一般シャーレ事務員憑依   作:戯け

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前回が短かったので今回は長くしました。
この作品がようやくスタートします。


幕開け

「ん、お疲れ様」

 

 声をかけた瞬間、キミヨはその場にしゃがみ込みそうになりながら、荒い息を吐いた。

 

「はぁ、はぁ....」

 

 肩が大きく上下している。呼吸を整えようとしているものの、思うようにはいかないらしい。

 

「大丈夫? まだ走れる?」

 

「ぜん、ぜん.....余裕...です...!」

 

 そう言い切ろうとするが、語尾は完全に息切れしていた。

 

「ん、ダメそう」

 

 あれから数時間。

 気の向くままにルートを選び、街を抜け、坂を越え、また別の道へと走り続けた。

 

 最初の頃は、私の背中を必死に追いかけていたキミヨだった。

 ペダルを回す音も呼吸も必死で、視線はずっと私の後輪に縫い付けられていた。

 

 それがいつの間にか、隣を並走するようになっていた。

 

 ちらりと横を見る。

 表情には疲れを隠そうとする意志が見えるが、その横顔はどこか生き生きとしていて、走ること自体を楽しんでいるのが伝わってきた。

 

……よかった。

 

 無理をさせてしまったかもしれないと、少しだけ不安だった。

 けれど、その心配は杞憂だったらしい。

 

 軽く五十キロは走ったはずだが、最後までペースを落とすこともなく、キミヨは食らいついてきた。

 

「どうだった? ロードバイクは」

 

「風が気持ちよくて....楽しかったです」

 

 そう答える声は、疲労を含みつつも素直だった。

 

「ん...また時間が合ったら走ろう」

 

「はい。その時は、ぜひご一緒します」

 

 並走しながら、他愛のない会話を交わす。

 言葉は少なくても、同じ速度で同じ景色を見るだけで、不思議と気持ちは通じ合っている気がした。

 

 それにしても、キミヨが無事にロードバイクにハマってくれてよかった。

 一人で走るのも悪くないが、隣に誰かがいると、道の長さすら変わって感じられる。

 

 そして――仲間が増えたなら、次にやることは決まっている。

 

「身近にロードバイクに興味ある人っている?」

 

「いえ、残念ながら....いません。すみません、私、友達が少ないらしいので」

 

「らしい...?」

 

「....言葉の綾です」

 

「ん。気にしなくていい。私も友達は少ない」

 

 少し間を置いて、言葉を選びながら続ける。

 

「それに、キミヨには私を含めて対策委員会の五人がいる。五人もいれば十分」

 

 キミヨは一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。

 

「....それも、そうですね」

 

 そのときだった。

 

「ん、やばい」

 

 胸の奥がひやりとする。

 嫌な予感がして、急いでスマホを取り出す。

 

「どうしたんですか?」

 

 顔色が変わった私を不審に思ったキミヨに、無言で画面を見せる。

 表示された時刻を見た瞬間、キミヨの顔色も同じように青くなった。

 

「....だ、大丈夫ですかね?」

 

 空はまだ青く、夕方の気配すら薄い。

 けれど表示された時間は、もう六時を回っていた。

 

 学校は七時集合。

 しかも、今いるのはトリニティ。距離を考えると、悠長にはしていられない。

 

「急いで行けば間に合う」

 

 そう言い切ると同時に、ロードバイクに体重を預ける。

 ペダルを踏み込むと、風が一気に強くなった。

 

「.....!ちょ、砂狼さん速いです!待ってください!聞こえてますよね!?」

 

 背後から必死な声が飛んでくるが、振り返らない。

 風の音がそれをかき消していく。

 

……まぁ、キミヨなら大丈夫だろう。

 

 

 

 

─────

 

 

 

 

 

 

「キミヨちゃんだ。ヤッホー」

 

 

 聞き慣れた、どこか力の抜けた声が正面から飛んでくる。

 

 

「ん、今度こそお疲れ様」

 

 顔を上げると、アビドス高等学校の正門が視界に入った。

 その前で、笑いながら手を振る小鳥遊ホシノが居た。

 

……着いた。

 

 

 そう思った瞬間、全身から一気に力が抜けそうになる。

 脚は鉛のように重く、ハンドルを握る手もじんわりと痺れていた。

 

 

「はぁ、はぁ....今、何時ですかね...」

 

 

 息も絶え絶えにそう聞くと、小鳥遊ホシノはわざとらしくスマホを顔の前まで近づけ、目を細める。

 

「えーっとねぇ....」

 

 少し溜めてから、にやりと笑った。

 

「なななななんと。6時59分だよ〜。いやぁ、若いってすごいねぇ。ギリギリセーフ」

 

 小鳥遊ホシノは大げさな身振りで手を丸く作り、「間に合ったよ」とでも言いたげに笑う。

 その横で、シロコは無言のままサムズアップを向けてきた。

 

「ん」

 

 短く頷くその仕草が、頼もしく見える。

 

 

 

──死ぬかと思った。

 

 

 率直に浮かんだ感想は、それだけだった。

 

 これまで危険な目に遭ったことは数えきれないほどある。それらと比べても、今回のこれは確実に“きつい部類”に入る。

 

 

 十本の指には、間違いなく入る。

 

 いくらキヴォトス人の身体能力が常識外れだとはいえ、水分補給や休憩を含めると、ほぼ十時間近くロードバイクに跨っていたことになる。

 しかも今回は、肉体的な疲労だけではない。

 

 序盤と終盤、私はずっと別の意味で神経をすり減らしながら走っていた。

 

 シロコのペースは、少し油断しただけで簡単に前に出る。

 気づけば、視界に映るのは一定の距離を保った背中だけになる。

 

 それだけのことのはずだった。

 

 なのに、背中を追う形になると、呼吸が微妙に噛み合わなくなる。

 肺が苦しいわけではない。脚が止まりそうなわけでもない。

 

 ただ、ペダルを踏む感覚が、どこか遠くなる。

 

 理由を考えようとすると、思考が一瞬、空白になる。

 何かを考える前に、体が先に「急げ」と判断しているような感覚。

 

 自然と視線は前に固定される。

 一度外すと、戻れなくなる気がして。

 

 だから私は、無意識に速度を上げていた。

 追いつこうとしているのか、置いていかれないようにしているのか、自分でも分からないまま。

 

 並走できた瞬間、肩の力が抜ける。

 胸の奥に溜まっていたものが、ゆっくりと下がっていく。

 

……何が、とは言いたくない

 

 言葉にしてしまいたくない感覚だった。

 そして、それに向き合ったところで、きっと意味はない。

 

 

 

 

───でも、シロコが楽しそうなら、良かった。

 

 

 

 ふと、そんな考えが浮かぶ。

 

 実際、キヴォトス人の身体能力でロードバイクに乗るのは、驚くほど爽快だった。

 加速も、巡航も、全てが思い通りについてくる。

「なるほど、これは楽しい」と素直に思えた。

 

……ただし。

 

 力の加減だけは、まだまだ難しい。

 少し踏み込むだけで、速度が跳ね上がり、それに身体が対応できない。

 

 

「ん、調理室に行こう。みんな待ってる」

 

 

 何事もなかったかのように言うシロコを見て、思わず苦笑しそうになる。

 

 

「もうおじさんお腹ペコペコだよ〜」

 

 間の抜けた声と一緒に、小鳥遊ホシノは両手を上に伸ばして大きく伸びをした。

 そのまま背中を反らし、腰に手を当てて「よっこいしょ」とでも言い出しそうな動きで体をほぐす。

 

 

 

───..............。

 

 

 

 

 

 

 

 調理室に入ると、湯気と匂いが満ちていた。

 鍋が小さく音を立て、フライパンからは油の弾く音が聞こえてくる。

 

「遅かったですね。もうすぐ出来上がりますから」

 

 アヤネは手を止めずに声をかける。

 ノノミは笑顔で皿を並べ、セリカはアヤネの隣で手際よく手伝っていた。

 

「ん、座ろう」

 

 シロコが空いている椅子を引く。

 小鳥遊ホシノはその隣にどさっと腰を下ろし、机に突っ伏すように体を預けた。

 

「は〜...生き返るねぇ。おじさん、もうここから一歩も動きたくないよ〜」

 

「だったら校門まで迎えに行かなければよかったでしょ」

 

「いやぁ、青春ってやつ?」

 

 セリカの即座のツッコミにも、小鳥遊ホシノは気にした様子もなく笑った。

 

 料理が並び、全員が席に着く。

 箸が動き出すと、自然と会話も弾み始める。

 

「今日の煮込み、いつもより味を濃く作ってるんですよ」

 

「キミヨちゃんとシロコちゃんは、運動の後ですもんね」

 

会話の中心は、ノノミとアヤネ、そしてセリカ。

シロコは黙々と食べ、小鳥遊ホシノは幸せそうな表情で食べる。

 

「キミヨちゃん、どう? 美味しい?」

 

「....はい」

 

 短く答えて、もう一口。

 

(味は強すぎない。でも、薄いわけでもない)

 

 煮込みは柔らかく、口に入れると自然にほどける。

 出汁の旨みが先に来て、少し遅れてコクが残る。

 

(運動の後だから、余計に……体に染みる)

 

 無意識に、箸が止まらなくなるのが自分でも分かった。

 

(これは....美味しい)

 

ノノミは目を細め、アヤネもどこか安心したように息をつく。

 

「よかったです。味、濃すぎないか少し心配だったので」

 

「うん、ちょうどいい」

 

 短くそう言って、シロコは再び箸を動かした。

 

「よかったよかった。やっぱりご飯は、みんなで食べるのが一番だねぇ」

 

「ていうか、ホシノ先輩も何か手伝ってください」

 

 セリカにそう言われ、小鳥遊ホシノは「うへー」と困ったような表情を浮かべる。

 

「おじさんに料理は難しいよ〜」

 

 その言葉に引っかかるものがあったのか、セリカは“知っているはずの人物”に視線を向けた。

 

「ノノミ先輩、実際はどうなんですか?」

 

「本当ですよー」

 

 ノノミの即答に、シロコも小さく頷く。

 

「うん。一度食べたことあるけど、二度と食べたくない」

 

「ちょっとノノミちゃん!? シロコちゃん!?」

 

 思わぬ暴露に、小鳥遊ホシノは慌てて声を上げる。

 どうやら、料理が苦手なのは間違いないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユメ先輩に教えてもらいながら作ったんです...。....美味しいですか?』

 

『……! それなら良かったです! あの......もし良かったら、今度料理を教えてくれませんか?』

 

 

 

 

 

───はぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────────────

 

 

 

 

 

 

食後の片付けを終えると、私たち六人はそのまま教室へ移動した。

夜の校舎は静かで、さっきまでのざわめきが嘘みたいだ。足音がやけに大きく聞こえるのも、そのせいだと思う。

 

教室に入ると、机はいくつか寄せられていて、即席の輪が作られていた。

中央には、ノノミが持ってきた袋いっぱいのお菓子。

カラフルな包装が、落とされた照明の下で少しだけ浮いて見える。

 

「ふふっ、即席お菓子パーティですね〜」

 

ノノミはいつもの調子で笑っている。

それに対して、セリカは一切表情を崩さず、真剣な声で言った。

 

「これ、限定のやつだ!」

 

「そうですよー」

 

 楽しそうに返すノノミを横目に、シロコは何も言わずチョコを一つ確保していた。

 無駄がないというか、迷いがないというか。

 一方で小鳥遊ホシノは、机ではなく床に座り込み、もう動く気がなさそうだ。

 

「はぁ....もう今日は十分頑張ったよねぇ」

 

 天井を見上げたまま、だらしなく声を伸ばす。

 

「おじさん、糖分と睡眠を要求しまーす」

 

「要求じゃなくて、自分で動いてください」

 

 アヤネはそう言いながらも、結局ブランケットを配っている。

 口では厳しいことを言っているが甘々だ。

 

 教室の灯りは少し落とされていて、窓の外はすっかり夜。

 遠くの街の明かりが、ガラス越しにぼんやり滲んでいる。

 

 机の上のお菓子はほとんど姿を消し、教室には甘い匂いだけが残っていた。

 会話も途切れがちになって、誰かが動き出さない限り、このまま時間が止まりそうだった。

 

「....このまま、寝ちゃいます?」

 

 ノノミが、いつもの柔らかい声で言う。

 冗談めいているのに、誰も笑わなかった。

 

 シロコは机に突っ伏したまま、動く気配がない。

 私はその様子を見て、小さくため息をついた。

 

「砂狼さん、歯を磨きに行きますよ」

 

「....動けない」

 

 予想通りの返事だった。

 

「健全な高校生として、それは駄目です」

 

「今日だけ許して」

 

「駄目です。...じゃあ背負いますから。それでいいですよね」

 

 前にしゃがみ込むと、少し間を置いてから、シロコの腕が静かに肩に回される。

 

 立ち上がると、教室の視線が一斉に集まる。

 

「じゃあ、みんなで出発〜」

 

 ノノミが声をかけると、アヤネもすぐに頷いた。

 

「え〜、おじさんも〜?」

 

 床に座り込んだままの小鳥遊ホシノが抗議するけれど、

 

「当然です」

 

 即座に切り返されて黙る。

 

 ノノミはくすっと笑いながら立ち上がり、

 セリカは「どうせ行くなら早く」と言って出口へ向かう。

 結局、誰も残らなかった。

 

 私はシロコを背負ったまま、先頭で教室を出る。

 廊下の灯りが足元を照らし、静かな校舎に六人分の足音が重なる。

 

 洗面所の明かりが見えてきて、目的地が近いことが分かった。

 私は背中の重みを意識しながら、少しだけ声をかける。

 

「もうすぐ着きますから、降りる準備をしてください」

 

「ん、分かったお父さん」

 

 反射的に足が止まりかけた。

 

「...どうしたんですか、急に」

 

 背中越しに返ってくる声は、いつも通り落ち着いている。

 からかわれているのか、本気なのか分からないのが一番困る。

 

「そこはお母さんじゃないの?」

 

 すぐ横から、セリカが呆れたように言った。

 

「お母さんというより、お父さんな気がする」

 

「なんでよ。どこをどう見たらそうなるの」

 

 即座にツッコミが飛ぶ。

 私も内心では同じことを思っていた。

 

「ノノミさん、おじさん悲しいよ。娘が反抗期に入っちゃって」

 

 急に話に割り込んできた声に、思わず肩が揺れる。

 小鳥遊ホシノはニヤニヤした顔でこちらを見ていた。

 

「まぁまぁ、あなた。成長の証ですよ」

 

 ノノミは楽しそうに微笑みながら、きれいに受け流す。

 完全に夫婦漫才の流れだった。

 

「いや、どこがどう成長なのよ……」

 

 セリカが頭を抱える一方で、

 

「でも……確かに、キミヨさんはお父さんっぽいかもしれません」

 

 アヤネが少し困ったようにフォローを入れる。

 

 否定したいのに、否定しきれない空気があるのが厄介だ。

 

「ほら、やっぱり」

 

 シロコは納得したようにそう言って、

 私の肩に顎を預けてくる。その重みで、反論する気力が削がれた。

 

 

 

 

 

 教室に戻り机を壁に寄せ、床にブランケットを敷く。

 六人分がぎりぎり収まるくらいの距離。

 

「修学旅行みたいだねぇ」

 

「寝相悪い人は端にしてください」

 

「それ絶対ホシノ先輩じゃないですか」

 

「え〜? おじさん、意外と大人しいよ〜?」

 

 疑わしい視線が集まる中、全員が横になる。順番はセリカ、アヤネ、シロコ、私、小鳥遊ホシノ、ノノミの順番だ。

 

 しばらくは静かだった。

 天井を見つめて、眠気がじわじわと降りてくる。

 

「……あの」

 

 不意に、ノノミが小さく声を出した。ノノミの声は普段より柔らかく、どこか照れくさい響きがあった。

 

「今から恋バナしませんか?」

 

 一瞬の沈黙が教室を包む。みんなが顔を見合わせ、息を飲んだようだ。

 

 

「絶対寝れなくなるやつ」

 

 セリカが呆れつつも、どこか楽しそうにため息をつく。目の奥に期待が光っている。

 

「で、誰からですか?」

 

「えっ、わ、私は聞く側で……」

 

「そういう人が一番怪しいんですよ」

 

 アヤネが視線を逸らし、ノノミはにこにこしたまま、まるで楽しみにしているかのようだった。

 

「ホ、ホシノ先輩は居ないんですか?」

 

 話題を変えるように、アヤネが小鳥遊ホシノに尋ねる。

 彼女の声には、ちょっとした探りの色が混じっていた。

 

「んー、おじさんは居ないかなー。ほら、やっぱり歳が離れてるじゃん?」

 

「ほぼ同い年だけど」

 

 セリカが即座に突っ込む。

 

「キミヨさんは、どうですか?」

 

……突然、私に振られた。

 正直、全く想定していなかった。心臓が一拍早くなる。

(え、私?聞く側だと思ってたのに...恋バナなんて一度もしたことないのに……)

 

まさか、自分が話す番になるなんて、頭の中で何回もリピートしてもまだ信じられない。

 

「えっと....えっと...」

 

 口がうまく回らない。何をどう話せばいいのか、どこから切り出せばいいのか全く分からない。

 視線が教室をぐるりと巡る。ノノミはにこにこ、アヤネは視線を逸らす。セリカは腕組みで期待を隠しているようだ。

 シロコは無表情のまま、でも目だけが私をじっと見ている。

……見られてる、すごく見られてる。

 小鳥遊ホシノは興味津々な表情をしている。

 

 (好きなタイプって女性になってしまうのだが!?)

 

 それでも言わない私に気を遣ってか、ノノミが聞いてくる。

 

「いつも一緒に居ますから、先生とかはどうなんですか?」

 

 ノノミの問いに即座で答える。

 言葉に迷いはなく、心の底からの正直な返答だった。

 

「あぁ、タイプじゃないので大丈夫です」

 

 先生はない。あの人だけは絶対にない。天地がひっくり返ってもない。

 

「えぇ!そうなんですか」

 

 私の返答に、代表してアヤネが驚く。他の皆も口を開けて唖然としている。

 こんなに驚かれる理由が、正直よく分からなかった。

 

「何ですか、その反応」

 

「いえ、すごく噂になってるんですよ」

 

 アヤネが小声で言う。

 噂……なんて、私に関する話が、もう広まっているのか、と少しぞっとした。

 

「どんな噂ですか?」

 

「キミヨさんが先生にシャーレの当番を呼ばせないようにしてて、しかも行った子曰く、やり取りが熟年夫婦のそれって」

 

「たとえばどんなやり取りですか?」

 

「当番で覗いた子曰く、二人の時は会話はなくて、あったとしても一言二言で終わってて。でも気まずい感じじゃなくて、むしろ互いに居心地が良さそうって」

 

 いや、高校生が先生の仕事を手伝う状況はおかしいのだが。

 ユウカには言ったが、高校生は高校生らしく友達と青春していればいいと思っているだけだ。

 それにしても、先生と付き合ってるって……。

 

「あはっ、はっはっはっはっはっ!」

 

 駄目だ。笑いすぎてお腹が痛くなってくる。

 

「そんなにおかしいの!?」

 

「初めて見ました、キミヨさんが声を挙げて笑っているの」

 

「レアですね」

 

「ん」

 

「おじさんも吊られて笑っちゃいそうになるよ」

 

 

 しばらくの間、私の笑い声だけが教室に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「心地良い」

 

 皆んなが寝た頃私は部屋を後にした。シロコが抱きついてきたが、どうにか抜け出して屋上で一人、黄昏れている。

 

 あれから1時間、恋バナは続いた。皆の話を聞いたが、どうやら全員、対象はいないらしい。その後、先生の話題になったが、皆好印象は抱いているものの、恋愛感情というわけではないようだった。その言葉にひとまず安心する。

 

(皆、あの人はやめておこう。褐色好きで足フェチ、高いところが苦手で、仕事をサボってソシャゲして、シャーレに薄い本を隠して、ロボットにウン十万も出して、リモコンは片付けないし、部屋も散らかしっぱなしの駄目な大人だからやめよう)

 

 もしあの人でドロドロな恋愛劇を見せられたら、アビドスには二度と行かないだろう。

 

 そんなことを考えながら、アビドスの街を眺める。知っている店はほとんど潰れ、街には活気がない。寂しさと哀しみが胸を満たす。そして、この世にいないであろう人物を思い出すと、どうしようもなく切ない気持ちになる。

 

「....ユメ」

 

 梔子ユメ。アビドスで知り合った少女。元気いっぱいで少し天然。頭も良くなく、力も強くない。でも、彼女の信念や善性に触れると、そんなことはどうでもよくなるほどだ。

 

(今頃、何してるんだろう。うまくやれてるかな....)

 

 そんなことを考えるくらいには、彼女の存在は自分にとって大きい。

 

 後ろから声を掛けられる。

 

「こんな遅くにどうしたの、キミヨちゃん? おじさん、気になってついてきちゃった」

 

 小鳥遊ホシノ。邪魔をしてほしくない。そんな私の考えを知らない小鳥遊ホシノは、私の隣に立つ。多分、ユメの話を聞きに来たのだろう。

 

「ありがとうね、キミヨちゃん」

 

「何がですか?」

 

「シロコちゃんと一緒に遊んでくれて」

 

「全然、いいですよ。わたしも楽しかったですし」

 

「それでもだよ。シロコちゃん、一緒に遊んでくれる人が今までいなかったから」

 

――なら、一緒に遊べばいいのに。

 

そんな言葉を口に出しそうになったが、なんとか飲み込む。

 

 

 

私の方をちらりと見て、穏やかな声で口を開く。

 

「キミヨちゃん....ちょっと、昔の話をしてもいいかな」

 

「昔の....話、ですか?」

 

「うん、おじさんがまだ一年生でユメ先輩との思い出を。キミヨちゃんしか話せる相手がいなくて」

 

 彼女の表情を見るに、話したくてうずうずしている。

 

「...いいですよ」

 

 それから小鳥遊ホシノは、思い出話を語り始める。

 

「何回も不良に襲われたのを助けたり」

 

──知ってる。

 

「お宝を発見するって言って水着で地面を掘ったり」

 

──それも知ってる。

 

「砂漠に行くとしょっちゅうコンパスを忘れたり」

 

──知ってる。

 

 それからも、彼女の思い出話は続く。

 

 

「キミヨちゃんの話も聞きたいな」

 

 そう言われても、彼女が知らなさそうな話。

 

 

「私ってよく仕事で徹夜をするんですよ」

 

 わたしの言葉に、小鳥遊ホシノは笑いながら言う。

 

「確かに、キミヨちゃんいつも眠そうだもんね」

 

「それでソファで雑魚寝していた私を、膝枕してくれました」

 

 今でも思い出す、彼女の温もり。常に気を張って休めない日々。それでも彼女とのひとときは、確かな休息だった。

 

 

「そうなんだ。....あーあおじさんもして貰えばよかった。もっと素直になれてたらなー」

 

 悔やむ彼女。口調は変わらないが、顔は後悔していると語っている。

 

 

────あぁやばい、抑えられない。

 

 

「キミヨちゃん、.....おじさんってね、昔はツンツンしてて結構攻撃的な性格をしてたんだ。それで、多分側から見たら嫌な後輩だったんだ」

 

 

──────違う。

 

 

「でも、そんなおじさんと一緒に居ても、ユメ先輩は楽しそうにしてくれた」

 

 

 

───── 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。

 

 

 

 

「....それなのに最後は喧嘩別れみたいになっちゃって」

 

 

 

 

───ホシノはそんな喋り方をしない。

 

 

 

 

「今でも後悔してるんだ」

 

 

 

 

───だから

 

 

 

 

「だから、二度と大切なものを失くさないように、おじさん頑張るから。.......キミヨちゃん見てて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───その喋り方をやめろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────────────

 

 

 

 

 

 

「何か飲み物を買ってきますが何が良いですか?」

 

「水」

 

「分かりました。それと、窓から抜け出したりなんてしないでくださいよー」

 

「抜け出さねーよ。というか、この状態でどう抜け出せと?」

 

「えへへ、冗談ですよーだ! 心配させた分、これから頑張ってくださいよ!」

 

「はいはい、分かったから早く行ってこい」

 

 

 

 砂漠で遭難した後、俺たちは無事に病院へ辿り着くことができた。どうやら、ここはアビドスという場所で砂漠に侵食された街らしい。何で俺はそこで倒れていたんだ。ただ準備のためにコンビニ行ってただけなのに。

 あいつ曰く、背負っていた少女も命に別状はなく、後遺症も残らないらしい。目を覚ましたら、数日の入院で退院できるとのことだ。

 

――あれだけ死にかけていたのに。

 

 恐るべし、キヴォトス人。

 

 

 

 ちなみに、ヘイローを持たない俺はというと、身体中に点滴をぶっ刺されている。さらに、砂漠を延々と歩き続けた影響で全身が筋肉痛。そこに軽い熱中症まで加わり、身体中が悲鳴を上げていた。

 

 この状態で病院を抜け出す?

 無理に決まっている。

 

 

「はぁ....幸先悪いな」

 

 

 

 最初からキヴォトスに行く予定だったのは事実だ。だが、目が覚めたら知らない砂漠にいました、なんて展開は全く想定していない。

 

 乗りたかったな、キヴォトス行きの電車。

 

「まぁでも、道中で倒れてても、あいつが助けてくれるか」

 

 

 

 飲み物を買いに行ったあいつは、なんと俺の位置を常にGPSで把握している。最初はプライバシーの侵害だろと抗議したが、凄まじい勢いで反論された。

 

曰く――

 

『キヴォトスは、日常的に銃撃戦が起こる場所なんです!常に私が近くにいないと、本当に危ないんですから!』

 

 

 

 そう言われてしまえば、何も言い返せなかった。

 

 実際、想像の五倍は危険な場所だということも、すでに身をもって理解している。だからこれからも、このGPSを付け続けることになるのだろう。

 

……そもそも、俺をここに呼んだ張本人はあいつなんだが。

 

 

 

「んぇ....ここは...? 病院?へ、私...生きてる!?」

 

 

 

 隣のベッドから、そんな声が聞こえてきた。

 俺はそちらに目を向ける。

 

 目を覚ました少女は、自分が生きていること自体が信じられない様子で、

 落ち着きなく辺りを見回していた。

 

――途中から意識を失っていたはずだ。

 正直、少し心配していたが……俺の目には、この様子なら大丈夫そうに見える。

 

 それに、あの時砂漠で見た、何もかも諦めたような表情とは明らかに違っていた。たぶん、これが彼女の本来の性格なんだろう。

 

「体調はどうだ?」

 

 そう声をかけると、彼女は少し驚いたようにこちらを見た。

 

「貴方は....! は、はい。大丈夫です。....ありがとうございます。な、なんてお礼をしたら....」

 

「お礼なんて気にしなくていい。俺は、当然のことをしただけだ」

 

 そう言ったつもりだったが、彼女は納得していないようだった。

 

「いえ! 命の恩人なのに、それじゃ済みません!絶対に恩返しさせてください!」

 

……別に気になくてもいいのに

 

「....恩返しするのは勝手だが、まずは名前を教えてくれ。それと、無理に改まらなくていい」

 

 その言葉に、彼女は一瞬きょとんとした顔をした。そして次の瞬間、ふっと表情を緩めたのが分かる。

 肩の力が抜けたように、小さく息を吐いた。

 

「.....はい。じゃあ、その...」

 

「アビドス高校三年生、生徒会長の梔子ユメです!ユメって呼んでください!それで、貴方のお名前は...?」

 

 

「俺の名前は――」

 

 

 自己紹介をしようとした、その瞬間。

 

 病室の扉が、勢いよく開いた。反射的にそちらを見る。

 

「ユメ先輩....ユメ先輩!」

 

「ホシノちゃん!!」

 

 ホシノと呼ばれた少女は、一直線にユメの元へ駆け寄ると、何も言わず強く抱きついた。

 

...なるほど、彼女が会いたい人か。あ、やべ。

 

 ユメの願いを叶えれた嬉しさで少し頬が緩んだが、それよりもここから始まるであろうやり取りに対してどう立ち会えば良いのかという疑問が出る。どうにか窓から飛び出れねーかな。

 

 

「ユメ先輩....ユメ先輩....!」

 

 ホシノはユメの胸に顔を埋めたまま、震える声で何度も名前を呼んでいた。さっきまで必死に堪えていた感情が、ここで一気に溢れ出した。

 

「生きてて....生きてて良かったです....!」

 

声はかすれていて、今にも消えてしまいそうだった。ユメの服を掴む指先に、ぎゅっと力が入るのが分かる。

 

「だって....あれが、最後の会話なんて....」

 

そこで言葉が途切れる。ホシノの肩が小さく震え、次の瞬間――

 

「そんなの.....嫌です....!」

 

 抑えきれなかった涙が、ぽろぽろとユメの服を濡らしていく。

 

「何も言えないまま.....置いていかれるみたいで....ユメ先輩が....いなくなるなんて....」

 

「うわぁぁん..,.!」

 

 子どもみたいに声を上げて泣くホシノを、俺はただ、立ち会っていることしかできなかった。

 

 ユメは驚いたように一瞬目を瞬かせ、それから、そっとホシノに腕を回した。

 

 背中を優しく撫でながら、穏やかな声で囁く。

 

「大丈夫だよ、ホシノちゃん。.....ちゃんと生きてる」

 

 その一言で、ホシノの泣き声がほんの少しだけ弱まった。それでも涙は止まらず、しばらくの間、病室には嗚咽だけが響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ!? コンパスを忘れてた!?」

 

「ひぃん、ホシノちゃんが怖いよ〜.....」

 

 事情を聞き終えたホシノは、どうやら完全に怒ってしまったらしい。

 砂漠で遭難した理由が理由なだけに、無理もない。

 

……正直、俺も同じ気持ちだった。

嫌だ。こんな間抜けな理由で死ぬなんて、絶対嫌だ。

 

「で、でも〜、今回はこの人が助けてくれたから──」

 

「今回は、です!」

 

ユメの言葉を、ホシノはぴしりと遮る。

 

「今回は助けてもらえたかもしれません。ですが、そんな偶然が何度も起こると思わないでください」

 

 きっぱりと言い切ってから、少し身を乗り出す。

 

「なので!これから銀行に行く時は、必ず私もついて行きます。.....それで、良いですよね?」

 

「は、はぃぃー.....」

 

 完全に押し切られた声だった。

 

「よし」

 

 その一言で話は終わりらしい。

 情けない返事をしたユメとは対照的に、ホシノはどこか安心したような表情を浮かべていた。

 

そして――

 

「それと」

 

 ホシノは視線をこちらに向け、改めて口を開く。

 

「そちらの方。ユメ先輩を助けていただき、ありがとうございます。同い年に見えますが.....ヘイローがない?いや、よく見たら男子だ。....でも、男子ってこんな可愛らしい見た目なのか....?」

 

 

 確かに、俺の見た目が男っぽくないのは分かるが言わないで欲しい。ちょっと気にしてるから。

 

 

「....所属の学園を教えてくれますか?」

 

 

「そうだよ、ホシノちゃん。私も気になってたんだよ」

 

 

──まずい

 

 その瞬間、俺はようやく自覚した。

 ここはもう、外の世界じゃない。

 紛れもなく――キヴォトスだ。

 

 そして同時に、あいつと交わした約束が頭をよぎる。

 

 

 

キヴォトスに来た瞬間、

“あなた”という個人は、存在を終えます。

 

名前も、身分も、過去も。

それを知るのは、私だけ。

 

苦しみも、痛みも、責任も、

すべてを抱えて役割を果たし続けなければならない。

 

ですが、安心してください。孤独にはさせません。

 

なんたって私は──あなたの相棒ですから。

 

 

「.....」

 

 ほんの一拍の沈黙のあと、俺は覚悟を決め、痛みに耐えながらベッドから起き上がる、そして笑顔を作って口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は.....連邦捜査部シャーレの先生だよ。よろしくね!!」

 

 




この話を踏まえて今までの話を見るとまた違った味わいがあると思います。

キミヨの正体に納得しましたか?

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