「いよいよですよ!」
「……そうだね」
学校の屋上でユメと並び、活気を取り戻したアビドス自治区を見下ろす。
かつて、砂に呑まれかけていた街。
けれど今はもう、その面影すら薄い。
砂の侵食は完全に収まり、オアシスも見事に復活していた。
風に揺れる緑と、水面のきらめきがやけに眩しい。
――ここまで来たんだな、と、ようやく実感する。
けれど今日、街を歩いているのはアビドスの住人だけじゃない。
トリニティやミレニアム、ゲヘナ、百鬼夜行――さまざまな学園の生徒たちが行き交っている。
今日は、アビドス砂祭りの日。
かつては考えられなかったほどの賑わいが、そこにはあった。
「先生先生! あそこ見てください! アリスちゃんとチヒロちゃん、それからリオちゃんとヒマリちゃんが!」
ユメが弾んだ声を上げ、指差す。
視線の先では、アリスとリオが並び、チヒロがヒマリの車椅子を押して歩いていた。
その光景は、ほんの少し前までの彼女たちからは想像できないほど、穏やかで――優しい。
ユメに視線を戻すと、彼女はにこにこと嬉しそうに笑っている。
その笑顔が、何よりの答えだった。
少し視線をずらすと、和風の制服を着た集団が目に入った。
「あっちにはアヤメたちもいるよ」
百花繚乱のメンバーが連れ立って歩いている。ナグサに対して、アヤメがわざとらしく嫌そうな顔をしているのが微笑ましい。
かつて、誰にも理解されていないと悩んでいた彼女。
ぶつかって、壊れかけて、それでも離れなかったからこそ――今がある。
こうして、皆それぞれの形で前に進んでいる。
「.....先生」
ユメの声が、ほんの少しだけトーンを落とす。
振り向くと、彼女はまっすぐこちらを見ていた。
「ありがとうございます」
いつもの柔らかい笑顔。
けれど、その奥にある想いの重さが、はっきりと伝わってくる。
「私の夢を.....叶えてくれて、本当にありがとうございます」
ユメは、ふふっと小さく笑った。
「まさか本当に叶っちゃうなんて思ってませんでしたから〜。それに!たくさん無茶しましたもんね」
「先生として当然のことをしただけだよ」
先生というのは、生徒が困っていたら手を差し伸べるものだ。
そう教えられたし、私もそうありたいと思っている。
だけど私の答えに、ユメは少しだけ頬を膨らませる。
「またまた〜。すぐそういうこと言うんですから」
そして、ふっと空を見上げる。
「あーあ……夢、叶っちゃいましたねぇ」
先生に話せなくなっちゃいました、なんて言いながら残念そうな表情を浮かべる。その様子を見て、思わずため息が出そうになる。
───私のことは気にしなくていいのに。
だから。
「それなら、また新しい夢を作ればいい」
気づけば、そう口にしていた。
「そしてその夢を、また私に聞かせて」
そう言うと、ユメは一瞬ぽかんとしたあと、くすっと笑った。
「出ましたね、妖怪夢太郎!」
「えっ!? 私そんな呼ばれ方してるの!?」
思わず声が裏返る。
「だって先生、すぐ“夢は? 夢は?”って聞くじゃないですか〜」
いたずらっぽく笑うユメ。
――いや、待ってほしい。
生徒に渾名をつけてもらえるのは嬉しい。だが、嬉しいような、嬉しくないような、絶妙なラインだ。
もしかして、私、嫌われている……?
「それはないと思いますよ〜?」
私の表情から何かを察したのか、ユメがすぐに言葉を重ねる。
「だって先生、話してるこっちより楽しそうに聞いてくれますもん」
にこっと笑いながら言う。
その一言で、胸の奥にあった妙な不安が、すっとほどけた。
「へいへーい。先生の心配性」
そう言って、ユメがぐいっと抱き寄せてくる。
突然の距離に、思考が一瞬止まる。
「近い近い近い近い、ユメ。マジで近い」
「えぇー? 私たちの仲じゃないですか。それに誰もいませんし」
吐息がかかるほどの距離。
逃げようとしても、簡単には離してもらえない。
常人より身体能力が高いはずなのに、それでも――びくともしなかった。
からかうように細められた目が、すぐ目の前にある。
「相変わらず照れ屋さんですね。ほれほれ、お姉さんに甘えなさい」
「あぁもう、そんな対して変わんないしお姉さんぶるな」
頬をつつこうとする指を払う。
そんなやり取りをしていると、ドカドカと階段を駆け上がる音が響いた。
その瞬間、ユメはぱっと私から離れる。
ほんの少しだけ名残惜しそうに笑ってから、何事もなかったかのように横に立つ。
勢いよく屋上のドアが開いた。
「二人とも! こんなところで何やってるんですか! 始まるまで1時間もないんですよ!」
「ひぃん、先生助けて〜」
ユメが私の背中にぴたりと隠れる。
「あはは……」
さっきまで私を揶揄っていた姿はどこへやら、情けなく背中に隠れてくる。だが、私の身長では隠しきれておらず、どう見てもバレバレだ。
ホシノは言葉だけを聞けば本気で怒っているように見えるが、目の前の彼女を見れば、そんな緊張感は一瞬で吹き飛ぶ。
黒い帽子に黒いパンツ。
そして、お腹が大胆にのぞくアイドル衣装。
格好よさと可愛らしさが絶妙なバランスで詰め込まれていて、思わずその場で感謝の土下座をしかけるところだった。
砂祭りを盛り上げるため――ノノミの提案で、アビドス生徒会と、OGであるユメが一日限定アイドルとしてライブをすることになったのだ。
ちなみにホシノの衣装はライブ前半のものらしく、後半では別の衣装もあるという。それもとてもキュートで、ベリーグッドな感じだった。
「い、いや〜……ちょっとね。十九にもなってアイドルでダンスって考えたら、急に恥ずかしくなっちゃって」
ユメが目を逸らしながら、もごもごと弁解する。
「何言ってるんですか。最初はあれだけノリノリだったのに、今さら怖気づくなんてなしですよ。それに……」
「「それに?」」
私とユメの声が重なる。
ホシノは一瞬だけ視線を泳がせ、それから小さく息を吸った。
「……ユメ先輩とステージに出るの、ずっと楽しみにしてたんです」
「カッッ!」
「ホシノちゃん!!」
あまりの破壊力に、私とユメは同時に撃ち抜かれる。
頬を赤らめ、そっぽを向くホシノ。
その仕草が、また反則級に可愛い。
そのとき、再び階段から足音が響いた。
「ん、ステルスごっこ楽しかった」
衣装を着たシロコが涼しい顔で現れる。どうやら一番乗りらしい。
その後ろから、さらにドタバタと人数が増えていく。
「ユメ先輩、探しましたよよ☆」
「はぁ、はぁ……三人とも、早すぎ……」
「ぜぇ、ぜぇ。……なんでステージに出る前から疲れないといけないんですか……」
屋上は一気に騒がしくなる。
「ユメ先輩、立ち位置ちゃんと覚えてますか?」
「だ、大丈夫だよ〜。たぶん!」
「“たぶん”はダメです」
「ひぃん」
「ん、ユメ先輩は三番目のフォーメーションでセンター寄り」
「シロコちゃんが一番覚えてますね☆」
「誰よこんな衣装にしたのは!」
「どうして先輩たちはあそこまで平然としていられるんですか? 普通は、もう少し照れたりするものだと思うんですけど……」
それぞれが勝手に喋り、勝手に動き、勝手に盛り上がる。
さっきまでのしんみりした空気は、もう影も形もない。
そんな中、ノノミがぱんっと手を叩いた。
「はいはい、みなさん! せっかくの初ライブなんですから、もっと大事なことを決めないといけませんよ?」
「大事なこと?」
「はい♪」
ノノミはにっこり笑い、こちらを振り向く。
「先生はどのペンライトを持つんですかー?」
その一言で、場の空気がぴたりと止まった。
「ん、もちろん白」
「違うよシロコちゃん。先生はピンクを買うんですよね?」
それぞれが自分のカラーを言いながら、じり、と一歩ずつ近づいてくる。
……視線が痛い。
だが、先生を甘く見ないでもらいたい。
伊達に約二年間、先生をやってきたわけじゃない。
こういうときの答えは、決まっている。
「もちろん、片手六本ずつ。合計十二本に決まってるよ!」
「十二本!? 相変わらず化け物ね……!」
次の瞬間、遠くからざわめきが届いた。
あちこちで人の話し声が重なり合い、賑わいがそのまま風に乗って屋上まで上がってくる。
それぞれが顔を見合わせる。
――そして全員、時間がないことを思い出し、一斉に走り出した。
黒い衣装が風をはらみ、誰かのリボンがひらりと揺れる。
笑い声と足音が重なり、屋上のコンクリートを弾いた。
その背中を見送りながら、胸の奥に熱いものが込み上げる。
最初にここへ来た日を思い出す。
砂に埋もれ、音すらなかったアビドス。
二人だけで、それでも必死に立っていた少女たち。
あのときの自分は――
何か、できていたのだろうか。
(……俺は、ちゃんと先生としてやれていますか?)
答えは、今も出ない。
出ないまま、ここまで来てしまった。
「先生も行きますよ!」
不意に、温かな手が絡む。
「急ぎましょう」
もう片方の手も引かれる。
逃げる理由なんてないのに、
一瞬だけ、足が止まりそうになる。
それでも。
引かれるまま、一歩踏み出す。
そのまま、もう一歩。
ふたりが笑っていた。
――ああ。
その笑顔を見た瞬間、
胸の奥にあった何かが、ほどける。
支えていたはずの生徒たちが、今は私を引っ張っている。
それでもいいのかと、どこかで思う。
それでも――
離したくない、と思った。
引っ張られるまま、私は走り出す。
足並みが揃い、笑い声が弾ける。
ざわめきが風に乗って、屋上まで届いていた。
人の声が重なり合い、この街が確かに息をしていると伝えてくる。
その中へ、飛び込んでいく。
答えなんて、まだいらない。
今はただ。
この手を、離さないように。
賑やかなその音が、青空へと溶けていった。
───────────
「──ミヨちゃん」
──ホシノ?
今日は彼女が当番だったか。そんなことを、まだ眠気の残る頭でぼんやりと思い出す。重たい身体を起こそうとした、その瞬間。
――はっと、違和感に気づく。
だって、ホシノは──
「お〜、キミヨちゃんおはよー。幸せな夢でも見てたのかな? すごく良い寝顔だったよ〜」
「……おはようございます、小鳥遊さん」
横にいるのは、相変わらずの調子で笑う小鳥遊ホシノ。彼女が言いそうな軽い調子の言葉を、そのまま形にしたような声だ。
周囲を見渡すと、この場にいるのはシロコと小鳥遊ホシノだけ。他のメンバーは準備でもしているのだろう。姿が見えない。
シロコが私に気づいたのか、こちらに服を差し出してくる。
「おはよう、キミヨ。これを着て」
手渡されたのは、アビドス高等学校の制服だった。
おそらく、私だけ連邦生徒会の制服で目立つからだろう。
「……本当に着ないとダメなんですか?」
他校の生徒が他校の制服を着るのはどうなんだろう――そんなことを考えながら、どう断るかを探っていると。
「シロコちゃん、“あれ”やろう」
「ん、やろう」
――“あれ”。
その一言に、理由もなく胸がざわつく。
次の瞬間、シロコが目の前まで歩み寄ってきた。
距離が近い。
一歩。
また一歩。
逃げ場を塞ぐように、静かに距離が縮まっていく。
両手を胸の前でぎゅっと握り、わずかに上目遣いでこちらを見上げる。
その瞳が、まっすぐに私を捕らえていた。
「ん……ダメ?」
小さな声。
でもその奥には、はっきりと“期待”があった。
――断れない。
そう思った、その瞬間。
「キミヨちゃんがシロコちゃんに弱いのは、昨日のうちにサーチ済みだよ〜」
「……っ」
近い。
近すぎる。
呼吸の気配まで、触れそうな距離。
――そのとき。
脳裏に、記憶が弾けた。
『ん……弱い人に興味はない。……痛い、ホシノ』
『先生、トマト食べて』
『……ありがとう先生。ロードバイク、大切にする』
『ん……二人とも安心して。ホシノ先輩は、私たちが支えるから』
『二人とも、入学おめでとう』
『……先生なんてもう知らない!』
『……』
胸の奥がざわつく。
嫌な汗が背中を伝った。
呼吸が浅い。
「……キミヨ?」
シロコの声が、遠くから聞こえる。
まるで水の中にいるみたいに。
「ッ……分かりました! 着ますから、離れてください!」
思わず、大きな声が出た。
シロコがきょとんとした顔でこちらを見る。
その視線から逃げるように、私は立ち上がった。
「顔、洗ってきます」
それだけ言って、その場を離れる。
逃げるみたいに。
冷たい水で顔を洗えば、このざわめきも消えるだろうか。
鏡に映る自分の顔を想像しながら、足早にトイレへ向かう。
「ホシノ先輩……どうしよう」
「……冗談のつもりだったんだけどね」
────────────────
電車でアビドスを離れ、一行はデパートへ向かった。
キミヨはアビドス高校の制服に着替えている。
見慣れない制服の感触に、本人は少し落ち着かない様子だった。
人の流れの多い通路を六人で歩いていると、シロコとホシノが同時に足を止めた。
「さっきはごめんね、キミヨ」
「おじさんもごめん。ちょっとふざけすぎちゃった」
二人に頭を下げられ、キミヨも思わず立ち止まる。
「い、いえ……私の方こそ急に大きな声を出してしまって……」
キミヨは視線を落としながら答えた。
さっきのことは、どう考えても冗談だったのだろう。勝手に動揺した自分の問題だ、と本人は思っている。
だが二人が申し訳なさそうにしている以上、それ以上何か言う気にもなれなかった。
「キミヨ、無理してない?」
シロコが静かに尋ねる。
「大丈夫です。本当に」
「……ん」
短く頷く。
「ふぅー、仲直りできておじさん嬉しいなー」
ホシノはいつもの調子で肩をすくめた。
「ほら、今日はせっかくの買い出しだし。楽しまないと損だよ〜?」
前を歩いていた三人も振り返る。
腕を組んでいたセリカが呆れたように言った。
「まったくもう……朝から騒がしいわよ」
「セリカちゃん、厳しい〜」
「厳しくもなるわよ! というか何でキミヨがうちの制服着てるのよ!」
その横で、ノノミがふわりと笑う。
「でも似合ってますよ⭐︎ ふふっ、みんなでお買い物って久しぶりですね」
「ん。補給は大事」
シロコが真面目に頷く。
セリカ以外の三人は、キミヨの制服姿を自然に受け入れていた。
アヤネも一瞬考えたあと、深く突っ込むのをやめる。
「……似合ってると思います」
そしてアヤネは手元のメモを確認する。
「えっと……今日の買い物リストは、弾薬の補充、それから生活用品、工具、修理の材料ですね」
しっかりした口調で読み上げ、顔を上げる。
――その瞬間。
五人の姿が消えていた。
「……え?」
アヤネはゆっくり周囲を見回す。
数メートル先から楽しそうな声が聞こえた。
「見てアヤネちゃん。幸運のお守りだって!」
セリカが小物売り場でキラキラしたストラップを手に取っている。
その隣では――
「ホシノ先輩、この枕なんて良くないですか?」
「確かに良いねー。ノノミちゃんもお揃いにしちゃう?」
なぜか寝具コーナーで盛り上がるノノミとホシノ。
さらに少し離れたスポーツ用品店では――
「キミヨのサイズだとこれとか合いそう」
シロコがサイクリンググローブを手に持つ。キミヨは手を引かれ、シロコに連れて行かれる。
「私は詳しくないので砂狼さんに任せます」
キミヨは困った顔で言う。
その様子を見たアヤネは青筋を立てながら呟いた。
「そういうの後にしてくれませんか....!」
────
昼食を終え、一行はデパートの館内を少しぶらぶらしていた。
買い物はすでに終わっているため、特に目的もなく、ただ歩きながら気になるものを眺めるだけの時間だ。
――そのはずだった。
ふと、キミヨの視線が展示コーナーに引き寄せられる。
ガラスケースの中に並ぶ、特撮ヒーローやロボットのフィギュア。
その瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。
「……」
思わず足が止まる。
自分でも分かるくらい、不自然なほどに。
このまま通り過ぎることもできた。
見なかったことにしてしまえばいい――そう頭では分かっているのに、視線が離れない。
「気になるんですか?」
ノノミの柔らかな声がかかる。
キミヨの肩が、ほんのわずかに揺れた。
見られていた。
その事実に、小さな気まずさが胸をよぎる。
けれど、それ以上に――
「はい……ちょっと……」
抑えきれなかった感情が、言葉の端ににじんだ。
キミヨはガラス越しに、そっと手を添える。
触れられるはずもないのに、確かめるように。
――カッコいい
「ふふっ。キミヨさんにも趣味があったなんて。今日は来てよかったです」
ノノミの言葉に、キミヨはわずかに目を伏せる。
知られてしまった――という気恥ずかしさ。
けれど同時に、それを否定したくない気持ちも、はっきりとあった。
「確か先生も好きだったはずですよね」
「おじさんにも、その魅力教えてほしいな〜?」
「先生は男のロマンって言ってましたね」
「あっちにもロボットがあるわよ。えっと……ガンダム?」
セリカの指さす先には、より現実的で無骨なロボット。いわゆるリアルロボットが並んでいる。
キミヨもそちらに目を向ける。
だが――胸の奥は、少しも動かなかった。
「あっちのは、ちょっと……」
自然と、小さく首を振っていた。
「違うんですか?」
問われて、キミヨは再びガラスケースの中へと視線を戻す。
並んでいるヒーローたち。
迷いなく誰かを救う、その姿。
少しだけ、子どもっぽい価値観かもしれない。
そう思わないわけではない。
それでも。
「いえ、多分好みの問題で」
一度、言葉を切る。
胸の内にあるものを確かめるように。
「ただ、私が王道の話が好きなだけです」
ガラス越しのヒーローと、目が合ったような気がした。
「巨大な悪に立ち向かい、全てを救う――」
「そんなヒーローが、好きなんです」
その言葉には、さまざまな想いが混じっていた。
──────
ショッピングを終えて夕食を済ませた後、キミヨは一度アビドスへ戻った。
そして着替えを済ませると、再びシャーレへと足を運ぶ。
キミヨには本来の家がある。しかし、なぜかそこへはあまり帰りたがらず、シャーレの適当な物置で寝起きしていた。
――ちなみに、その事実に気づいている者はいない。
(……どこからか視線を感じる。感覚からして、スナイパーか)
シャーレのビルに入り、生徒手帳をかざして中へと入る。
そのまま物置部屋の扉を開けた。
「……ただいま」
中には生活感と呼べるものはほとんどなく、とても人が暮らしているとは思えない。
一歩踏み入れた、その瞬間。
視界の端にピンク色の影がよぎり、次の瞬間には背後から銃口を突きつけられていた。
「……ずいぶんな歓迎ですね」
「両手を挙げて、私の質問に答えてください。動いたら撃ちます」
その声の主――不知火カヤ。
キミヨはわずかに手を上げながら、静かに口を開く。
「記憶喪失の状態では、初めましてですね。不知火カ――」
乾いた銃声が、言葉を遮った。
壁に弾丸がめり込み、粉塵が舞う。
「次、余計なことを言えば本当に撃ちますよ」
わずかに神秘を込めただけの一発。それでも威力は十分すぎた。
この世界の各校の最強クラスと比べても遜色ない。
「これでも私、連邦生徒会長に負けず劣らずの強さは持っているので」
「では、一つ目の質問です。あなた――キミヨではありませんね?」
その言葉には、すでに確信が宿っていた。
(どうする……素直に答えるか、それとも逃げるか……。スナイパーは多分オトギか。だとすれば逃走は難しいか)
キミヨは思考を巡らせる。
相手を納得させつつ、自分の望む着地点へ導く答えを選ぶ。
「……ああ、そうだ。私は燈在キミヨではない」
「やはり。連邦生徒会長代理は記憶喪失だと言っていましたが、実際に見れば明らかに別人ですね。全く、連邦生徒会長代理の目は節穴ですか」
「二つ目の質問です。キミヨの中にいるのは、あなた自身の意思ですか? それとも事故によるものですか」
「……事故だ」
「そうですか。それなら安心しました。もし前者であれば、あなたのヘイローを破壊していたかもしれませんので」
淡々とした口調に、冗談の色は一切ない。
「少し観察させてもらいましたが、その立ち振る舞い……前世はキヴォトスにいましたね。死因は?」
「どうして“死んだ”前提なんだ。実験で混ざった、という可能性もあるだろう」
「あり得ません。あなたが宿る前日、キミヨはトリニティにいたことが監視カメラで確認されていますし――そのような存在がいたなら、既に排除しています」
一切の迷いがない断言。
「死因は?」
「……」
銃口が、さらに押し付けられる。
「……爆弾だ。爆発に巻き込まれた」
「そうですか。それはさぞ痛かったでしょうね。ヘイロー持ちですら死に至る爆弾……恐ろしい」
まるで他人事のように呟く。
「三つ目の質問です。なぜシャーレに属しているのですか? シャーレに入りたがっていたのはキミヨであって、あなたではないはずです」
「“大人”というものを知るためだ」
「ほう……。シャーレを望んだキミヨと、“大人”を知りたがる貴方。偶然にしては出来すぎていますね」
わずかに口元が歪む。
「最後の質問です。あなたの名前は?」
「……分からない」
沈黙。
ふざけたようにも聞こえる答え。しかし、その声音に嘘はない。
「……その様子だと本当のようですね。以上です。ご協力感謝します」
銃口が、わずかに下がる。
「……こっちからも質問していいか?」
「ええ、どうぞ。今は少し機嫌が良いので」
「あんたにとって、燈在キミヨは何だ?」
即答だった。
「簡単なことです。彼女は、この超人である私の隣を唯一歩ける存在です」
一切の迷いも誇張もない、断言。
「私が連邦生徒会長になった暁には、彼女には副会長になってもらいます」
「キミヨは三年のはずだが」
「留年してもらいますよ」
さらりと言い放つ。
「ですから――早くあなたには消えてもらいたいのです」
その言葉を、待っていたかのように。
キミヨは懐から、黒服に渡されたスマートフォンを取り出した。
「……連絡先」
「……あなたから?」
わずかな沈黙。
カヤはスマートフォンを見るでもなく、キミヨの目だけを見据える。
「……いいでしょう」
あまりにもあっさりとした返答。
だが次の瞬間、空気が一変する。
「ただし、一つだけ条件があります」
銃口が、ゆっくりと心臓の位置へと戻される。
一歩、距離を詰める。
逃げ場はない。
「あなたはキミヨの中にいる」
「なら、その身体の価値も、意味も、行き先も――すべてキミヨに依存する」
視線が、わずかに細められる。
「つまりあなたは、“彼女のために動く存在”であるべきです」
間を置かず、言い切る。
「違いますか?」
否定は許さない問い。
「……いいですか」
声が、さらに低くなる。
「キミヨのために動け」
それだけだった。
条件も、説明も、逃げ道もない。
ただの断定。
「あなたの意思はどうでもいい」
「目的も、過去も、名前すらも関係ない」
一歩、さらに近づく。
「その身体にいる限り――あなたはキミヨのために使われるべきです」
わずかに口元が歪む。
「それが嫌なら、今のは聞かなかったことにしますが」
銃口が、微動だにせず突きつけられる。
「……さあ、どうします?」
─────
「じゃあみんな、キミヨに自己紹介を」
翌日、先生から新たにシャーレに所属する生徒たちが紹介された。
「ヴァルキューレ警察学校所属、元RABBIT小隊の月雪ミヤコです。よろしくお願いします」
「同じく、空井サキだ。よろしく頼む」
「風倉モエ。くひひ……よろしくね」
「霞沢ミユ、です」
その声と同時に、昨日カヤと交わした会話がキミヨの脳裏をよぎった。
『そろそろ私も先生がどんな人物か気になっていたので、シャーレに送らせていただきます。ぜひ仲良くしてくださいね』
ヴァルキューレ所属とはいえ、彼女たちの服装はSRTの制服にヴァルキューレのマークをあしらっただけで、SRTへの配慮が感じられるものだった。
表情からも、脅されていたり嫌々従っている様子はなく、自然体であることがわかる。
キミヨは内心で思った。
(結構、慕われているんだな……)
そして、「よろしくお願いします」と返した。
この作品のカヤは、キミヨのおかげで人望を得ており、カイザーと癒着関係もない、めちゃくちゃ強い本当の意味での超人となっています。ただし、書類仕事や細かい管理業務はリンの方が得意です。
SRTについては、自分が連邦生徒会長になればすぐに復活させると約束しており、SRTの生徒たちは全員、喜んでヴァルキューレに所属している。リンが連邦生徒会長代理になっていることに対しては特に何も思っておらず、「来年なれればいい」と割り切っている。そもそも、カヤ自身は連邦生徒会長になることに大して興味を持っていない。
しかし、キミヨに対する執着は非常に強い。
自分より格下の相手でも決して見下すことはない。