
「とある未来で、部屋で1人蹲っている人を見ました」
言葉を選ぶように、ゆっくりと。
「自分のしたことの重さを、頭では理解していた。でも、その重さに耐えることはできなかった」
それ以上は語られない。
だが、リオには分かってしまった。
語られているのが、誰の未来なのか。
「......そう」
リオは静かに頷いた。
「分かったわ」
背筋を伸ばし、決断を口にする。
「私は、あなたの言う通り天童アリスに接触する。でも、私たちのタイムリミットまでに証明できなかった場合――その時は廃棄する。それでいい?」
キミヨは即座に頷いた。
「はい。それで構いません。これからは協力者としてよろしくお願いします。安心してください。時間はたっぷりありま──」
言葉が途切れる。
キミヨはふと天井へと視線を向けた。
「.....想定より、早かったですね」
次の瞬間。
「リオ様!ご無事ですか!」
天井の排気口が音を立てて開き、飛鳥馬トキが飛び降りてくる。
着地と同時に、その銃口は一切の迷いなくキミヨへ向けられていた。
「トキ.....!?」
「安心してください、リオ様。すぐに対象を撃破しますので」
引き金にかかる指。
一触即発の空気。
「大丈夫よ、トキ。武装を解除して」
一瞬の躊躇。
だが、主の言葉を信じ、トキは深く息を吐いた。
「........了解しました。武装を解除します」
銃が下ろされる。
それでも、彼女は一歩もリオの前から離れなかった。
「初めまして、飛鳥馬トキさん」
キミヨは何事もなかったかのように微笑む。
「調月さんとは、たった今協力者となりました。シャーレ所属、燈在キミヨです」
そう言って、懐からガムを一つ取り出す。
「お近づきの印として、これを」
「.....は?」
戸惑うトキの手に、半ば強引にガムが押し込まれた。
「それでは、お暇させていただきます。あ、あと」
キミヨは室内の一角に置かれたオブジェクトを指差す。
「あれ、カッコいいですね」
「持って帰っても良いわよ」
「え!本当ですか。ではお言葉に甘えて....よし」
妙に満足げに呟き、キミヨは来た時と同じように、気配を残さず去っていった。
残されたのは、二人だけ。
「リオ様。あの方を信用してもよろしいのでしょうか」
「多分だけど、信用はできるわ」
「珍しいですね」
「でも」
リオは少し考えてから答えた。
「信頼できるかは、分からない」
「何故でしょうか?」
「随分と.....」
リオは静かに呟く。
「都合の良い未来視だと思っただけよ」
──────────
「はぁ....疲れた」
シャーレの部室に戻った私は、そのまま椅子に体を預け、天井を見上げた。
視界の端で、壁掛けの時計が静かに時を刻んでいる。針の位置を確認し、思わずもう一度ため息を吐いた。
――とっくに、良い子は寝ている時間帯だ。
昼間は延々と書類仕事。
夜は現場で指揮を執り、その足でミレニアムのトップと邂逅。
我ながら、どう考えても過密スケジュールである。
「これ、過労死ルート入ってない?」
呟いてから、最後のは完全に自業自得だと思い直す。
誰に強制されたわけでもない。全部、自分で選んだ行動だ。
……とはいえ、そうでもしなければ不安だった。
あの場で介入しなければ、調月リオは先生の敵になる。
結果として、天童アリスは先生に救われる。
それ自体は、ほぼ確定事項だ。
問題は、その先だった。
(調月リオは……救われるのか)
思考が、そこに引っかかる。
いや、待て。
あの人は、生徒なら全員救う。例外なく。
だったら調月リオも、結局は救われるはずだ。
「.....あれ?」
ふと、嫌な考えが頭をもたげる。
もしかして私、
――余計なことをした?
「うがぁぁぁ.....!」
椅子を軋ませながら、体を揺らす。
自分の行動の軽率さに、今さら頭を抱えたくなった。
いくら“やりたいことをやった”とはいえ、後先を考えずに突っ走るのはやっぱり良くない。
でも。
『その罪、私も背負うわ。……何故って言われても、私たちは共犯者だから、としか言いようがないわ』
「.....先生と敵対するの、やめよ」
ぽつりと、独り言が零れた。
黒服にも言った通り、私が先生のもとにいる理由は「大人というものを知るため」だ。
なのに、先生と敵対するなんて本末転倒にも程がある。
敵としての先生を知れる、という考えが浮かばないわけじゃない。
でも、それは私が知りたい“大人”じゃない。
これからは――
敵対せず、近くで、傍観する。
それでいい。
仮眠室で寝ようかとも思ったが、どうにも眠れそうになかった。
仕方なくスマートフォンを取り出し、意味もなく画面をスクロールする。
……これ、なんか青春してない?
そんなことを考えながら、今日のニュースを適当に流し見して――
次の瞬間、指が止まった。
「.,....え?」
表示されている見出しを、もう一度読む。
「エデン条約って.....まだ締結されてなかったのかよ.....」
胸の奥に、嫌な予感が静かに広がっていく。
画面の光だけが、部室の薄暗さを照らしていた。
オブジェクトはもちろん、みんな大好きあのロボットです
これまでの話でキミヨがどう言うキャラか分かりましたか?
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はい
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いいえ
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プロフィールを書いてください